大和路・信濃路 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101004068

感想・レビュー・書評

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  • ただ、或はこういう日本の古い歌物語だの、或はこういう西洋の輓近の詩だのを前にしながら、文学というものの本来のすがたをしばしば見なおしてみたりする事は、あまりに複雑多岐になっている今日の文学の真っ只中に身を置いている自分のごときものにとっては、時として、大いに必要なことではないかと考えているからに他なりません。少なくとも、僕はそういう古代の素朴な文学を発生せしめ、しかも同時に近代の最も厳粛な文学作品の底にも一条の地下水となって流れているところの、人々に魂の平安をもたらす、何かレクイエム的な、心にしみいるようなものが、一切の良き文学の底には厳としてあるべきだと信じております。(74p「伊勢物語など」より)

    昭和7年から18年にかけてのエッセイを順番に載せている。この前読んだ「かげろふの日記」の背景を成す堀辰雄の信条であり、加藤・福永・中村などの東大の学生たちとの交流が始まる前と最中の彼の心持ちが書かれている。池澤夏樹の解説でこの本の存在を知って紐解いた。

    折口「死者の書」を読んで、自分にも何か古代小説が書けないかと思って大和路に向かい、やがて倉敷の大原美術館のエル・グレコの「受胎告知」を観に行く堀辰雄。思った以上に「死者の書」に影響を受けていたことにびっくりした。

    大和路を歩きながらの堀の思い、古代人のレクイエムを小説化したい、をひしひしと感じる。しかしどうやら、戦争と病気がそれを現実のものにしなかったらしい。ただし、「曠野」はまだ読んでいないので、いつか読みたい。

    昭和10年辺りの大和路と、現代のそれは、かなり隔たりがあるには違いない。それでも比較的むかしの面影を保っているのがこの地域だと思う。堀辰雄の歩いた道筋をいつか歩いてみる旅というのも面白いだろう、そして彼が果たせなかった小説構想を想像するのも面白いだろう、と思った。

  • 文庫で入手出来るなかで一番好きな本。
    最愛の作品である「木の十字架」が収録されている。

  • 昭和12年、14年、16年と大和、斑鳩への旅に出かけ、
    小説のモチーフに思いをはせる様子が、伺える。
    昭和18年の春、木曽路を通って、伊賀から大和に出た道中が、信濃路になる。

  • 収録内容は以下の通り。

    狐の手套
     一 (芥川龍之介の書翰に就いて)(昭和7年9月26日 発表)
     二 「文芸林泉」読後(昭和9年7月 発表)
     三 クロオデルの「能」(昭和12年7月1日 発表)
    雉子日記
     雉子日記(昭和12年1月 発表)
     続雉子日記(昭和12年2月 発表)
     雉子日記ノオト(昭和12年3月 発表)
    フローラとフォーナ(昭和8年7月 発表)
    木の十字架(昭和15年5月 脱稿)
    伊勢物語など(昭和15年4月 脱稿)
    姨捨記(昭和16年6月 脱稿)
    大和路
     十月(昭和18年1月 発表)
     古墳(昭和18年2月 発表)
     浄瑠璃寺の春(昭和18年6月 発表)
     「死者の書」(昭和18年7月 発表)
    信濃路
     辛夷の花(昭和18年3月 脱稿)
     橇の上にて(昭和18年2月 脱稿)
    雪の上の足跡(昭和21年2月 脱稿)
    丸岡明: 解説(昭和30年10月 発表)

    主に、堀辰雄のエッセイと対談式の小説を集めたもの。
    フランス文学や折口信夫について、また、紀行地についての知識が無かったために、内容のほとんどを消化できなかったので、再読する必要あり。

    カバー装画は難波淳郎。

  • (01)
    芥川龍之介,斎藤茂吉,藤沢清造,室生犀星,リルケ,プルウスト,クロオデル,チェホフ,ニィチェあたりを端緒に,日本の古典では,伊勢物語,更科日記,そして万葉集に及び,ソフォクレェスにも触れながら,挽歌をキーにした文学論を展開する.同人ともいえる立原道造へのレクイエムも綴られるし,やや先を行く折口信夫へのリスペクトも露わにしている.
    しかし,単に文学論として本書に収められた雑文を読むのは,惜しい.軽井沢と奈良盆地に停滞する著者の行動やその記録(*02)には,可笑しみがある.
    原稿が手に付かず,大和の古寺や廃墟をさまよう姿は,現代的である.雪原での徘徊や,教会のミサへのゲリラ的な侵入など,当時の文人たちとそれを取り巻く社会が,彼ら彼女らの出会いやエピソードを容易にしたということも考えられるだろう.

    (02)
    風景描写の美的感覚として,著者が人麻呂など万葉集に見出した風景とそこに無き(亡き)人物という取り合わせという方法が試されている.それは日本の風土に生まれ育ったわたしたちにも,抗いがたい美しさを提供してくれてはいる.特に「落ち」と呼ばれる結句による余韻などは,ここに収められた随筆でも遺憾なく発揮されている.
    芥川龍之介による龍安寺石庭の評の引用,プルーストのフローラなどの花や草や石に関する問答が,その風景の先に届こうという著者の手探りにも感じられなくもない.

