卍(まんじ) (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101005089

感想・レビュー・書評

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  • これから語られる二組の男女の複雑な愛憎劇の当事者の女性が、大阪弁で告白する形式で書かれています。一人の語りだけで、これだけの物語を読ませ、引き込むという流れが高度だなぁと。
    園子(語部)は絵画教室で知り合った美貌の光子の小悪魔的な振舞いに夢中になっていく。そこに光子の元婚約者のイケメン男性が入り込む。彼は三人の関係を均衡を持たせようとする。そして、弁護士である園子の良人までも巻き込んでいく。夫は、理性的な人間だったが、光子の奔放な妖艶さに妻と共に支配され始める。光子が思いのまま振る舞い策略していく様子は、恋愛サイコかな。真面目な夫が、どこか真面目な感じに狂っていく様子が救えない。最後は、なかなか。

    • 土瓶さん
      一度くらいほ読んでみようと思いつつ、なかなか手が出せずにいる谷崎潤一郎さん。
      一度くらいほ読んでみようと思いつつ、なかなか手が出せずにいる谷崎潤一郎さん。
      2023/04/07
    • おびのりさん
      もうね、古いのは確かなのですが、上手いんだよね。私は、「春琴抄」(百恵ちゃんね!)の偏愛と、「痴人の愛」の狂愛な感じが好き。
      そして、実は、...
      もうね、古いのは確かなのですが、上手いんだよね。私は、「春琴抄」(百恵ちゃんね!)の偏愛と、「痴人の愛」の狂愛な感じが好き。
      そして、実は、谷崎さんの源氏物語は、苦手。
      2023/04/07
    • 土瓶さん
      うん。読んでもいないのにドラマや映画などで観たおぼえがあるから、余計に手が出にくい><
      うん。読んでもいないのにドラマや映画などで観たおぼえがあるから、余計に手が出にくい><
      2023/04/07
  • 『細雪』同様女性の語りで引き込まれる。本書の方が十年程前に書かれたそう。語り手の園子はじめ夫や執念深い綿貫という男が妖婦光子をめぐり複雑な関係に。甘い欲望から嫉妬にまみれ狂信的になり破滅へと向かう様がじりじりと関西弁で語られ怖い。

  • 何故かここ数日、朝の爽やかな時間帯に、このねっとりとした話を読んでいた。

    婦人が体験した奇妙な同性愛の顛末について語る。
    語り口が軽やかな関西弁で、言葉の一つがなんともひらひらと漂うように響いてくるせいか、起きていることの湿気のようなものが薄まっていく。
    でも、だんだん面では被害者を装いつつ、自分の利益を常に考えている人、ただただ人を振り回す癖のあるネチっこさみたいなものが同じ関西弁で濃く嫌らしく響いてくる。

    谷崎潤一郎さんは「痴人の愛」を読んで以来で久しぶり。
    またもや一人の女性に振り回される話、この人Mだな。

    追記:江戸川乱歩さんも新潮文庫の夏カバー(赤一色)に惚れて購入し読み、いつのまにか命日に読んでいた。
    この「卍」も2018年の夏カバー(赤一色)そして読了した本日(2021年7月24日)は谷崎潤一郎さんの誕生日…なんかカバーの魔力とかあるのかな?

