春琴抄 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101005041

感想・レビュー・書評

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  • 北野武監督の「dolls」でも似たようなエピソードがありましたが(確か深キョン)、完全なる奉仕・M形態の愛。谷崎潤一郎のカッコよさがあらわれる作品です。

  • 愛の形っていうのもごまんとあるだろうけど、これもひとつの究極形だと思う。傍若無人美女と従順な男という組み合わせにも心引かれた。

  • 句読点がないのにすらすらと文章が入っていく。
    映画を最初に観たからかな。山口百恵と三浦友和の。

    2人の愛のかたちは変わっているけれど、曲がってはいない。と思う。

  • 後半のあのシーンは、主人公なりのひたむきな愛の形だったのだと私は思う。

  • 昭和8年に「中央公論」に発表された中編小説。9歳で失明した春琴は音曲の稽古へ向かうのに、4歳年上の佐助という丁稚をお供にしていた。佐助は、美貌で強情気儘な春琴に強い憧憬と畏怖をもって忠義に仕え、その主従であり師弟でもある関係に幸福を見出していたのだった。
    これぞ谷崎、というくらい倒錯しちゃった男女間の愛情を描いた作品。「痴人の愛」がダラダラときりがないのに比べて、こちらは行くとこまで行ってしまっていて、いっそ気持ちがいいというもの。(いや、でも、アノ場面は気持ち悪いことこの上ないが。)

  • 佐助どん、まじドM。 春琴と佐助、どちらに感情移入できたかで読む人の性癖がわかるかも? 自分にはSッ気もMッ気もほどほどにある事に気付かされました。

  • やっぱりこの人変態だ。
    変態を美として成立させてしまうなんて。
    脈絡がっちりあって、理解できないとか心理描写が少ないとかいう評価意味わかんない。
    分かりすぎる。にじみ出てる。完璧。

  • 最強ツンデレここに在り!!!!ツンデレです。ツンツンツンデレくらいかな??

  • 少しでも同じ世界にいたくて望みを叶えてあげたくて、結果として自分で目に針を刺して失明するのも限りなく究極で盲目な愛情といわれればそうだと思う。お互いがそれで良いのならそのままでいればいい。

    文章は綺麗だけど、句読点がないとやっぱり読みづらい。
    畳み掛ける印象があるのに進まないような違和感。

  • 「鵙屋春琴伝」をベースに創られた、谷崎潤一郎の倒錯の世界。現実から飛び降りたい時に読みたい一冊。暮れなずむ頃に暗い部屋で、1人で読みたい。季節は春がいい。

  • 谷崎潤一郎三作目。

    『痴人の愛』『谷崎潤一郎 マゾヒズム小説集』ときてコレ。

    いきなりですが、この作品の最大の萌えポイントは、なんと言っても、春琴女の「関西弁」であります。
    あの関西弁で罵倒されている佐助や弟子が、羨ましくてたまりません。

    この春琴女、サディストというよりは、我侭と言ったほうがいいのかも知れませんが、作中、一度だけデレます。
    そのデレポイントが、「佐助が春琴女のため(本当は自分のため?)に目を潰したことを報告した時」という凄絶な所業のあとなのであります。

    サディスト≠ツンデレだと、私はそう考えるのですが、このデレのために、長々とした前置きが在ったようにも見え、むしろ「ツンデレ春琴萌え」みたいなものを表現した本であるようにも思いました。

    まぁ戯言です。

  • 本の厚さはめちゃくちゃ薄いけど内容はめちゃくちゃ濃い。最初に読んだときは顔を怪我し、それを佐助に見られたくない春琴のために、嘘をつけばいいのに自分の目を潰す佐助の行動こそ愛だという印象を受け、その後の二人の生活が読んでいて美しいという印象を受けた。再読してみると、佐助の行動が少しあざといような印象を受けた。春琴の襲ったのが誰であるかは作中では明記されていないので、犯人が誰であるか誰であるか自分で想像しながら読むと、いろいろな味わい方ができる作品。犯人を佐助と仮定して読むと、佐助の行動は本当にあざとい。

