海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.63
  • (1987)
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  • (99)
本棚登録 : 22492
レビュー : 1534
  • Amazon.co.jp ・本 (544ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101001555

感想・レビュー・書評

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  • ナカタさんが好き。ホシノさんも好き。2人の関係が徐々に変わっていく様子などがカフカの動きよりも気になりました。

  • <この世界に、確かな足場がなかったとしても>

    フランツ・カフカは1912年に『変身』という奇妙な小説を書いた。未完の長編『城』が書かれたのは、その10年後だという。表題作のレビューに、どうしてカフカ本人の著作が出てくるのか。でもこれはなかなか重要なことなんじゃないかとおもう。

    『変身』の主人公グレーゴル・ザムザは、絶命の直前も自身の生に執着することなく、自分のことを疎んじる家族への愛情すらにじませて息絶える。対して10年後に書かれた『城』の主人公Kはどうか。主人公が時折覗かせるのは、不条理を受け入れず居場所や権利に執着する強烈なエゴだ。

    カフカがどんなことを思って物語を書ていたかは知る由もない。
    だけど『城』は、カフカ自身がずっと抱えていた迷いに対するひとつの答えだったんじゃないか、という人がいる。僕もおおむねその意見に賛成している。(未完だから、答えと言い切ることはできないけれど)

    本作の主人公は「そこにいるとなんだか自分がそこなわれていくような気がして」、東京から遠く離れた高松の地に導かれるようにして旅をする。世界でいちばんタフな15歳になろうとする。

    しかし彼は、進むことも引くこともできない思いを抱えながら、世界の隅で彷徨い続ける。世界の暗黙の了解として「自分」と「他者」はあまりにも個別的で、互いに孤絶しているものだということを思い知らされる。そしてまた、誰もがその生を引き返せない。

    彼だけでなく、一連の登場人物たちもまた「自分とはなんなのか」「どっちに行けばいいのか」という思いに悩みながら生きる。ホシノさんの「自分はからっぽなのかもしれない」という言葉や、佐伯さんの「何もかもを受け入れ、無感覚に世界をくぐりぬけても、すべては意味のないことだった」という言葉は、それを象徴しているような気がする。

    個別的な“傷痕”を抱えて、そのうえでどう進むか。あるいは、進まないのか。主人公は思い煩いながらも、多くの関係性のなかで「進む」ことを選択する。幕はそこで降りる。

    ここらへんに、僕はどうしてもフランツ・カフカの『変身』から『城』への歩みがダブる。自分を受け入れられなくても、自分が恥ずかしくても、あるいは世界のルールが受け入れられかったとしても、なんらかの形で折り合いをつけて、地に足をつけていく。個人的には、本作はそういうところがひとつ主題となっているんじゃないかなあと思った次第です。

    あまり関係ないけど、村上作品をいつ読んでも思うのは、
    登場人物が物語から退場するときの静けさの妙。
    いやはや、素晴らしい作品です。

  • この世界で生き続けるために必要な根をゆっくりと育ててくれる、自分にとってとても大切な小説。概ね内省的ではあるけれど、いくつかの地点でものすごく涙を流させる。結局のところわたしたちは、完全な円の中に生きることはできない。円を閉じてしまうということは決定的に損ない、損なわれることを意味する。そこには戻ることのできる場所も、記憶もない。

    「関係性」によって温かみを寄せ合うこと。強くあろうとする意志を持ちつづけること。

    実際に、あるいはメタファーとして、たくさんの血が流されるこの暴力的な世界にあって、わたしたちは深く傷つき損なわれるけれど、そこから回復することもきっと可能だ。そのことをこの小説は教えてくれる。
    村上春樹の言葉は静かに、とても現実的にわたしを励ましてくれる。『海辺のカフカ』に限らず、彼の作品をやはり読み返さないわけにはいかない。

  • 下巻で気になっていた事件の真相が明かされると期待していたが、結局真相は闇の中といったところで、個人的には煮え切らないなと感じた。
    ただ、主人公の田村少年やナカタさんと行動を共にしたホシノさんが、生きる上での価値観が変わり行く姿を見て、想像するのは楽しかった。