  • 谷崎の変態異常性欲小説として有名(!)な本書ですが、自分としては、葛藤する恋愛心理や策略のド派手さ、どこまでも果てしのない疑心暗鬼、そして、誰もが陥っていく性愛の強欲ぶりが特に目を引き面白かったです。
    とかく女性同士の性愛の方が脚光を浴びがちですが(自分も見学したいですけど(笑))、本書の本質からするとそんな異常性欲も可愛らしいものになって見え、むしろ、強欲ぶりと、それに伴う駆け引きというか策謀というか策略の凄まじさの方に圧倒されてしまいました。
    性愛に取りつかれてしまった面々は誰もが真面目でもあり、誰もがねじれているようにも思え、一体全体、どういう駆け引き具合になっていて、結局、誰がどうしたいのかがまるで掴めないようなドロドロの愛憎劇に、こちらの頭もドロドロになってしまった感もあります。(笑)
    つまるところ、このドロドロ劇の中心にいたのは美少女で処女(?)の光子であり、光子も含めて皆が強欲な性愛に翻弄されていたのですが、こうした泥沼から抜け出しひと皮剥け新たな段階に昇華できたのはやはり光子で、こうしたストーリー展開は美少女崇拝の谷崎の美的感覚の真骨頂であったともいえるでしょうね。
    登場人物の誰もに驚かされる人物設計となっていて、「女の腐ったような」綿貫や語り手の園子夫人のハズ、それにお梅どん等の行く末を考えると、最初にレズに目覚めた語り手の園子夫人が一番真面目で正気であったのではとさえ思えてきます。(笑)
    本書の構成がまたふるっていて、園子夫人が先生(谷崎を擬していと思われる)に振り返り語るというスタイルで全てが大阪弁で語られていて、凄まじい愛憎状態にもかかわらず、こうした趣向により、弾んだ調子とともに柔らかで温かくオブラートに包み込まれたような丸みを帯びた語り口がクッションとなって、なぜか読者に安心感を与えていたともいえます。光子が園子を「姉ちゃん」と呼ぶ様などはどこか可笑しみすら感じさせます。このような異常性愛もなんだ大したことはないのではないかという・・・。これは谷崎の術中に陥っていますかね?(笑)
    谷崎が大阪に行きたての頃の作品ということで、後年のスマートな(?)異常性愛を基調とする作品と比べると少しごちゃごちゃ感があるように思えます。以降、より純化路線(性愛の)を歩んでいくことになるのでしょうね。(笑)

    • nejidonさん
      mkt99さん、こんにちは(^^♪
      そうそう、ものの見事に陥っておりましてよ!
      さてわたくし、長年秘密にしてきたのですが、だいぶ前に映画...
      mkt99さん、こんにちは(^^♪
      そうそう、ものの見事に陥っておりましてよ!
      さてわたくし、長年秘密にしてきたのですが、だいぶ前に映画化されたものを観ました(笑)
      若かりし日の若尾文子さんの、まぁ美しいこと可愛いこと。クラッときますよ。
      そして岸田今日子さんの魅力的なこと。
      このふたりだけももう十分なほどの作品でした。
      カメラワークも相当にねちねちしてて、スタッフさんは楽しかっただろうなぁと推測できましたよ。
      で、肝心の性愛の描写はとても穏当なものでした。
      でも公開当時は「けしからん!!」だったのかもしれませんね。
      谷崎が何を描きたかったのか、ようやく理解できる年齢になりつつあるので、カミングアウトしてみました(笑)。
      本の方はあいにく未読ですが、機会がありましたら映画のほうもどうぞご覧あそばせ。

      2015/10/13
    • mkt99さん
      nejidonさん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/

      そのような秘密をひた隠しにされていたのですかー...
      nejidonさん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/

      そのような秘密をひた隠しにされていたのですかー!(笑)
      これを機にゲロって、すっきりされたことと思います。(笑)

      若尾文子の美しさは想像できますが、自分としては岸田今日子も含めて、お歳を召された頃のイメージしかなくて、その二人の親密シーンを考えるとちょっと何かコワい感覚もあります。(笑)
      しかし、若い魅力的な二人が文字通り絡み合うシーンなどはさぞや楽しかったことでしょうね!(^o^)
      DVDを見つけたら、観てみたいですね!

