辺境・近境 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 2082
レビュー : 157
  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101001487

作品紹介・あらすじ

久しぶりにリュックを肩にかけた。「うん、これだよ、この感じなんだ」めざすはモンゴル草原、北米横断、砂埃舞うメキシコの町…。NY郊外の超豪華コッテージに圧倒され、無人の島・からす島では虫の大群の大襲撃!旅の最後は震災に見舞われた故郷・神戸。ご存じ、写真のエイゾー君と、讃岐のディープなうどん紀行には、安西水丸画伯も飛び入り、ムラカミの旅は続きます。

感想・レビュー・書評

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  • 好奇心と勢いで突っ走っていき、人との出会いやトラブルを中心とした旅行記も好きなんだけれど、村上さんの旅行記は、メキシコをバスで旅してもアメリカをドライブで横断しても、動じない落ち着いた大人の趣がある。
    メキシコ、中国、モンゴル、アメリカ。
    「遠い太鼓」では、仕事をしながらの長期滞在だったけれど、こちらは国内、国外の短期滞在の旅行記でした。
    仕事込みの滞在と旅行ではやっぱり気持ちが違うのか、「遠い太鼓」よりも明るい雰囲気があり、村上さん旅行を楽しんでいるな、というのが伝わってきました。

    国内旅行の旅行記も挿入されているのだけれど、阪神大震災後の神戸を歩いたというエッセイには、なんだかしんみりしてします。
    村上さんって芦屋育ちだったんですね。知りませんでした。

    そんな一方で、無人島でキャンプした話は笑い話です。
    無人島での生活ってなんとなく憧れるし、無人島にひとつだけ持っていくなら何にする?なんていう心理テストもあったりするけれど、現実は厳しい(笑)。
    虫やら怪我やらトラブルが続いて、ちっとも快適じゃなかった無人島生活は、当初3日の予定のところ、1日で終わる。
    テントと食糧があればいいってもんじゃないのね…。

  • あんまり快適じゃない旅ばかりの、でもなんだか得る物の多そうな…ちょっと珍しい旅行記
    ああ、この場所は、あの小説の、あそこに活かされたんだなぁと、思えるところが何か所かあった

  • 香川県人を短時間で理解している。

  • 村上春樹の「芸」の広さを思い知らされた。
    面白い出来事を面白く書くのは簡単だけど、たいくつで何もなかった(アメリカ)話で何十ページも読者を引きつけ続けるなんて、誰にでもできることじゃない。

    そして、それが面白い。春樹さんの小説にあるような「内省的な世界」へもぐりこむわけでもなく。きちんとノンフィクションなのに。なのに、ついつい興味深く読んでしまう。

    個人的にはカラス島の虫の話に、声を立てて笑ってしまった。彼もこんな文章かくのね。

    あとがきには、春樹さんが「旅行記」を書くときの方法が載っている。あんなに緻密な描写にも関わらず、最中はカメラもメモもとらないんですね。「自分が記録装置となって、目の前の現実に没頭すること(もちろんひと段落したときに、メモを取るけど)」「旅行後、1.2カ月してからとりかかる。その間に沈むものは沈むし、浮かび上がってくるものはより鮮明になる」という。

    比喩や話の流れなど、書き写して自分にも取り入れたい。旅行記を書くときの教科書にしたい一冊。

  • 読んだのは12年以上前。
    村上春樹が、とっても地味に讃岐うどんの食べ歩きをしているのが可笑しくて、それまでのイメージをいい意味で塗り替えた一冊。
    それから10年後に実際に自分がうどん(と金毘羅様)のために行くことになるとは当時は思いもしなかった。

  • 私は京都フリークだ。だが、へそ曲がりの性質なので素直な世間の人たちみたいに、「京都はいいねえ」とかいう具合に一直線に行き着いたのではない。日本一の観光地として定評のあるその町に対して、若かった頃はむしろ背を向けていた。だから凄く遠回りをしてその魅力に気がついたといえる。京都には、高校時代甲子園に同行したときを皮切りに、大阪出張のついでとかで数えれば十数回も宿泊した。にもかかわらず、つい数年前まで京都観光そのものを目的にして訪れたことがなかった。

