少将滋幹の母 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101005096

感想・レビュー・書評

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  • 胸がつまった。物語を読んだ満足感。

  • 大学で学んでいる百人一首の歌人が登場していることが読むきっかけでした。読み終わって驚くのは、略奪者時平、浅薄な平中、盲執の国経、思慕の滋幹と視点を変えて語られますが、肝心の滋幹の母については、彼女が語ることも語られることもありません。見事なまでに中空です。ここに谷崎の企みがあり、このフィクションの醍醐味があるのでしょう。それにしても、ラスト廃屋からの出会いのシーンは美しい。映像が目に浮かぶシーンでした。

  • ▼かなり以前に読んだんですがその時に感想を書き忘れたもの。だいぶ忘れていますが。

    ▼平安時代、初老の中級貴族?が、歳の差婚の若妻を、権力者の藤原ナントカさんに、奪われるんです。でこの若妻は当然評判の美人である。初老貴族は屈辱に震えます。悔しい。惨め。この若妻との間に子供がいて、これがのちの少将滋幹なんです。つまり少将滋幹にとって、幼年期にそんな形で生き別れになっちゃった、お母さん。少将滋幹の母。

    ▼この顛末と、母恋の思い。これが実に心理劇で映画「羅生門」の如きサスペンスフル。な、だけではなくて。それに加えてなんだか禁断な恥ずかしさ。身悶えするほどの気はづかしさ。そしてなんだかエグくて儚くて人肌で美しい。つまりは谷崎なんです。

    ▼どうやら本作は翻訳などされているという意では谷崎の代表作だそうです。まあ、海外受けしやすそうですが(短いし)。圧倒的におもしろいのだけど、個人的谷崎ベスト3には入らないかなあ・・・。って何がベスト3なんだろう。「細雪」「猫と庄造」「台所太平記」な気もするが・・・いや「春琴抄」・・・「痴人の愛」・・・「卍」・・・そもそも未読の作品も(谷崎前期中心に)まだまだあるし・・・うーん。

  • 夕食の席で柿を齧りながら「谷崎はどうも苦手です。私は芥川が好きなんです。」と言ったら、先輩のYさんが自室から引っ張りだしてきて貸してくだすった。『少将滋幹の母』か、あんまり聞いたことないな。題名から考えるに、王朝物という共通項を見込んでの選択だろうか。と首を傾げつつしゃくしゃくと柿を咀嚼し飲み込む。「あたしは谷崎でこれが一番好き。貸したげる。」とYさんが笑った。

    自分の四畳半に帰って、読んだ。
    どろどろとした性的な描写に嫌悪感があって敬遠していた谷崎だが、この作品はそれほどでもなく、落ち着いて読むことができた。さすが先輩の推薦だけのことはある。おかげで、これまで気づかなかった谷崎作品の良さが少しずつ見えてきた。

    絵巻物のような小説だ。
    実際、谷崎の文章は綴じ本よりも巻物が似つかわしいように思う。読点や句点で区切られてはいるのだけれど、文と文とが切れ目なく続いていくさまが確かに感じられる。息継ぎがどこにあるのか判然しないほど幽かなのだ。
    また、絵画性の強さも印象的だ。ひとつひとつの場面が絵のような鮮やかさで眼前に現れる。
    『それは北の方の着ている衣装の一部だったのであるが、そんな工合に隙間からわずかに洩れている有様は、万華鏡のようにきらきらした眼まぐるしい色彩を持った波がうねり出したようでもあり、非常に暈のある罌粟か牡丹の花が揺らぎ出たようでもあった。』
    この北の方の描写など、衣を実際に目にするよりも何倍も何十倍も鮮烈なイメージを描き出している。私の好き嫌いはさておいて、もうほんと、さすが「大谷崎」だなぁ。

