春琴抄 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101005041

感想・レビュー・書評

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  • 盲目の美少女・春琴のドSぶりが凄いです。虫歯で苦しむ佐助の顔をおりゃーと蹴ったあたりなどは思わず笑ってしまいました。(笑)ぶったり、蹴ったり、撥で殴るのも日常茶飯事。それでも付いていくのは盲目の美少女であり芸道の達人というカリスマ性と、幼少期から主従・師弟関係にあるという、三つ子の魂百まで、というやつでしょうかね?
    いや、殴られるのは嫌ですが、こういう美少女なら自分も佐助のようにマッサージだの三助だの性のお付き合いだのはやってもいいかなという妄想を持ってみたりして・・・。(笑)
    もはや、愛だの夫婦だのという言葉すら陳腐と思えるほどの佐助の献身ぶりには、いちいち微笑ましく感じてしまいましたが(笑)、本当の意味でのドMに開眼したのは、やはりあの出来事の後、お師匠様・春琴と精神的にも繋がった瞬間でしょうね!ひたすらその瞬間を待ちわびて、そしてその境地に至った佐助の幸福感を谷崎はさまざまな角度から懇切に描写していて、何か妙に納得させられました。
    切れ目のない文章は最初読みづらかったのですが、慣れれば論理的かつ綺麗な表現がまた心地よく、主人公の内面にあまり立ち入らず状況だけの描写が逆に、谷崎の造り上げた精神的な美の境地のあり様を最初はしんみりと、しかし振り返れば強烈に読者の心に浸透させている感じがします。あと、場面設定の色彩感覚や音感覚にも優れた作品であり、雲雀を求めて天高く見上げる春琴の姿などはとても映像的!で美しいですね。
    精神世界の美に陶酔したい方にはお薦めの一作です。しかし、くれぐれも真似はしないように。いや、三助くらいなら・・・。(笑)

    • mkt99さん
      佐藤史緒さん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
      って少しすれ違いのコメントになり失礼いたしました。(笑)...
      佐藤史緒さん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
      って少しすれ違いのコメントになり失礼いたしました。(笑)

      この作品は筋といい構成といい文章といい、どれも優れものだと思いますが、とりわけ自らの趣味(?)をこんなにも追求してさらけ出してそれ自体凄いと思いました。(笑)ここまで開き直ってみてその世界に没頭した結果、出てくるエピソードはどれも愛嬌たっぷりで、谷崎も面白がりながら執筆したのではないですかね?(笑)
      自分も楽しかったです。(笑)
      2014/11/03
    • 佐藤史緒さん
      連投失礼します。
      「谷崎も面白がりながら執筆したのでは」まさに私もそう思っておりました(笑)純愛とか献身とかいう紹介文に騙されそうになるけ...
      連投失礼します。
      「谷崎も面白がりながら執筆したのでは」まさに私もそう思っておりました(笑)純愛とか献身とかいう紹介文に騙されそうになるけど、ぶっちゃけこれコメディだよね?と。
      2014/11/03
    • mkt99さん
      佐藤史緒さん、いらっしゃいませ!(^o^)/

      本の解説には「谷崎文学の頂点」とありました。(笑)しかし、確かに大笑いしたのも事実です。...
      佐藤史緒さん、いらっしゃいませ!(^o^)/

      本の解説には「谷崎文学の頂点」とありました。(笑)しかし、確かに大笑いしたのも事実です。
      あと、三助・・・、羨ましさも半分・・・。(笑)
      2014/11/04
  • 耽美主義!

