規則正しい生活シリーズ
p88, 112-114, 122-123, 274-275, 279, 283-284, 285, 286, 287, 320
・僕が村上春樹を好きなのは、まさにこの規則正しい生活が詳細に描かれた文章があってこそだと思う。
彼自身毎日ランニングをしているし。そこ秩序立ったものは文章からも伺える。
毎日が理想のサイクルで規則正しく回ってる時に感じる、すとんと腑に落ちる感じ、流れるような心地よさは至上のものだ。そして、それ故に1つ1つの動作を詳細に捉えられるし、それが文章になった時、読み手にその場面を正確にイメージさせることができるのだろう。
こまかい部分をべつにすればほとんど変化のない生活が、それから7日のあいだつづけられる。6時半にラジオ・クロックで目覚め、ホテルの食堂でなにかのしるしみたいな朝食をとる。フロントに栗色の髪をした早番の女性がいれば、手をあげてあいさつをする。彼女も少し首を傾げて微笑み、あいさつを返してくれる。彼女は僕に親しみをもつようになっているみたいだ。僕も彼女に親しみをもつようになっている。彼女はひょっとしたら僕のお姉さんなのかもしれないと思う。
部屋で簡単なストレッチをし、時間がくると体育館に行ってサーキット・トレーニングをこなす。同じ負荷を、同じ回数こなす。それ以上少なくもないし、多くもしない。シャワーを浴び、身体をこまかいところまで清潔にするようにこころがける。体重をはかり、変化のないことをたしかめる。昼前に電車で甲村図書館に行く。リュックをあずけるときと受けとるときに、大島さんと短く話をする。縁側で昼食を食べ、本を読み(バートン版『千夜一夜物語』を読み終え、夏目漱石の全集にとりかかる。読み残していた作品がいつくかあったからだ)、5時に図書館を出る。昼間のほとんどの時間を体育館と図書館で過ごしているわけだが、そこにいるかぎり、誰も僕のことを気にかけたりはしない。学校をさぼる子どもはまずそんなところにはいかないからだ。駅前の食堂で夕食をとる。できるだけ野菜をたくさん食べるようにする。ときどき八百屋で果物を買い、父親の書斎からもってきたナイフで皮をむいて食べる。キュウリやセロリを買ってホテルの洗面所で洗い、マヨネーズをつけてそのままかじる。近所のコンビニエンス・ストアで牛乳のパックを買い、シリアルと一緒に食べる。
ホテルに戻ると、机にむかって日誌をつけ、ウォークマンでレイディオヘッドを聴き、本をまた少し読み、11時前に眠る。寝る前にときどきマスターベーションをする。僕はフロントの女性のことを想像し、そのときには彼女が本当に僕の姉かもしれないという可能性をとりあえずどこかに追いやる。ほとんどテレビも見ないし新聞も読まない。p122-123
朝の6時過ぎに目を覚ます。鳥たちの声があたりにシャワーのように勢いよく降り注いでいる。鳥たちは枝から枝へとまめまめしく飛び移り、よくとおる声で互いを呼びあっている。彼らのメッセージには夜の鳥たちの、あの含みのある重い響きはない。
僕は寝袋から出て窓のカーテンを開け、小屋のまわりに昨夜の暗闇がひとかけらものこむていないことを確かめる。全てが新しく生み出されたばかりの黄金色に輝いている。マッチを擦ってガスの火をつけ、ミネラル・ウォーターを沸かし、ティーバッグのカモミール茶を飲む。食料品を入れた紙袋の中からクラッカーを出して、チーズと一緒に何枚か食べる。そのあとで流し台に向かって歯を磨き、顔を洗う。p274
(中略)フライパンを使ってハムエッグをつくり、網でトーストを焼いて食べる。手鍋で牛乳をわかして飲む。そのあと入り口のポーチに椅子を持ちだして座り、手すりに両脚を載せ、朝のあいだゆっくり本を読むことにする。p275
(中略)本を置いて椅子から立ちあがり、ポーチに立って背筋をまっすぐ伸ばす。ずいぶん長い間本を読んでいた。身体を動かす必要がある。僕は2個のポリタンクを持って流れの水を汲みに行く。それを小山で運んで水桶に移す。その作業を5度繰り返すと、水桶の中はだいたいいっぱいになる。裏手にある納屋から薪をひとかかえ持ってきて、ストーブのわきに積みあげる。