    優れた小説であることは間違いない。
    しかし、根底のところにはやはり埋められない溝を感じる。
    谷崎や荷風を何作か読んで思うのは、耽美主義の人が言う「美」と、私個人の思う「美」がそれぞれ違うものを指しているのではないかということ。絢爛であったり優艶であったりも良いのだけれど、自分はもっと神経の先端に触れるようなぎりぎりの感覚を美と呼んで求める傾向にある。
    これはもう好みの問題であるので、今更どうということもないが。

    何はともあれ、良い読書体験だった。多謝。

  • 菅原道真を左遷した左大臣藤原時平、
    藤原基経の兄である藤原国経、
    在原業平と並ぶ色男として知られる平貞文などが登場する。

    老大納言国経は、若く美貌の妻である北の方
    (筑前守在原棟梁(在原業平の長男)の娘)を、
    若くて時の権力をひと手に握っている甥の時平に、
    驚くべき手法で奪われる(差し出してしまう)。
    しかし国経は北の方への思いは全く断ち切れぬままこの世を去る。

    また、その北の方と幾度か浅からぬ仲となっていた、
    平貞文も、彼女が時平のものになったことで、
    思いを燻らせている。

    後半は、国経と北の方との間に生まれた藤原滋幹の、
    母への思いが描かれる。

    藤原時平は、今昔物語の記述から、
    「富貴と権勢と美貌と若さとに恵まれた驕慢な貴公子」、
    また大鏡の記述から「可笑しいことがあると直ぐ笑いだして
    笑いが止まらない癖があった」と、
    平貞文は「女に好かれる男の常として、なまけ者ではあるけれども、
    洒脱で、のんきで、人あたりがよくて、めったに物にこだわらない彼」
    と表現されている。

    私は時平が国経の北の方を奪う流れや、
    平貞文の恋模様などが描かれる前半部分が、
    文章に引き込まれて次々とページを捲ってしまうほど面白かった。
    特に国経の北の方を奪うシーンは臨場感があった。
    時平の傲岸さが際立っていて憎く思う。

  • 主人公の滋幹はいつ登場するのかと思いながら読み進めた。結局、後半になってやっと登場した。そう、あの蘭たけた北の方が置き去りにした息子のことだったのだ。だから、その母がタイトルにあるわけだ。そこでタイトルの意味もはっきりした。そして、最後のシーンにつながる。その場所は、哲学の道よりももう少し北になるのだろうか。川があり小さな滝もあったのだろう。老いた母と出会うシーンが目に浮かぶのだ。滋幹の老いた父国経が不浄観とやらですさんでいく、なんとも重々しい場面から最後の美しい再開の場面へと向かうのだ。前半は、平中がコミカルな役回りで、時平とのやりとりでタジタジに追い込まれていくところ、思いを果たせない女性のお虎子を取り上げるシーンなど、もう電車の中で読みながら、笑わずにはいられなかった。時平の企みが功を奏し、国経の北の方が連れ去られる。ここで大きく話は展開する。平中が幼い滋幹の腕に歌を書き、その母へ自分の思いを伝える。返歌もあったようだから、それなりに心は通じ合っていたのだろう。いずれにしても、この平安時代の空気感をたっぷりと感じることができたのがなんともうれしい。たぶん5年前なら途中で投げ出していたかもしれない。それがこんなに楽しめるとは。そのことが自分にとっては驚きである。3年前に、1年半ほどかけて、月1回のペースで源氏物語を時代背景の解説などもしてもらいながら読む機会を得た。それが、これほどまで自分の身についているとは思いもよらなかった。中高で古文は一通り学んだはずだが、まったく何も残っていなかったのだ。やはり学習というのは、機が熟して、自分の中から学ぼうとする意欲がわかないと身につかないものなのだなあとしみじみ感じた。そう言ってしまっては身もふたもないのだけれど。