    究極すぎて春琴と佐助にしかわからない2人だけの世界。
    はっきりと描かれていないことも多いから、
    読者ももちろんその世界には入れない。
    何でも語られすぎるのは好きじゃなくて。
    読者の想像に委ねる。謎は謎のまま。
    真実は当人同士しか知らなくていいのだから。っていうスタンスが良い。

    春琴の冷えた足を胸で温めるところはすげぇなと思ったし、
    手をとって梅の木の幹をなぞらせるところは溜息が出たし。

    静かに狂ってるところがすごく匂やか・・・
    句読点がほぼ無い息継ぎを許さない文体がその狂気に拍車をかける。
    (怖いもんな、終盤の名シーン・・・)

    なんというか、ちょっと弱い?苦しんでいる男が好きなのかも。(?)
    そういう趣味はないけれども。

    「お師匠様お師匠様私にはお師匠様のお変わりなされたお姿は見えませぬ
    今も見えておりますのは三十年来眼の底に沁みついた
    あのなつかしいお顔ばかりでござります」

  • 愛を貫くひとつの形。
    佐助の献身はひたすらの愛なのだろう。対比され描かれる春琴の傲慢さから、より引き立つ。

    ストーリー展開の「抄」という形式の絶妙さ。句読点他極端に少ない文章で読者の思考さえ作者の手の内にあるようだ。

  • 9歳の時に盲目となった春琴。舞技の道を断念し琴三絃の稽古を励み、糸竹の道を志すことになります。その稽古へと通う彼女の手を曳いていたのが丁稚の佐助13歳でした。
    子どもながらも佐助の献身的な奉公の胸の内には、春琴に対する恋慕の情があったに違いありません。ただその頃の春琴にとって佐助は、余計なお喋りはしない、何でも言うことを聞いてくれる都合のよい奉公人だったようです。その上、自分に対する佐助の恋心を何となく察知していたみたいです。彼の気持ちを承知の上で、無理難題をふっかけたり、きつい言葉を投げかけたり、はたまた暴力を振るったり。逆に一言も話さず無視を決め込んだり。それはそれは我が儘放題。普通なら百年の恋も冷めてしまいそうな行動の数々。ところが、佐助は寧ろ彼女の意地悪さは自分に甘えているものだと喜ぶ始末。苦役とも思わず俄然張り切って奉仕しちゃいます。
    きっと春琴の加虐性はこの頃から開花しはじめたのでしょうね……
    そんな傲慢で他人をとことん貶めるような振る舞いは佐助の前だけで行えば良かったものの、三絃の師匠となってからは弟子にも辛くあたるようになります。図に乗った春琴はそこかしこに恨みを買っていったようですね。
    さて、春琴もその頃にはもう佐助に対しては、便利な奉公人以上の気持ちも芽生えていたようです。それでも決して夫婦になることはありませんでした。
    “なんでうちが奉公人なんかと一緒にならなあかんの!阿呆!!”って感じです。
    相変わらず佐助には暴力を振るったり、身の回りのことを全てやらせたり。
    佐助にとっても春琴は何があってもお師匠さまです。その方に仕えるのが自分の幸せ。この関係こそが彼にとっては恍惚となる至福の時だったのでしょう。
    “お師匠さまに虐げられながらお側にいることが私の幸せなのです”というかのように、彼もまた夫婦になるなんて全く望んでいなかったんだと思います。

    春琴が兇漢に襲われ顔に大火傷を負ったあと、佐助は己の目を針で刺し盲目となります。
    春琴の変わり果てた姿を見ることなく、30年来眼の底に沁みついた懐かしい彼女だけを見るのだと。
    さすがの春琴もこの佐助の行動に心動かされます。今の姿を外の人には見られてもお前だけには見られたくないと。春琴自身もこの自分の発した言葉に驚いたんじゃないかなと思いました。佐助への気持ちが自然と溢れて言葉になったんじゃないかと思うのです。とは言え、それが恋かと言えば違うような気もするのですが……

