- 本 ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101001463
作品紹介・あらすじ
感想・レビュー・書評
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うずまき猫のみつけかた
「うずまき猫はみつかりましたか?」
とあったけど
えっ
どこ?
うずまき猫って?
結局わからずじまい。
私だけ?
ボストンでの生活のエッセイ
軽く楽しめた。
村上さんも普通に生活して、
相手がこんな風に思ってるのかな?とか
猫がこんな気持ちなのかな?とか
ささいな事も考えているのね…
と身近に感じれました。
「小確幸」とてもいい言葉。
「クリアアサヒが家で冷えてる心ウキウキワクワク〜♪」
仕事終わりに電車を待ってる時、私の頭の中ぐるぐるする。
私はこんな「小さな幸せ」を大切にしたい
と思っていて、
村上さんとの共通点が見つかったみたいで
嬉しくなりました。
猫のピーターとのお話が好き。
外に自由に遊びに行く飼い猫。
飼い主は若くて貧乏で猫が好きで何者になるかもわからない。
そんな頃の村上さんの日々のエッセイも読んでみたいなぁ。
favorite sentence
・生活の中に個人的な「小確幸」(小さいけれども、確かな幸福)を見出すためには、多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる。たとえば我慢して激しく運動した後に飲むきりきりに冷えたビールみたいなもの。「小確幸」のない人生なんて、かすかすの砂漠のようなものにすぎないと僕は思うのだけれど。
・猫は聞こえていながら聞こえない顔をするのがすごくうまい。
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村上春樹の本をこれまで何冊か読んできたけど、やっぱりどこがいいか分からない。
時代もあるかもしれないけど、この本読んでやっぱり好きになれないなあって思った。
猫のピーターの話は良かったけど、最後の対談で台無しになりました。 -
「村上朝日堂」シリーズ(シリーズと言っていいのかな?)
マサチューセッツ州ケンブリッジ(ボストンの隣)に住んだ、1993年から1995年にかけての滞在記で、村上さん44歳から46歳のころ。
日記であり、紀行。
紀行文好きの私としては、村上さんの紀行文が読めて、とても楽しかったです。
安西水丸さんがイラストを担当、奥様の村上陽子さんが写真を載せている。
イラストはいつもの画伯風であるが、小学生の絵と違うところは、時々危険なところ。特にP207がやばい。
まあ、村上さんの発言がそもそもヤバいのですが。
奥様の写真はボストンマラソンから始まり、アメリカの自然や、街の様子が視覚からもアメリカ感を盛り上げてくれる。猫要素多し。最後の方まで読んでからP85のアヒルの写真を見ると2度美味しい。
今まで読んだ「村上朝日堂」は、村上さんの頭の中で熟成された感じで、いわば内なる宇宙だったのが、今回はアクティブに大自然の中で動き回っている感じがする。リアルタイム感、臨場感がある。
今までがアクティブではなかったということではありませんが。
ボストンマラソンへの参加、モンゴルへ行って苦手な羊肉を無理に流し込んだこと、車の盗難に遭って、保険代理店の担当の女性がどうしようもなかったことなど、非日常なネタにも事欠かない。
アメリカの大学で先生をするということ自体がそもそも、非日常ですが。
「猫のピーターのこと」はシングルカットして1冊の絵本になったらいいな、と思えるお話でした。
じわっと感動しました。
そしてまた、若い頃の貧乏を回想して終わる。 -
春樹さんが、ボストン近郊のケンブリッジに住んでいた1993年夏からの二年間にわたる滞在期。連載されていたのはほぼ30年前となるけれど、いま読んでもあまり時代を感じさせないのは春樹さんのライフスタイルゆえなのかも。
安西水丸さんの絵日記風イラストと、奥さま撮影のスナップ写真がいっぱいなのもうれしい。地元の猫ちゃんたちかわいいな〜。