  • 四国といえば遍路である
    むかし、弘法大師さまが様々な奇跡をおこし
    人々を助けたという伝説が、四国の各地に残っていて
    そこへ向かう道すがら、ナカタさんも様々な奇跡を引き起こす
    だいたい弘法大師のそれとは似つかぬ不吉な奇跡ばかりだったが
    しかしトラック運転手のホシノ青年や
    女衒のカーネル・サンダーズ
    そういった、次々登場する狂言廻しに導かれ
    物語のなかを突き進んでゆく
    そんなナカタさんは、影を半分失った男だった
    あるいは、ナカタさん自身が実体を失った影なのだろうか

    ある意味では自己犠牲的な父との向きあいを避け
    家出したカフカ少年は
    四国に来て象徴的、またひょっとすると現実的に母と姉を犯した
    それはしかし、カフカ少年にとって明らかなる堕落だった
    父の予言をいいとこだけつまみ食いしたという意味でもそうだが
    それ以上に、自分を甘やかしてくれる人を求め
    時にそれを、夢の中とはいえ、力でねじ伏せた
    その事実に打ちのめされた彼は
    みずからの抱える恐れの源泉
    すなわち、なぜ母親は自分を捨てたのかという疑問に向きあうべく
    森の奥深くに入り
    「世界の終わり」を思わせる場所へとたどりつく
    観念として息子にとりつこうとする父のエゴを払いのける強さは
    そのように獲得されねばならなかった
    頼れる大人たちに導かれ
    カフカ少年が、自分の影を捨てずに済んだことには
    やや不満を持つ読者もいるだろうが
    15歳の少年なんだから、保護される権利だって当然あるはずだ

  • カフカの規則正しい生活が好きだわ、図書館に行って本を読んで、区民体育館に行って決められたワークアウトをして体を鍛え、カフカは料理あんましないけど、これで自炊してたらほとんどお金かからんよね。鍛え上げた健康な肉体と、本で頭の筋トレもして、生きていく力を蓄える。ここが読みたくて再読してしまった。健全な体に健全な精神は宿る、健康管理が全ての基本で、規則正しい生活を送っている著者自身の生活態度が目に浮かびます。ナカタさんの質素な生活も好きだわ、魔法瓶に温かいほうじ茶、ツボだわー。ウナギも好き。

  • 【感想】
    うーん・・・
    村上春樹ワールド全開というか、結局よくわからない顛末で物語が終わったような気が・・・
    ナカタさんが何者だったのか、なぜあのような特殊能力を持っていたのか、戦争中のあの出来事は一体何だったのか・・・
    謎が多すぎる物語で、自分の理解力が乏しいからか、正直ついていけなかったな。

    総じて、分からない世界観すぎる。
    駄作ではないと思うが、少なくとも面白いとは一切思わなかった。


    【引用】
    p174
    フルニエの流麗で気品のあるチェロに耳を傾けながら、星野青年は子どもの頃を思い出した。
    毎日近所の川に行って魚や泥鰌を釣っていた頃のことを。
    あの頃は何も考えなくてよかった。ただそのまんま生きていればよかったんだ。
    生きている限り、俺は何者かだった。自然にそうなっていたんだ。

    でも、いつのまにかそうではなくなってしまった。生きることによって、俺は何者でもなくなってしまった。


    p323
    「よう、おじさん」と青年はナカタさんに声をかけた。
    「こんなことを言うのはなんだけどさ、まあ悪い死に方じゃねえよな」

    ナカタさんは深い眠りの中で、おそらく何を考えることもなく、静かにそのまま死んでいった。
    死に顔も穏やかで、見たところ苦しみもなく、後悔もなく、迷いもなさそうだ。
    ナカタさんの人生がいったい何だったのか、そこにどんな意味があったのか、それは分からない。
    でもそんなことを言い出せば、誰の人生にだってそんなにはっきりとした意味があるわけじゃないだろう。
    人間にとってほんとうに大事なのは、ほんとうに重みを持つのは、きっと死に方のほうなんだな、と青年は考えた。
    死に方に比べたら、生き方なんてたいしたことじゃないのかもしれない。
    とはいえやはり、人の死に方を決めるのは人の生き方であるはずだ。