      原作もあまり性愛の描写はありませんで、初期の頃に二人が鏡の前で抱き合うシーンが唯一の艶めかしい箇所といえるかもしれません。大半は自己中心的な強欲がらくる疑心暗鬼と壮烈な駆け引きの心理描写が物語の中心でして、背景はアブノーマルですが、どちらかというと昼ドラの脚本のような気もします。

      自分が一番面白かったのは、誰もが強欲に絡んでいく物語進行でして、終盤には「○○よ、お前もかー!」と思わず心の中で叫んでしまいました。(笑)
      処女(?)の美少女の進化も見逃すことはできません。

      若尾文子、ちゃんと進化していますかね?(笑)
      2015/10/14
  • 軽い本が読みたかったので谷崎潤一郎の『卍』。私にとって谷崎は軽い方。
    というのは文章が読みやすいからで、内容は一般的に考えると軽くないのかな?ただこの作品に関してはトラジコメディじゃないかなと思います。『痴人の愛』もコメディが入っていて、映画版の方を観るとより強調されている。

    最近、大映の増村保造監督の映画をちょいちょい観ていて、増村監督って谷崎や三島由紀夫原作の映画をかなりやっている(三島とは大学からの知人)。他に谷崎原作だと大映時代の市川崑さんも。
    『卍』も増村監督の映画版があって、そのうち観る予定だけど先に原作からと思って読みました。

    手に取るまで全く知らなかったのだけど、レズビアン、バイセクシャルものでした。映画だと私が観たものは『噂のふたり』『テルマ&ルイーズ』『モンスター』『キャロル』『お嬢さん』などで、やっぱりそれらと若干近いところも感じる。
    LGBTものだと、いまなら社会派作品になることが多いけど、『卍』はそうではなくてミステリ小説に近い。というよりほぼミステリ小説なんじゃないかな。

    文章が全編大阪弁の口語で書かれていることが特徴です。そして主人公の園子さんが先生(ワトソン君的なポジションの谷崎?)に対して語っていくという手法。じわじわと怖いのは、ここが若干「信頼できない語り手」になっている点。
    冒頭から、登場人物のふたりはすでに亡くなっていることが示唆されている。主要登場人物は男女ふたりずつ4人で、これが4本の腕を持つ卍という字のように絡み合って、それぞれの欲望や思惑を満たすために嘘をついたり、謀略をめぐらす。
    ……という、いつもどおりの谷崎で、面白かったです。大阪弁のリズムですらすらと読みやすい反面、読みにくいところもあったり、「嘘」のプロットが若干複雑でよくわからないところもあったけど、楽しめました。

    谷崎は関東大震災のあとに神戸に移住して、『痴人の愛』を発表。その次ぐらいが『卍』で大阪弁、そして『春琴抄』でこのスタイルが完成される。
    たまたま少し前にロマンポルノの『四畳半 襖の裏張り』を観たけど、いわゆる大正ロマンでまず思いつくのが谷崎。『卍』は昭和初期の話。明治の末ぐらいに女性同士の心中事件が大きく報道された結果、女性の同性愛が注目されるようになってきたとのこと。『小さいおうち』に引用されてた吉屋信子さんも大正時代にデビューしている。

    『卍』はレズビアンものとしてはかなり古くて、谷崎だから耽美で変態もの……男性側からの興味本位的な部分もあることは留意すべきかと思う。だけど、現在の作品でも百合やBLなど、すでにジャンルとして成立しているし、女性がBLを読む時の受け止め方とそう大差ないのかもしれません。
    トッドヘインズ監督の『キャロル』の他の方の感想で、ケイトブランシェットがファムファタール的だと捉えた方がけっこういて、私はそんなに思わなかったのだけど、そういうファムファタールとしてはだいぶ前に谷崎がやっているから、そことの共通性はあると思う(そして『キャロル』の終わり方は『卒業』に非常に近いと感じた)。

    私の脳内キャスティングでは、園子さんの夫の柿内氏は小林桂樹さん…成瀬巳喜男の『めし』みたいなイメージ。最後はちょっと違うけど。
    もうひとりの男、綿貫はピーター。池畑慎之介。市川崑の『獄門島』の鵜飼のイメージがあるせいか。
    女性陣ふたりはとくになし。

    増村監督の映画版だと、ファムファタールの光子が若尾文子。増村&若尾コンビ。綿貫が『しびれくらげ』にも出ていた川津祐介。
    園子が岸田今日子で、夫が船越英二と、大映時代の市川崑と共通するキャスティング。

