春琴抄 (新潮文庫)

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本棚登録 : 6751
レビュー : 778
  • Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101005041

感想・レビュー・書評

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  • 盲目の美少女・春琴のドSぶりが凄いです。虫歯で苦しむ佐助の顔をおりゃーと蹴ったあたりなどは思わず笑ってしまいました。(笑)ぶったり、蹴ったり、撥で殴るのも日常茶飯事。それでも付いていくのは盲目の美少女であり芸道の達人というカリスマ性と、幼少期から主従・師弟関係にあるという、三つ子の魂百まで、というやつでしょうかね?
    いや、殴られるのは嫌ですが、こういう美少女なら自分も佐助のようにマッサージだの三助だの性のお付き合いだのはやってもいいかなという妄想を持ってみたりして・・・。(笑)
    もはや、愛だの夫婦だのという言葉すら陳腐と思えるほどの佐助の献身ぶりには、いちいち微笑ましく感じてしまいましたが(笑)、本当の意味でのドMに開眼したのは、やはりあの出来事の後、お師匠様・春琴と精神的にも繋がった瞬間でしょうね!ひたすらその瞬間を待ちわびて、そしてその境地に至った佐助の幸福感を谷崎はさまざまな角度から懇切に描写していて、何か妙に納得させられました。
    切れ目のない文章は最初読みづらかったのですが、慣れれば論理的かつ綺麗な表現がまた心地よく、主人公の内面にあまり立ち入らず状況だけの描写が逆に、谷崎の造り上げた精神的な美の境地のあり様を最初はしんみりと、しかし振り返れば強烈に読者の心に浸透させている感じがします。あと、場面設定の色彩感覚や音感覚にも優れた作品であり、雲雀を求めて天高く見上げる春琴の姿などはとても映像的!で美しいですね。
    精神世界の美に陶酔したい方にはお薦めの一作です。しかし、くれぐれも真似はしないように。いや、三助くらいなら・・・。(笑)

    • mkt99さん
      佐藤史緒さん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
      って少しすれ違いのコメントになり失礼いたしました。(笑)...
      佐藤史緒さん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
      って少しすれ違いのコメントになり失礼いたしました。(笑)

      この作品は筋といい構成といい文章といい、どれも優れものだと思いますが、とりわけ自らの趣味(?)をこんなにも追求してさらけ出してそれ自体凄いと思いました。(笑)ここまで開き直ってみてその世界に没頭した結果、出てくるエピソードはどれも愛嬌たっぷりで、谷崎も面白がりながら執筆したのではないですかね?(笑)
      自分も楽しかったです。(笑)
      2014/11/03
    • 佐藤史緒さん
      連投失礼します。
      「谷崎も面白がりながら執筆したのでは」まさに私もそう思っておりました(笑)純愛とか献身とかいう紹介文に騙されそうになるけ...
      連投失礼します。
      「谷崎も面白がりながら執筆したのでは」まさに私もそう思っておりました(笑)純愛とか献身とかいう紹介文に騙されそうになるけど、ぶっちゃけこれコメディだよね?と。
      2014/11/03
    • mkt99さん
      佐藤史緒さん、いらっしゃいませ!(^o^)/

