春琴抄 (新潮文庫)

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レビュー : 745
  • Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101005041

感想・レビュー・書評

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  • 昭和2年4月 芥川龍之介の『文芸的な、余りに文芸的な』で谷崎潤一郎と「物語の面白さ」を主張する谷崎に対して「物語の面白さ」が小説の質を決めないと反論…文学史上有名な論争を繰り広げたという。
     ただ、芥川は新現実主義で、谷崎は耽美主義 特に女性への崇拝・マゾヒズム・日本の伝統美という関係から、僕自身は両者は相容れないものがあるので論争そのものは平行線に終わったのではないか、そして昭和2年7月に芥川は自殺しているので、決着はついていないだろう。
     永井荷風に認められ、「恐ろしくも妖しい美の幻想と新奇な魅惑に富む有望な作家」と称えられたそうです。
     谷崎の小説を多く読んでいないので何とも言えないが、この小説は、谷崎の独特な美の世界の表現・文学観が窺えるように思う。解説には、美的恍惚の極致と表現されています。
     そして、あえて心理描写は抜いていると言われています。(そういえば、そうかもって感じかな。)

  • 単なるサドマゾ小説ではない。
    幼い頃に盲目となった春琴は、生来の陽気な性格もなりを潜め、だんだんと気難しく陰鬱な性格へと変化していく。盲目の世界に生きることになった彼女は、自分を真に理解できる人間はいないと感じただろう。孤高の世界に生きる彼女の感情が周囲の人間に対する粗暴さとして発露されていく。
    なぜ彼女は執拗に激しい指導を続けたのだろう。それは、三味線を通じて自分と共感できる人間を探すほかなかった彼女の悲しい身の上に因るのではないか。その心を受けとめ続けた佐助との距離は、体を重ねて子供が生まれても、苛烈な指導に耐えていくら佐助の三味線の腕が上達しても、縮まりこそすれゼロになることはない。
    読む者全てに身をよじらせるクライマックスの記述の後、佐助は春琴の住む世界を理解し、彼女の奏でていた音楽の真価を知る。春琴はそれまでの態度からは考えられない優しい言葉(この「痛くはなかったか」が私的には最高の文言。息遣いや声色まで鮮やかに表現されていると感じる)を佐助にかけ、彼を受け入れ、ようやく二人はひとつになる。
    彼らにはその道しかなかった。なぜなら、大怪我をした後の春琴の顔を佐助が見てしまえば、憐みの気持ちが生じるかもしれない。そうすれば、二人は絶対に同じ位置に立つことはなくなるからだ。
    人生の理解者を見つけるのはかくも痛く、悲しく、そして難しい。

  • サイモン・マクバーニーの舞台「春琴」を見て、20年ぶり?くらいに再読。句読点が少なく、昔の文庫だから文字も小さくびっしり。その字面にくらくらし、文章のすばらしさによろよろし、谷崎の世界観にフラフラした。この短い中にある豊饒さ。他の作品も久しぶりに読みたくなった。

  • 盲目の美女、春琴と、彼女に師事する佐助の痛切で、美しい物語。
    春琴は元来きつい性質の持ち主であったが、琴の才と不具者であることが手伝ってそれを増長させていた。
    それ故にとかく敵をつくりやすかった。
    ある晩、寝床を襲われその美しい顔に熱湯を浴びせられるのである。
    佐助は、それをいたく悲しみ、彼の目を自ら針で潰し、春琴の美を永遠のものとした。


    75「然るに如何なる因縁にや、それより数十日を経て佐助も亦白内障を煩ひ、忽ち両眼暗黒となりぬ。佐助は我が眼前朦朧として物の形の次第に見え分かずなり行きし時、俄盲目の怪しげなる足取りにて春琴の前に至り、狂喜して叫んで曰く、師よ、佐助は失明致したり、最早や一生お師匠様のお顔の疵を見ずに済む也、まことによき時に盲目となり候もの哉、是れ必ず天意にて侍らんと。春琴之を聴きて憮然たること良々久しい」

    80「それにしても春琴が彼に求めたものは斯くの如きであった乎過日彼女が涙を流して訴えたのは、私がこんな災難に遭った以上お前も盲目になって欲しいと云う意であった乎そこまでは忖度し難いけれども、佐助それはほんとうかと云った短かい一語が佐助の耳には喜びに慄えているように聞えた。」


