騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編(上) (新潮文庫)

  • 新潮社 (2019年3月28日発売)
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本 ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784101001739

作品紹介・あらすじ

雑木林の小径を抜けて、肖像画のモデルとなった少女が山荘を訪れる。屋根裏に隠された絵と「私」の描いた絵……パズルのピースのように、四枚の絵が一つの物語を浮かび上がらせる。谷の向かい側から銀色のジャガーで現れる白髪の紳士、奇妙な喋り方で主人公に謎をかける「騎士団長」。やがて、山荘の持ち主の老画家をめぐる歴史の闇も明らかになるが、真夜中の鈴は、まだ鳴り止まない──。

感想・レビュー・書評

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  • いろんなことが巻き起こりますねー。
    秋川まりえの行方や、おばさんと免色の関係も気になるところ。
    免色さんはおじいちゃんのイメージだったのですが、中年ということなのでもうちょい若いのかな?ダンディーな感じで確かにモテそうだけど、個人的には主人公の方が魅力的に思えます。
    続きが気になるので急いで次巻へ!

  • 『騎士団長殺し』第2部上巻、感想は下巻で。

  • 免色はまるでナボコフ「ロリータ」に出てくるハンバート・ハンバートのようだというのが文庫版3冊目いちばんの感想。

  •  いよいよ第二部へ。
     主人公の画家の周りには何枚かの絵がある。依頼を受けた白髪の紳士免白の絵は寛政し既に依頼主の手元に渡ったが、現在は秋川まりえをモデルにした絵を描いており、また東f北のある町でほんの少し出会っただけなのに妙に印象に残った白いスバル・フォレスターの男を途中まで描いた油絵、そして「騎士団長殺し」。 

     「騎士団長殺し」を描いた雨田具彦とその弟に関する過去の闇も少しずつ明らかになってくる。それは村上春彦の作品で良く取り上げられる戦争に関連する悲惨な出来事であり、本作でも「騎士団長殺し」を巡る重要なモチーフであることが推測される。
     そんなとき、秋川まりえの行方が分からなくなっていると彼女の叔母から連絡が入る。一体彼女はどこに行ってしまったのか。騎士団長の不思議なヒントを手掛かりに、何とか彼女を探し出そうとするところで、以下最終巻へ。

     村上春樹の作品はそれなりに読んできたのだが、一体ここからどうなっていくのだろう、謎は深まるばかり。

  • 第一部で起きた様々な出来事が少しずつゆっくり進んでいくという内容だった。
    疾走した秋川まりえはどこに行ってしまったのか。免色の思惑は何なのか。
    次で(第二部(下))果たしてこれらの謎めいたいものは収束するのだろうか。
    それにしても秋川まりえは1Q84の「ふかえり」と似ているような気がする。

  • 様々な絵が出来たり出来なかったり。絵を描くときの主人公の描写も描かれていく絵の描写も繊細で、見てみたいと思わされる。

    こんな話を実写化などはできないんだろうが、作家本人と画家の協力でぜひ絵に起こされないかな。

  • 主人公が見つけた「騎士団長殺し」の絵。そして、主人公が描いた免色の肖像画、雑木林の中の穴、さらには少女の肖像画。
    これらの絵画を描いたのは主人公だが、描き終わってしまうと、それらは何かを訴えてくる。
    果たして、その訴えとは?そしてイデアとは何か。さらには失踪してしまった少女の行方や出生の謎。ユズの子供は誰が父親か。など、最終巻に向けて次々と問いかけてくる形。

  • 絵が仕上がってきます。

    少しずつ確実に。


    まるでページをめくるようにしっかりと。


    祠の下にあった穴

    免色とまりえの関係

    別れた妻のゆず

    そして、騎士団長殺しを書いた雨田具彦


    確実に物語は進んでいる。

  • 一巡目での感想。
    (村上春樹氏の作品は、何度も読み返す度にまた違うものが見えてきて、新たな気付きや、新たな解釈が生まれるので)
    ストーリー展開や結末が分かっていても、再びページを開いてしまうとそこから読み返してしまう。読み返すと止まらなくなる。これは村上作品全てに共通する普遍。
    気に入った音楽を飽きることなく何度も聴きかえすように。

