ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (600ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101001432

作品紹介・あらすじ

猫は戻り、涸れた井戸に水が溢れ、綿谷昇との対決が迫る。壮烈な終焉を迎える完結編。

感想・レビュー・書評

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  • 笠原メイが救いだった。でも、笠原メイにとっても僕の存在が救いだった。
    笠原メイはバイク事故を引き起こし、運転していた男の子の命を奪うことになり、重荷を背負う。彼女も井戸の底で苦しみ、僕も消えた妻、クミコを取り戻すために闘う。二人は歳は離れているが、同志のような存在だ。
    しんどい時、笠原メイの名を呼び、笠原メイは月の光に自分をさらし、彼を思う。
    支えられている。お互いに。
    笠原メイは地道に生活を始め、僕はクミコを救える場所まで辿り着く。
    クミコもまた、井戸の底で苦しむ一人である。
    家族の呪縛、自分自身の呪縛からなかなか自由になれない。

    なぜ、僕はあんな目に遭わなくてはいけなかったのか、それがまだ見えてこない。
    もう一度読み返した時、見えてくるのかもしれない。

    今回、登場するシナモンという存在は魅力的であり、僕の救世主となった。

    長編だったけど、二巻、三巻とあっという間だった。

  • 久しぶりに村上春樹の長編を読了。

    時系列的にはこっちのほうが古いんだけど、『騎士団長殺し』的なイメージが強かった。特に登場人物が涸れ井戸の底にいる感じなんてね。ほぼ同じような描写が『騎士団長殺し』にもありましたね。

    村上春樹は狭くて、暗くて、じめじめしたところにキャラクターを置くのが好みなのかもしれないな(笑)。

    村上ファンタジーのお約束で、ストーリーに出てくる謎の解き明かしや伏線の回収等はまったくありません。このあたりは
      まあ、村上春樹だから・・・
    ということですべて許されるのでしょう。

    という訳で、このモヤモヤ感を感じる為に村上春樹を読んでいるとっても過言ではないでしょう。

    結論として、極上の村上ワールドを堪能させていただきました。
    ありがとうございました。

  • 第3部まで読んでみて、「ガダラの豚」を連想させるところがあったのかな、と思っています。スリル、恐怖、狂気が次から次へとやってきます。そう、共通するものは狂気、それとほかの人にはない能力(=gifted)だったのかな。
    それらが、夢だったのか、現実だったのか、別次元だったのか、混とんとしたまま終焉を迎えます。

    それで、これを舞台にしたのですか???
    どんなに大変なことだったことでしょう。

  • バット‥‥。

  • 当時初期から村上作品を読んでいた人達は、このねじまき鳥クロニクルでの変化に驚いたのではないかと思う。第一部から第三部にいたるまで戦争や残虐な描写が出てきた。目を覆いたくなるような場面もあった。ボリスと綿矢ノボル、間宮中尉と岡田トオル。ボリスをやれなかった間宮中尉、綿矢ノボルを追い詰め葬った岡田トオル、そして妻のクミコ。色んなものが複雑に絡み合っている小説だったなと思う。

  • コロナ騒動の直前に、舞台版「ねじまき鳥クロニクル」を鑑賞。その衝撃冷めやらぬ中、何度目かわからない再読。
    以下、実況風ひと口メモです。

    「ねじまき鳥クロニクル」再読(第3部)。

    改めての感想。

    本作では、登場人物の多くが、何らかのトラウマを抱えている。
    それを押し殺すようにして暮らしているうちに一層深い闇に取り込まれていく。

    妻が突然去っていった本当の理由を探し求める中で、主人公は日々家事をこなし、打ち捨てられた枯れ井戸深く降りていってひたすら自分と向き合う。

    家事、とくに掃除と瞑想。ある意味で禅の修行そのもの。

    そして、「歴史の因縁(←仏教用語。)」が、今そこにある問題と分かちがたく結びついていること。
    (ここで、著者の父親が中国に出征経験のある僧侶であることは思い出されてよいと思う)

    井戸の底(=意識下)で、次々と流れ来る様々な思念をひとつひとつ「棚上げ」していく中で、主人公はそのことに徐々に気がついて行く。

    「ねじまき鳥」出版当時に「マインドフルネス」という言葉はまだなかったと思うが、いずれにせよ外国人が本作を熱狂的に受け入れるのはある種必然だった。と、改めて感じる。

  • やーーっと、読み終わった。
    3部作を読み終えるまで実に長かった。
    なぜ長くなったか。暗く底が見えない井戸のように世界観が深くすぎて、様々な解釈をしながら、一歩ずつその世界を進んで行ったから。
    主人公の思考の世界に迷い込み、一緒に苦悩し、解放された、そんな感覚を覚える作品だった。