  • ひととの距離を掴めないひとたち。

    光子の場合には歪んだ自己愛を見せる。

    P.103『異性の人に崇拝しられるより同性の人に崇拝しられる時が、自分は一番誇り感じる』

    人格の異常(personality disorder)に魅力を感じるということは往々にして実存しうる。

    人格、認知や行動に一貫した偏りがあったり、他者操作性があるようなひとを魅力的であると感じるのは別段おかしなことではない。

    そして、この物語では光子という歪んだ自己愛に魅入られてしまったひとたち。

    中盤以降、どうもおかしな方向へ話しが傾いてしまい、猜疑心或いは嫉妬によって操作されていく。

    冷静で客観的な思考、現実を吟味する力が弱まり、渦中にいるひとすべてが身動きがとれなくなる。

    まるで卍のように。

    彼女たちの関係がいよいよ決定的ににっちもさっちもいかなくなった時、読み手は思わずこう呟くことになる。

    マジ卍。

  • おばけとかそういう特殊なもの使わなくてもこんなホラーが描けるんだなぁ...というお話。

    柿内夫人は女子技芸学校に通い、日本画を勉強していた。ある日観音様を描く勉強をしていた時にその観音様の顔が同じ学校に通う徳光光子に似ているのではないか?と言われ、同性愛者の噂を立てられる...柿内夫人は光子を見かけたことはあるものの実際に喋ったことはないのだがその噂をきっかけに光子と喋るように。

    そして光子の魅力に取り憑かれてしまい、光子も光子で柿内夫人を「姉ちゃん」と呼び慕う仲に...嘘から出たまことになってしまう。夫に内緒で光子に会う柿内夫人、そのうち周りの人間関係が複雑になっていき、それぞれの情念が渦巻く。この「愛したい、愛されたい」の愛憎のタガが外れていくのが怖い。猜疑心が猜疑心を生み正常な判断がどんどんできなくなっていく...。

    周りにいる人を狂わせていく存在...これほど怖いものはないなと思った。

  • 冒頭から【未亡人】っと不穏なまま 関西弁での語り口調 で進む、愛憎入り乱れての三角…四角関係。

    本当は信じる合わないといけないハズの夫婦がお互い 疑心暗鬼になってしまう程の魔性の女 光子。
    そして遂に最悪の結末へ……

    なのに、稀代の悪女のはずの光子がそんなに悪く描かれてなぃのは 事の顛末を語る園子の最後の一言「憎い」「口惜しい」思うより恋しぃて恋しいて、 って事ですね。

    凄い作品でした。

    ~追伸~
    この時代でもゴシップは娯楽の種なのですね(泣)
    そして何より方言は萌えるんですょ(笑)

  • 日本人は谷崎潤一郎をもっと誇れ。

  • 「卍」は吉祥の徴と聞いていたのだけれど、この作品に限っては、捩れた情愛の兆だったようです。
    正直、「その三十」に来るまでは、「なんでこのタイトルにしたんだ?三つ巴くらいがちょうどじゃない?」と思っていました。
    「今まで読んだ谷崎より全然気持ち悪くないや」と侮ってさえいました。
    それが、「その三十」を読んだ途端。
    それまで確かに見ていたはずのたおやかな大阪弁たちは曖昧に去り、気づけば、赤地にぬめりと刷り込まれた「卍」が頭の中を埋め尽くして。
    男女四人の情愛が、崇敬が、執念が、ぐるぐるぐると、「卍」のように誰もが誰にも追いつけないまま回っているような。
    それでいて、誰かと誰かは繋がり合っているような、いや、どこかで全てが結ばれているような。
    なんとも不気味な気持ち悪さに囚われていました。
    作中の、一人の女をめぐって堕ちていく男女について語る園子の緻密な破綻の描き様は、さすが谷崎、なのですが。
    それより何より、このタイトルの妙が、凄まじい。
    このタイトルより他に、この作品を説明するのに相応しい言葉も文字も、私には思いつきません…

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著者プロフィール

1886年7月24日~1965年7月30日。日本の小説家。代表作に『細雪』『痴人の愛』『蓼食う虫』『春琴抄』など。

「2020年 『魔術師  谷崎潤一郎妖美幻想傑作集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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