ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編 (新潮文庫 む-5-13 新潮文庫)
- 新潮社 (1997年9月30日発売)


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本 ・本 (608ページ) / ISBN・EAN: 9784101001432
感想・レビュー・書評
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久しぶりに村上春樹の長編を読了。
時系列的にはこっちのほうが古いんだけど、『騎士団長殺し』的なイメージが強かった。特に登場人物が涸れ井戸の底にいる感じなんてね。ほぼ同じような描写が『騎士団長殺し』にもありましたね。
村上春樹は狭くて、暗くて、じめじめしたところにキャラクターを置くのが好みなのかもしれないな(笑)。
村上ファンタジーのお約束で、ストーリーに出てくる謎の解き明かしや伏線の回収等はまったくありません。このあたりは
まあ、村上春樹だから・・・
ということですべて許されるのでしょう。
という訳で、このモヤモヤ感を感じる為に村上春樹を読んでいるとっても過言ではないでしょう。
結論として、極上の村上ワールドを堪能させていただきました。
ありがとうございました。 -
69冊目『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』(村上春樹 著、1997年10月、新潮社)
村上春樹の90年代における代表作である3部作、その最終巻。
グネグネと形を変えながら進むこの物語は、まるで週刊連載の漫画のよう。第1部からは想像もつかないような地平へと読者を運んで行く。
お話に整合性はなくその形はかなり歪。しかし読み終わるのを勿体なく感じさせる、圧倒的な満足感は流石。村上春樹の非凡なイマジネーションを改めて体感させられた。
〈もし何かがあったら、また私のことを遠慮なく大声で呼んでくださいね〉 -
当時初期から村上作品を読んでいた人達は、このねじまき鳥クロニクルでの変化に驚いたのではないかと思う。第一部から第三部にいたるまで戦争や残虐な描写が出てきた。目を覆いたくなるような場面もあった。ボリスと綿矢ノボル、間宮中尉と岡田トオル。ボリスをやれなかった間宮中尉、綿矢ノボルを追い詰め葬った岡田トオル、そして妻のクミコ。色んなものが複雑に絡み合っている小説だったなと思う。
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余韻から抜け出せない一冊。
ただぐいぐいこの世界に取り込まれて囚われて、身動きできないこの感覚。
めちゃくちゃ良かった。
全巻通じて主人公トオルを取り囲んでいく数々の不思議な人と出来事。
加納マルタ、クレタ姉妹の存在、間宮中尉の語りによる満州での壮絶な戦争の歴史が幻想と現実を絶えず引き寄せてくる時間がたまらなかった。
井戸の孤独、あざ、個々に散らばっていたものが時に重なりを見せるさまは、まさに長く遠い導きだったのかな。
読後は物語という井戸、余韻からまだ抜け出せない。
読んだ人の数だけ解釈は無限大の村上ワールドを堪能。 -
『ねじまき鳥クロニクル』第3部を読み終えました。今は、NHKのテキスト『100分de名著』が届くのを楽しみに待っているところです。
この本は発行当初にも図書館で借りて読んだのですが、そのときは物語を十分に掴むことができず、断片的な理解にとどまっていました。それでも今回の再読を通して、村上春樹が描いた風景の数々が、30年近くたった今も脳裏にしっかりと焼きついていたことに気づきました。これこそが、描写の力のすごさだと実感します。
複数のストーリーが並行して進み、夢の描写も挿し込まれる――そんな巧妙な構成は、少し読み飛ばしただけで道を見失ってしまいそうになるほど。まるで、読む者を試すかのような作品世界です。
主人公の岡田トオルは、出口のない路地を通って空井戸へ向かい、終戦間際の満州や、ノモンハン事件を背景に悪(ワタヤノボル)と対峙します。彼を取り巻く登場人物の中でも、第3部にだけ登場するナツメグとシナモンは、便宜的に与えられた名前であるにもかかわらず、不思議と魅力を増していました。
あまりにも奥深く、何層もの意味を持つこの作品。これから読む『100分de名著』で、さらに理解が深まるのが楽しみです。 -
文庫本で買い直し、30年ぶりの再読。時空を駆けた冒険、自由で現代的な若者たち、多様な価値観、感情表現を抑えたハードボイルドな表現などが相当に格好良くて、皆で村上さんの虜になりました。今もですね。
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コロナ騒動の直前に、舞台版「ねじまき鳥クロニクル」を鑑賞。その衝撃冷めやらぬ中、何度目かわからない再読。
以下、実況風ひと口メモです。
「ねじまき鳥クロニクル」再読(第3部)。
改めての感想。
本作では、登場人物の多くが、何らかのトラウマを抱えている。
それを押し殺すようにして暮らしているうちに一層深い闇に取り込まれていく。
妻が突然去っていった本当の理由を探し求める中で、主人公は日々家事をこなし、打ち捨てられた枯れ井戸深く降りていってひたすら自分と向き合う。
家事、とくに掃除と瞑想。ある意味で禅の修行そのもの。
そして、「歴史の因縁(←仏教用語。)」が、今そこにある問題と分かちがたく結びついていること。
(ここで、著者の父親が中国に出征経験のある僧侶であることは思い出されてよいと思う)
井戸の底(=意識下)で、次々と流れ来る様々な思念をひとつひとつ「棚上げ」していく中で、主人公はそのことに徐々に気がついて行く。
「ねじまき鳥」出版当時に「マインドフルネス」という言葉はまだなかったと思うが、いずれにせよ外国人が本作を熱狂的に受け入れるのはある種必然だった。と、改めて感じる。
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