  • 話の毛色や運び、要所々々の表現は嫌いではないが、
    句読点のあまり無いあのダラダラした文章自体が
    どうにも好きじゃない

    あの文体って何がいいんだろう

  • 盲目の師匠・鵙屋春琴に仕える弟子・温井佐助の話。
    あまりにも献身的な所作は愛によるものなのか、被虐趣味なのか。

  • ちょっと目に付いたので読んでみました。
    私としては、佐助のようにはちょっと考えられないな~
    と思いつつ、こういう人もいるのだろうな~ってなところです。
    一方で、春琴のような女性にも巡り合ったことはないですね。
    深窓の令嬢なんて時代ではないのでしょうかね。

  • 昭和8年、「中央公論」に発表。師弟でもあり、実際上の夫婦でもあった春琴と佐助の、愛の物語。

    これは、愛なのか?それとも「単なる嗜虐的精神病理学の臨床報告」(解説)なのか?
    どんな意図で書かれても、どんな評価を人がしても、作品は作品。
    心地よい美しい文章が織りなす、濃密な世界に涙が出た。愛の物語以外の何ものでもない。
    句読点は少ない、古文調、漢字も難しい、注解あり。正直、読みにくい。薄い本なのに時間がかかる。けれど、きっとこのままでよい。このままで、慣れるまで何度も読みたい。

  • 谷崎潤一郎の、延々と続く長い文章が新鮮だった。
    どことなく言い訳がましいような文体で、しっかり話が進んでいくのだから不思議だった。まるでジャングルの中をかきわけ進んでいくかのような感じの中で、佐助の盲目的な献身のありさまなどを見て、面白くもあった。
    一気に読めて、話の情景の中に入り込める。読書とはまさにこれよ、という感じの本だった。

  • 自傷は苦行ではなく天界への路に過ぎないと言い切る佐助。
    最早春琴と歪に絡み合い離れられず、蓋し織り成す愛は
    他を寄せ付けず、異様に深く、美しい。

    いびつで理解出来ないけれど、
    必然だったに違いないという気になる。

  • 難しい…(´・ω・`)

    みんなはこれは「美しき敬愛」とかなんとかいうんだが私には行き過ぎた愛にしか感じられなかった。
    もうちょっと方法はあったと思うんだけど春琴の場合しょうがないのかなぁ…

  • 久々の再読。その昔、本屋さんで最後まで立ち読みして以来だった。あのころは暇だったんだな……、今回は薄いけどかなり時間がかかった。
    悪くはないが伝聞形式の文章が回りくどくてちょっとめんどくさい。これだけ濃い恋情を描くなら独りよがりになっても当人に語らせたい。そしたらもっと深く、濃密に二人の関係が鬼気迫まって読者をぞくぞくさせると思う。だから語りがいることで作品と読者とのあいだにも隔たりができ、のめり込めなくて物足りない。でも谷崎読破を目標にこれからも谷崎作品は読んでいきたい。

  • 少々いびつな。文体は心地良いと感じました。

  • 初めて読んだ谷崎潤一郎。
    盲目の師である愛する春琴に一途に使える佐助のお話。
    …と書くとほわわんとするけど、読後に妙な気持ち悪さが残る。
    決してバッサリ切っちゃう不快な展開や愛の形とは思えないのだけど、
    妙に俯瞰した視点から語られるせいか(佐助自身の言葉が余り無い?)
    佐助の偏愛が、ただただ私から程遠すぎる場所にあって、
    全くすんなり心に落ちてこなかった。
    圧倒的な愛を「どうだ!」と見せ付けられて「強烈です」としか返せない呆然の私。
    それほどの愛。

    それほどの愛なのに佐助はどこか現物の春琴を媒体として
    自分の描いた理想の春琴を崇拝しているように見える。
    二人の時間と距離は密度が濃いし、
    その行動から偽りはないのにどこか絵に描いたものみたい。

    批判的な感想文ですが、決してキライなわけではなく。
    腑に落ちないけど惹かれてしまう、また読みたいと思う1冊。

  • 『偏愛』『盲目』『崇拝』... 潤一郎はんの作品は赤く濁ったどろどろの血のように、倒錯した生臭いストーリーを描きながらも、、、結局小綺麗に凡人たちの書架を飾っているから不思議。。。



    この小説は、「鵙屋春琴伝」という小冊子をもとにしているらしい。幕末~明治が舞台となっている。主従であり•師弟であり•相弟子であり•夫婦であり•SMの女王様と奴隷であり(!)•赤子の様な妹と甲斐甲斐しい兄である(?)、一組の男女の、異様な“盲目の”至福に慄える人生の悲劇を第三者の視点で記録している。


    1.盲目を貫く
    盲目の奏者•春琴の美貌が失われた際、佐助は自らの眼球を針で貫いた。そして、彼にとっての“春琴”を、彼が愛してやまない春琴の美を鑑賞する権利を、永遠に得ることができた。と少なくとも私は思う。
    (先端恐怖症の私にとっては、読むに耐えない場面だった...)