ポーチの隅には色のあせたナイロンの選択ロープが張ってある。僕はリュックから生乾きの洗濯物を出し、広げてシワをのばしてそこに干す。リュックの中から荷物を全部とりだしてベッドの上に並べ、新しい光りにあてる。それから机にむかって数日分の日誌をつける。細字のサインペンを使って、僕の身に起こったことを、小さな字でひとつひとつノートに書き写す。記憶がはっきりしているうちに、少しでも詳しく書き留めておかなくちゃいけない。記憶がいつまで正しいかたちでそこに留まっているものか、それは誰にもわかりはしないんだから。p279
(中略)夕食の前に僕は運動をする。腕立て伏せ、シットアップ、スクワット、逆立ち、何種類かのストレッチ ー 機械や設備のない狭い場所で、身体機能を維持するために作られたワークアウト・メニューだ。シンプルなものだし、退屈ではあるけれど、運動量に不足はないし、きちんとやればたしかな効果がある。僕はジムのインストラクターからそれを教わった。「これは世界でいちばん孤独な運動なんだ」と彼は説明してくれた。「これをもっとも熱心にやるのは、独房に入れられた囚人だ」。僕は意識を集中してそれを何セットかこなす。汗でシャツがぐっしょりと濡れるまで。p284
(中略)僕は小屋の中に入り、ストーブに薪を入れ、注意深く積みあげる。引き出しの中にあった古い新聞紙を丸めてマッチで火をつけ、炎が薪に移るのをたしかめる。小学生の時に夏休みのキャンプに入れられて、そこでたき火の起こしかたを教わった。キャンプはずいぶんひどいものだったけど、少なくとも何かの役にはたったわけだ。煙突のダンパーを全開にし、外気を中に入れる。はじめのうちはうまくいかないが、ようやく1本の薪が炎をキャッチする。ひとつの薪から別の薪へと炎が移っていく。僕はストーブの蓋を閉め、椅子をその前に置き、ランプを手近に持ってきて、その明かりで本の続きを読む。炎がひとつに集まって大きくなると、その上に水を入れたやかんを置き、沸騰させる。やかんの蓋がときおり心地よい音をたてる。p287
(中略)時計が10時を指すと、僕は本を読むのをやめ、歯を磨き、顔を洗う。煙突のダンパーを閉め、寝ているあいだに火が自然に消えるようにする。薪のおき火が部屋をオレンジ色に照らし出す。部屋の中は暖かく、その心地よさが緊張感と恐怖をやわらげてくれる。僕はTシャツとボクサーショーツだけで寝袋の中に潜りこみ、昨夜よりもずっと自然に目を閉じることができる。僕はさくらのことを少しだけ考える。
「私が君のほんとうのお姉さんだとよかったのにね」の彼女は言った。
でもそれ以上はさくらのことを考えないようにする。僕は眠らなくてはならない。ストーブの中で薪が崩れる。ふくろうが鳴く。そして僕は見分けのつかない夢の中に引きずりこまれていく。p286-287
でも人間は何かに自分を付着させて生きていくものだよ。
そうしないわけにはいかないんだ。君だって知らず知らずのうちにそうしているはずだ。ゲーテが言っているように、世界の万物はメタファーだ。p222
・大切な考え。ゲーテは知らないけれど。
ある種の不完全さを持った作品は、不完全であるが故に“ある種の”人間の心を強く引きつける。
君はその作品を見つける。別の言いかたをすれば、その作品は君を見つける。
僕が運転をしながらよくシューベルトを聴くのはそのためだ。何らかの意味で不完全な演奏だからだ。質の良い稠密な不完全さは人の意識を刺激し、注意力を喚起してくれる。これしかないというような完璧な音楽と完璧な演奏を聴きながら運転をしたら、目を閉じてそのまま死んでしまいたくなるかも知れない。でも僕はニ長調のソナタに耳を傾け、そこに人の営みの限界を聞きとることになる。ある種の完全さは、不完全さの限りない集積によってしか具現できないのだと知ることになる。それは僕を励ましてくれる。
