- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101001210
作品紹介・あらすじ
捨子ではあったが京の商家の一人娘として美しく成長した千重子は、祇園祭の夜、自分に瓜二つの村娘苗子に出逢い、胸が騒いだ。二人はふたごだった。互いにひかれあい、懐かしみあいながらも永すぎた環境の違いから一緒には暮すことができない…。古都の深い面影、移ろう四季の景物の中に由緒ある史蹟のかずかずを織り込み、流麗な筆致で描く美しい長編小説。
感想・レビュー・書評
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京都ならではの数々のお祭りと寺社を背景に描かれる主人公の女性の機微。京都の四季を基調とした映像美と情感たっぷりの物語の進行で和の世界を堪能させてくれる。ゆるやかな抑揚の印象のある京都弁の会話や西陣帯を織る音、杉木の匂いもそうした雰囲気を大いに盛り上げてくれている。
もみじの幹にひっそりと成育している2つのすみれのように本当は出会うことがなかった双子の姉妹だが、祇園祭の夜に引き寄せられるように邂逅した2人。京都弁の会話と情感ただよう場面描写が美しいがゆるい進行だった物語が、この祇園祭を境に一気に盛り上がっていく。まっすぐな杉木を好む主人公・千重子とその中で育った姉妹の苗子の心情の掛け合いがとても印象深い。そして、2人を取り巻く男性たちと千重子の両親の温かい眼差しもとても心地よい。早朝の雪の中に苗子が退場していく場面は、本作を締めくくるにふさわしいとても余韻が残る名場面です。
あとがきによると、新聞紙上での連載ものだった本作だが、川端が睡眠薬でうつつな心持で描いた作品だったということで(笑)、激しさを内に持つ西陣織職人・秀男と苗子のその後や、千重子の父の復活した茶屋通いのその後など気になるシーンが描かれなかったのもそのためか。(笑)このあたりの余韻の残し方も川端ならではの凄いところ。
本来、口絵にあったという東山魁夷の絵が本書に掲載されなかったのは残念だ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
四季の巡る京都の一年間を背景に、ヒロイン八重子を中心とした人間模様が交錯する。
美しい言葉遣い、自然の光景や行事が川端康成の流麗な日本語で語られる。
大店呉服屋の一人娘の八重子は、庭のもみじの幹の上下に根ざした二株のすみれに春の訪れを感じている。同じもみじの幹に咲きながらも互いを知らないのだろうか。それは自分と会えない誰かのように?
八重子は捨て子だったが、今の両親の太吉郎としげから愛され大切にされている。
京都の自然と伝統の中真っ直ぐに育つ八重子だったが、自分が恵まれれば恵まれるほど、自分を捨て子しなければいけなかった実の家族を思うとどこかしら寂しさのようなものも感じている。
「今の親が可愛がってくれはるし、もうさがす気はあらしません。うみの親は、仇野あたりの無縁仏のうちにでもおいやすやろか。あの石はみな古うおすけど…」
そんなある日自分とそっくりの村娘、苗子と行き会う。
彼女こそ自分の生き別れた双子の相手だったのだ。それはまさに神様のお引き合わせのようだった。
八重子は自分の生まれと、本当の父も母ももうこの世にはいないと言うことを知る。
太吉郎としげの夫妻は「その子には、なにか、苦しいこと、困ったことが、できたんやったら、うちへ連れといで…。引き取るわ」という。
だが苗子は八重子を「お嬢さん」と呼び、「お嬢さんの難儀のときには、喜んで、身代わりでも、なんでもさしてもらいます」「うちはお嬢さんの差し障りになるようなことはいやや」という。
お互い一目見たときから懐かしさを感じるが、ともに暮らすことはできない…。
そんな二人のそばにいる三人の若者たち。
八重子と幼馴染の水木真一は、捨て子だという告白を「それなら家で育てたかった」というくらいに受け止める。
兄の竜助は、苗子の側にいたいと、格下の八重子の店に見習いに入る。
織物屋の長男秀男は、深く八重子を想うけれど、身分違いのために苗子との結婚を望む。
八重子の家の呉服店は傾きかけている。両親は店を畳んでも良いと思っている。だが八重子は少しずつ店のことを知ろうとするのだった。
祇園祭、清水寺、嵐山の奥の尼寺
紅葉の青葉、北山の真っ直ぐな杉、神宮の紅しだれ桜、楠並木、
更紗に西洋かあてん(平仮名表記が妙に艶っぽい)、伝統柄の織物、西洋絵画をモチーフにした織物、そしてそれらには下絵を描いた人、織った人、使う人の人柄が現れる。
京都の四季、伝統を通して人々の想いが交錯してゆく…。 -
1961年起筆ということは、川端がおよそ60歳の作品。
新聞連載ということもあるのか、ブラック・ヤスを求める向きには甘ったるすぎるメロドラマかもしれない。
要は変態度数低め。悪人もいない。
しかしビザール好きと同時にロマンチック好きな私としては、結構楽しく読めた。
少女小説(優等生的少女)をものしてきた作者の力量もあるか。
姉妹百合という妄想も捗るのでな。
ヒッチコックの「めまい」が1958年公開……いや、さすがに影響はないか。
でも勝手に結びつけたくなるモチーフではある。
一人二役の映画や、双子ものって怪しい魅力があるし。
本作は三人称で、神の視点で語られるが、仮に語り手を千重子の父にしてみたら、川端汁がじわじわ出るかもしれない。