    これに対して、佐助は‘精神的’にも終始“盲目”を貫いている。春琴が威厳をなくすようなこと、弱気になることは一切認めず、自ら下僕のように接していたことからそう思う。「ワガママで破天荒な春琴にこき使われて可哀想な佐助」という像は表面的で、実際は佐助の「地位•家柄•美才」といった概念を具現化した存在になるべく春琴は存在してたように思う。

    結局、佐助は一生を愛する春琴に捧げ尽くしてきたのだけど、彼が真に愛したのは、現実に存在する春琴ではなく、彼の理想とする春琴像であったように感じる。

    2.第三者の視点
    終始第三者の視点で語られている。作中にも似た記述はあったけど、それは最後まで「本当に二人が感じていた世界をみることはできない」ことを暗示しているようであった。
    1.盲目を貫く 、の最後に佐助が結局愛したのは云々~~って偉そうに推測したけど、それだって本当のところはわからない。というのも、佐助の視点も、春琴の視点も、一度だって当人の言葉で語られたことがないのだから。

    いつの時代だって、人と人との関係は(殊に恋愛においては)当人達にしかわからない、あるいは当人達でさえも気付いてないことが、数多くあるのかもしれない。

  • 独特な倒錯的世界観
    谷崎潤一郎ほんと変態だなー

    佐助はほんとに春琴本人を愛しているというよりも自分の理想を愛しているだけという感じがした。
    春琴本人には特に魅力を感じなかった。ただのわがまま娘といった風情。佐助はほんとドM野郎。献身的っていうより多分そういうのが趣味なんだろう。

  • 初めての谷崎潤一郎。良いなぁ、他のも読んで行こうっと…♪
    心理描写がないって批判があるって解説に書いてて初めてそうかな?と気付いた。仰る通り、台詞と情景描写で十分わかるよねぇ。

  • 第三者の視点から書かれていることによって、より想像の余地が残っている。
    本音の部分のようなものはなく、結局最後まで互いの本当に考えていたこと、は想像するしかない。
    想像するしかないが、それがいい、というのが一種のマゾっぽい

  • これぞ純愛のかたち。盲人と盲人との間に交わされる想いが、甘美な陶酔となって読者をの心を揺さぶります。
    荒んだ現代人の心に効く一冊。
    読んでいて目頭を熱くしました。

  • 声に出して読んでみて、音のきれいさに驚いた。
    薄い本だけど読みごたえ抜群。
    繰り返し読みたい、自分にとっての近代文学入門書。
    こんな言葉使えるようになれたらいいなぁ。

  • 二人だけの閉ざされた世界に陶酔し生きる様は、痴人の愛と通ずるものがある。
    ナオミと譲治の方は露骨に性的倒錯に堕ちていったが、この二人は盲目という障害を持った故に必要以上に美化された世界に生きていたように思う。
    そういった意味では、痴人の愛はエゴイズムさえ垣間見るような退廃的な官能美であるのに対し、春琴抄は高尚で潔癖ともとれる純愛の成れの果てではないだろうか。

  • 痴人の愛も良かったが、たんたんとした文章から佐助のマゾヒスティックさを読者に垣間見させ、想像させる谷崎の手腕に惚れ惚れした。盲人は目が見えない立場に立つことによって逆に健常者が見れないものを見るとは山口昌男が言っていることだが、佐助は両目を潰すことで何を見たのであろうか。

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著者プロフィール

1886年7月24日~1965年7月30日。日本の小説家。代表作に『細雪』『痴人の愛』『蓼食う虫』『春琴抄』など。

「2020年 『魔術師  谷崎潤一郎妖美幻想傑作集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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