伊豆の踊子 (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101001029

感想・レビュー・書評

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  • 読友さんと不定期で読む日本の古典2冊目。自身の未熟さ故に旅に出ることを決意する自分(旧制一高生)。旅の途中で旅芸人一家と出会う。そこには少女の姿。芽生える恋心。旅芸人は売春も兼ねる可能性を知るが、少女は14歳であることを知り、また風呂場では全裸で手を振ってくる。その瞬間恋心ではなく、「愛おしさ」に変わる。旅芸人一家と自分の社会的身分の相違に気付き、さらにこの少女もまたいずれは売春により生きていく可能性がある。愛おしさと身分の壁を見事に描写した。さらに雨、泉、涙という水の存在が彼をカタルシスへと導いた。⑤

  • 「川端康成 少年」文庫化&新装 発刊
    もちろん食指が動く未読作品。
    ということで、川端康成作品おさらい。

    伊豆踊り子 他3編 短編集。
    二十歳の一高生は、伊豆に一人旅にでる。自分の孤児根性の歪みの反省とその息苦しい憂鬱に耐えかねての旅。
    旅の途中、旅芸人一行と出会い、一人の踊り子に心惹かれる。そればかりではなく、貧しい旅芸人達は、孤独であった彼を慰めていく。
    14歳の踊り子への想いが恋であったかという所は、人それぞれ。私は、踊り子の純真無垢な裸体を見た時点で慈愛へ浄化されたかなと思う。
    旅芸人の厳しい生活と踊り子の行く末。
    旅は終わりを迎え、別れに彼は涙を抑えない。
    それは、悲しみだけでなく、自身の歪みからの解放、これからの生き方への希望があるのかと。

    そして!忘れていたのか?読めていなかったのか?
    「少年」への期待値なのか?
    青年はなかなかの泣きっぷり。もちろん、東京へ帰る船の上で泣くのですが。あ、もうこれ以上は、書けないわ。

    「温泉宿」
    底辺を生きる温泉宿の酌婦達。彼女らを買う、当時底辺の男達。彼女達の悲哀と逞しさ。
    各章を季節に分けて、温泉宿を描く。

    「抒情歌」
    霊能力がある女性が、死んだ元彼に語りかける。
    彼女に語らせる作者の死生観なのかな。
    50ページくらいだけど、難解。
    輪廻転生を一番美しい抒情詩としながら、人間の霊魂のみを尊ぶことをひとりよがりとする。
    自分は花となり花粉を運ぶ胡蝶に結婚させてもらうと結ぶ。

    「禽獣」
    犬小鳥の飼育からの生死。出産・動物の性など具体的。ちょっと、なんでしょうねえ、と調べたら、川端康成本人がこの作品に対する書評が誤読されて嫌いだとか書いているらしい。テストとかで作者の意図に反する出題がされがちなヤツですね。
    漱石の文鳥は、ペット的感だったけど、こちらはねえ、ちょっと気持ち悪いですよ。

  • 繊細な瑞々しさ
    哀しみの裏の逞しさ
    乙女のような憧れ
    冷徹で利己的

    感情よりもうひとつ上の段階にある
    言葉に言い表せないような何か
    すぐに答えが出るものではなく
    何十年もかかってふとこの事かと
    分かるような不思議な感覚

    筋を追って単純に内容を理解して
    良かった悪かった
    楽しかったつまらなかった
    ...などというレベルを超えてる作品を
    描く人なんだな...とようやく分かった

    ブックオフにて購入

  • 再読。
    作者20代後半から30代前半の、比較的若い頃の作品4編。
    再々読するときには、文化の違いをキーワードにせよ>未来の自分へ。
    生まれ育ちがポストモダン的視点で、頑張ってもせいぜいWWⅡ以後が想像の範疇だが、本作はちょうどWWⅠとWWⅡの狭間の出来事なのだ。

    「伊豆の踊子」
    1926年。作者19歳当時なので1918年くらいの習俗。
    「子供なんだ。私たちを見つけた喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先きで背一ぱいに伸び上る程に子供なんだ」という嬉しさ。無垢を寿ぎたいが、穢したいという欲望のあり方が、40手前になってわからないでもない、が、約100年前の二十歳がそこまで処女性みたいなものに対して素直に喜んでいたというのは、さすがに文化の違いを思わざるをえない。
    また、孤児根性云々については、作者の来歴を踏まえなければならない、やはりハードルの高い作品だと思う。
    唐突に帰京を言い渡す末尾、結局はよそ者、という自意識のあり方も、なかなかに中年っぽい自意識。
    たとえば沢田研二やエレファントカシマシ宮本浩次やRCサクセション「よそ者」みたいな。
    帰る船で、偶然会話を交わした少年にのマントに潜り込む辺りは、「少年」から遡って関連作と見做す視点(約5年前に伊藤初代との婚約破断事件と同時期に 「湯ヶ島での思ひ出」を書き、約20年後に「少年」を書く)がなければ、いかにも唐突。
    で、無垢に触れて、ぽろぽろ泣いて、空虚になって、スッキリする、その身勝手さは、さすが100年前のインテリゲンチャ! と笑ってしまうが、ポストモダンを何十年も後にした中年がそう思うだけで、発表当時やその後数十年は批判的視点なく名作と見做されていたと想像すると、そんな社会が怖い。