  • 何度目かの再読

    難解だし、登場人物はみなエキセントリックだし、主人公は淡々と奇行を繰り返すけど、読んでいるうちにだんだんと自分のほうがおかしいのかなとか思ってしまう不思議。井戸の底に潜るなんてなんでもないことなんじゃないかって。

    これからもまた読み返すのだろうなぁ。
    渡り鳥が抵当用資産を持たないように、僕も予定というものを持たない、ってなんだかステキですね。

  • 読み始め、どこかの短編集に収められていた話から始まった。(たぶん)

    今回これを読んですごく印象に残っているのが、笠原メイが話していた茶碗蒸しのこと。
    電子レンジに茶碗蒸しの素を入れて、マカロニグラタンが出来上がったらどう思うか?(たしかこの二つの料理だった)と言う話。
    個人的に、茶碗蒸しの素をいれてマカロニグラタンが出てきた時に憤慨してしまう人は村上春樹の小説を読むのがあまり好きではないような気がする。
    予想とは違うけど、マカロニグラタンが出てきたならそれが正しいのかもしれない、なんて思うのはなんだから村上春樹的である気がする。
    このように、ハードボイルドな、物事のあるままに暮らしているのが最初の主人公である。
    主人公は妻が失われてしまったことで、起こった物事をあるがままに受け入れているだけではなくて、自分の信念とか目的みたいなもの(クミコを連れ戻す)を持って行動するようになった。
    これは主人公の歳が30歳くらいであるけど、青年の自己形成のお話みたいに感じた。
    あるいは、人が新しく動き出すのが何歳であっても良いということなのかもしれない。

    あともうひとつ、浮気?に関して。
    主人公はかつて同僚を充電したし、クミコはいろんな人と交わったわけだけど、それでも二人はお互いを愛し合っている。
    しかし、自分の恋人がそういうことをした場合のことを思うとへんてこな気持ちになる。
    恋人が他の人と交わったとしても、それだけで嫌いになれるとはとても思えないし、かと言って一緒に居続けるのも辛いような気がする。
    恋人が浮気をする前から、そういう本質みたいなものが恋人のなかに内在していたはずだから、行動に現れたからといって愛してはいけないわけではない。しかし、愛し続けなければいけない理由もない。
    身体の関係があっても愛が動いていなければいいのだろうか??
    昨日、三島由紀夫の本を読んでいるときに、「行動とは人生の要約である」というのがあった。
    浮気的な行動が現実になったら、真っ直ぐに愛し続けていない人生だったということになる。
    しかし、これは半分合ってるし、半分違っていると思う。
    先ほどのマカロニグラタンの話のように、自分の今までの人生からは考えられないような行動が電子レンジから出てくる可能性だったあるのだ。
    このようにぐるぐると考えていると、迷路のようなホテルに迷い込んだ気分になる。

    最後に、この小説のわかりやすくて、わかりにくいところがとてもおもしろいです。

  • この本は、だいぶ前の引っ越し時の整理で廃棄しました、が、河合隼雄さんの本に参照本として出てきたので、そんなに良い本だったのか?と再度購入して読みました。
    村上春樹さんの本は数冊読んでいますが、どれも読後感が良くなかったので、その時期以降は読んでませんでした。

    読んでいて、最初にひっかかったのは
    「笠原メイは目の下に傷がある?」という文章。
    「ドライブ・マイ・カー」のミサキも目の下に傷があったな~、主人公に救いの手をのべる女性という点で同じ役柄なのでしょうか?
    「ひとりの人間が他のひとりの人間について十全に理解するというのは果して可能なことなのだろうか」(第1部p53)というセリフも「ドライブ・マイ・カー」にありました。

    次に個人的にひっかかったのは
    笠原メイのバイク事故で死んだ彼氏のこと、これは私だけの経験なんですが、私の友人の息子さんが、この本と同じ年代で同じように彼女を乗せて交通事故に遭遇し、同じように息子さんは死んで同乗の彼女は大怪我をしたということがあったのです。後日その事故の翌日の朝刊を探すと、地方版の下の方に、場所と時間などが数行書かれているだけでした。
    笠原メイの死んだ彼氏がどんな人かの話はこの本には出てきてませんが、私の知人の家では、一人息子を失った奥さんがその事故が原因で心を病んでしまい、大怪我を負った同乗の彼女の一生のコンタクトなど。厳しい現実に遭遇しています。
    私が重く感じるのは、子供がこれからという時にいなくなってしまった奥さんのグリーフケアです。死んだ人との融合という点では、この「ねじまき鳥クロニクル」の人々とつながるものがあります。悪夢であって欲しい、逆に良い夢なら覚めないで~ということ、ありますよね~。