    もし、佐助の春琴に対する恋心が普通(?)の恋愛感情ならば、自分が盲目になることなど選ばずに、それこそ無理矢理でも夫婦となって彼女を支えていったでしょう。
    でも佐助はこのような状態になっても、春琴に尽くして尽くして尽くしぬく立場を選びました。
    誰にも理解してもらわなくてもいい。もう誰にも邪魔されることもない。夫婦なんていう生温い関係は全く眼中にない。盲目となり永遠に変わることのない春琴像を自分の中に確立出来たと思えば、これほどの幸せがこの世にあるはずがないではないか。紅蓮の炎に包まれたような熱く痛い高揚感が彼の胸を焦がしたのではないかと思うのです。
    これが佐助の究極の愛の形なんですね。春琴もその想いを受け入れたのではないでしょうか。

  • 盲目の美しい娘、春琴と身の回りの世話をする下男佐助。三味線の師匠と弟子でもある。
    春琴の美しさ、儚さがそこはかとなく文章から伝わってくる。一方で気性は激しく、気位高く、お金に厳しい。佐助を泣かせる程に体罰と厳しい指導を行う。

    佐助は、仕えた最初から春琴への憧れがあり、師匠としての尊敬の念、やがて深い愛情へと変わっていく。愛おしさを表現する文章が何気なくエロい。マゾ的な性癖も感じさせる。
    そんな上下関係であるはずなのに、妊娠するとは、オイオイ、どういう事か?えーっ⁈そういう事なのか?2人は否定し、ここではハッキリした事情は語られないままだ。

    人から恨みを買う事になった春琴は顔に大火傷を負ってしまう。その春琴が「私を見るな」と言った為に、自らの目に針を刺し失明した佐助。あまりにショッキングだ。ヤバすぎる。
    しかし、この事で2人は同じ盲人となり、同化し、より絆が深まる。ようやく肉体だけでなく心で結ばれた。(やっぱり肉体関係はあったんかーい)佐助は、不幸ではなく、幸せを得たと言うのだから、度肝を抜かれた。
    そのクライマックスシーンでは、自然と涙が溢れ出てしまい、心が揺さぶられる。そこまでの愛があるのかと…。

    今も大阪の町のどこかに2人のお墓がひっそりと存在しているかもしれない。
    これが谷崎の耽美な世界なのか…。読後しばらく抜けきれない。
    密やかで不思議な究極の愛の描き方に今後ハマりそうな予感がする。


  • 雑誌程の薄さの中に、谷崎の拘りが詰まりに詰まった美麗描写の波状攻撃。
    作者の“五感”への思い入れは凡人には計り切れない。
    個人的には本作に最大のリスペクトを払った中上健次の『重力の都』もお気に入り。

  • 単純だが迂遠極まりない哀しい愛の形。

    病的な部分が強調されがちな谷崎潤一郎の作品群にあって、『春琴抄』もおそらくきっと、嗜虐的な女性と被虐的な男性という病的なカップルの姿が浮かび上がる。

    確かに、そうした性的趣向はどうしたって否定できようがない。

    他方で、この物語を読んで感想を言い合う際にあまりにも性的倒錯という側面にのみ集中しすぎていないだろうかとも思う。

    実際のところ、彼らなりのコミュニケーションがあわさったのだろう。

    攻撃性・衝動性の高い、しかし美貌と才能に溢れる女性と、献身的な男性。

    男性側は恐らく他者のお世話をするという事が自己充足であるひとなのだろう。
    それは、地方都市から丁稚奉公なる封建的な人生のなかで見つけた彼の居場所だ。

    そして女性は、この関西特有の母系ゲマインシャフトのなかで盲目というハンディキャップという器官劣等がありながら激しい気性という優越欲求の結果得た芸事の世界が居場所だ。

    物語前半まではまったく、封建社会における主従、師弟という枠での関係でしかない。

    ところが、後半にあってその関係は激変し、師弟・主従から夫婦関係へ至る。

    それは男の献身であり、女性の受容という力動の結果だろう。

    その後、2人の関係は逆転している。

    春琴は妻という立場に甘んじようとする。文字通り、甘え始める。
    しかし佐助は、もちろん献身と尊敬という彼なりの持ち味は残れど、婚姻という関係を迫ることもない。