    ナカタさんの死に顔を見ながら、青年はそんなことを考えるともなく考えた。

  • 上巻に引き続き。
    全体で見ればファンタジーなのだろう。そしてそれっぽい言葉を色々な登場人物が幾つも使う。15歳の少年にしては話す言葉が大人びすぎている(大人でも使わない・・・)し、なんだかはっきりとしたオチもないし、そこに必要があるのかわからない性描写は入るし、不自然といえば不自然。しかしそういった一つ一つの要素は全然邪魔な感じがしないし、いちいち出てくる不可解な謎やら現象に対してツッコミやオチがないものの、淀みなく物語が進んでいき進んでいくことに対してこちらも何の疑問も思わずに読むことができる。これが村上氏の文章の味なのかと認識した。ほかの作者が書いたら恐らく長ったらしいし難しい言葉を並び立てて気取ってるだけでこの世界に入り込めない、なんてことも起きる可能性があっただろう。書いてみないとわからないことだが。書いて読んでみるとそれとわかるのだろう。

    とりあえず、大公トリオをYouTubeで聴いてみた。関連動画にジャンルも編成も違うコルトレーンのMFTもあったが、これは当然のことだろう。大勢のハルキストが同じ行動をとったに違いない。やれやれ。

  • 読み終えた後、いくつかストーリー上の謎は残るものの、その答えを探すことがこの物語の目的ではないように思ったので、特に気にならなかった。

    個人的には、本筋に直接関わる部分ではないけれど、ナカタさんと四国で行動をともにした星野青年の変化が、一番心に残ったところ。彼が今後どのように生きていくのか、もう少し見届けたいと思った。
    --

    約10年ぶりに読んだ「海辺のカフカ」。また10年後くらいに読み返したいから、ずっと手元に残しておこう。10年後の自分はどんな感想を覚えるだろうか。

  • 女性寄りの登場人物達は都合の良い「女神」という感じで本の外に引き戻されて集中し辛かったが、ナカタさんとホシノ君のパートは生き生きしていてとても面白かった。
    世界には実際の世界と、自分が自己のメタファーとして見ている世界(ただ存在するものを意味づけるのは自分なのだから、全てに自己は投影されている)、そして他者のメタファーとしての世界という何層にもなっていて、それが影響し合っている、そんなことを思った。
    思考の足がかりを与えてくれる小説はありがたく、今作はその点と、部分の物語の面白さが良かった。
    納得出来ない、好みでないところも多々あるが、それはそれで。

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著者プロフィール

村上春樹(むらかみ はるき)
1949年、京都府京都市伏見区生まれ、兵庫県西宮市芦屋市育ち。早稲田大学第一文学部映画演劇科卒。大学在学中にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を国分寺・千駄ヶ谷に開店していた(1981年、店を人に譲渡)。1979年にデビュー作の「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞。谷崎潤一郎賞、読売文学賞、朝日賞など数々の受賞歴がある。2006年にフランツ・カフカ賞、2009年にイスラエルのエルサレム賞受賞。ノーベル文学賞に最も近い作家の一人と言われており、毎年発表時期に日本国内でニュースになる。事実、村上春樹作品は全世界で翻訳されており、アメリカ・アジアでの評価がとりわけ高い。フィッツジェラルドやレイモンド・カーヴァーなどの作品の翻訳も手がけ、翻訳家としての仕事も高い評価を受ける。翻訳と創作活動を交互に行うことで、作風を変化させ、作家としての成長を続けている。新作が発表されるたび大きな話題となるが、近年は特別番組「村上RADIO」にてラジオDJも務め(不定期放映)、数々の名言も注目を集める。代表作に『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』。2019年7月31日に『神の子どもたちはみな踊る』が舞台化。2019年8月7日発売の『文学界』でロングインタビュー「暗闇の中のランタンのように」掲載。アメリカのサックス奏者スタン・ゲッツの伝記翻訳を2019年8月末に刊行予定。

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