舞姫 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101001074

作品紹介・あらすじ

舞台の夢をあきらめた過去の舞姫波子と、まだプリマドンナにならない未来の舞姫品子の母子。もとは妻の家庭教師であり、妻にたかって生きてきた無気力なエゴイストの夫矢木と両親に否定的な息子高男。たがいに嫌悪から結びついているような家族の中に、敗戦後、徐々に崩壊過程をたどる日本の"家"と、無気力な現代人の悲劇とを描きだして異様な現実感をもつ作品。

感想・レビュー・書評

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  • 敬愛する川端康成、唯一この作品だけは自分にハマらなかった。
    説明を省いたシンプルな文体は相変わらずだが、この作品からはテンポも省かれているのか掴み所が無い。
    古風な日本人家族、そしてそこから広がらない閉塞的な舞台が要因なのかと推察。
    景色や人の機微の美しさをもう少し感じたかった。

  • 1950~51年にかけて「朝日新聞」に全109回で連載。
    終戦5年後におけるインテリ、比較的上流に近い家庭の、父ー母(ー過去の恋人)ー娘ー息子の関係が描かれる。
    父母世代は40歳前後、子世代は20歳前後。
    てことは親世代は性的にまだお盛ん、子世代はむしろ性的には開花直前の趣き。
    川端康成は当時50歳くらいなので、干支ひとまわり下世代を想定しているのだろうが、例の如く自分を反映させなければ書けなかったバタやんだから、矢木は半分は作者自身だろう。
    作品全体は新聞に連載されただけあって昼ドラ的な通俗小説。
    新時代のご婦人の内面ってこうですよー、とか、上流階級の「お不倫」ってこうですよー、とか、子世代のちょっとしたモヤモヤってこんなんですよー、とか。

    深いか浅いかと二分するならば、決して深いわけではない。
    と思うが、個人的には思うところがいくつかあった。

    まずは川端が30代から40代にかけて書き継いだ「雪国」にて、視点人物島村はダンスの評論家だったというのが、本作に繋がっている。
    というか川端は徹頭徹尾オンナを視覚的に愛でるのが好きで、舞踏やダンスは興味の先に自然に存在したのだろう。
    (視覚芸術への耽溺は澁澤龍彦を連想させる。)
    (エドガー・ドガのバレリーナの絵「踊りの花形」で、奥のほうにタキシードの男の顔を除く身体が描き込まれているのも、連想。)

    次に、波子と夫の、内面の書き込み具合。
    川端は非マッチョな、むしろ当時としてはキモオタな視点で執筆していたと思うが、そんな中にある家父長的な視点はどうしても、ある。
    が、本作ではむしろ家父長たる矢木の内面を、ほとんど記述しない。
    謎のままにしているのである。
    この矢木、経済的にも妻に依存せざるを得ず、家庭生活においても大国柱とはなれず、じゃあどうするかといえば、浮気しているかもしれない妻に対して、息子娘の面前で皮肉を言うしかないのだ。
    この造詣の情けなさ……他人事じゃないと感じてしまった。
    川端自身は文豪だし社交も如才ないが、底の底にはひねこびた、分断内でもマッチョを発揮している周囲の面々に対する屈折した思いがあったろう。自身で孤児根性と採り上げるくらいだし。
    以下twitterよりコピペ。

    新年の二日には川端家では賀客を迎へるならはしである。皆の談論風発のありさまを、一人だけ離れて、火鉢に手をかざしながら黙つて見てをられる川端さんに向つて、故久米正雄氏が急に大声で「川端君は孤独だね。君は全く孤独だね」と絶叫するように云はれたのをおぼえてゐる。-1956年4月「永遠の旅人」

    このへんに川端康成の魅力があると思われる。キモオタなのだ。
    私自身も妻に対して真正面から対立できず、皮肉を放って唇の端を歪めることでしかコミュニケーションできていないので、全然他人事じゃない。
    また、矢木は、今は戦争と戦争の間に過ぎないよ、と言う。
    ポストモダン世代にとっては、予期につけ悪しきにつけ長い戦後を暮らしているが、1899年生まれは思春期に第一次世界大戦を見聞きし、中年期に第二次世界大戦を体験した。
    そりゃ自身ではどうにもならない戦争が、いつ降りかかってもおかしくない「間近の災厄」と思われて仕方ないのだろうな、と想像できる。
    中井英夫三島由紀夫澁澤龍彦は思春期に第二次世界大戦を浴びた世代だが、その上には太宰治が、川端が、さらにいえば夏目漱石や森鷗外やがいたのだ、と、思いを馳せるきっかけにも、なった。
    世代論はいくらでも思いつくし、芯を食っていなくてもそこそこ形が整えられるので便利なものだが、たった10年しか年の差のない太宰治の「斜陽」の直治を、どうしても対にして考えてみたくなる。
    (例の太宰の手紙辺りなら、「上がらんとする先輩」と「上がり切れぬ後輩」という構図かしらん。)

