世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(下)新装版 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
4.07
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レビュー : 379
  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101001586

作品紹介・あらすじ

の意識の核に思考回路を組み込んだ老博士と再会したは、回路の秘密を聞いて愕然とする。私の知らない内に世界は始まり、知らない内に終わろうとしているのだ。残された時間はわずか。の行く先は永遠の生か、それとも死か?そして又、"世界の終り"の街からは脱出できるのか?同時進行する二つの物語を結ぶ、意外な結末。村上春樹のメッセージが、君に届くか?

感想・レビュー・書評

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  • ふたつのお話の同時展開。
    やれやれ という気持ちになりがち。

  • 感覚的にいえば、とても心に訴えかけられる話だった。
    だけど、まだ自分の本を読む力のなさも同時に思い知らされた。
    感情の説明もできないし、頭の中がまとまらない。
    少し時間をおいて、もう一度上下とも読み直そうと思います。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「頭の中がまとまらない」
      面白いからドンドン読み進めてしまうけど、暗喩が多くて、「?」のオマケ付きになっちゃいますよね。極端なコトを言えば、...
      「頭の中がまとまらない」
      面白いからドンドン読み進めてしまうけど、暗喩が多くて、「?」のオマケ付きになっちゃいますよね。極端なコトを言えば、それを、どんな風に解釈しても良い訳なので、暫くして再読したら別の何かが見えるかも。。。
      2013/01/05
  • 世界観が好き。不思議な気持ち。


  • ハードボイルド:第1の世界:主人公の現実世界

    第2の世界:主人公の無意識の世界:シャッフルするときに利用

    世界の終わり:第3の世界:博士が作った主人公の第2の世界

    回路が第1に戻せなくなって、主人公は第3の世界で生き続ける。(脳は生きている状態。夢の世界で生き続けるイメージ。)
    ただ、影が戻ったってことは、心(マインド)は彼のままであり続けるのかと。

    第3の世界で生き続ける主人公はいずれ、彼女と過ごしたり音楽などに触れ、第3の世界で心(マインド)を取り戻すことができて、第3の世界(無意識の世界)を意識的に行き来できるようになるのではないかと想像しています。



    自分で無意識に選択していることって、ほかの人に影響されて作った世界の中で選択していると思う。

    身近に別世界があったりしたら、、
    この世界は偽物で本物は別にあるとしたら、、
    見えているものは全てが正しくはないのでは、、
    想像してしまうから脅威に思うのでは、、
    など、この本を読みながら色々考えてしまいました。


  • 上巻に引き続き内容が楽しみに
    期待してしまう。
    読み終わってみるとやはりもっと完結な結果を期待してたのですが・・

  • とても面白かった。生死、アイデンティティー、人生が主題か? 私の少ない語彙では主題が何たるかを表現できないけれど、そんな風に感じた。

    実を言えば、下巻の中盤まではそれほどのめり込んで読んではいなかった。もちろん読み切るほどであるから、面白いと感じてはいたけれど、友人が勧めるほど(私は友人が勧めたから読んだのだ)ではないと感じていた。

    しかし、下巻の中盤以降の勢いには圧倒された。自分ではどうすることもできない運命を納得していく(=受け入れていく)に当たって主人公に漂うある種の諦観、そしてありふれた普通の世界への愛を感じて、圧倒された。

    カタルシスなんだろうか。この筆舌に尽くしがたい読後感は本書以外ではなかなか味わえないものだろう。流石世界の村上春樹と言ったところか。

  • 読了した瞬間は「やっと終った」という感想しかでない。下巻の後半は字を目玉でただ追っているだけという状態になった。
    たとえ読書会があったとしても、今後は村上春樹の小説は読むことないだろうと思う。