  • 時平が大納言から堂々と妻を奪うシーンが圧巻。
    大胆不敵ってこのことだなぁ。

    わき役だけど平中の三枚目っぷりも光っていて好きだ。
    時平のキャラが立っているせいか、滋幹や大納言の印象がちょっと弱かった。
    最後の尼になった母との再会のシーンは感動的だけれども。

  • 「痴人の愛」以来谷崎小説は避けてきましたが、雅で上品な官能に満ちた話でした。
    最初に驕慢な貴公子の恋の駆け引きにどぎまぎして、
    妻への恋情に死んだ夫とそれを見つめる滋幹の場面にどこか無常観と業の深さを感じ取りました。
    滋幹の母、北の方が最後に尼僧になったからかも。

    何もせず、美人というだけで夫とその係累と元夫、情夫やもう一人息子も?死に至らしめてしまった北の方が一番浮世離れして、まるで雲をつかむように心情が読めなかった。
    周りの男たち、滋幹すら北の方への欲望でドロドロしているのに。

    最後の40年ぶりの親子の再会のおかげで、北の方は魔性の女という誹りを免れていると思うのは意地悪?
    男って母という女には弱いのねと思いました。
    女性とその親…ならまずないように思います。
    実際、こんな綺麗なだけの生き物じゃないもの。
    だから北の方視点の話がないのかしら。

  • 谷崎だね。
    この本のすばらしさというのは……なんだろうな。
    描写の美しさというのは、偉そうに言うが深くは私には理解できなかったと思う。



    王朝文学とも位置づけられるのかもしれないけれども、その割には読みやすい物語です。
    母を求める汚れのない思いを、とても控えめながら編み込むように描かれている。
    まるで、御簾に控えるその姿を、手を伸ばせば触れることも難しくないが、顔も望むこともかなわないその姿に焦がれるがあまりに、ただ話しかているようかの切なさが描かれている。
    やはり「母」というものに対する思いを描くの男性の方が同じ経験をしても描くときの思いと情熱のかけ方が違う。
    母を求めて書く物語であるのなら、リリー・フランキーの数十倍もよいが、個人的には「山椒太夫」の方が何倍も美しいと思えてしまうな。

    それも読みやすいし……


    谷崎は不思議な方ねん。

  • 少将滋幹は大納言藤原国経の息子。母は業平の孫。
    この2人50歳の歳の差がある。70代の国経が大事に大事にしていた美しく若き妻は20代。
    おいらくの恋にも程がある。本当に国経の子だろうか?
    この若くて美しい妻の噂を聞きつけ、国経の甥である藤原時平に奪われてしまう。
    その時国経の元に残された子供が滋幹である。

    話はまだ、若き夫人が国経の元にいた頃、平中が夫人のところに通うところから始まる。
    噂を聞いた時平が平中を呼び夫人のことを聞き出す。2人のやりとりが面白いし、時平にしてやられる平中が不憫すぎて笑える。

    以前読んだ小説「時平の桜、菅公の梅」ではこの滋幹は時平が夫人の元に忍び込んで、その時の子のような描き方だったが実際はどうだろうか?
    時平の元に行った夫人は、「時平の桜、菅公の梅」では子供は生まれていないが、谷崎潤一郎さんのこの小説では子供を生んでいる。色々と設定が異なっている。国経はやや老ぼれた感じが強いけれど、時平は傲慢で自信家な谷崎作品の方がしっくりくる。

    妻を奪われた後の国経が不憫。
    その行動は不可能だけれど、そうするしかなかったのも哀れ。
    時平の元に行ってしまった母に会いたいとも言えず、耐えていた滋幹が、40年経ってやっと再会したところは涙ぐんでしまう。

    「時平の桜、菅公の梅」と読み比べてみるのも面白いと思う。
    昭和28年に書かれたと思えない小説。

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著者プロフィール

1886年7月24日~1965年7月30日。日本の小説家。代表作に『細雪』『痴人の愛』『蓼食う虫』『春琴抄』など。

「2020年 『魔術師  谷崎潤一郎妖美幻想傑作集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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