  • まず舞姫というタイトルが良い。物語は、舞台の夢を諦めた波子とその娘の品子を中心に描かれているが、時に冷たく、時に切なく、様々な苦悩が入り混じった読み応えのある作品だと思う。

  • 個人的には、「雪国」よりこの作品が好きです。(「伊豆の踊り子」は別格)
    なぜなら、太宰の「斜陽」に似た、静かな崩壊系が大好きなテーマだからです。
    この作品は、静かに壊れていく様子を冷静につづっているのです。

    ストーリーは、戦後、お嬢様バレリーナだったお母さんと、バレリーナの夢を託される娘、お金ないダメな大学教授のだんなさん、間に挟まれる息子。
    お母さんは、つまり、精神的に浮気しております。
    でもそれは決定的でない。プラトニックだからね。
    だけど、周囲はだんだん気がつき始めます。
    でも別に、お母さんの恋が原因で、家族のなんとなーくの不協和がはじまったんでもないの。
    何が理由かみんなわからないのだけれど、違和感があるんですよ。
    どうしてかしらねえ、、、、、

    で、お話終わり、みたいな。

    恋愛も結婚生活の終わりも、なんだって、終わりは、なんとなくやってくると思うのです。
    そこに、理由なんて無い。
    ただ、崩壊に向かうだけ。
    淋しくも悲しくも無い。

    そんな感じ。「斜陽」よりもあっさりと、崩壊を描いていて、好きです。

  • 戦後日本の家庭の物語。登場人物それぞれが無力感を抱え、悩みながら生きている。最終的に各人の苦しみが解消される場面は描かれず、この先どうなったのか気になる終わり方。戦後日本の価値観、男女の葛藤、経済的転落が描かれる。

    波子さんは綺麗な人なんだろうな。矢木は嫌な感じのする男だが、その背景には結婚生活での彼なりの葛藤があったのだろう。

  • やっと読み終わりました。川端康成は本当に人間関係のリアルを描写するのがうまいなと感心いたします。
    この「舞姫」はバレリーナである波子とその愛人竹原の逢引シーンから始まりますが、そこで波子がお堀の中でじっとしてる白い鯉を見つめるシーンが危うげでとても象徴的です。そこで竹原は彼女に「およしなさい。あなたはそんなもの、目につくのが、いかん。」と言いますが、この言葉が波子の危うげかつ妖艶さを引き立てているなと感じました。
    この「舞姫」は波子とその愛人竹原、娘の品子と息子高男、そして波子の夫である八木を中心に話が展開しますが、決してドロドロした人間模様にはなりません。あくまで人間のリアリズムを川端独特の表現で追求した作品に仕上がっています。
    三島由紀夫が巻末の解説にも述べていますが、川端氏の「息切れの早い、ほっと息をつきながら、何度も足をとめるような文体」が波子とそれ以外の登場人物の繊細な心の機微を読者にリアルに伝えます。
    この小説は他の川端作品の中でも登場人物がとても多い作品です。中でも私がとても印象的に感じたのは波子の夫八木。妻の心が自分から離れてる事実を実はもっとも客観的に受け止めている人物。そんな彼はとても自虐的で辛辣な言葉を妻はもちろん娘や息子に対してまで放ちます。母と娘のバレエはセンチメンタリズムにすぎない、と言い放つ八木の言葉に人間の悲しさが表現されていると思いました。
    「魔界には、感傷がないのなら、僕は魔界をえらぶね」は作品の終盤での八木の言葉。これほどまでに人間の悲哀を表現した言葉があるでしょうか。
    それでも人間は感傷的にならざるをえない。それが川端が書き残した人間のリアリズムとはどんなものかという問に対する答えなのではないでしょうか。
    川端作品は古典とは思えないほどその表現が色褪せることがなく、現代のトレンディドラマを見ているかのような錯覚に陥りました。とにかくすごい作家だと思います。そして何がすごいのかってせつないストーリーなのに読後感がとても爽やかなんです。