    なによりも美しい文体。
    痛々しい物語を痛々しいと感じさせない表現。
    彼は、「転瞬の間に内外を断じ醜を美に回した」のである、これは滅私奉公の話ではない、彼自身の満足感を春琴のそれに投じ、「至極の愛の形」をつくったのだ。
    私は「愛」のためには自らの目を潰せないかもしれない、だがそれが自分の最も望んでいる形でありその行動の結果が愛になるのであれば。
    私も佐助と同じ道を選ぶかもしれない。

  • 薄いからと侮るなかれ。中身はぎっしり詰まっています。
    あまりこういったお話は読まないのですが、春琴抄は大好きです。
    ですがなぜか春琴抄が好きだという白い眼で見られます。SMぽいから?
    でも私はこの佐助の春琴に対する深すぎる愛が羨ましいのです。
    句読点がなく文字ばかりで一瞬読むのをためらってしまいますが、読み始めるとすらすら流れるように読めるので、私のように文学初心者でも入りやすいのではないかと思います。
    好きすぎて手放したくない一冊です。

  • すごい愛のお話

    もし私が春琴なら、たしかに同じような態度をとってしまうかもしれない
    春琴は私のためにここまでしてくれるという愛を感じるとともに
    そこまでさせてしまった罪を感じていきていたんじゃなかろうか
    ただ、同じフィールドにたってくれたことで愛の深さは尋常じゃないね
    そこまで愛して欲しいと思う反面、怖いとも思う

  • 春琴を嫌いになることは、佐助にとってはもはや、自分自身の人生を否定することと同じだったかもしれないね。確かにまるで宗教のよう。でもそれも愛には違いないんだろうなぁ。

  • 盲目の美学。

    師弟・夫婦・主従・SM。
    その全てを兼ね備えているようで、それらを全部超えている春琴と佐助の関係。2人のやりとりではなく第3者が伝え聞いたり読んだりした視点で描かれているので静かに狂っている感じ。短い小説なのに読んだ後の余韻がすごい。

    ほとんど句読点がない文章だけど意外に読みやすく、次第に脳内で「、」や「。」を想像しながら読んでいくのが快感になっていった。

    純文学の美しさ・艶めかしさにしびれる1冊。

  • 春琴抄という小説に、己の眼に針を刺す描写があってね、それがすごいんだよ―こんな話を聞いたらば読まずにはおれますまい。

    春琴に惚れ込み仕えていた門人温井佐助建之がすごい。恋慕の情もここまでくると狂気。春琴と同じ世界に生きるために、春琴に認めてもらうために、己が惚れた春琴像を守るために、自ら望んで盲目になるその心…ブクログのマゾヒズムのタグに納得しました。このような犠牲的な生き方や精神は儚くもかいがいしく美しささえ感じられますが、同時に底深い哀しみと依存に満ちた陰気が充ちていて、閉ざされた世界に生気が奪われる気がします。人間というのは、あまりに受け入れ難い現実には耐えることができず、佐助のように自らの内に聖人聖地を創りあげそれとともに生きる、そんな選択をすることもあるのだと…。


    縫い針で眼球を突く描写は、えもいわれぬインパクト。

  • ここまで人は誰かを愛することができるのかと。怖くもあり、羨ましくもあり。

  • お気に入りだと教えてもらって読んだ小説です。
    初の谷崎潤一郎。

    とにかく盲目的な愛。愛なのかな。
    終盤に佐助が目を刺す場面は、痛いのが嫌いな自分には目を背けたくなるような行動でした。
    けれど見えなくなる過程の表現がまた美しくて、忘れたいのに文章のせいで忘れられません。

    句読点が少なく読みにくいかもと聞いていましたが、時々古い言葉につまづくくらいで、逆に読みやすいです。とにかく文章が美しい。短い中にぎゅっとつまった映画を見ているようでした。

  • この二人の関係性は、はっきりいって狂ってると思う。

    その狂気をこうも狂気であるように感じさせない、ああ、こんなことがあっても良いかもなあ、と思わせるのは、谷崎潤一郎の文章力なのかもしれない。

  • 高校時代の現代文で(一部分を)読んだことがありますが,その全貌は知らなかったので本屋さんで手に取りました。

    琴の名人,春琴は盲目の美女。
    佐助はその使用人というかお弟子さんというか丁稚。

    「高校時代には,春琴の顔に傷を負わせたのは誰か?」っていう議論をしたのを覚えています。
    ストーリーもさることながら,美しい日本語の調べに魅せられてしまいました(三島由紀夫とはまたひと味違う美しさ)。
    「痴人の愛」も期待大です。