  • 春樹作品の中でも特に文学的要素が強いというか、設定や世界観が抽象的で難解だった。

    組織(システム)に所属する計算士である私。組織と敵対し、情報を盗み取ろうとする工場(ファクトリー)の記号士たち。

    一方で「世界の終わり」では壁で囲われた町に入れられた僕が影を切り取られる。そこの町で夢読みとして図書館で古い夢を読まされる。

    最後、私は限られた時間を大切に過ごす。コインランドリーで洗濯をし、煙草を吸い、音楽を聴く。

    ---

    memo

    上巻

    90
    私はつねづねソファー選びにはその人間の品位がにじみ出るものだと――またこれはたぶん偏見だと思うが――確信している。

    94
    私はソファーに対するのと同じようにサンドウィッチに対してもかなり評価の辛い方だと思うが、そのサンドウィッチは私の定めた基準線を軽くクリアしていた。パンは新鮮ではりがあり、よく切れる清潔な包丁でカットされていた。

    145
    「車とは本来こういうもんなんです」

    193
    私の生活は性欲よりむしろ食欲を中心にまわっているようなものだから、それはそれでかまわないの。セックスというのは、私にとってよくできたデザート程度のものなの。


    下巻

    258
    俺はこの前君と会ったときに、この街は不自然で間違っていると言った。そして自然で間違っているなりに完結しているとね。

    300
    たとえ何であるにせよ、何かを信じるというのははっきりとした心の作用だ。

  •  昨日『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(以下『世界の終わり』)を読了し、「春の熊」の興奮とはまた別に、またこの小説が他の一般読者に与えたであろう衝撃とは別に、いかにも個人の秘密めいた範囲でひそひそと発見をした。

     まず前置きとして『世界の終わり』は認識の内部で時を想像することによる、認識外の「時の凍結」を幕引きとしている。こういう言い方をすれば、小説の大団円を語っても差し支えはないと思う。

     主人公は「眠りがきた」と言い人生の幕を降ろすのであるが、この様子と、彼の認識内部の世界としての「世界の終わり」が、私に一点の発見を思わせる。「世界の終わり」というからには忘却と崩壊の最後かと思いきや、そこは完全の均衡が保たれた、永遠の「場」なのだった。

     終末におとずれる、永遠かつ完全なる均衡の一点。この瞬間の描写のために、幾人もの芸術家が人生を削った。彼らが今、その一点にたどり着いたのか、僕は知らない。ただ、イギリスの詩人・小説家D.H.Lawrenceがその完全なる一点を描写するために「死の舟」という詩を創作したことは知っている。

     ロレンスはその詩のなかで、死出の旅としての航海を物語り、そのなかに「眠り、夢、忘却、目覚め」という、永遠の一点に到達するまでの道程を描いた。見逃せないことに彼は永遠の一点を、完全なる均衡のとれた瞬間だと述べている。

     以上はロレンスの詩集、手記、論考を勘案したうえで総合的に導きだした一案だということを加え書きさせていただきたい。ともかく大事なことはデュラン・デュランでもなく魂のルフランでもなく、死生観を語るうえで、完全なる一点かつ永遠の瞬間、というものを持ち出す芸術家がその他大勢いるということである。

     しかし問題は「そんなのありえませんが」という冷ややかな目線と、このディジタル・ストーム社会では役に立たないものを見るような、生の世界に充足する人々の態度である。死の世界などない。そう言い切ることのほうが、我々「現実」の認識に生きるものとしては確実な合理性をもっているし、「目の前のガラスを叩けば割れる」などという意識がある以上、それはまさしく必要な認識ルールなのである。

     そんな現実、ハードボイルド・ワンダーランドにおいて村上は、完全なる一点としての永遠の瞬間にたどり着くための「デバイス」そして道程を、あくまでクールに描いたのである。ロレンスがエトルリア文明の墳墓に完全の瞬間を背負わせたのと正反対に、村上はそれを「ダニー・ボーイ」であるとか、ピンクの豊満な女の子であるとか、腕輪とかにのせたのである。

     もっと言えば「リアル」を精密に受容している(であろう)機関である脳をその仕掛けの根幹として、そして肉体の永遠保存をマジックのタネとして、あくまで足取りは軽く、その一点にたどり着いた、いやむしろ最初からその情景をたたえた「場」を提示していたのである。