    春琴は暗にそれを求めたにも関わらずだ。

    これによって、主は佐助に、従は春琴に、目立たぬが入れ替わっている。

    かといって、被虐−嗜虐が入れ替わるとかそういうことでもない。

    単純に、互いに愛するということをこの2人が手に入れたのだと思う。

    単純だが、迂遠極まりない哀しい愛の形だ。
    そして多分に倒錯している。

    悲劇なのは子供たちのはずだが、この物語ではそれについて触れられることはない。

    その意味では残虐な愛でもあるだろう。

    そのことも、この2人の物語の哀しさを際立たせてはいないだろうか。

  • △ネタバレしかない
    両親に甘やかされて育ったからか我儘で傲慢、美しくも気高く、自分が自分である所以をしっかりともっている。自我の強さを感じる盲目な琴奏者の女性春琴(何となく花魁っぽい?)と春琴の美しさや春琴の女王様っぷりを崇拝し、自身も琴を弾き、まめまめしく丁稚として弟子として仕えた佐助との身分違いの恋という感じでしょうか。身分違いと言っても周りは結婚を反対するどころか大賛成でしたが、春琴が断固拒否し、生涯2人が婚約を結ぶこともなく寿命尽きるまで、佐助は春琴を愛し続け春琴のことを本にまとめてしまうほどでした。
    途中で佐助が自ら目に針を刺し盲目となったのがかなり驚愕しました。何となく目を背けたくなり思わず本を遠ざけてしまいました。
    ですが、佐助は盲目になった事を心から幸せだと感じ、盲目だからこそ研ぎ澄まされた感性で春琴を佐助なりに身近に思い、春琴と同じ盲目になる事は彼のずっと前からの悲願だったのでしょうね。だからか、最後まで何とも言えない妖艶な美しさがあり、凄く引き込まれました。
    私には理解出来ない世界観でしたがきっと春琴と佐助の2人だけが分かる世界なのでしょうね。むしろ2人にしか分からない世界だからこそ佐助は幸せなのでしょう。佐助が喜びそうです。
    そして、このお話途中で春琴が妊娠するんですが誰の子かはっきりしません。何となく佐助の子じゃないかと匂わせつつ最後で2人の間で一男二女が出来たと記述されており、途中妊娠した子が佐助の子だと含まれてない事から私の個人的な解釈ですが、実は佐助の子じゃないんじゃないかな…と思います。
    そこも含めて考察しがいのあるお話でしたね。何度も読めば読むほどドツボにハマりそうな小説でした。

  • これが"耽美派"というやつなのですね。 主人公の出会いと別れまで、ほぼ日常生活を淡々と描いているに過ぎないながら、愛のみに生きる姿の究極が描かれている。子どもも生まれてしまうのに、愛の結晶という認識もまるでなく二人の世界。へぇー?!というしかない。 愛の果てに心中を図るようなことがなくよかった。個人的に。 解説に-潤一郎は道徳的に健康である・・・中略-健全ではない-と書かれてる。スゴイ納得。 読点のほぼない文体なのに淀みなく美しい。

  • 状況描写のみに徹するのは、師弟関係の極地に達したこの男女にこちら側を介入させないためであろう。二人だけの世界。付け入る隙は一寸もない。
    大小寄り添う彼らの墓参りの情景から始まるというのがなんとも泣ける。

    読みにくいと思っていた読点のない文は、やがて的確で美しい情報がダムの如く押し寄せる心地良さとなり、結局はひれ伏さざるを得ない。

著者プロフィール

1886年7月24日~1965年7月30日。日本の小説家。代表作に『細雪』『痴人の愛』『蓼食う虫』『春琴抄』など。

「2020年 『魔術師  谷崎潤一郎妖美幻想傑作集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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