- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101002446
感想・レビュー・書評
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【読もうと思ったきっかけ】
日本人初のノーベル文学賞受賞作品であり、日本人名作古典を少しずつでも読んでいこうと思っていたから。
【読後の感想】
初の川端康成作品。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」のあまりに有名な序文から始まる物語。
期待値が高すぎたからなのか、面白さが分からなかった。
どれくらい分かりにくいかというと、村上春樹氏の長編作品を初見で読んで、理解できないのと同じか、それ以上に理解しづらかった。
ただ情景描写は、ノーベル文学賞を受賞しただけあって、表現は美しい。
理解できないのが悔しいから、読み終わってすぐもう一度、最初から読み直そうかと迷ったが、少し時を置いてからリベンジしよう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
何度読み、何度教わったか知れない本だが、「夕景色の鏡」以外は毎回内容を忘れる。
年を経て、嫌でも作品を理解できるようになる。もっと嬉しいかと思ったが、理解できないままでいたかったとも思う。
再読あり -
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
有名な書き出しの「雪国」
雪が降ると分かって
昨日から読む
東京からやってきた島村は
雪深い温泉街で芸者の駒子と出会う
駒子は病の許嫁の男の為に芸者になった
男には姉妹弟子の葉子が付き添う
慕いながら嫌悪感の漂う駒子と葉子
お互いに気持ちがありそうで距離を保つ島村と駒子
複雑な糸が絡みあう
多くは語らない登場人物達の関係と思い
真っ白で白い世界の白と冷たさ
酔った駒子の頬の赤と熱さ
美しく妖艶に感じた -
本当に月並みな感想を述べさせてもらうなら、これまで読んだどの文学作品よりも「美しい文学」だと思った。確かに現代の感覚では理解がし難い描写や、ヒロインが芸者という日常馴染みのない人物であるので難解に感じるが、何度も読み返せば読み返すほど行間に閉じ込められた官能や切なさを味わえるようになっている。だから時間をおいてもう一度、二度、三度読みたい。そう思った。
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有名な冒頭で始まる名作。難しさがあるのに、なぜか吸い込まれるように一気に読み終わりました。雪国の寒さが漂ってくるような描写。人の心の機微。名作と言われる理由がわかったような気がします。
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美との接点は己の消失点。いつも予感のようなものとして感じられるのみ。
令和四年六月以降の新潮文庫版には、堀江敏幸さんの「寒気を共有すること」が載ってます。伊藤整の文ももちろん載っています。
おこがましくも評価をつけ、無理をして感想を書きました。
「なんも言えねー」とさえ言えねーというのが正直な感想。美しすぎることに対する読書の胃もたれを喜んでおります。また読んでしまうなー、これは。 -
恥ずかしながら冒頭しか知らない「雪国」
高橋一生さんのTVをチラ見して、雪に閉ざされた空気感とか会話の感じがなんかいいなぁと思って、読んでみようと思いたった。
けど…情景の描写とか綺麗だなあと思いつつ、駒子の会話の振り幅についていけなかった。
ノーベル文学賞なのに私の力不足で残念だ。 -
自分は九州出身なので、“雪国”ってだけで静謐な異界に突入した気分ですが、雪国出身の人だと感じ方が違うのかな?でもトンネル抜けちゃったりすると、そこはもう異界ですね。
前半では「川端康成って歳とっただけで、やってることは伊豆の踊り子の頃と変わんないじゃん」と言う身も蓋もない感想が頭を過ります。大人になってズルく図太くなっていますね。時代性なのか主人公の出自によるものなのか、鈍感な一面は相変わらずです。一方で駒子にはある種の純粋さも垣間見えます。駒子に見送られて雪国を離れるまでで話が一つ完結している感じ。そう言えば伊豆の踊り子でも冒頭でトンネル超えてましたね。
東京の妻に「田舎の蛾に卵産みつけられんじゃないわよ」(こんな下品ではありませんが)と釘を刺された後半は駒子との関係も少し倦んできます。駒子の生きづらい純粋さは葉子が肩代わりして持っている感じ。しかし、女性の唇をヒルに例えて美しいと言う川端はヤバいですね。
10年後に書き足されたと言う最終章雪中火事は、星降りしきるなか舞い上がる火の粉、沸き起こる水煙と誰もが幸せになれないカタストロフでありながらも凄絶に綺麗。でも必要ですかね?
駒子はまた重荷を背負わされた気がします。
読み終えて数日、思うように感想が書けず改めて読み返してさらに数日。手強かったです。 -
ことごとくわからなかった。川端康成の作品を読むのは初めてだったし、高校の時大好きだった古典の先生が「雪国」に出てくる葉子が理想の女性と言っていたのを聞いたりしていたから、期待感抜群で読んだのだけど、あんまり楽しく読めなかった この「わからない」という感覚は安部公房の小説や、カミュの異邦人を読んだ時ぶりかもしれない。(「わからない」感覚の毛色はそれぞれ全然違うけど)
自分の読解力の足りなさを悔しいと思うとともに、「きっとこのわからなさがいいんだろうなぁ」とも思った。本の最後の解説で、「(雪国という小説が)大変音楽的な美しさと厳しさを持っている」と書かれていて、「だからわからなかったんだ!」と素直に納得できた。
同時に「散文というより俳諧に近い」とも。
私は散文として「雪国」を読んでしまったけど、詩として読んでみるともっと楽しめたのかもしれない。終始その「わからなさ」に苦しんだものの一つ心に残った大好きなフレーズがある。
『なんとなく好きで、その時は好きだとも言わなかった人の方が、いつまでもなつかしいのね。忘れないのね』
この言葉は、まさにこういう経験をしたことのある私の心にブッ刺さった。きっとことあるごとに思い出すフレーズになるに違いない。こんなセリフとおんなじようなことを言っている作品は多分ごまんとあるんだろうけど、たとえ同じようなことを言っていたとしても、この「雪国」の駒子の言葉ほど爪痕を残さないだろうと思う。
そういう意味では、本当にこの本は、そして川端康成の文学は、詩的で、美しいものだなあと思ったりした。 -
美的感覚が鋭く、自らの感情を客観的に描写し続けながら生きる島村だからこそ、駒子への情熱の変化に気づいた時苦しかっただろうな、と。
そしてその島村の変化に気づいた時の駒子のシーンも非常に良い。というよりも、駒子は一時点で気付いたというよりは徐々に島村が想う人が自分じゃなくなっていることに気づいていたのだろうと思う描写が何度もあった気がする。
生きるということに一生懸命だった状態の人生に色がついたと思ったらその色もあっという間に別の場所へ移ってしまう。
嫉妬もあったはずだが基本的にはそれを表には出さないところに駒子の強さを感じるし、だからこそ塞ぎ込んでいた島村への思いが突如爆発したシーンは心にくるものがあった。
ラストシーンで駒子は何を思っていたのだろう。
難しいが読み応えのある作品だった。