- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101001197
感想・レビュー・書評
-
1938年に実際に行われた囲碁の対局に取材している作品。
著者はこの作品を書き終えるまでに十数年掛けている。
現在、碁に限らず他の盤上遊戯や相撲においても時間制限があり、棋士・力士はそれを考慮する必要があり、時には戦略の要素の一つとして用いられることもある。
しかし、この作品に描かれている本因坊秀哉の引退碁は、各々の持ち時間が40時間(実質は時間制限が無いようなもの)とされ、打掛(中断)を挟み挟み約半年の期間をもって終局した。
小説家による観戦記という性質から、棋士同士の交遊の様子や対局中の棋士の様子が中心として描かれていて、碁に明るくなくても充分に手に汗握る展開を楽しむことができる。
同書に棋譜も記載されているため、碁の経験のある人は碁盤に並べながら読むとより作品世界に没頭できると思われる。
解説は山本健吉。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
不敗の名人、本因坊秀哉について描かれる。一芸に打ち込むことは美しい、たたえられるべきことに思われるが、本人にとってもそうなのか。客観的にみればそれは悲劇なのかもしれない。しかし、そんな生きざまにあこがれてしまう部分もある。川端康成の文章の静謐さと、名人の碁の凄みには共通するところもあるかもしれない。
-
平野啓一郎の『葬送』に、「創作とはもっとも死に近づく行為である」というようなことが書いてあったのだけど、ここで言う「創作」という言葉を「芸術」と置き換えても差し支えないだろうと思う。芸術はおしなべて俗な人間の生活を離れた行為だ。名人もまさにそういう人だったのだと思う。この引退碁は文字通り命がけの勝負だったし、対戦相手の大竹七段が家庭人であったのとは対照的に、名人夫妻には子供もいなかった。
名人が敗れたとき、囲碁が芸道だった時代は終わりを告げた。剣道も柔道も、武道からたんなる競技の一種目になってしまったように。川端は文学の人だけど、それももともと芸道にちかいものだっただろう。ほかにも音楽や演劇なんかもそうかもしれない。「道」と呼ばれるものが商業化または大衆化していくと、みんなで楽しめるものになるかわりに、そこにあった崇高な精神は失われていくのだろう。良し悪しだよな。
しかし川端先生すばらしい。仕事帰りの電車の中で読んでいると、電車が最寄駅に着くのが腹立たしいほどだった。私の三昧境を邪魔しないで~。いや、どっぷりはまって降りないでいると、終点の埼玉県まで行ってしまうわけですが……。
ちなみに私は囲碁超弱いです。ちょーう弱いです。