猫と庄造と二人のおんな (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.69
  • (147)
  • (218)
  • (329)
  • (14)
  • (3)
本棚登録 : 1831
感想 : 222
  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101005058

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • R3.4.23 読了。

     『一匹の猫を中心に、猫を溺愛している愚昧な男、猫に嫉妬し、追い出そうとする女、男への未練から猫を引取って男の心をつなぎとめようとする女の、三者三様の痴態を描く。』…(小説紹介より)。
    ラジオシアター文学の扉で、紹介されていて興味を持った。初、谷崎潤一郎作品。昭和26年初版。
     短い小説であったが、読み進めるのに思いがけず時間がかかった。猫と庄造と二人の女のコミカルなやり取りでとても楽しめた。庄造さんのリリーに対しての可愛がり方には、正直引いてしまった。これじゃ、奥さんが猫に嫉妬してしまいますよね。
     また、別の谷崎潤一郎の作品を読んでみたい。

  • 家にあった本。正にタイトル通りの話。リリーという猫をめぐる前妻と妻と正造の日常や心情を描いただけのものが、どうしてこんなにドキドキさせるのか。大阪弁の会話と正造や前妻品子の心の声や、猫の仕草などが心に迫ってきて面白くも切なかった。

  • 猫賛歌の小説。(笑)人間が愛情を捧げる心理を、愛猫を中心に巧みに表現した短編作品です。
    ダメ男が最も愛情を傾ける猫リリーを頂点に、新旧妻のおんな二人(いや母親も入れると三人か)の駆け引きを緻密に表現されており、また、ダメ男庄造の溺愛と憔悴ぶりがきれいに対比されていて、それが面白かった。僕なんかがこんな心理もあるだろうと予測することが、それ以上に次から次へと展開されるので、これはかなり心情が吟味されてあるのだろう。
    解説によると谷崎文学の根底にある、(リリーへの)「隷属の幸福」を拒まれた男の破滅を描いたということであるが、心理描写が巧み過ぎるせいか理屈が先行し少し説教臭さのある文章になっている半面、関西弁の穏やかさと日本語表現がきれいなので、気軽に楽しみながらすらすら読めます。また、自分にはよくわかりませんが、猫好きな方にはたまらないのではないでしょうか。(笑)
    ラストはかなり余韻が残るのですが、余韻が残り過ぎて結末としては物足りなさも感じてしまい、逆に忘れられないラストになりました。この後の展開がまた気になるところです。

  • 猫が神様みたいに超然としているのが面白い。かたや人間はみなおろおろして誰も彼もくだらない。相手の気持ちを決めつけて、手中におさめようとあれこれ尽力するが徒労の連続。

    畢竟、この小説で愛おしく思えるのは人間。「庄造と二人のおんな」だけであればただの痴話喧嘩のドタバタ劇であろうが、猫を傍らに添えることで、人間って本当にどうしようもない生き物だからこそ、生を謳歌できるのではないかと思えてくる。猫は意外とひきたて役だった。

  • 庄~造~。
    なんで?なんでリリーを手放しちゃったの?
    元はといえばアンタがそういう性格だからこうなっちゃたんじゃないのー?
    と、柄にもないお説教をしたくなるほど、おはなしにのめり込み登場人物達に愛着を抱いた。

    谷崎文学ははじめて。
    この本は高校生の時にブックオフで100円で手に入れた。
    それからウン十年本棚に積んであったが、久世番子さんのコミックエッセイ『よちよち文藝部』を読んで‘日本文学’に興味を持ち家にあったこちらを読むことに。
    ‘日本文学’に及び腰のビギナーにも安心の薄さ。
    中身は軽妙だけど濃かった。

    最初に感心したのは読みやすさ。
    もっと読みにくいと思い込んでいたが、長いセンテンスの文章でも苦痛に感じずスラスラ読める。
    登場人物達の関西弁も、昔風の言い回しも慣れてしまえば心地よく作品世界に浸れる。