シューベルトは訓練によって理解できる音楽なんだ。僕だって最初に聴いたときは退屈だった。でも今にきっとわかるようになる。この世界において、退屈でないものには人はすぐに飽きるし、飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ。そういうものなんだ。僕の人生には退屈する余裕はあっても、飽きているような余裕はない。“たいていの人”はそのふたつを区別する事ができない。p232-235
・こういう教養と考察がうまく噛み合って自分ごとに落とし込んで話せるのはカッコいいなぁ。魅力的だ。
しばらく進んだところに、丸いかたちにひらけた場所がある。背の高い樹木にかこまれて、それはまるで大きな井戸の底のようだ。開かれた枝のあいだから太陽の光がまっすぐ降って、スポットライトとなって足もとを明るく照らしだしている。それは僕には何かとくべつな場所のように感じられる。僕はその光の中に腰をおろし、太陽のささやかな温かみを受けとる。ポケットからチョコバーを出してかじり、口の中にひろがる甘みを楽しむ。太陽の光が人間にとってどれくらい大切なものなのかをあらためて僕は知る。その貴重な1秒1秒を全身で味わう。p288
・チョコバーの口に広がる甘みを楽しむ。なんて日々の動作を詳細に切り取って味わうってことの素晴らしさをよく表している。
昼過ぎに暗雲が突然頭上を覆う。空気が神秘的な色に染められていく。間を置かず激しい雨が降りだし、小屋の屋根や窓ガラスが痛々しい悲鳴をあげる。僕はすぐに服を脱いで裸になり、その雨降りの中に出ていく。石鹸で髪を洗い、身体を洗う。素晴らしい気分だ。僕は大声で意味のないことを叫んでみる。大きな硬い雨粒が小石のように全身を打つ。そのきびきびした痛みは宗教的な儀式のようだ。それは僕の頬を打ち、瞼を打ち、胸を打ち、腹を打ち、ペニスを打ち、睾丸を打ち、背中を打ち、足を打ち、尻を打つ。目を開けていることもできない。その痛みにはまちがいなく親密なものが含まれている。この世界にあって、自分がかぎりなく公平に扱われているように感じる。僕はそのことを嬉しく思う。自分が突然解放されたように感じる。僕は空に向かって両手を広げ、口を大きく開け、流れ込んでくる水を飲む。p289
・日々の小さな喜びを、ここまで鮮明にイメージさせてくれる。福岡堰思い出す。
ヘッドフォンをはずすと沈黙が聞こえる。沈黙は耳に聞こえるものなんだ。僕はそのことを知る。p291
・いい言葉。
これから僕らは都会に戻る。
自然の中でひとりぼっちで暮らすのは確かに素晴らしいことだけれど、そこでずっと生活しつづけるのは簡単じゃない。
理論的にはできなくはないし、実際にそうする人もいる。しかし自然というのは、ある意味では不自然なものだ。安らぎというのは、ある意味では威嚇的なものだ。その背反性を上手に受け入れるにはそれなりの準備と経験が必要なんだ。だから僕らはとりあえず街に戻る。社会と人々の営みの中に戻っていく。p324
・背反性を受け入れるにはそれなりの準備と経験が必要なんだな。
経験的なことを言うなら、人が何かを強く求めるとき、それはまずやってこない。人が何かを懸命に避けようとするとき、それは向こうから自然にやってくる。もちろんこれは一般論に過ぎないわけだけれどもね。p325
・うん。こういう考えをしっかり言語化して心に留めておきたい。
…それが物語というもの成り立ちだ。大きな転換、意外な展開。幸福は1種類しかないが、不幸はそれぞれに千差万別だ。トルストイが指摘している通りにね。幸福とは寓話であり、不幸とは物語である。p334
・成功はまぐれもあるけれど、失敗はあるある。みたいなものだね。不幸ほど共感を呼ぶものはない。
田村カフカくん、僕らの人生にはもう後戻りができないと言うポイントがある。それからケースとしてはずっと少ないけれど、もうこれから先には進めないと言うポイントがある。そう言うポイントが来たら、良いことであれ悪いことであれ、僕らはただ黙ってそれを受け入れるしかない。僕らはそんな風に生きているんだ。p343
・神話的考え方だな。オイディプス王の話をしてたのもあるだろうけど。