      本の解説には「谷崎文学の頂点」とありました。(笑)しかし、確かに大笑いしたのも事実です。...
      佐藤史緒さん、いらっしゃいませ!(^o^)/

      本の解説には「谷崎文学の頂点」とありました。(笑)しかし、確かに大笑いしたのも事実です。
      あと、三助・・・、羨ましさも半分・・・。(笑)
      2014/11/04
  • 9歳の時に盲目となった春琴。舞技の道を断念し琴三絃の稽古を励み、糸竹の道を志すことになります。その稽古へと通う彼女の手を曳いていたのが丁稚の佐助13歳でした。
    子どもながらも佐助の献身的な奉公の胸の内には、春琴に対する恋慕の情があったに違いありません。ただその頃の春琴にとって佐助は、余計なお喋りはしない、何でも言うことを聞いてくれる都合のよい奉公人だったようです。その上、自分に対する佐助の恋心を何となく察知していたみたいです。彼の気持ちを承知の上で、無理難題をふっかけたり、きつい言葉を投げかけたり、はたまた暴力を振るったり。逆に一言も話さず無視を決め込んだり。それはそれは我が儘放題。普通なら百年の恋も冷めてしまいそうな行動の数々。ところが、佐助は寧ろ彼女の意地悪さは自分に甘えているものだと喜ぶ始末。苦役とも思わず俄然張り切って奉仕しちゃいます。
    きっと春琴の加虐性はこの頃から開花しはじめたのでしょうね……
    そんな傲慢で他人をとことん貶めるような振る舞いは佐助の前だけで行えば良かったものの、三絃の師匠となってからは弟子にも辛くあたるようになります。図に乗った春琴はそこかしこに恨みを買っていったようですね。
    さて、春琴もその頃にはもう佐助に対しては、便利な奉公人以上の気持ちも芽生えていたようです。それでも決して夫婦になることはありませんでした。
    “なんでうちが奉公人なんかと一緒にならなあかんの!阿呆!!”って感じです。
    相変わらず佐助には暴力を振るったり、身の回りのことを全てやらせたり。
    佐助にとっても春琴は何があってもお師匠さまです。その方に仕えるのが自分の幸せ。この関係こそが彼にとっては恍惚となる至福の時だったのでしょう。
    “お師匠さまに虐げられながらお側にいることが私の幸せなのです”というかのように、彼もまた夫婦になるなんて全く望んでいなかったんだと思います。

    春琴が兇漢に襲われ顔に大火傷を負ったあと、佐助は己の目を針で刺し盲目となります。
    春琴の変わり果てた姿を見ることなく、30年来眼の底に沁みついた懐かしい彼女だけを見るのだと。
    さすがの春琴もこの佐助の行動に心動かされます。今の姿を外の人には見られてもお前だけには見られたくないと。春琴自身もこの自分の発した言葉に驚いたんじゃないかなと思いました。佐助への気持ちが自然と溢れて言葉になったんじゃないかと思うのです。とは言え、それが恋かと言えば違うような気もするのですが……

    もし、佐助の春琴に対する恋心が普通(?)の恋愛感情ならば、自分が盲目になることなど選ばずに、それこそ無理矢理でも夫婦となって彼女を支えていったでしょう。
    でも佐助はこのような状態になっても、春琴に尽くして尽くして尽くしぬく立場を選びました。
    誰にも理解してもらわなくてもいい。もう誰にも邪魔されることもない。夫婦なんていう生温い関係は全く眼中にない。盲目となり永遠に変わることのない春琴像を自分の中に確立出来たと思えば、これほどの幸せがこの世にあるはずがないではないか。紅蓮の炎に包まれたような熱く痛い高揚感が彼の胸を焦がしたのではないかと思うのです。
    これが佐助の究極の愛の形なんですね。春琴もその想いを受け入れたのではないでしょうか。

  • 三味線の師弟の究極の愛。春琴は三味線で高名な先生だが、幼い頃から美しく、しかしながら盲目で、丁稚の佐助に身の回りの世話をしてもらってきた。この佐助は幼い春琴の三味線の稽古を盗み聞きしては、夜な夜な雑魚寝部屋で三味線の練習をし、やがて周囲にも認められる腕前になる。佐助は丁稚の仕事をお役御免され、晴れて4歳年下の春琴に弟子入りする形で、彼女に奉仕することを許される。

    佐助にとっては春琴は師弟関係を超えた究極の崇拝対象であって、彼にとって春琴に取って代われるものはない。その佐助の姿勢が春琴の嗜虐性を助長し、彼女は殴る蹴る打つのが当たり前になる。佐助のマゾヒズムと献身は生涯続き、彼は春琴の美を夢想し続ける。純愛を通り越しているというか、最後は被虐性愛をも超えて、春琴と佐助は真実の愛で一体になったように思える。これも愛のひとつの形かと思った。

    これを海外文学で置き換えるとピアノとかギターの師弟関係みたいになるんだろうか。そんなものがあったら、それもなんだか洒落ていて面白そうだ。読んで思ったのは僕は佐助のように生きるのは無理そうだ、ということ。笑 

  • 1933年(昭和8年)。
    恥美派というとそれ自体が異端だが、その中でも本書はさらに異端である。顔に熱湯をかけられて大火傷を負う美女と、醜い顔を見られたくないという彼女の願いを叶えるために自ら目を潰す男。極めて悲劇的な題材でありながら、不思議と陰惨さが感じられない。美文調の文体の力でもあろうが、何より作品を貫くユーモアと達観、言うならば一種の「しぶとさ」が、この作品を普通の耽美小説とは一味違うものにしている。