滞在中は地元ランナーとしてボストン・マラソンに出場したり、家の前の芝生で"ことおよびリス"を発見したり、中華料理アレルギー(!)なのに中国に旅行したり、通信販売にハマって「猫の喜ぶビデオ」を注文したり、年末には車が盗まれて困り果て、遅々としてすすまない修理や保険の手続きに辟易したり。
春樹さんのユーモラスで愛嬌のある文章で日常を覗かせてもらえ、くすくす笑って肩の力を抜きながら読める楽しい一冊です。アヒル・オン・ナ・ヒル。
とくに意識したわけではないそうだが、『うずまき猫のみつけかた』というタイトルなだけあって、ふれあってきた猫ちゃんのエピソードもいっぱいです。
春樹さんが猫の気持ちを想像するときの感性というか、「こんなふうに思ってるのでは」という予想の解像度がすごく好き。
ファンにはおなじみの茶色の虎猫・ピーターは、独身時代に住んでいた三鷹のアパートの近くで拾って、結婚のおりには新居(陽子夫人のご実家。布団屋さん)にも連れていったが……と続くのだけど、春樹さんとピーターの関係が微笑ましくて、ちょっとさみしいけれども愛おしかった。
あとがき。「『うずまき猫』はうまくみつかりましたでしょうか?」とあるけれど、うずまき猫って結局なんだったんだろう? -
外国語よりフランクなエッセイでゆるく読めて楽しめた
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"「うずまき猫」はうまくみつかりましたでしょうか?”
あとがきの最後の一文を読んだとき、それまでおもしろいおもしろいと読んでいたのが一気にはっとさせられた。夢中になって読みふけっていたその時は、うずまき猫はうまく見えなかった。
少したって考えると、日頃の出来事や思い考えていることの「うずまき」のなかで「小確幸」を探しみつけることなのかなと思った。それがこの話を一層おもしろくしているのだなぁ。 -
のんびり読めてよかったです。
おじさんのアメリカでの日常という感じでした。 -
「うずまき猫」はうまくみつかりましたでしょうか?と締めくくられてるけど、「うずまき猫」ってなんだろう?
村上春樹氏のエッセイです。
1994年~95年の米国滞在中の話題が中心。
この時期、村上さんは長編小説「ねじまき鳥クロニクル」を執筆している。
比較して読むと、エッセイ中に、ねじまき鳥クロニクルと似通った表現や記述がみられて面白い。
さて、本作のタイトルである「うずまき猫」であるが、これ、本文には一度として登場しない。
村上さんのエッセイらしく、本作には猫はたくさん出てくるが、うずまきにはなかなか結び付かない。
先の「ねじまき鳥クロニクル」の小説中では、「ねじまき鳥」というのは、けっきょく主人公自身のことであった(と思う)。
それと比較すると本作の「うずまき猫」は、村上さん自身のことなのだろうか。
うずまき、つまりは、外国で、世間のゴタゴタにぐるぐると巻き込まれ、翻弄される村上さんのことを言いたかったのかもしれない。
〜しかし車を一台盗まれるというのが、これほど面倒きわまりない結果をもたらすものだとは僕も知らなかった。(中略)あちこちたらいまわしにされて、居留守を使われたり不親切な扱いを受けたり、時間は無為に流され、ストレスはたまっていく。(中略)。「そうか、世間とはこんなに面倒なものなのか、まあ何事も経験だな」と鷹揚に構えていたいところだけれど、実際にはとてもそんなこと思えないですよ。ただの消耗である。〜
(p140、わざわざこんな忙しい年末に、車を盗まなくたっていいだろうに)
とにかく、村上さんはのエッセイは、村上さんが苦労している時がいちばん面白いので、本作はとても面白いです。
うずまき猫に限らず、村上さんの猫にむける優しい眼差しが感じられる一冊です。 -
読むのは2回目かな。
相変わらず、うずまき猫は見つかりません。
海外の暮らしの何てことない話がおもしろいです。
村上春樹嫌いのひとには、ぜひエッセイを読んで欲しいです。
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