    近頃相次いで村上春樹の作品を手にした。短編の『蛍』とエッセイ集の『辺境・近境』とである。これが、正直に白状するが凄くいいと思った。だが、食わず嫌いの私は、代表作といえる『ノルウェイの森』も『1Q84』も他の長編もまだ読んでいない。
    『蛍』には、今の日本の小説が失ってしまったと思えるなにか真っ当で、ものの哀れを感じさせる切なさと、なにより物語の造りと言葉とに唸るほどの「上手さ」を感じた。
    『辺境・近境』でも、この作家の「上手さ」と「真っ当さ」を痛感した。
    たとえば、「無人島・からす島の秘密」の編では「ライカは海に落とす、手は切る、虫に襲われる、夜は眠れない、良いことはひとつもない」という無人島での悲惨な体験を、するすると読ませてくれる。それでいて、自分たちがじゃぶじゃぶ上陸した砂浜が、戦時中には日本軍の上陸訓練に利用されたことなどがさりげなく挿入されているところなぞ、本当に「真っ当(=教養人としての良心を感じさせる)」だし「上手い」と感じる。さらには、鳥に占領された無人島に一本残された若山牧水の歌碑が、お礼に日本軍の手で建立されたものだ、などという下りは見事な「オチ」になっている。
    「讃岐・超ディープうどん紀行」の編も、この地のうどんの本当の「味」を知る者同士には通じてしまう「あんたもそう思った!」という共感の嵐だった。

    もうひとつ、「真っ当さ(=教養人の良心=しかも絶対に嫌味にならないやり方での良心の示し方)」を感じたのは、「ノモンハン鉄の墓場」の編だ。その中で彼は、自身ではどうしてなのかわからない理由でノモンハンにとり憑かれたといいながら、ノモンハンでの悲惨な敗戦が日本人の「あまりにも日本的であり、日本人的であった」故の失敗と断じる。そして太平洋戦争の巨大なスケールでの悲劇の象徴的な意味での縮図がこの惨敗の中にあると喝破する。これは実は、司馬遼太郎の膨大な歴史小説群を貫く根本史観と、ある意味で重なり合っている。司馬が自分でそう告白したかどうかは知らないが、初年兵としてノモンハンの戦いに従軍し部隊の殆どが無謀な作戦のために戦死するのを目の当たりにしたのが、≪大戦時の日本の軍部・政治の上層総部は徹底的に無能だった。明治維新以来の日本は政治家も軍人もあんなに素晴らしかったのに、日露の戦勝を境に、日本は堕落しつくした≫という司馬史観の出発点だったのだ。そのあたりのことは、司馬自身でなく、関川夏央など後世の評論家が語っている。

    村上春樹の読者。遠藤周作のような純文学の読者。司馬遼太郎の歴史読み物の読者。たぶん三者は、互いに軽蔑しあい、同じ読書人なのに相容れることが少ないだろうと思われる。だが、遠藤周作が自身の歴史小説の手本に司馬作品を置いていたこと、私生活上も深い交流があったことを近頃知って、へえ~と思った。今度は村上春樹の中に司馬史観に通底するといってよいセンスを見出し、再びへえ~な感じがする。三者に貫かれているのは、やはりある種の「真っ当さ」であると私は思うし、今日の日本の小説が見失っているもののひとつだとも強く思う(浅田次郎みたいに嫌味を承知でぎとぎとに押し出している小説はないわけではないですが)。

    京都の魅力を簡単に伝える方法はなかなかない。だが、遠回りをしてこの町にたどり着いた私に言わせると、それは「真っ当」で、遠回りしていた間探し求めていたものが「なんだ、もともとここにあったのか」というような、正統な魅力のことだと思う。
    下賀茂神社の御手洗池のほとりに「みたらし茶屋」が今もある。数年前ここで初めて本物のみたらし団子を食した。問答無用に旨かった。それは、山形の郷里の餅屋で食う旨い「みたらし団子」や関東のどこかで食ったそれなりに旨い「甘辛だんご」とか、その派生品と思しき信州や三河の「五平もち」とかの≪旨さ≫がそれぞれに追求していたお手本というか、それらの諸点が集約的に目指す中心たる一点はこの下賀茂神社の茶店なのだと納得させる正統な旨さなのである。

    今私はさんざん遠回りをした挙句、村上春樹に到達した。
    春樹は実に旨い。

  • 香川において、「うどん」は

    イベントの花?であり、飯のたねであり、話のたねでもあるのだ。


    他県の人に言わせれば、

    「ほかに自慢するものないのか?」


    「じゃあ食べに行こうじゃないか」と話がまとまり

    2泊3日の「うどん三昧の旅」の旅行記を書いているのが

    『辺境・近境』(村上春樹著 新潮文庫)