  • 自分には、「曖昧模糊」をテーマとした小説にみえた。

    佐助が書いた「鵙屋春琴伝」を「私」が読みながら語る。しかも、句読点を使わないという技法を用いて、どこまでが一文かであるかさえぼやかしながら。
    二重にも三重にも語り手の所在を不確かにした、こういった手法を使って、何かはっきりと読者の身に迫った感情を起こそうとしているとは考えにくい。
    だから、これは初めから「曖昧模糊」をテーマとしているのだと思う。春琴が生きた、ぼんやりとした光と影に支配される世界を描こうとしているのだと思う。
    闇の中で溶けている淡い光、渾然一体となっているその世界は確かに「見えた」。

    作者の優れた審美眼で描かれた鶯、雲雀といった鳥たちの描写も美しかった。

  • 積み重ねる積み重ねる句読点も無く押し寄せるかの様に言葉を積み重ねる。まるで息継ぎする事を拒否するかのように連なる言葉の水脈を追う行為は、佐助が春琴に身も心も捧げたのと同様なマゾヒズム的快楽が篭められている。ある意味、この文体こそが本書の内容全てを表しているようなものかもしれない。深みに嵌れば嵌るほど盲目にそう盲目なまでにその言葉に沈んでいく。日本語で書かれた文章の中でも、恐ろし程に精緻化された美意識が結晶化された一冊。

  •  Sな女とMな男が包括関係になっていることを示すところがとても興味深い。春琴に強く美しく強靭であることを暗に強制しているように見える佐助。盲目になったのちは、観念世界の中の美しい春琴を二人で作り上げているよう。
     崇拝される女性と、崇拝する男性。谷崎文学の醍醐味である、妖しさとエロティックさが日本美に溶け込んで、何とも言えない妖艶さと美しさを感じさせる。
     アブノーマルな関係ほど、深みにはまるもの。

  • これは学生時代に読んで全然理解できない愛の形であったけど、
    今なら少しは・・・

  • 谷崎潤一郎の本は殆ど読んだが春琴抄は秀逸。この薄さで深い深い内容。文章の美しさ、無駄のない描写。何度となく再読した私の中のNo.1です

  • 学校の先生が、沢尻エリカ主演で映画化するべきと言っておりましたが、けっこう同意。見てみたい。色々なトリックがあって、面白い。

  • 有鬼氏のレビューより。

    お湯かけ論、とはまたうまいことを言ったもんだ(笑)

    よくSM的だといわれる本作だが、なぜかものすごく純粋なものを佐助に感じてしまう。至高の愛、というよりは、愚直に過ぎる、白痴に似た思考のない愛情。
    そこには佐助自身の自立だとか、同等の立場としての男女愛だとか、そういった理屈や文明的なものは存在していないように思われる。からっぽの関係性のなかに、思考なき男女の関係と生活だけが累積していく、そこには論理性や理屈が存在していない。だからなんとなくおぞましく、井戸の深い底をのぞきこんだような何とも言えない不気味さが立ち上ってくるのだと思う。

  • 登場人物の主観的な表現が全く無く、あくまで「筆者」の客観的な視点から想像しうる事が多く描かれています。
    読み手と登場人物の間に生まれるそのもどかしい距離感が、かえって春琴と佐助の関係性を読者の脳内に瑞々しく想像させる要因になっている気がしました。

  • 究極の愛のかたちである。でも今の小説では一般化した露悪的な性描写が一切ない。
    一切ないまま、読み手に究極の愛のかたちを伝える近代文学の傑作。

    盲目ではあるが、美貌で、傲慢で、天才肌の三味線の師匠・春琴。
    その春琴に幼い時から、命がけで献身的に仕える佐助。
    この作品を10代で読んだ時には、春琴の、高慢にふるまえる自信と才能にひそかな憧れも感じたが、
    時を経て再読してみると、佐助の尋常でない献身愛に、崇高な「母性」をも感じて震えるほどだ。
    会話の中のやわらかな京ことばと、第3者に物語を語らせる手法が、
    アブノーマルに傾く内容に、抑制と気品を与えている。
    句読点や「」をあえてはずしてあるため、読者は会話や文末を自分で判断して読み進めなければならないが、
    その負担を感じないほどに、耽美的な世界へ読者をいざなう。
    過去に読了。レビューのため再読。