  • 解説が三島由紀夫で、思わず解説に飛びついて一気読みしてしまった。
    淡々と現象を書いている小説で、登場人物の心理を推し量ることが必要だが、それが想像力を刺激し魅力となっているのだと思った。
    川端康成の美とは、解説まで読んで欲しい。

  • この作品に登場する人達は皆、強い虚無感を感じていて誰一人、幸せそうではない。矢木、妻の波子、娘の品子、息子の高男の一家は今にも崩壊しそうな家族であり、彼等を結び付けているのは嫌悪という情だけ。波子の愛人である竹原も何処か虚ろだ。惰性で繋がっている関係であるのに積極的にそれを断ち切れない悲しさや弱さが人間らしいとも言える。全体的に陰鬱な、索漠とした作品。川端康成の骨董趣味が垣間見得るのも面白い。三島由紀夫の解説も良かった。

  • 後期作品でたびたび描かれる「魔界」をはじめてモティーフにした川端作品。そのタイトルが示すとおり、過去にプリマ・ドンナだった波子と、その夢を託された品子の母娘を中心に物語が進行するが、登場人物のなかで印象的な存在は、なんといっても波子の夫にして品子の父である矢木元男。いまの言葉でいう「モラハラ」を地で行く性格で、重松清『疾走』のように、DVなどによってわかりやすく家庭が崩壊する様子は描かれていないが、静かに家族がバラバラになってしまう。あるいは「サイコパス」とまでいってしまって良いかもしれない。とにかく矢木が憎らしく、不倫を肯定するわけではないけれども、竹原と密会を繰り返す波子よりも、どうしてどうして矢木のほうがよほど鼻についてしまう。そのような人物像を的確に描いているあたりは、ノーベル文学賞作家の面目躍如といったところ。ただ、本作の結末はあまりスッキリしない。2人が離婚するかといえばそこまでは行っていないし、なんだか途中でブツ切りになったような感じがある。それでも消化不良、未完結といった印象を与えないあたりもさすがで、そのことも含めて著者も読者も含めて「魔界」の一員であるのかもしれない。

  • 戦後の日本では貴族(華族)制度が撤廃されたため
    かつての貴族たちは、世襲財産保護の特権を失うことになった
    中でも、芸術などに夢を見て
    まともな生活能力を身につけなかった者たちは
    贅沢に慣れた身ゆえ、浪費をあらためることもできず
    とりあえずは家財道具を売り払って食っていくしかなかった
    こういう没落貴族を題材にした小説には
    太宰治の「斜陽」や、三島由紀夫の初期作品のほかに
    この、川端康成の「舞姫」などがあげられるだろう

    芸術評論家の矢木元夫と、舞踏家の矢木波子は夫婦である
    しかし戦争が終わってからというもの、その関係は冷え込む一方だった
    上流家庭に生まれ、贅沢が当たり前になってる妻と
    もともと書生あがりの入り婿で、ケチな性格をしてる夫では
    まあ合わないのも当然なんだけど
    それであんがい、日本が戦争に負けるまで
    黙ってさえいれば家庭内のバランスは上手くとれていた
    戦後、家計が苦しくなるにつれ
    互いに抱えた夫婦の不満も、徐々に噴出してくるのだが
    そこでまず明らかになったのは、家族観の違いである
    たとえバラバラになっても、家族は家族だという夫に対して
    妻は嫌悪感をつのらせることしかできなかった
    そこに露呈されたのは
    自由平等を建前とする社会に隠蔽されてなお存在する階級意識であり
    また、異なる階級の考え方をけして認めない人間というものの
    ひとつの原理であった
    そういう現実にひざまづき、受け入れることを仏の道と呼ぶならば
    それに逆らうことはたしかに魔道と呼べるわけだ

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著者プロフィール

一八九九(明治三十二)年、大阪生まれ。幼くして父母を失い、十五歳で祖父も失って孤児となり、叔父に引き取られる。東京帝国大学国文学科卒業。東大在学中に同人誌「新思潮」の第六次を発刊し、菊池寛らの好評を得て文壇に登場する。一九二六(大正十五・昭和元)年に発表した『伊豆の踊子』以来、昭和文壇の第一人者として『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』などを発表。六八(昭和四十三)年、日本人初のノーベル文学賞を受賞。七二(昭和四十七)年四月、自殺。

「2022年 『川端康成異相短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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