騎士団長殺し 第2部: 遷ろうメタファー編(下) (新潮文庫)

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レビュー : 56
  • Amazon.co.jp ・本 (373ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101001746

作品紹介・あらすじ

「簡単なことだ。あたしを殺せばよろしい」と騎士団長は言った。「彼」が犠牲を払い、「私」が試練を受けるのだ。だが姿を消した少女の行方は……。「私」と少女は、ふたたび出会えるのか。暗い地下迷路を進み、「顔のない男」に肖像画を描くよう迫られる画家。はたして古い祠から開いた世界の輪を閉じることはできるのか。「君はそれを信じたほうがいい」── 物語は希望と恩寵の扉へ向かう。

感想・レビュー・書評

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  • 『騎士団長殺し』は肖像画を専門とする一人の絵描きの男が経験する、人生における喪失と再生の物語だ。
    読了後、深い満足感を味わうと共に、精巧に完成された村上春樹の小説を読んだ時だけに感じる充実感が非常に心地よい。

    僕にとって、村上春樹の小説を読むことは、単なる『読書』ではなくて、体験というか、没入観というか、村上春樹の生み出す文章の波に流され、押し戻される経験を愉しんでいるというか、つまり、非常に言葉にするのが難しいのだけれども、それだけ『特別な』ことなのだ。

    単に「小説を読むこと」と「村上春樹の小説を読むこと」とは、全くベクトルの違った、言うなれば「小説を読むこと」を『朝昼晩の食事をすること』に例えるならば、「村上春樹の小説を読むこと」は、『誰もいないプライベートビーチに面しているコテージで、心地の良い一人掛けのソファにゆったりと身体を沈め、淹れ立てのコーヒーの芳醇な香りを愉しみながら、夕日に照らされ穏やかに輝いている地中海を眺めている』ような感じなのである。

    何が他の小説家と村上春樹とを区別しているのだろうか。
    文章の言い回しやリズム感、そして現実とファンタジーを組み合わせたようなストーリーなどであろうか、それもあるだろうが、一番は村上春樹独特の比喩の使い方なのだろう。
    村上春樹の使う比喩は、読んだ者に強烈な映像描写を与えてくれる。もちろん、それは単なる写実主義ではない。読者一人一人がそれぞれ違って感じることのできる脳内映像を描写させる力、それが村上春樹の持つ比喩の『描写力の強さ』だ。

    この強い描写力を持った村上春樹の文章に浸ると、その時にだけ使われる僕の脳のある部分がことさらに刺激され、そして強烈な脳内麻薬が分泌される。この体験こそが、「普通の小説を読むこと」と「村上春樹の小説を読むこと」の違いなのだと僕は今では思っている。

    これまで数々の村上春樹の小説を読んできたが、幸いにもまだ全部は読み切っていない。この体験をこれからも経験できる幸せを噛みしめながら、次の村上春樹の小説の1ページ目をめくるのを楽しみに、この人生を生きていこう。

  • 一巡目での感想。
    (村上春樹氏の作品は、何度も読み返す度にまた違うものが見えてきて、新たな気付きや、新たな解釈が生まれるので)
    ストーリー展開や結末が分かっていても、再びページを開いてしまうとそこから読み返してしまう。読み返すと止まらなくなる。これは村上作品全てに共通する普遍。
    気に入った音楽を飽きることなく何度も聴きかえすように。

    村上作品は、文章を追うだけでしっかり体感できる。自分の心の中で描かれた情景が揺るぐことない映像として記憶される。
    ピンクのスーツを着たふくよかな女性の後ろ姿だったり(世界の終わり)、イルカホテルに棲む羊男だったり(ダンスダンスダンス)。
    村上作品だけは、何十年も前に読んだ本でも記憶を映像として呼び起こすことができるのは、この「心の情景」が描けている稀有な作家だからだと思う。