    村上作品は、文章を追うだけでしっかり体感できる。自分の心の中で描かれた情景が揺るぐことない映像として記憶される。
    ピンクのスーツを着たふくよかな女性の後ろ姿だったり(世界の終わり)、イルカホテルに棲む羊男だったり(ダンスダンスダンス)。
    村上作品だけは、何十年も前に読んだ本でも記憶を映像として呼び起こすことができるのは、この「心の情景」が描けている稀有な作家だからだと思う。

    ●心の情景

    まるで女性器のような雑木林の祠の穴。
    屋根裏に棲みついたみみずく。
    「騎士団長殺し」「白いスバルフォレスターの男」「未完成のまりえの肖像画」が置かれたアトリエ。
    谷の向こう側のまるで要塞のような免色さんの白い豪邸。
    会話の合間に眺めた、窓にうちつけられた雨の雫。

    ●「性」「生」「死」

    「性」「生」「死」は、村上作品で一貫して重要になってくる要素。
    なかなか消化できないそれらの問題を、全てをまるごと享受して生きていく。

    今回は「井戸」ではなく「穴」。
    それは、茂みにひっそり隠れた「まるで女性器のよう」で更に「異次元に繋がっている」ことから、子宮を連想する。
    無から有に変わる場所(命が有形化され、魂が宿る場所)、無風だけど水がある(羊水)。
    別次元に迷い込んだ子宮(もしくは狭くて真っ暗な卵管なのか産道)を潜り抜けて再びこの世に生まれ落ちた時、私はもう一度生まれ変わり、ユズに会う決心をする。
    そして、実質的な我が子ではないけれど、ユズの身籠った子供は、自分にとってかけがえのない子だと揺るぎない確信を得る。

    ●「イデア=顕れる」

    ここで顕れたイデアは、内なる自分。
    「罪悪感」「怒り」「内なる悪」「邪悪なる父」の仮の姿、可視化。
    大切なものを奪われ、どこにぶつけたらいいのか分からない怒りのようなもの。
    表立って出ることなく、心の中だけに留められた怒りのような感情を、ただやり過ごして生きてしまった、未消化のままのもう一人の自分。
    昇華しきれてない感情があるものだけに見えるイデア。

    雨田具彦にとって、愛する女性を殺された怒りと、自分だけ助かった裏切りと罪悪感(騎士団長殺し)。
    私にとって、幼いコミを奪われた病魔と何もできなかった罪悪感、ユズが浮気して突然去っていった怒りとそれに向き合えない罪悪感(白いスバルフォレスターの男)。
    秋川まりえにとっては、母の命を奪ったスズメバチへの怒り、心を通わせられない父親への憤り。笙子への罪悪感。(免色家の謎の男)

    私が騎士団長を殺したことで、雨田具彦のイデアは救われる。
    そして、穴の中に入り、コミを失った現実としっかりと向き合う。
    まりえは免色家で、スズメバチや謎の男と対峙する。
    喪われたはずの愛する存在は、完全に失われたわけではなく、今も尚、自分を救ってくれている。

    ●「あらない」(「在る」と「無い」)

    騎士団長の口癖「あらない」には、「在る」と「無い」を両方含んだ「ない」である。
    「在る世界」と「無い世界」で判断しがちだけれど、実は「無くなった」ものは、完全に「無」になったのではなく、「在りながらして無い」のだ。

    ●「顔なが=メタファー=遷る」

    顔ながは、時空や次元を超えた目撃者(冷静に判断できるもの)で、二つの世界の蓋を開ける者。
    屋根裏を覗いた私そのものが、雨田具彦にとっての顔なが。

    ●「顔なし=二つの世界の橋渡し」

    現実の世界(生・肉体)と非現実の世界(死・魂)の橋渡し的存在。
    橋渡しが可能になるアイテムが顔なし次第で都度変わる。(鈴、ペンギンのお守り、完成した肖像画)