    この本に収められている他のタイトルが

    「イースト・ハンプトン」

    「無人島・からす島の秘密」

    「メキシコ大旅行」(他4点)などだから、それに匹敵するほどの未開拓地

    としての「讃岐うどん文化」と捉えればいいのか。


    最初に入ったうどん屋。

    「店に入るとまずおろし金と長さ20センチくらいの大根が

     テーブルに運ばれてきた。」

    やっぱり、初めての人はびっくりするかも知れない。(笑)

    まんのう町にあるこちらのお店・・・

    普通だけどなぁ。おいしいけどなぁ。(笑)

    『讃岐・超ディープうどん紀行』の旅はこうして始まった。

  • 途中、ふと飽きる部分もあった。要は、ひとの旅行記を読むより、自分で旅したほうが100倍面白い、ということだ。それがどんなに上手い旅行記であっても、だ。
    ということは、だ。ひとの書評を読むより、自分で読んだほうが100倍面白い、ということだ。だとすればこの書棚をせっせと埋めている、私のこの行為は何だ?

    途中、「旅行記を書く心構え」について書かれているくだりはなかなか面白かった。

  • 友達が「春樹のは小説より旅行記の方が俄然おもしろい」ですと。だよねー。
    この夏は旅の計画なんか立てなかったけど、色んな意味で旅みたいになってしまった。ほんとに。
    最近本読まない。去年は100冊も読んだのにね。だからって、「今年も100冊や!」とか言って本を読むってことはしたくないけど。
    でも読まないことでいろいろ気づくこともある。ひとつは、それまでの本の読み方(向き合い方)が、〈本を読む〉というところに至っていなかったかということである。何か読んでるというよりかは、ただどうやって字を追うかとか、どうやって理解していこうかとか、そういう読書法のようなことばかりに意識が行って、肝心の読書がおろそかになっている感じ。それはそれで、おもしろいことを思いついたりするわけだけど、よけいなことに気をとられて頭でっかちになりがちである。本を久しぶりに読むことで、そのような違和感を感じ得た。
    ギターを一年やって、ようやく体を動かすだけじゃギターは弾けないということがわかりだした。体を動かすことは演奏にとって重要なことだけど、そこが先に立ったら行けない。感性だとか言うものを中心にして、音の響きだらなんだらを創造すべく、然るべき体の動きを編み出すのだ。本を読むこともそれと同じで、感性を中心に、然るべき読みを行うのだ。
    でもそれは成長の段階として当たり前の事だ。改めて痛感した。まずは体を型にはめてみなければ感性も行き場を失う。こういう事を考えるにいたったのだって、体を必死に型にはめてきた故だ。型について考えたら、型のないものについても考えたくなる。「物理的なことであると同時に心的なことなのだ。というか、心的であると言うことはそのまま物理的なことなのだ。(P289)」みたいなね。

  • 面白いことには面白いんだが、この作家のものにしては珍しく読みずらい、どことなく。
    メキシコやノモンハンの重さからくるものなのか何だか分からないが、ともかく若干難渋。むしろうどんの話にほっとしたりして。
    しかしこうやって作家は旅をして、その経験が作品に戻ってくるのかねぇ。誰かがまた何か言い出しそうな気がするな。

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著者プロフィール

村上春樹(むらかみ はるき)
1949年、京都府京都市伏見区生まれ、兵庫県西宮市芦屋市育ち。早稲田大学第一文学部映画演劇科卒。大学在学中にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を国分寺・千駄ヶ谷に開店していた(1981年、店を人に譲渡)。1979年にデビュー作の「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞。谷崎潤一郎賞、読売文学賞、朝日賞など数々の受賞歴がある。2006年にフランツ・カフカ賞、2009年にイスラエルのエルサレム賞受賞。ノーベル文学賞に最も近い作家の一人と言われており、毎年発表時期に日本国内でニュースになる。事実、村上春樹作品は全世界で翻訳されており、アメリカ・アジアでの評価がとりわけ高い。フィッツジェラルドやレイモンド・カーヴァーなどの作品の翻訳も手がけ、翻訳家としての仕事も高い評価を受ける。翻訳と創作活動を交互に行うことで、作風を変化させ、作家としての成長を続けている。新作が発表されるたび大きな話題となるが、近年は特別番組「村上RADIO」にてラジオDJも務め(不定期放映)、数々の名言も注目を集める。代表作に『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』。2019年7月31日に『神の子どもたちはみな踊る』が舞台化。2019年8月7日発売の『文学界』でロングインタビュー「暗闇の中のランタンのように」掲載。アメリカのサックス奏者スタン・ゲッツの伝記翻訳を2019年8月末に刊行予定。

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