  • 堀辰雄は自然主義(私小説)作家ではない、とされている
    しかしその作品が
    基本的に作者自身の体験をベースとして書かれていることは
    どうやら間違いのないことで
    なんだかよくわからない
    グレーである

    堀辰雄は、自身の体験をベースに小説を書く人だったのだけど
    そういった営みの中では
    たとえば、愛する人の不幸が予想されるような状況において
    そのことに、「ネタ」としての期待を寄せてしまうこともあった
    そんな絶望を敢えて書き記したのが「風立ちぬ」である
    それは
    「地獄変」や「歯車」に見られる芥川龍之介の苦しみと通じるものだった

    しかし芥川の死に影響を受けて以降
    ようするに、デビュー直後から
    堀の書くものは常に、生と死のはざまにあるグレーゾーンをこそ
    日本人にとっての理想の境地とみなしてきた
    それもまた確かなことであろう
    そこに物語は存在せず
    ただ、日本の美しい自然と、それにまつわる出来事が
    漠然と浮遊するばかりである
    戦時中に書かれた、この「大和路・信濃路」は
    谷崎の「細雪」や、川端の「雪国」に並んで
    近代日本文学の、ひとつの結論的なものと見なすべきではなかろうか

  • アメリカ転勤に際して、奈良が大好きな私に大切な友人がプレゼントしてくれた一冊。
    「古代を題材に小説を書く」ために奈良をあるく著者の立ち位置が、同じ随筆でありながら和辻哲郎の「古寺巡礼」とは異なった視点で書かれていて、読んでいて興味深い。
    実際に訪れたことのある古寺や路を著者と一緒に歩く気がしてふと読み返したくなる一冊。

  • ●「狐の手袋」
    ・「(芥川龍之介の書簡について)」……稲妻型の奇跡。
    ・「文芸林泉」読後……室生犀星について。言葉の一歩手前。
    ・「クロオデルの「能」」……ワキ・シテ論。★

    ●「雉子日記」
    ・「雉子日記」
    ・「続雉子日記」
    ・「雉子日記ノオト」

    ・「フローラとフォーナ」……植物と動物。プルーストは植物好き。
    ・「木の十字架」……室生・芥川→堀辰雄→立原道造。

    ・「伊勢物語など」……レクイエム、文学の本来。
    ・「姨捨記」……「かげろうの日記」→「ほととぎす」→(古今和歌集も受けて)→「姨捨」

    「大和路」
    ・「十月」……妻あての手紙、1941/10/10~10/27、奈良で小説の構想
    ・「古墳」……エル・グレコ。
    ・「浄瑠璃寺の春」……馬酔木の花。
    ・「死者の書」……唯一の古代小説。

    「信濃路」
    ・「辛夷の花」……妻「あの花を見なかったの」
    ・「橇の上にて」……雪山への思慕。

    ・「雪の上の足跡」……ペテロの裏切りと、女たちの涙。夕日。

  • 大和路を歩く前に読んでいただきたい本。これが書かれて半世紀以上になるが、美しい言葉で切り取られた東大寺、秋篠寺など、古の都・寧楽の景色は1300年の時を経ようとも何ら変わってはいない。

  • 奈良のマイナーな地名がいっぱいでてくる。田舎の風景はあまり変わってないね。

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著者プロフィール

東京生まれ。第一高等学校時代、生涯親交の深かった神西清(ロシア文学者・小説家)と出会う。このころ、ツルゲーネフやハウプトマンの小説や戯曲、ショーペンハウアー、ニーチェなどの哲学書に接する。1923年、19歳のころに荻原朔太郎『青猫』を耽読し、大きな影響を受ける。同時期に室生犀星を知り、犀星の紹介で師・芥川龍之介と出会う。以後、軽井沢にいた芥川を訪ね、芥川の死後も度々軽井沢へ赴く。
1925年、東京帝国大学へ入学。田端にいた萩原朔太郎を訪問。翌年に中野重治、窪川鶴次郎らと雑誌『驢馬』を創刊。同誌に堀はアポリネールやコクトーの詩を訳して掲載し、自作の小品を発表。1927年に芥川が自殺し、翌年には自身も肋膜炎を患い、生死の境をさまよう。1930年、最初の作品集『不器用な天使』を改造社より刊行。同年「聖家族」を「改造」に発表。その後は病を患い入院と静養をくり返しながらも、「美しい村」「風立ちぬ」「菜穂子」と数々の名作をうみだす。その間、詩人・立原道造との出会い、また加藤多恵との結婚があった。1940年、前年に死去した立原が戯れに編んだ『堀辰雄詩集』を山本書店よりそのまま刊行し、墓前に捧げる。1953年、春先より喀血が続き、5月28日逝去。

「2022年 『木の十字架』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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