    免色渉=顔なし。
    免色渉の肖像画を完成させたから、ふたつの世界を行き来することができた。

    私は冒頭のプロローグで、顔なしの肖像画を描こうとしていることから、何らかの理由で再び向こうの世界に行こうとしているのかもしれない。

    ●穴の中の世界

    穴の中の世界は、子宮の中で命が芽生えることと似通っているように感じた。
    有形が無形になり、無形が有形になる、「在る」と「無い」が通り道となる場所。

    逆らえない運命のようなもの。
    水があれば飲まずにいられないような(羊水)
    川を渡るしか選択肢がないような(三途の川)
    細い穴を潜り抜けるしか道がないような(産道)

    ●二重メタファー=免色渉?

    「1つの精神が同時に相反する2つの信条を持ち、その両方を受け入れることができる能力のこと。あなたの中にありながら、あなたにとっての正しい思いをつかまえて、次々に貪り食べてしまうもの。そのように肥え太っていくもの。それが二重メタファー。それはあなたの内側にある深い暗闇に、昔からずっと住まっているものなの」

    物事には相反する表と裏があり、それがセットでひとつである。日が当たれば必ず影ができる。どちらか一方だけを無くすことはできないけれど、場合によっては影に覆い尽くされてしまうことはある。

    目に見える現実世界の出来事だけでなく、別の世界(想像の世界)も信じてもいい。しかし、免色のように想像の世界に現実まで貪られてしまっては元も子もない。

    現実世界と想像世界を上手に行き来できる柔軟さ、不確かなものを信じる力も大事、でもその信念は時に行きすぎると盲目的になり現実を脅かすものにもなりかねない。

    真実の顕れであるイデア(揺らぎのない真実)観念よりも、メタファー(揺らぎの余地のある可能性)不確かな現実を信じる免色渉は、「まりえが自分の子どもかもしれない」という不確かな可能性を拠り所にするために、半ば強引に豪邸を買い取ったり、笙子を手中に納めたりする。
    人間誰しもが、自分の正しさ(信仰)を追求するあまり、結果的に悪をもたらしてしまうことがある。

    ●最後のユズのくだり

    「私が生きているのはもちろん私の人生であるわけだけど、でもそこで起こることのほとんどすべては、私とは関係のない場所で勝手に決められて、勝手に進められているのかもしれないって。
    つまり、私はこうして自由意志みたいなものを持って生きているようだけれど、結局のところ私自身は大事なことは何ひとつ選んでいないのかもしれない。
    そして私が妊娠してしまったのも、そういうひとつの顕れじゃないかって考えたの。
    こういうのって、よくある運命論みたいに聞こえるかもしれないけど、でも本当にそう感じたの。
    とても率直に、とてもひしひしと。そして思ったの。
    こうなったのなら、何があっても私一人で子供を産んで育ててみようって。
    そして私にこれから何が起こるのかを見届けてみようって。
    それがすごく大事なことであるように思えた」

    これは、私が18歳の時に日記に綴った言葉とほぼ一緒。
    私は免色渉やユズのように、完璧主義で徹底している。
    避妊だってぬかりなく、計画外の妊娠なんて絶対に在りえないはずの条件で、妊娠してしまった。
    そして、私はユズと同じように「産もう」って決心した。
    結局産めなかったし、その後も流産を繰り返し、結果的に子宝に恵まれたなかったけれど。
    それでも、あの時思ったこの感情や出来事は、私にとって「あらない」なのかもしれない。
    現実には「無い」けれど、今でもしっかりと「在る」。
    私の人生の核となっている。

  • 面白すぎる、残りあと一冊しかないらしい。あと5冊ぐらい長くてもいいのに。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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