大友秀男を視点人物にすれば、上に書いたように「めまい」のジェームズ・ステュアートのように読めるかもしれない。
その場合、千重子と苗子はキム・ノヴァク。
また幼馴染を兄竜助に奪われそうな真一の煩悶は、志村貴子の漫画にいかにもありそう。
脱線的妄想が捗った。
映画もいくつか、ドラマはたくさんある。いつか見てみよう。 -
静かで瑞々しくて、とても素敵な小説でした。
生き別れて身分違いとなった双子の姉妹の偶然の出会いと束の間の交流、そして別れが、古都・京都の四季の移ろいや風物などと共に巧みに描写されています。
姉妹の交流と並行して、年頃の2人を取り巻く男性たちとの関係の紆余曲折や、義両親の家業をなんとか盛り立てようと姉妹の片割れ「千恵子」が自立心を芽生えさせていく瞬間瞬間の描写もとても魅力的です。
京都の風景や行事の描写がとても見事なのでこの本をガイドブック代わりに京都を巡りたいですね。 -
川端康成ファンの母に勧められて。
はじめて読む川端康成作品。
心が洗われるような、姿勢が正されるような…
透き通った美しい作品でした。
ひとつひとつの描写が繊細で、
古都の美しさや千重子の上品な立ち振る舞いが
自然と映像として浮かび上がってきました。
千重子は誰と付き合うのかなぁ?苗子は誰に恋するのかなぁ?とか下世話な見方で読み進めた自分が恥ずかしい…。
最後の数ページで心洗われました。
次は「雪国」読んでみようと思います。 -
2019年3月10日、読み始め。
川端康成はノーベル文学賞を受賞された作家である。
受賞理由は、「日本人の心の精髄を、すぐれた感受性をもって表現、世界の人々に深い感銘を与えたため」とのこと。
2019年3月16日、87頁まで読んで、返却。 -
桜の季節にはじまり、やがて雪の季節を迎えるまでの、古都の1年を描く。実に繊細なまでに彫琢された自然と四季の移ろい。それを彩るのは、祇園会であり、時代祭であり、古都に繰りひろげられる様々な行事や、花々である。物語の舞台となった室町は、今も呉服問屋が残るところであり、祇園会の中心地でもある。千重子と苗子の運命的な遭遇を、宵山の夜の「御旅所」に置いたアイディアは秀逸だ。そこは、周縁の祭の賑わいのすぐそばにありながら、ほの暗いスポット空間である。主人公の二人の感情表現も、繊細をきわめ、最後は淡雪の中に消えてゆく。
そして、エンディングがことのほかに素晴らしいのだが、しばらく(あるいは当分は)胸がせつなくなる。 -
最後に川端康成を読んだのは10年以上前、『雪国』と『伊豆の踊子』の2冊だった。後者はともかく、前者は(当時の感想が手許にないが)何が言いたいのか良く分からず、まだ自分には早いかなと思ったのを覚えている。今一度読めば、きっと楽しむことができるだろうと、本作を読んで思った。
本作は、京都に残る古い街で機織りを行う家で拾われた捨て子を中心に進む物語だ。きっと機織り業界(?)の縮小が進んでいる最中なのだろう、時代に置いていかれる感じがする。それは機織り業に限ったことではなく、彼女の父母であったり、純日本的な風景、四季を彩る植物、価値観(特に結婚)など、全体に雰囲気として広がっている。昔は良かった、と次の時代に悪口を吐くためでなく、単純に一つの美しさが失われることを悲しんでいるかのようだ。
例えばチューリップ柄の織物もまた良い。でも、それとは異なる感じの美しさが京都には確かにあった。そういった確かにあった美しさを著者は書き残したかったのだろうか。
社寺仏閣に暗いため、いわゆる京都旅行(お寺とか巡る鉄板のコース)は修学旅行でしか行ったことがなく、京都のことは分からないが、お寺は焼けずに(焼けても)残っているし、伝統文化・芸能も残っているだろう。
でも、それが「残すべき伝統や遺産」になる前の時代とその空気は、存在として残すことはできない。だからこそ、小説という媒体を用いて、その空気感を閉じ込めたのが本作なのかなと思った。 -
千恵子と苗子の美しい双子の姉妹、そしてまさに古都・京都の風情ある町並み、移りゆく四季の風景、そして伝統あるお祭りなど、まるで写真を眺めているかのような情景・人物描写で、これが川端康成の小説なのか・・・と、ため息が出るような美しい作品だった。
そんな古都の情景を背景に、千恵子と苗子の切ない気持ちが、余計に伝わってくる。
この作品が描かれた頃の京都が、1番美しかったのかもしれない。川端康成は、そんな古都・京都を描きたかったのカナ?残念ながら今は、中国人をはじめとする外国人であふれ(コロナ禍の今は別として)、京都自体もインバウンドに頼りすぎで外国人目線になり、古都本来の情景が完全に失われている。この作品を読んで、私はなんだかその事が切なくなった。
でも今読んでみると、美しい古都・京都が甦ったようだった。
1つ心に残ったのは、千恵子は結局のところ、どなたと結婚することになったのだろう?凄く気になりました(笑)。真一かなぁ!? -
ストーリーの流れはシンプルで分かりやすいという印象。ただ、個人的には後半になってからがあまり面白くなくて、読了までに少々時間がかかりました。
『雪国』を読んだ時も思いましたがやはり川端作品の魅力は、使われる日本語の美しさにあると思います。
『古都』でもその魅力を存分に味わうことが出来たなと。
特に苗子が住む北山の描写、苗子と千重子の交流を描いた部分の表現が美しく印象的でした。