    悲劇を滅びの美学として芸術に昇華するのは耽美派の常道だが、この物語に滅びのムードは存在しない。春琴も佐助も割と長命だし、盲目も彼らにとってはエロスを充足させるために欠かせないツールだ。視力の喪失によって、美貌の喪失という性的な危機を、彼らは悠々と乗り越える。そればかりか、盲目となることによって、佐助は己の理想とする「完璧な春琴像」を作り上げ、嬉々としてそれに隷属する。ここに至っては実物の春琴ですら、「オレの理想の春琴」を完成させるためのツールでしかない。究極の脳内恋愛である。

    現実の女性よりアニメの美少女に萌えるオタク男子にも似て、現実(リアル)より仮想(ヴァーチャル)を優先させて何ら悔いるところのない佐助の生き様は、いっそ爽快で雄々しいとすら言えよう。そして、佐助のインスピレーションの源泉として、最後まで彼の期待を裏切らなかった春琴の堂々たる女帝ぶりも、また天晴れと言うべきだろう。

    畢竟、何が幸福で何が不幸であるか、所詮他人に伺い知ることなどできない。ならばどれほど異端な生き方であろうと、当人が歓びをもってそれを享受するなら、それは生き方として十分アリではないか。谷崎はそんなふうに問うているようにも思える。それをニヒリズムと見るか、それとも人間讃歌と見るか。評価は人それぞれだろうが、この作品が単なる被虐趣味を超えていることは確かだろう。

    • mkt99さん
      佐藤史緒さん、こんにちわ!(^o^)/

      なるほど「脳内恋愛」ですか。まさに自己陶酔そのものでしたからね!(笑)
      春琴の堂々たる女帝ぶ...
      佐藤史緒さん、こんにちわ!(^o^)/

      なるほど「脳内恋愛」ですか。まさに自己陶酔そのものでしたからね!(笑)
      春琴の堂々たる女帝ぶりは、自分なんかは可笑しくて仕方がありませんでしたが(笑)、確かにひとときも「オレの理想の春琴」を揺るがせなかった佐助は現代オタクと何ら変わることはなく、谷崎のエロス的美の理想世界はここにきて広く社会に浸透しているということなんでしょうね?(笑)
      2014/11/03
    • 佐藤史緒さん
      mkt99さん、こんにちは!
      まさに。谷崎はたぶん早過ぎたんですよ。時代がようやく彼に追いついたのです(笑)
      mkt99さん、こんにちは!
      まさに。谷崎はたぶん早過ぎたんですよ。時代がようやく彼に追いついたのです(笑)
      2014/11/04
  • 単純だが迂遠極まりない哀しい愛の形。

    病的な部分が強調されがちな谷崎潤一郎の作品群にあって、『春琴抄』もおそらくきっと、嗜虐的な女性と被虐的な男性という病的なカップルの姿が浮かび上がる。

    確かに、そうした性的趣向はどうしたって否定できようがない。

    他方で、この物語を読んで感想を言い合う際にあまりにも性的倒錯という側面にのみ集中しすぎていないだろうかとも思う。

    実際のところ、彼らなりのコミュニケーションがあわさったのだろう。

    攻撃性・衝動性の高い、しかし美貌と才能に溢れる女性と、献身的な男性。

    男性側は恐らく他者のお世話をするという事が自己充足であるひとなのだろう。
    それは、地方都市から丁稚奉公なる封建的な人生のなかで見つけた彼の居場所だ。

    そして女性は、この関西特有の母系ゲマインシャフトのなかで盲目というハンディキャップという器官劣等がありながら激しい気性という優越欲求の結果得た芸事の世界が居場所だ。

    物語前半まではまったく、封建社会における主従、師弟という枠での関係でしかない。

    ところが、後半にあってその関係は激変し、師弟・主従から夫婦関係へ至る。

    それは男の献身であり、女性の受容という力動の結果だろう。

    その後、2人の関係は逆転している。

    春琴は妻という立場に甘んじようとする。文字通り、甘え始める。
    しかし佐助は、もちろん献身と尊敬という彼なりの持ち味は残れど、婚姻という関係を迫ることもない。