    ●心の情景

    まるで女性器のような雑木林の祠の穴。
    屋根裏に棲みついたみみずく。
    「騎士団長殺し」「白いスバルフォレスターの男」「未完成のまりえの肖像画」が置かれたアトリエ。
    谷の向こう側のまるで要塞のような免色さんの白い豪邸。
    会話の合間に眺めた、窓にうちつけられた雨の雫。

    ●「性」「生」「死」

    「性」「生」「死」は、村上作品で一貫して重要になってくる要素。
    なかなか消化できないそれらの問題を、全てをまるごと享受して生きていく。

    今回は「井戸」ではなく「穴」。
    それは、茂みにひっそり隠れた「まるで女性器のよう」で更に「異次元に繋がっている」ことから、子宮を連想する。
    無から有に変わる場所(命が有形化され、魂が宿る場所)、無風だけど水がある(羊水)。
    別次元に迷い込んだ子宮(もしくは狭くて真っ暗な卵管なのか産道)を潜り抜けて再びこの世に生まれ落ちた時、私はもう一度生まれ変わり、ユズに会う決心をする。
    そして、実質的な我が子ではないけれど、ユズの身籠った子供は、自分にとってかけがえのない子だと揺るぎない確信を得る。

    ●「イデア=顕れる」

    ここで顕れたイデアは、内なる自分。
    「罪悪感」「怒り」「内なる悪」「邪悪なる父」の仮の姿、可視化。
    大切なものを奪われ、どこにぶつけたらいいのか分からない怒りのようなもの。
    表立って出ることなく、心の中だけに留められた怒りのような感情を、ただやり過ごして生きてしまった、未消化のままのもう一人の自分。
    昇華しきれてない感情があるものだけに見えるイデア。

    雨田具彦にとって、愛する女性を殺された怒りと、自分だけ助かった裏切りと罪悪感(騎士団長殺し)。
    私にとって、幼いコミを奪われた病魔と何もできなかった罪悪感、ユズが浮気して突然去っていった怒りとそれに向き合えない罪悪感(白いスバルフォレスターの男)。
    秋川まりえにとっては、母の命を奪ったスズメバチへの怒り、心を通わせられない父親への憤り。笙子への罪悪感。(免色家の謎の男)

    私が騎士団長を殺したことで、雨田具彦のイデアは救われる。
    そして、穴の中に入り、コミを失った現実としっかりと向き合う。
    まりえは免色家で、スズメバチや謎の男と対峙する。
    喪われたはずの愛する存在は、完全に失われたわけではなく、今も尚、自分を救ってくれている。

    ●「あらない」(「在る」と「無い」)

    騎士団長の口癖「あらない」には、「在る」と「無い」を両方含んだ「ない」である。
    「在る世界」と「無い世界」で判断しがちだけれど、実は「無くなった」ものは、完全に「無」になったのではなく、「在りながらして無い」のだ。

    ●「顔なが=メタファー=遷る」

    顔ながは、時空や次元を超えた目撃者(冷静に判断できるもの)で、二つの世界の蓋を開ける者。
    屋根裏を覗いた私そのものが、雨田具彦にとっての顔なが。

    ●「顔なし=二つの世界の橋渡し」

    現実の世界(生・肉体)と非現実の世界(死・魂)の橋渡し的存在。
    橋渡しが可能になるアイテムが顔なし次第で都度変わる。(鈴、ペンギンのお守り、完成した肖像画)

    免色渉=顔なし。
    免色渉の肖像画を完成させたから、ふたつの世界を行き来することができた。

    私は冒頭のプロローグで、顔なしの肖像画を描こうとしていることから、何らかの理由で再び向こうの世界に行こうとしているのかもしれない。

    ●穴の中の世界

    穴の中の世界は、子宮の中で命が芽生えることと似通っているように感じた。
    有形が無形になり、無形が有形になる、「在る」と「無い」が通り道となる場所。

    逆らえない運命のようなもの。
    水があれば飲まずにいられないような(羊水)
    川を渡るしか選択肢がないような(三途の川)
    細い穴を潜り抜けるしか道がないような(産道)

    ●二重メタファー=免色渉?