    次にひっかかったのは「大日本帝国・ノモハン事件?」
    作者のルーツとして興味があるのはわかるのですが、なんか、つげ義春の「沼」や「赤い花」をもじったように感じる。他に違うモチーフで同じテーマはできなかったのでしょうか?奇をてらう感があります。

    次にひっかかったのは、パソコンでの文字のやり取りです。これはもう昭和感ですね(この本が書かれたのは1990年代なので平成ですが)。「スマホが無い時代はこうだったんだ」とわかるように、ちょっと最初に説明がほしいですね。(この時代はスマホはなくパソコンでのやり取りも文字でのやりとりをしていました)

    次にひっかかったのは、クラッシク音楽の名前や高級料理の名前が、私には(ほとんどの人には?)わからないこと、このブルジョア不明語が魅力かもしれないけど、ちょっと鼻につく。(私のひがみです)

    村上春樹さんの本は数冊よみましたが、急にエロいところでてくるので、どれも健全な書ではないと感じます。また、これが魅力なので、やっかいです。女子の友達にこの本を推したらセクハラの疑いをかけられるかも?

    あと、妄想部分なのか現実の部分かわからなくなることです。でもなんか次を知りたくなり一気に読んでしまいます、途中でやめられない。
    これは魅力があるからなんですが、これはちょっと感じてはいけない部類の魅力なのではないかと思える箇所があります、麻薬のような「これ以上、その薬を飲んではだめよ」というぐらいの。これ以上説明が具体的にはできないので、また、思いついたら追加記述します。
    たぶん、「魂」や「こころ」をお金儲けのアイテムとして使うこの本への違和感なんだろうと思うんだけど・・

    「ねじまき鳥クロニクル」についての河合隼雄さんとの対談は「こころの声を聴く」の中に45ページ分あります。また「こころの読書教室」「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」などにも関連の話が載っています。
    たとえば、「こころの読書教室」のP206に
    河合:『失われた魂を回復するためにそうとうな努力がいるわけですが、そういう中で、ものすごく暴力的な世界にどうしても直面していかなければならない。それが現代です。 現代の世相を見ていられたらわかると思いますが、いろいろなところで変な殺人が起こったり、ものすごい事件が起こったりしているでしょう。人類は賢くなったと思っているのに、戦争したり、途方もない殺し合いしなければいけなかったりしますね。だから、人間の心の中の、魂の領域に近づくということは、すごい暴風雨圏というか力の世界にも直面していかねばならないということです。 「ねじまき鳥クロニクル」を読むと、それがすごくよくわかります。そういうふうな現代人の生活における魂というものを異性像に求めていく場合のむずかしさ、すごさ、それがよく書かれている と思います。
    「ねじまき鳥クロニクル」は、世界中で読まれていますね。日本だけではなくて。世界のベストセラーと言ってもいいぐらいではないですか。 このあいだ僕はロシアに行ってきたんですが、ロシアでも村上春樹は大変によく読まれていて、いま、いちばん読まれているんじゃないかと思います。
    ロシアの文化大臣と話をしていて、僕が『村上春樹、河合隼雄に会いにいく」という本があるんですよといった途端に、「あの村上春樹の知り合いなのか」というのですごく僕は尊敬されましてね (笑)。『ねじまき鳥』はドイツでも読まれているし、韓国でも読まれています。 世界中で読まれているというのは、現代人の魂の問題を実に適切に取りあげているからではないかと思います。』
    ーーーというのがあります。おもしろい話ですね〜。

    あと、もうひとつ紹介します。同じ「こころの読書教室」のp104
    河合:『これは、「ねじまき鳥クロニクル」(新潮文庫)という本の中で、井戸の中にこもる男性がいるわけですが、「井戸」にこもる、つまり、心の底の扉を開いて、底へ入っていく。面白いですね、井戸はIDOに通じますね。イドはラテン語で、ドイツ語で言うと「エス」です。”それ” です。だから、「井戸を掘って、掘って」というのは、「無意識を掘って、掘って」”それ” の世界に入ってゆくのです。』
    ーーー河合さんのダジャレ的発言ですが、これもなるほど〜ですよね。

    村上:『ぼくが「ねじまき鳥クロニクル」を書くときに、ふとイメージがあったのは、やはり漱石の「門」の夫婦ですね」とあるのは「村上春樹 河合隼雄に会いに行く』の99ページです。

    この本の第3部出版の半年前の1995年3月に地下鉄サリン事件があったのも忘れてはならないでしょう。裏世界だったスピリチュアルが、普通にテレビで語られる時代の幕開けの年に「ねじまき鳥クロニクル」という本は現れたのです。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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