  • 春琴ってきれいな名前



  • 愛の深さに仰天する。語らずともお互いがわかりあっている2人の話。現代ではこうはいかないかもしれない。

  • 主人公にとっては純愛のハッピーエンドだが、春琴の立場に立つとやるせない。
    痴人の愛とも共通する点として関係性の歪さがある。
    男性が自ら望んで支配されに行くのに対し、女性は男性が生活上いなければならない立場に追い込まれていく。そのアンバランスだからこそ成り立つ様子は、上手いなと思うと同時に当事者にはなりたくない。
    終盤、気弱になる春琴に対し、それを許さず昔の春琴のままでいて欲しい主人公。
    主人公の信仰のような愛、春琴の思い、愛とは何かについて考えさせられる。
    閉鎖的な空気感とそれを彩る贅沢品や音楽、美しい鳥の描写など、一つの絵巻物として完成されていた。

  • 谷崎作品後期。江戸時代に、裕福な薬屋の娘が、容姿端麗、頭脳明晰、芸事も優秀だったが、盲目になり、三味線に一本化し、江戸一番の腕前に。付添人の男性も、三味線を始め、女の弟子になり、やがて事実婚に。女は、弟子一般にキツイこともあり、35歳のときに、何者かの恨みを買い、顔に熱湯をかけられる。男は、顔を見られたくない女の気持ちを察して、両目に針を刺し、視力を捨てる。男と女は、精神的にも真の夫婦になる。男は、視力を失うと聴力などが鋭敏になり、女の奏でる音がの素晴らしさを、再認識できたりする。
    正直ふーん、だからという印象。
    解説読んだら、谷崎が芥川に、何の足しにもならないことをやってると思うときない?と尋ね、芥川があるけどその度にその思いを捨て去るようにしていると回答しているとの件が紹介されていた笑
    心理描写が少ないとの批判があるようだが、グダグダ描かれても、読み疲れるので、こんなもんですいいかももー

  • 歪んだ性癖に隠れた純愛

  • 7回くらい読んでいる大好きな作品。
    私を魅了するのは、佐助の献身的な愛です。

    4歳年上の佐助は、春琴が9歳で失明した頃から、身の回りの世話を始めます。三味線の師弟関係や夫婦同然の生活と、濃密な時間を過ごすも、41歳で失明した佐助が「やっとお師匠様と同じ世界に住むことが出来る」と思うあたり、彼の愛の深さを知ることができます。お墓の記述でも変わらぬ愛を感じます。

    佐助のような愛し方はできない。
    それでもそれが本来の美しい愛の在り方であり、人間らしい愛し方であると思うから、この作品の世界観に引き込まれていくのだと思う。

  • 第9回(古典ビブリオバトル)

  • 初めて谷崎を読んだ。

    春琴抄は「愛する人のために目を潰した話」という先入観のもとで読み始めた。さぞ理解の及ばぬ極致の世界が描かれているのだろう…と。

    けれど、その偏った薄っぺらい切り取り方は、読み終えた今となってはできない。

    読みながら、その流れるような語り口に目と心を奪われ、春琴と佐助を取り巻くあれこれに思いを馳せた。
    佐助が目を針で突き刺す一段はやはり堪えたが、その行動に至る心は決して不可解ではなく、むしろ自然だと思えた。普通か普通でないか、というものさしで測るには余りある世界だった。そこには2人きりの世界が広がっていた。

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著者プロフィール

明治十九年(一八八六)、東京日本橋に生まれる。旧制府立一中、第一高等学校を経て東京帝国大学国文科に入学するも、のち中退。明治四十三年、小山内薫らと第二次「新思潮」を創刊、「刺青」「麒麟」などを発表。「三田文学」誌上で永井荷風に激賞され、文壇的地位を確立した。『痴人の愛』『卍(まんじ)』『春琴抄』『細雪』『少将滋幹の母』『鍵』など、豊麗な官能美と陰翳ある古典美の世界を展開して常に文壇の最高峰を歩みつづけ、昭和四十年(一九六五)七月没。この間、『細雪』により毎日出版文化賞及び朝日文化賞を、『瘋癲老人日記』で毎日芸術大賞を、また昭和二十四年には、第八回文化勲章を受けた。昭和三十九年、日本人としてはじめて全米芸術院・米国文学芸術アカデミー名誉会員に選ばれた。

「2018年 『父より娘へ 谷崎潤一郎書簡集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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