    「1つの精神が同時に相反する2つの信条を持ち、その両方を受け入れることができる能力のこと。あなたの中にありながら、あなたにとっての正しい思いをつかまえて、次々に貪り食べてしまうもの。そのように肥え太っていくもの。それが二重メタファー。それはあなたの内側にある深い暗闇に、昔からずっと住まっているものなの」

    物事には相反する表と裏があり、それがセットでひとつである。日が当たれば必ず影ができる。どちらか一方だけを無くすことはできないけれど、場合によっては影に覆い尽くされてしまうことはある。

    目に見える現実世界の出来事だけでなく、別の世界(想像の世界)も信じてもいい。しかし、免色のように想像の世界に現実まで貪られてしまっては元も子もない。

    現実世界と想像世界を上手に行き来できる柔軟さ、不確かなものを信じる力も大事、でもその信念は時に行きすぎると盲目的になり現実を脅かすものにもなりかねない。

    真実の顕れであるイデア(揺らぎのない真実)観念よりも、メタファー(揺らぎの余地のある可能性)不確かな現実を信じる免色渉は、「まりえが自分の子どもかもしれない」という不確かな可能性を拠り所にするために、半ば強引に豪邸を買い取ったり、笙子を手中に納めたりする。
    人間誰しもが、自分の正しさ(信仰)を追求するあまり、結果的に悪をもたらしてしまうことがある。

    ●最後のユズのくだり

    「私が生きているのはもちろん私の人生であるわけだけど、でもそこで起こることのほとんどすべては、私とは関係のない場所で勝手に決められて、勝手に進められているのかもしれないって。
    つまり、私はこうして自由意志みたいなものを持って生きているようだけれど、結局のところ私自身は大事なことは何ひとつ選んでいないのかもしれない。
    そして私が妊娠してしまったのも、そういうひとつの顕れじゃないかって考えたの。
    こういうのって、よくある運命論みたいに聞こえるかもしれないけど、でも本当にそう感じたの。
    とても率直に、とてもひしひしと。そして思ったの。
    こうなったのなら、何があっても私一人で子供を産んで育ててみようって。
    そして私にこれから何が起こるのかを見届けてみようって。
    それがすごく大事なことであるように思えた」

    これは、私が18歳の時に日記に綴った言葉とほぼ一緒。
    私は免色渉やユズのように、完璧主義で徹底している。
    避妊だってぬかりなく、計画外の妊娠なんて絶対に在りえないはずの条件で、妊娠してしまった。
    そして、私はユズと同じように「産もう」って決心した。
    結局産めなかったし、その後も流産を繰り返し、結果的に子宝に恵まれたなかったけれど。
    それでも、あの時思ったこの感情や出来事は、私にとって「あらない」なのかもしれない。
    現実には「無い」けれど、今でもしっかりと「在る」。
    私の人生の核となっている。

  • 終わってしまってかなしい。
    まりえさんとおばさんの美しさもよかった。

  • 今まで読んだ村上春樹小説の中で一番すっきり読み終えた。彼の描く独特の世界観、好きだなぁ。

    この世界には確かなことなんて何ひとつないかもしれない。でも少なくとも何かを信じることはできる。

    私は何を信じて生きていこうかなぁ。

    免色さんみたいな生活、絶対真似できないけど憧れる。

    騎士団長の「~あらない。」の言い回しが途中からすごくツボだった。そしてなぜかしわがれ声で脳内再生。

    二重メタファーとか、ちょっと理解できないとこも多々あったけど、面白すぎて一気読み。
    5年後に読んだら、また違った解釈ができるようになるかな。

  • 文章の緩急がすごい。急流で流されその後、川幅が広いゆったりとした流れになる。そして、結末は明るいものになることを予感しながら読んだ。
    私が好きなのは、読んでいて映像が思い浮かび、自分がその中の目撃者としてその映像の一部になるような感覚になること。読んだ後、今までの風景が違ったように見える感覚。そういう文章だなと思う。
    自分の予想と違う結果で、すっきりしない感じはある。けど、これからどうなるのかを想像するのをしばらく楽しめそう。