    春琴は暗にそれを求めたにも関わらずだ。

    これによって、主は佐助に、従は春琴に、目立たぬが入れ替わっている。

    かといって、被虐−嗜虐が入れ替わるとかそういうことでもない。

    単純に、互いに愛するということをこの2人が手に入れたのだと思う。

    単純だが、迂遠極まりない哀しい愛の形だ。
    そして多分に倒錯している。

    悲劇なのは子供たちのはずだが、この物語ではそれについて触れられることはない。

    その意味では残虐な愛でもあるだろう。

    そのことも、この2人の物語の哀しさを際立たせてはいないだろうか。

  • △ネタバレしかない
    両親に甘やかされて育ったからか我儘で傲慢、美しくも気高く、自分が自分である所以をしっかりともっている。自我の強さを感じる盲目な琴奏者の女性春琴(何となく花魁っぽい?)と春琴の美しさや春琴の女王様っぷりを崇拝し、自身も琴を弾き、まめまめしく丁稚として弟子として仕えた佐助との身分違いの恋という感じでしょうか。身分違いと言っても周りは結婚を反対するどころか大賛成でしたが、春琴が断固拒否し、生涯2人が婚約を結ぶこともなく寿命尽きるまで、佐助は春琴を愛し続け春琴のことを本にまとめてしまうほどでした。
    途中で佐助が自ら目に針を刺し盲目となったのがかなり驚愕しました。何となく目を背けたくなり思わず本を遠ざけてしまいました。
    ですが、佐助は盲目になった事を心から幸せだと感じ、盲目だからこそ研ぎ澄まされた感性で春琴を佐助なりに身近に思い、春琴と同じ盲目になる事は彼のずっと前からの悲願だったのでしょうね。だからか、最後まで何とも言えない妖艶な美しさがあり、凄く引き込まれました。
    私には理解出来ない世界観でしたがきっと春琴と佐助の2人だけが分かる世界なのでしょうね。むしろ2人にしか分からない世界だからこそ佐助は幸せなのでしょう。佐助が喜びそうです。
    そして、このお話途中で春琴が妊娠するんですが誰の子かはっきりしません。何となく佐助の子じゃないかと匂わせつつ最後で2人の間で一男二女が出来たと記述されており、途中妊娠した子が佐助の子だと含まれてない事から私の個人的な解釈ですが、実は佐助の子じゃないんじゃないかな…と思います。
    そこも含めて考察しがいのあるお話でしたね。何度も読めば読むほどドツボにハマりそうな小説でした。

  • これが"耽美派"というやつなのですね。 主人公の出会いと別れまで、ほぼ日常生活を淡々と描いているに過ぎないながら、愛のみに生きる姿の究極が描かれている。子どもも生まれてしまうのに、愛の結晶という認識もまるでなく二人の世界。へぇー?!というしかない。 愛の果てに心中を図るようなことがなくよかった。個人的に。 解説に-潤一郎は道徳的に健康である・・・中略-健全ではない-と書かれてる。スゴイ納得。 読点のほぼない文体なのに淀みなく美しい。

  • 純愛、、、。

    解説が印象的だった。
    「『春琴抄』において人物の心理が書けていない、との批評もしくは非難に対して、どうして心理など書く必要があるか、あれはあれで分かるではないか、と居直ったような格好であるが、それよりも、この作者の確固たる文学観を表明したものと見られなくもない。」

    「思考と官能がぴったりと重なり合い、信仰と絶望がなんらの歪みもなく美の陶酔に通じる人間の愛の世界を繰り広げたこの小説は、単なる嗜虐的精神病理学の臨床報告ではない」

  • 盲目の三味線師匠春琴に仕える佐吉のドMな愛と献身。彼女の面影を永遠に脳裏に保存するために自ら盲目の世界に入り、それを楽しむところが究極の官能だと思う。師弟の関係でありながら、二人の間に何人も子供がいるところが含みがある。文豪の官能小説はやっぱり美しい。

  • 句読点が極端に少なく最初は難儀しましたが、慣れてくると、浄瑠璃のように流れる言葉の旋律に、読まされてしまいました。言葉の一つ一つが美しく、行間から匂い立つエロスに魅了され、気がついたらあっという間に読み終わっていました。梅花の幹を春琴に撫でさせるシーンや、佐助が春琴の小さな足を誉め語るシーンなど、エロとフェチが散りばめてあって、盲目の二人の拙いやり取りの間に交わされる情など、まさに耽美。下手なエロ小説より余程妄想を駆り立てられて、谷崎って変態だったんだなぁってしみじみ思える作品でした。大好きです。

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著者プロフィール

1886年7月24日~1965年7月30日。日本の小説家。代表作に『細雪』『痴人の愛』『蓼食う虫』『春琴抄』など。

「2020年 『魔術師  谷崎潤一郎妖美幻想傑作集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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