1Q84 BOOK 1 <4月-6月> (後編) (新潮文庫)
- 新潮社 (2012年3月28日発売)


- 本 ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101001609
作品紹介・あらすじ
ふかえりはきっと特別な存在なんだ、と天吾はあらためて思った。ほかの少女たちと比べることなんてできない。彼女は間違いなくおれにとって、何らかの意味を持っている。それなのにどうしてもそのメッセージを読み解くことができない。……『空気さなぎ』、宗教集団さきがけ、リトル・ピープル、そして夜空に浮かぶ月。謎に満ちた天吾と青豆の「1Q84年」はどこに向かうのか。
感想・レビュー・書評
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少しづつだが二人の物語が交差してきた。
天吾と青豆の過去が繋がってきた。
リトルピープルは形のない存在とふかえりは
言っていたのだが、その正体を知ることはあるの
だろうか今後が楽しみです。
宗教の存在が特に物語に強く反映されています。
舞台背景も、現実で起こった事件とか団体をモチーフにしている節があります。
二つの月とリトルピープル、lunaticとinsane、
さまざまなワードが出てきますね。
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〈4-6〉後編2では、「一九八四」について多少の記述があり、関係性を仄めかす感じ。ビッグブラザーの対比?としてのリトルピープルの存在が、ふかえりの「空気さなぎ」等から明らかになっていく。
ふかえりが両親と共に所属していた組織「さきがけ」、そこから発生した過激派グループ「あけぼの」。この「あけぼの」と警察との武力衝突が、青豆の記憶にない1Q84での出来事の象徴となっている。
月が二つ均衡を保つ1Q84、これは空気さなぎの世界観でもある。
「一九八四」が、ビッグブラザーをストーリーの中に充満させていた重量感を思うと、リトルピープルの象徴的な表現がもの足りなさを感じる。
まだまだ続くんですよ。 -
前回読んだのは多分15年くらい前だと思うが、意外と細かいところまでよく覚えている。いつもは読んだ内容はわりとすぐ忘れるので(ミステリーのトリックや犯人だって忘れちゃう)、やはり自分にとってインパクトのある作品だったんだなと思いながら、懐かしく面白く再読中。一番たくさん読書していた頃に読書記録をちゃんとつけておいたら、感じ方・考え方の変化がわかって良かったかもな。
この巻では、青豆さんが自分の陰鬱な生い立ちを思う第21章「青豆 どれほど遠いところへ行こうと試みても」がとても好きだ。「自分が手にしているもののほとんどは、その暗い土壌に根を下ろし、そこから養分を得ているみたいに思えた。どれほど遠いところに行こうと試みても、結局はここに戻ってこなくてはならないのだ。」
書かれていることは暗く重たいはずなのに、読んでいると不思議と安心感や嬉しさがある。作者が人の深い思いを漏らさず掬いとって丁寧に言葉にしてくれているのが伝わってくるからかもしれない。 -
インセインとルナティック。
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Audibleで聞く読書。
10年ぶりに足を踏み入れた「1Q84」の世界は、新たな発見の連続だった。
一回読んだはずだが、忘れてしまったこと。
なんとなく覚えてはいたが、改めて気がついたこと。
杏が朗読する青豆の世界。
柄本時生が朗読する天吾の世界。
交わるはずのない二人の世界が少しづつ近づいていく。
幼き時に家族と別れる決断をした青豆は、必要最低限の人間関係の中で生きてきた。
だが、数少ない大切な人と悲しい別れを経験しなければならなかった。
そのことがきっかけに、もう一つの仕事の世界に足を踏み入れることになる。
予備校で数学の教師をしている天吾にも、幼少期の辛い体験があった。
数学の世界にのめり込むこと。
結論のない文学の森に入り込むことで、これまでバランスを保って生きてきた。
二人はそれぞれの生きる現実で、抗いがたい大きな出来事に巻き込まれていく。
優れた文学作品は、それを読むこと自体が人生の追体験になる。
世界を魅了し続ける村上春樹の世界に浸る幸せを感じる。 -
注!