     そして村上の「完全」は、限定された「場」のうちでの永遠性であったという点において、ある種の固着であると言える。つまり完全であり均衡を保っているからには静謐な停滞状態が保たれねばならず、その条件を「世界の終わり」はそなえている。そういった意味でも、一点の停滞状態でありながら、永遠性をもっているということが描かれた世界なのだ。

     僕はロレンスの完全なる瞬間を「夢のなかでの目覚め」、それも元の世界とは異なる場所への目覚め、というように考えていた。『世界の終わり』の主人公は「眠りがきた」と言い「世界の終わり」へ進入した(と思われる)が、これもまた日常の眠りとは違う眠りへの確信、そして日常の夢とは異なる夢、すなわち認識内部の世界への確信、という点において、フェーズの高まった夢であると言えよう。夢だろうが現実だろうが、それは認識の問題なのである。

     村上はこういうように、死後に永遠があるという時の概念への勝利の可能性を、あくまでストラテジックに、あくまでフィジカルに導いたのである。その点で僕はこれまでになく勇気づけられた思いがして、ウェスト・エッグのあの語りやさんに、バシリと背中を叩かれた思いである。もちろん、主人公の肉体ありきでの認識が作り出す「世界の終わり」であるからには、世界---いやここは便宜的に地球と言おう---が本当に終わってしまったなら、その認識も消し飛んでしまうことになる、はずである。

     ことは今、肉体としての脳による認識の存在への疑念が問題となっている。あまりにも強力すぎるこの脳認識によって、我々はその喪失を恐れざるをえないのである。脳がなくても、すなわち死んじまっても認識が残るのならば(それを人は魂という)、時との争いなど古今東西ありえないはずなのだから・・・




    追記的に申し上げると、この小説を読んでいる間、僕が小説に呼応し、小説が僕に呼応している、そんな感覚をおぼえた。実は小説を読みながらメモをとるのが僕の癖なのだが、僕が『世界の終わり』に対して疑問を抱いたとして、それをメモする。すると2、3行後にはもう答えが用意されている、といった具合である。また、僕が文章を読んでいくなかで思いついた概念をメモしていると、次のページに全く同じ概念が、あたかも引き出されたかのように登場する。
    こうした身震いものの体験も、小説を読むなかでの楽しみであった。是非、メモをとりながら物を読むことを、僭越ながらオススメしたい。




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  • 研究者を助けに地下に潜った計算士。研究者の語る計算士の秘密。世界で一人実験に耐えた計算士の秘密。
    影との再開。壁に囲まれた世界からの脱出を試みる僕と影。楽器を求める僕。森の近くに住む男。影との協力で世界の終わりからの脱出に成功しそうな僕。

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著者プロフィール

村上春樹(むらかみ はるき)
1949年、京都府京都市伏見区生まれ、兵庫県西宮市芦屋市育ち。早稲田大学第一文学部映画演劇科卒。大学在学中にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を国分寺・千駄ヶ谷に開店していた(1981年、店を人に譲渡)。1979年にデビュー作の「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞。谷崎潤一郎賞、読売文学賞、朝日賞など数々の受賞歴がある。2006年にフランツ・カフカ賞、2009年にイスラエルのエルサレム賞受賞。ノーベル文学賞に最も近い作家の一人と言われており、毎年発表時期に日本国内でニュースになる。事実、村上春樹作品は全世界で翻訳されており、アメリカ・アジアでの評価がとりわけ高い。フィッツジェラルドやレイモンド・カーヴァーなどの作品の翻訳も手がけ、翻訳家としての仕事も高い評価を受ける。翻訳と創作活動を交互に行うことで、作風を変化させ、作家としての成長を続けている。新作が発表されるたび大きな話題となるが、近年は特別番組「村上RADIO」にてラジオDJも務め(不定期放映)、数々の名言も注目を集める。代表作に『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』。2019年7月31日に『神の子どもたちはみな踊る』が舞台化。アメリカのサックス奏者スタン・ゲッツの伝記翻訳を2019年8月刊行。2019年9月10日発売の『文藝春秋』10月号で「至るところにある妄想 バイロイト日記」を寄稿。

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