    その登場人物達の造形の上手さには舌を巻いた。
    特に福子がお腰をそこら辺の隙間にたくさん溜め込んでいる描写。福子という人となりが分かり、ちょっとした嫌悪感が一気に襲ってきて、庄造が最終的に「やっぱりわしにはリリーちゃんしかおまへん。ああリリーちゃんに会いたいなあ」となるのに納得する。
    品子さんはしっかりものでキツいようだけど、ちゃんと情があって働き者。
    でも庄造はバカにされているのが許せないんだね。
    わかるわかる(笑)
    そして、この作品の女神ことリリーちゃん。
    猫好きなら必ず「リリーちゃん、リリーちゃん」になるだろう。彼女の描写が丁寧で、そして堪らなく愛らしい。

    登場人物それぞれの‘プライド’のどれに共感するかで性格でそう(笑)

    そしてやはり一番賢いのは猫だった(* ̄∇ ̄*)

  • いつの時代も猫は正義笑
    本人達はいたって真面目だけど、側から見ると滑稽な様子が面白い。谷崎潤一郎の文章はやっぱり読みやすくて好きだ。

  • 『猫と庄造と二人のおんな』猫が庄造の上にきて、彼の下に元妻、現妻がくる。庄造から見ると何が一番大切なのか、このタイトルに表された順番がばっちりハマる小説。そして、猫が支配しているものとして考えてみても、やっぱりこの順番になると思う。
    猫の名前はリリー。なんて素敵な名前だろう。百合の花のように、純潔で気品があってツンとすましていながら、妖艶な芳香のように時には妖しく時には甘えてくる……庄造の理想とする女性像が全て詰まったようなものなんじゃないかな。
    そんなリリーに陶酔する庄造の奉仕っぷりは、やっぱり谷崎潤一郎の描く愛の形。
    現妻、福子はリリーへの嫉妬心から庄造と引き離したけれども、彼の心は猫から戻らない。元妻、品子はリリーをダシに庄造の愛を取り戻そうとするけれど、彼の執着はやっぱり猫だけに向く。そして、あれほど庄造と相思相愛だったはずのリリーは、もう彼のことを忘れたように見捨てている。
    たった一匹の猫の支配する世界から逃れることの出来ない人間たちの可笑しくもちょっぴり哀愁漂う物語。

  • 飼い主の心猫知らず。
    周囲の人間が呆れる程、只ひたすらに飼い猫リリーに愛情を注ぐ、正に「猫可愛がり」。
    本作のタイトルの順番通り、常に「猫」が一番上。
    妻や愛人よりも、である。
    リリーが一度哀愁に充ちた眼差しでじっと自分を見上げただけでもうメロメロ。
    リリーの言いなり。
    リリーは只、飼い主の顔を何の気なしに見ただけなんだろうけどね…それを言っちゃあ、おしまいよ。

    谷崎潤一郎も相当の猫好きとみた。
    猫の描写が具体的で細かすぎる。
    これは猫を実際に飼って間近で見て可愛がっている人でなければここまでは描けまい。
    谷崎潤一郎に対してぐっと親近感がわいた。

  • *猫と「蜜月」関係を結んだことのある人にはたまらない小説ではないでしょうか。って私自身は、飼っていたことはあるけど、そこまで親密な時期が続くことはなかったですが(子猫のある一時期はよく懐かれたな、とかその程度)。でも、猫と蜜月な人って本当にいると思うので、この小説で描かれている、庄造と猫の関係は、ちっとも大げさじゃないなと思います。
    犬でも、同じくらい溺愛してる人はいると思うので、広く「ペット」文学とみることもできそうだが、「二人の女」が出てくるところが、やっぱり猫じゃないとあかんという気がする。庄造という男が猫とあまりに親しすぎてやきもちを妬く女ふたりが出てくるわけですが、犬には出せないエロチックさとかが、猫にはある気がする。

    *庄造、元妻の品子、現妻の福子、母のおりん、が主な登場人物。彼らの心情がすーっと伝わってくる。ただだらだら綴っているだけと言えばそれまでというくらい、文章でひたすら書いてあるだけなんですけどね。この赤い夕日の描写が彼の情熱を象徴しているのだというような、凝ったことはしてなくて。だらだら書いているけど読みにくいこともなく、生い立ちや性格までも、いつの間にか「知らされて」いる。

    *でまた、終わりかたの潔さったら!細雪もそうでしたが。このなよなよ男と女たちと母と猫との関係を、どういう結末で片付けるんだろうって楽しみにして読んでいったんですけどねえ!