    「温泉宿」
    1930年。
    地域二番手の温泉宿の手伝いと、その近くの曖昧宿に勤めるおおよそ10名の女性たちの、群像劇。
    名前も境遇も似ているのでやや判別しづらいが、お滝、お雪、お清、お咲、の4人くらいに集中すればよさそう。
    他作品でギョッとする冷酷な男性性みたいなものが本作には見えづらいが、地の文そのものが冷酷。

    「抒情歌」
    1932年。
    wikipediaにいわく、
    「幼少時から霊感の強かった川端は[26][27]、1919年(大正8年)に知り合った今東光の父親から聞いた神智学に興味を持ち、カミーユ・フラマリオンやオリバー・ロッジなどを愛読した[3]。」
    また、ヘンリー・ジェイムズ(「ねじの回転」)は1843-1916,アーサー・コナン・ドイルは1859-1930、ジグムント・フロイトは1856-1939。そんな時代でもあるのだ。
    しかし現代小説として読み直すなら、わたしーあなたー綾子さんの三角関係が、そういう磁場を発生させた、と。
    でもこれって紫式部「源氏物語」で夢の形を借りて現れた嫉妬と呪詛と、似ている。
    こわ……。

    「禽獣」
    1933年。
    冷酷の極み。マジでイヤな作品だし作者自身も嫌悪していると言うが、だからこそ本質的なんだと思う。
    作者が嫌悪の果てを探った挙句、誰にも理解できないものが生まれたのではなく、誰にもどこかしら共鳴し、なおかつ共鳴したことに眼を背けたくなるものが生まれてしまった……いい意味でも悪い意味でも奇蹟的な文章だと思う。
    だいたい、「虚無のありがたさ」って、ナニ!? そんな文章表現、どこにあったの!? いまもあるの!? 今後あってもいいの!? イヤでイイ小説。

  • 最近の文学だけではなく、幅広く文学を…と思い手に取った本作。
    日本で最初にノーベル文学賞を取った川端康成さんの作品、コレで日本人3人の代表作は読んだかな(´∀`)

    うーーーむ、ちょっと自分にはイマイチ良さが分からなかったかなぁ…

    ベースの部分で「20歳・男」→「14歳・女」の恋愛ものっていうロリ設定なんですが、それでいて「純愛モノ」ってのがなんだかなぁと…イマイチすんなり入ってこなかったですねー、そこらへんは時代背景もあるのかもですが…

    どうせ読むなら、谷崎潤一郎さんみたいな潔く?エロにぶっ飛んでる作品の方が、圧倒的に読んでて面白いかなぁと思いました。

    過去の名作と言われる小説をいくつか読みましたが、やっぱり読んでて面白いなと感じるのは現代の作品の方が多いですね。
    今の小説は、過去の作品からブラッシュアップされているし、時代の背景、雰囲気も分かって共感を得やすく、その分の強みがあるのかなと。

    こんなこと言うと「分かって無ぇ奴だな」ってなるのは百も承知なんですが…まあ自分が素直に感じたことを残しておこうかと…

    当時はこの新しさが良かったのかもしれませんね、「新感覚派」って付くぐらいだからそういうことなのかなと納得。


    <印象に残った言葉>
    ・仄暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場の突鼻に川岸へ飛び下りそうな格好で立ち、両手を一ぱいにして伸ばして何かを叫んでいる。
    手拭もない真裸だ。それが踊子だった。若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。私達を見つけた喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先で背一ぱいに伸び上がる程に子供なんだ。私は朗らかな喜びでことことと笑い続けた。頭が拭われたように澄んで来た。微笑がいつまでもとまらなかった。(P20)

    ・「いいえ、今人に別れて来たんです」私は非常に素直に言った。泣いているのを見られても平気だった。私は何も考えていなかった。ただ清々しい満足の中に静かに眠っているようだった。(P45)


    <内容(「BOOK」データベースより)>
    旧制高校生である主人公が孤独に悩み、伊豆へのひとり旅に出かける。途中、旅芸人の一団と出会い、そのなかの踊子に、心をひかれてゆく。清純無垢な踊子への想いをつのらせ、孤児意識の強い主人公の心がほぐれるさまは、清冽さが漂う美しい青春の一瞬……。ほかに『禽獣』など3編を収録。巻末の三島由紀夫による「解説」は、川端文学の主題と本質についてするどく論じている。