内容に触れていますが、あえてネタバレ設定にしていません。
『BOOK1後編』は、面白さが加速する。
いや。ストーリー自体は『BOOK1前編』と同じく、天吾は10歳上の人妻にタマを弄ばれているだけだし、青豆は相変わらずあゆみと男漁りだ(^^ゞ
ただ、その合間、合間に、少しずつ、少しずつ、話が進み、その話と話が噛み合っていく感じが、読んでいて楽しい。
村上春樹は、その辺りが本当に上手い。
ぶっちゃけ、村上春樹っていうのは、あくまで人気作家であって。世間で言われているような大作家や文豪みたいなタイプの作家ではないように思う。
昔もそうだけど、ネット等情報が反乱する今みたいな世の中では、ひとたび「それがすごい」となれば、猫も杓子も長いものには巻かれていればいいとその情報になびくことで、「すごいそれ」はさらに評価が上がっていく。
今の世間にある村上春樹の評価の大半はそういうものだ。
これから村上春樹を読んでみよう思っている人、あるいは、小説の面白さに目覚めていろいろ手を出している中で著者の本を手に取った人は、村上春樹だって、所詮は数いる作家の一人にすぎなくて。
仮に、村上春樹の小説が面白くなかったとしても、無理して「すごく面白かった」なんて感想を書く必要なんてないんだと頭に入れた上で読んだ方がいいように思う。
(もっとも、「面白かった」と書いた方が、面白くなかったのに「面白かった」と書いた多くの人たちから「いいね」は貰えるんだろうけどさw)
いや。それは、村上春樹を決してクサしているのでない。
というのは、村上春樹が書く小説というのは、今の小説の主流である、読者に至れり尽くせりすぎるエンタメ小説というのとはビミョーに違うのだ。
現在、多くの人に読まれている作家の小説のように、読者の気持ちに寄り添ってきたりはしないし、読者が求めている通りのどんでん返しや伏線回収の展開なんてこれっぽっちもない。
合わない、わからない、つまらないと感じる人がいるのは当然のことだし。
世間の評判通りに、面白い、すごい、著者はここで書いているのはこういことだとわかったからって、そんなのエラくもなければ、カッコイイことでもない。
世間の評判や権威を頭から一切取っ払って、自分なりの価値基準で読んだ方が村上春樹が持つ、稀有と言っていい物語る才能を楽しめるように思うのだ。
この人は、物語を語ることが異様なくらい上手い。
それは、そもそも、その才能に長けているというのはありつつ。
著者が、読者を物語に引き込ませるために、なるべく読者の気持ちをざわつかせないように表現や展開を抑えて書いているからのような気がする。
読んでいて、物語の内容に気持ちがざわつかないから、読者はストーリーに集中出来るのだ。
そこは本当にすごい才能だと思う。
そういえば、「BOOK1前編」の感想で、この『1Q84』は、“たんなるラブストーリー”だということは頭に入れて読んだ方がいいよ、と書いたんだけど。
それは、「BOOK1前編」の冒頭、首都高からハシゴを降りてしまったことで1Q84の世界に行ってしまった青豆が、たまたま見かけた警官が自動拳銃を持っていることに驚くという伏線が全くストーリーに絡んでこないことを見ても明らかだろう。
ジョージ・オーウェルの『1984年』的な管理社会の恐怖的な要素は「BOOK1」を書いている時点で、著者の頭の中から自然にテーマから外れていったんだろう。
それによって、『1Q84』はジョージ・オーウェルの『1984年』とは何の関係もない小説になったけど。
でも、むしろ読みやすくていい小説になったように思う。 -
ナゾが少しずつ解決されるようでされない。
美少女ふかえりが書いた(実際は天吾が文を整えた)「空気さなぎ」は予想通りベストセラーになるが、ふかえりは失踪。彼女を特別な存在と思うようになっていた天吾は動揺するが・・・彼女の親は、カルト教団「さきがけ」の関係者らしい・・・
一方、青豆は婦人警官のあゆみとチームを組んで男を探し、定期的にワンナイトラブの関係を持っていた。
この人だけを愛していく、10歳の時にそう心に誓いながらその人には会わず、愛のない行為を欲する青豆。青豆が殺し屋になった経緯が明らかになり、さらに「さきがけ」の被害者と思われる少女つばさの登場で、本格的に「さきがけ」についての謎に迫る4月-6月。
地元の図書館にはこの巻ばかり4冊もあって、他の巻が全然見当たらないのですが・・・
カルト教団と言えば日本ではオウムが一番そのイメージが強いけれど、青豆の両親が入信していたエホバの証人も職場柄たまに耳にします。輸血を拒み、現代医療をもってすれば助かる命をむざむざ散らす・・・
「シーラという子」「Itと呼ばれた子」など幼児期に虐待を受けた子達のお話は読んでいて気分が沈みます。虐待の発端として、狂信的宗教に親がのめりこむというのは意外に多く「ジェニーのなかの400人」のようにその教団信者らの手によって延々虐待され続けた結果、人格が400以上に分裂してしまった人も中にはいます。
リトルピープルは実在する、空気さなぎも実在する、、、
このお話はどう終焉を迎えるつもりなんでしょうか。。 -
「世界というのはひとつの記憶とその反対側の記憶との果てしない闘いなんだよ」とあゆみに言わせた真意はなんなのだろうか。
アンダーグラウンドの執筆を通して、「悪しき物語」に対抗するための「善き物語」を自分が作り続けなければならないと村上自身が感じたのだろう。
遺伝子の乗り物に過ぎない私たちがなぜここまで苦悩し、奇妙な生涯を送らなければいけないのか。自分で選び取った人生のようでその実、「選ばされている」。人が運命を選ぶのではなく、運命が人を選ぶ。海辺のカフカや世界の終わりとハードボイルドワンダーランドでも見られたテーマがまた瀟洒な表現で語られる。
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