  • 村上春樹作品でこんな終わり方するの珍しい。
    登場人物が皆、魅力的で楽しめた。
    白いスバルフォレスターの男の位置付けだけ最後まで分からず。

  • 読み終わったー。
    まりえが行方不明になったことはすっかり忘れていたけど、免色さんちのクローゼットに隠れるシーンはなせがよく覚えていた。
    これまでの村上春樹の集大成のような一冊だ、という感想は初回に読んだときと変わらず。世界の終わりとハードボイルドワンダーランド、海辺のカフカ、1Q84あたりを包括したような物語だったと思う。
    村上春樹の物語世界で、主人公が子供を育てているということに再度ものすごくカルチャーショックを受けた。小さな女の子が喋っている!と思った。良い意味で。

    免色がつくった完璧なオムレツについて、これ以上にもっとよくできたオムレツとはいったいどんなものだろう? 立派な翼をそなえて、東京から大阪まで二時間あれば空を飛んでいけるオムレツかもしれない、という一文が面白すぎて噴き出した。

  • 面白かった。
    2から一気に読んでしまった。
    おきまりの性描写に慣れるまで1は疲れてしまったけど、慣れてくるとそれも大事な物語の一部だって思えてきた。
    自分の名前が物語に出てくると気がとられて緊張した。
    もう途中からは気にならなくなったけど終盤、励ましや勇気の出る言葉にはかなり救われた。
    信じたいことを誰かと共有できるのは素敵なこと。
    いつか自分にも身を委ねられるほど信じられる人ができるといい。

  • 途中まで、不思議な世界に入り込み、どうなるのかわからなかったけど、案外最後は普通にハッピーエンドで、ちょっと拍子抜けした感がしなくもありませんが、久しぶりに続きが気になって、読書に没頭させられてしまう本でした。
    やっぱり、村上ワールドが好きだな。

  • この作家の長編の作品は途中で読み進めるのが辛くなる事がよくあると思う。
    これも同様だったがそこを抜けると面白さが増してくる。
    最後は収まるところに収まったという感じだ。

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著者プロフィール

村上春樹(むらかみ はるき)
1949年、京都府京都市伏見区生まれ、兵庫県西宮市芦屋市育ち。早稲田大学第一文学部映画演劇科卒。大学在学中にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を国分寺・千駄ヶ谷に開店していた(1981年、店を人に譲渡)。1979年にデビュー作の「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞。谷崎潤一郎賞、読売文学賞、朝日賞など数々の受賞歴がある。2006年にフランツ・カフカ賞、2009年にイスラエルのエルサレム賞受賞。ノーベル文学賞に最も近い作家の一人と言われており、毎年発表時期に日本国内でニュースになる。事実、村上春樹作品は全世界で翻訳されており、アメリカ・アジアでの評価がとりわけ高い。フィッツジェラルドやレイモンド・カーヴァーなどの作品の翻訳も手がけ、翻訳家としての仕事も高い評価を受ける。翻訳と創作活動を交互に行うことで、作風を変化させ、作家としての成長を続けている。新作が発表されるたび大きな話題となるが、近年は特別番組「村上RADIO」にてラジオDJも務め(不定期放映)、数々の名言も注目を集める。代表作に『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』。2019年7月31日に『神の子どもたちはみな踊る』が舞台化。2019年8月7日発売の『文学界』でロングインタビュー「暗闇の中のランタンのように」掲載。アメリカのサックス奏者スタン・ゲッツの伝記翻訳を2019年8月末に刊行予定。

村上春樹の作品

騎士団長殺し 第2部: 遷ろうメタファー編(下) (新潮文庫)を本棚に登録しているひと

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