    *なよなよ男といま書いた庄造さん、まさに歌舞伎でいう和事の二枚目のような情けなさ。仁左衛門とか愛之助が、眉根を寄せて演じていそう。

  • 深謀遠慮、権謀術策、邪推の果て。

    ふたりの女という題名が生々しさを際立たせる。

    およそ愛玩動物、ペットは飼い主をはじめとしたヒトの感情、無意識に抑圧された欲求・願望・葛藤を投影させる。

    その意味では、現実と心性の中間領域たる存在だろうと思う。

    正造とふたりの女、都合3名だがそれぞれ、猫のリリーに自身の感情を投影させる。

    嫉妬心、愛して欲しいという欲求、自由でいさせてほしいという葛藤がこの物語では投影される。

    個人の感情を投影する対象として、リリーは機能しているようだ。

    他方で、ある場合には愛玩動物は夫婦仲を取り持つ機能を果たす。

    夫婦とはいえ、別々の個人、主観をもつヒトであるから真に一体化することはでき得ない。

    愛玩動物を通して、どういう愛し方をするか、どんなお世話をするか、仕草や鳴き声などなにを愛しいと感じ、糞便や餌付け散歩その他なにが鬱陶しいと感じるかを知ることもできる。

    従って、主観と主観の中間領域としても愛玩動物は機能しうる。

    ところが、この3人(正造ママも含めれば3人)はそれぞれの願望、欲求、そして葛藤を投影させるのみで歩み寄りは叶わなかった。

    ここがこの一家の、この4人の病理の深さだと感じる。

    やがて互いの思惑、深謀遠慮、邪推の果てに、歩み寄りの要石となるであろうリリーも年老いてゆく。

    この物語からなにを得られるだろうか。

    ひとのこころの歩み寄ることの困難さだろうか。愛することの困難さだろうか。

    いちばんの被害者はリリーだろうか。

    それぞれがそれぞれ好きなように扱われ、揺れ動く他ない高貴な名を持つ猫こそ被害者か、或いはヒトを翻弄させた加害者か。

    解説は、いわゆる保守本流正統派の谷崎潤一郎解釈だ。

    およそこれに異論をぶつけるだけの高邁な読書力など露ほども持ち合わせないけれど、あえて自分の感想を残しても怒られない・・と思いたい。

全222件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

谷崎潤一郎

明治十九年(一八八六)、東京日本橋に生まれる。旧制府立一中、第一高等学校を経て東京帝国大学国文科に入学するも、のち中退。明治四十三年、小山内薫らと第二次「新思潮」を創刊、「刺青」「麒麟」などを発表。「三田文学」誌上で永井荷風に激賞され、文壇的地位を確立した。『痴人の愛』『卍(まんじ)』『春琴抄』『細雪』『少将滋幹の母』『鍵』など、豊麗な官能美と陰翳ある古典美の世界を展開して常に文壇の最高峰を歩みつづけ、昭和四十年(一九六五)七月没。この間、『細雪』により毎日出版文化賞及び朝日文化賞を、『瘋癲老人日記』で毎日芸術大賞を、また昭和二十四年には、第八回文化勲章を受けた。昭和三十九年、日本人としてはじめて全米芸術院・米国文学芸術アカデミー名誉会員に選ばれた。

「2021年 『盲目物語 他三篇』 で使われていた紹介文から引用しています。」

谷崎潤一郎の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×