- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101001203
作品紹介・あらすじ
波の音高い海辺の宿は、すでに男ではなくなった老人たちのための逸楽の館であった。真紅のビロードのカーテンをめぐらせた一室に、前後不覚に眠らされた裸形の若い女-その傍らで一夜を過す老人の眠は、みずみずしい娘の肉体を透して、訪れつつある死の相を凝視している。熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の名作『眠れる美女』のほか二編。
感想・レビュー・書評
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『眠れる美女』
とある一軒家で…
眠り薬によって眠らされた裸体の美しいきむすめと一晩を共にすることができる。ただ、それはもうすでに「男」ではなくなった老人のみが集うことが許されるのだった。
まだかろうじて「男」ではある、江口老人がこの物語の主人公である。
老人は、決して眠りからめざめない娘の前で、自分がなさけなく、また病めるようにも思えてきて、
「老人は死、若者には恋、死は一度、恋はいくたびか」
と思いがけずにつぶやいた。
そして眠る娘の傍らで、かつての愛人たちの思い出に浸る。娘のみずみずしい肉体から放たれる芳香に酔しれながら、しだいに自らの死がより鮮明に色濃くなってゆく。
老人は、娘のそばで何を思い眠りにつくのか…。
ほか『片腕』『散りぬるを』 -
天才とナントカは紙一重と言うけれど、脳みそのどこをどう押したらこんなストーリーを思いつくのかと驚愕しました。女性の描写は美しくただそれだけで読み応えがありますが、いかんせん私としては主人公の気持ちと同化することが出来ず。
『片腕』が3編の中で1番好きです。シュール感強めでした。 -
デカダンス文学の傑作と言われる作品。
読もうと思ったきっかけは、原宿ブックカフェという番組で浅田次郎さんが“人生を変えた一冊”に挙げていたのを観たから。
薬か何かで眠らされた少女と、添い寝して一夜を過ごすことが出来る部屋。知人から聞きつけた江口老人は、ある日そこを訪れる。
奥の部屋の布団に眠る若い女は一糸纏わぬ姿で、そしてどんなことをしても絶対に目覚めない。
そこを訪れるのは大抵、もはや男性としての機能を失ってしまった老人ばかりであるが、江口老人はまだ完全に機能を失ってはいない。
隣に眠る若い女を犯して破壊してやろうかという衝動にも襲われるが…。
直接的な肉体の交わりのないエロティシズムが却って妖しさを引き立てていて、死が見え始めている老人が若い肉体を目の当たりにした時に感じる寂寥感がそこはかとなく漂っていた。
その妖しげな家にいる女主人が最後に放つ一言が、凄まじく悲しい真理だった。
他に二編収録されている中の一編「片腕」は一人の男がある女性から片腕を借りて家に持ち帰る物語なのだけど、表題作同様、現実離れしていて不思議な物語だった。
三作目の「散りぬるを」はひとつの殺人事件を小説家が語るつくりで、これだけは雰囲気が全然違った。
解説を三島由紀夫が書いていて豪華。とても絶賛している。
発想力も文章力も凄い。昔の文豪が残した傑作はやはり面白い、と思わされた一冊。 -
「雪国」に続いて「眠れる美女」にチャレンジ(笑)
日本文学作品には苦手意識があって、学校の授業以外ではほとんど読んでいない私が、イイ大人になったのでチャレンジして、今年の始めに読破できたのが「雪国」だ。
調子に乗って他の作家のものも色々手にとってみたが、どうにも途中で挫折してしまい中途半端になっていたので、川端康成氏に戻って別の本を読んでみようと手に取ったのがコレ。正解だった。
たぶん私は川端康成氏の文中の表現や世界観が好きなのだと思う。人のこころの危うさのようなものが。
本書は「眠れる美女」「片腕」「散りぬるを」の3編から成る短編集である。
「眠れる美女」のあらすじは、
波の音高い海辺の宿は、すでに男ではなくなった老人たちのための逸楽の館であった。真紅のビロードのカーテンをめぐらせた一室に、前後不覚に眠らされた裸形の若い女-その傍らで一夜を過す老人の眠は、みずみずしい娘の肉体を透して、訪れつつある死の相を凝視している-。(作品紹介より)
読みながら頭に浮かんだのは「耽美なエロティシズム」という言葉。
若く美しい女たちの肌を表現するというひとつとってもその言葉選びが美しい。また、枯れ行く老人の心情が切実に伝わってくる。
まさに、生と死が布団に並んで横になっている姿を見るようだ。
「片腕」は、ホラーかよって思って読み始めたが、フェチだなこれは。究極の腕フェチ。私にはない感覚なので、いまいち共感はできないが、やはり美しかった。ラストはやっぱりホラーだったけど(笑)
「散りぬるを」は、うーん。これは作者の目線そのもので書かれているのだろうか?という感じ。やはり危ういのだが現実っぽすぎて、美しさが足りない気がした。
他の作品もまた、読んでみたい。 -
理解しようとしても、今は無理だろう...
江口老人が、夜毎娘たちの元へ訪れる所業にである。彼は「生の交流、生の誘惑、生の回復」だと言う。恥も外聞もなく、その枕元に立つ事が死を目前にした者たちの死生観なのか...若い柔肌への関心は「生の執着」ではなかったか... -
年老いた男のロマンやフェチシズムを文学にすればこうも評価されるのか、と少し憤りはしたものの、三島由紀夫の解説での表現が的確過ぎて納得。
ー「眠れる美女」は、形式的完成日を保ちつつ、熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の逸品である。
ー6人とも眠っていてものも言わないのであるから、様々な寝言や寝癖のほかは、肉体描写しか残されていないわけである。その執拗綿密なネクロフィリー的肉体描写は、およそ言語による観念的淫蕩の極致と言ってよい。
ー作品全体が、いかにも息苦しいのは、性的幻想に常に嫌悪が織り込まれているためであり、また、生命の讃仰に常に生命の否定が入り混じっているためである。 -
『眠れる美女』の、秋から冬になっていく感じが好き。こういうところに作者らしさを感じ惹かれる。
娘たちが生きたまま人形にされてしまったようで怖い。娘たちの肉体は江口老人の追憶や想像と結びつくことでいっそう生々しさを与えられる。
『片腕』は薄気味悪く、でも絵面はなかなかコミカルだなんて思う。ひたひたとにじり寄る紫のもやが不吉だがたまらなく幻想的。
『散りぬるを』は、創作過程の頭の中を垣間見みるような面白さがある。小説家ゆえの明晰さはまさに狂気。
三作とも寂しさが強く後を引く。夢とうつつの境は魅惑的でありまた無情だ。 -
川端康成は『雪国』だけを読み、美しいけどうーん…というのが私の印象であった。ガルシア=マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』がこちらを下敷きにしているというところからしった作品である。表題作とほか中編が2つ。あぁ、なんと美しく面白いのか!!裸のうら若き熟睡しきった生娘と添い寝する宿を描く表題作のなんと頽廃的で耽美なことか!乙女の「片腕」をつける「片腕」。殺人事件とその犯人の問答「散りぬるを」まで3編すべてが面白く、しかもそれぞれに趣が異なり飽きない構成である。川端文学円熟期の紛うことなき名作である。川端康成、これからすこしずつ読もう。巻末の解説はなんと三島由紀夫。解説も必読。2013/355
著者プロフィール
川端康成の作品






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