- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101002026
感想・レビュー・書評
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川端康成よりも、文に肉が付いていて作品の描き方に幅があるが、流れる雰囲気は似通っている気がする。
『春は馬車に乗って』は男女の永遠の別れを描いた泣きの一作(多分本当にこういった作品が得意なんだろう。。)
『機械』の実験的で異質な作風に驚き、もっと生きて作品を生み出していればと思わずにはいられない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「春は馬車に乗って」は、1926年(大正15年)、雑誌『女性』8月号に発表された小説。
横光利一は「新感覚派」の作家と言われた時期がありましたが、本作はその代表作品です。
肺結核で療養する妻と夫。
療養先での二人の会話を通して心の揺れ動きが描き出されています。
これは、横光利一と内縁の妻サキがモデルの、いわば私小説のような作品です。
会話を読み進めると二人の関係が少しずつあぶりだされていきます。
「新感覚派」の作品は、情景描写などで、作者が描きたい事象を浮かび上がらせていきます。
ですので、文章をじっくり読みこんでいく必要があります。
まずは、冒頭にこんな記載があります。
「まアね、あなた、あの松の葉がこの頃それは綺麗(き れい)に光るのよ」と妻は云った。
「お前は松の木を見ていたんだな」
「ええ」
「俺は亀を見てたんだ」
二人はまたそのまま黙り出そうとした。
二人が見ているものが全く違うのです。
これが何を意味するのか・・・。
さらに妻はこんなことを言います。
「あたし、いま死んだってもういいわ。だけども、あたし、あなたにもっと恩を返してから死にたいの」
もし、妻が、夫の女遊びに恨み骨髄でいるとしたら、こんな怖いセリフはないのです。
さらに、情景描写に注意して読みこんでいくと、こんな描写があります。
「海では午後の波が遠く岩にあたって散っていた。
一艘の舟が傾きながら鋭い岬の尖端を廻っていった。
渚では逆巻く濃藍色の背景の上で、子供が二人湯気の立った芋を持って紙屑のように坐っていた」
決して穏やかな情景ではないです。
ここの描写が以下の様な描写だとずいぶんとイメージが違ってきませんか?
「海では穏やかな波間に、春の日差しがゆっくりと降り注いでいる」
この後には、介護をする夫と、病に伏せる妻の壮絶なやり取りが描かれています。
セリフだけでなく、情景描写に注意して読んでみてください。
さぁ、あなたは、どのような印象を持つのでしょう。 -
横光氏への評論家・河上徹太郎の言葉をば…
「文学の神様」といわれるのも、
ツボへはまるようなことをパッと言うからだよ。
実際は神様でもなんでもないんですけれどもね。
素直すぎてほかに色どり、アクセサリーがないもんだから、
坊主が神様になっちゃうんだ。
むっつり腕組みしながら面白いことを言う人だったらしいです。
変化球ではない、良くも悪くもストレートな文。
欝な内容であっても生々しい精気が込められた言葉。
こーゆーの好き。超ストライク。 -
横光利一といえば、川端康成の弔辞が頭を過る。
同じ新感覚派に属しているが、横光の作品は、登場人物や取り上げるモチーフに強さを感じる。(加藤周一は、「横光は、抒情的な要素を拝し、硬い抽象的な言葉を用いて、時代の風俗を反映する長編小説を書こうとした」と記している)
キャラクターに心に残るものがある。
「機械」は心理小説に分類されるらしい。その独自性と読者を惹きこむ手法が面白い。
横光については、他の作品も読んでみたい。 -
良かった。春は馬車に乗っては不幸な話なのだけど、読んだ後本当に幸福な気持ちになれた。
機械は代表作だし、何とも言えない面白さがあったけど、読んだ後の「で何が言いたいの」感がやっぱりある。 -
うちにあるのはカバーがクリーム色の旧新潮文庫なので字が小さいし文庫くさい……だがそれがかえってこの作品群にマッチして乙である。
ちなみに全集は単行本で紙も厚いしずっしりして持ちあまりがするものの、旧仮名遣いなのでこれもまた作品群にマッチしてグーである。
さて。
「機械」と「時間」には複数名でどつき合うシーンが出てくる。
AがBを殴る→BがAを殴る→(なぜか)AとBがCを殴る(笑)。
「眠ったらダメだ」ということで起きている者が寝そうな者を殴る→寝そうな者が寝そうな者を殴る→寝そうな者も起きている者もみんなが盲滅法互いに殴り合う(笑)
このあたりはもう、笑いなしでは読めない(私が変なのか)。でも横光利一は確信犯だと思う。
巨匠・筒井康隆が「機械」が好きで朗読までしたのがよくわかる。筒井さんのスプラスティックみたいだもん。
かといってそれだけではなく、なんだか不安な気持ちにさせられる。「機械」などは山下清の文章みたいに「、」が極端に少ない文体がまたそれを増長させる。
上記2作品以外にも「微笑」といい「睡蓮」といい、油断ならぬ。恐るべし、横光利一。もっと読まれてもよい作家だと思うぞ。全集を読み直そう。 -
10の短編集。発表の順に並べているが、前期と後期の作品では随分と受ける印象が異なり、前者にはなにか混沌とした、後者にはストンと府に落ちた爽やかともいえる味わいがある。作者を取り巻く環境の、中でも「微笑」において、終戦の影響が纏わり付くような印象がある。2020.2.11
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ずっと気になっていた横光利一。漸く読み終わりました。短篇10編収録。中でも印象的だった作品は『時間』『機械』『微笑』の3作品。『時間』は12人の人間達が繰り広げる心理模様が入り乱れて刻々と移り変わっていく様が見事。『機械』も『時間』と同じように心理描写などが細かく記されながら「四人称」設定という目新しく且つ難解な着想が凄い。しかも読み手に不要な混乱を齎さない点も凄いところ。ラストを飾る『微笑』は何とも言えない寂しさがある。冒頭の『御身』は若くして叔父となった青年の挙動が微笑ましい作品。