  • 踊り子たちと何泊かして帰ることになり、帰りの船で泣いてるというそういう話かいと思ったけど、硬かった少年の心が踊り子達のおかげで打ち解けられたという話だったのか。

    文章は美しかった。とても。

  • 作中主人公が温泉に浸かっていると、離れた所にある別の温泉に浸かっていた踊り子が、いきなり全裸で走り出し手を振るシーンがある。映画では女優さんを気遣って変えてしまうが、あのシーンはこの小説にとって非常に重要な意味を持っている。

    それまで踊り子に淡い恋心を抱いていた主人公だが、彼女がまだほんの子どもなんだと知って、まだ穢れのない存在と認識して安心する。それと同時に家族に対するような親近感が育つ。

    生い立ちが孤独なだけでなく、自意識が強く周囲と上手く付き合えない、という若者には誰しも備わっているコンプレックス。素朴な旅芸人達と触れ合うことで硬くなっていた心がほぐれていく、いい話だ。これは純愛小説というよりも自分再発見の旅物語だ。

  • 『伊豆の踊子』を読んだ時、ストーリーの詳細が書かれておらず、淡々として正直あまり面白くないと感じた。文体は「〜た」の過去形で、一文も短いため、テンポよく読めるが、あらすじ読むだけで十分じゃん?と思うほどの物足りなさ。ただ作品の解説を読むにつれ、完全に自分の読みが甘かったと反省。

    まず時代背景をしっかり把握する必要があった。主人公は旧制高校に通っているエリートで、一方の踊子は芸人という点で身分が低く、社会的ステータスの差がはっきりと描かれていた。

    旅の途中の何気ない動作や情景にも深いメッセージが込められている。例えば帽子。当初主人公はエリートの象徴である制帽をかぶっていたが、最後の港での別れの際は鳥打帽(ハンチング帽)になっており、それを渡すシーンも身分の差を克服した決定的なシーン。小説技法の本を読んだので、こういうのは見落としたくなかった、、もっと訓練が必要だと痛感。

    文学的な視点や小説技法だけに限らず、このストーリーのテーマも自分にとって何か惹かれるものがある。二十歳の男子学生が孤独に悩み、伊豆へひとり旅する設定は、どこか重なるものがあるのかもしれない。

    • ともひでさん
      創作物の凄い所は全てに意味を持たせていること。
      セリフの言い回しや情景描写、全てにそうでないといけなかった理由が宿っている。(はず)

      ...
      創作物の凄い所は全てに意味を持たせていること。
      セリフの言い回しや情景描写、全てにそうでないといけなかった理由が宿っている。(はず)

      これ自分の人生にも適用したいんだよね。
      全ての所作、ワードチョイス、選択に自分なりのこだわりを宿したい。
      そうやって自己を洗練させていくことによってのみ、究極的な個性に到達できると思う。
      2021/07/19
  • 【伊豆の踊子】
    旅っていいなぁと思った。
    ドロドロでなく、悶々でもなく、刹那の出会いと爽やかな別れ。
    主人公と踊り子のお互いに思いを言葉で伝え合わない事に、人の純粋さを感じる。
    私に読む力が無いせいで栄吉や四十女が主人公達をどう見ていたかという部分が解らなかった。
    40歳に成ったら今一度読みたい。

    【温泉宿】
    駄目な女達の駄目な話
    湊かなえが書き直したらどんな話になるかと思った!

    【叙情歌】
    一人の女が一方的に死生観を語る話
    『あなたも私もが紅梅か夾竹桃の花となりまして、花粉をはこぶ胡蝶に結婚させてもらうことが、遥かに美しいと思われます』に痺れた!

    【禽獣】
    主人公は決して人嫌いな訳ではない。
    上手く人と付き合えないのではなく、会わないだけだと思う。
    若干怠惰で飽きっぽい主人公に
    『動物にかける愛情に深みを込めろ!』と言ってやりたい。

  • 表題作の「伊豆の踊子」は若い青年の踊子への揺れる恋心が純粋で真っ直ぐな感じに惹かれた。非常に面白かった。
    他の短編三作品は内容と表現が難しく、なかなか物語の本質を捉えるのが厳しかった。

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著者プロフィール

一八九九(明治三十二)年、大阪生まれ。幼くして父母を失い、十五歳で祖父も失って孤児となり、叔父に引き取られる。東京帝国大学国文学科卒業。東大在学中に同人誌「新思潮」の第六次を発刊し、菊池寛らの好評を得て文壇に登場する。一九二六(大正十五・昭和元)年に発表した『伊豆の踊子』以来、昭和文壇の第一人者として『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』などを発表。六八(昭和四十三)年、日本人初のノーベル文学賞を受賞。七二(昭和四十七)年四月、自殺。

「2022年 『川端康成異相短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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