- 本 ・本 (422ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101005140
感想・レビュー・書評
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やっと読了した。これで蒔岡四姉妹との付き合いは終わった。
読み終えて、「で、一体作者は何が言いたいのだろう?」と思ったが、解説を読み、そもそも谷崎文学は作者が言いたいことを表す文学ではなく、作者が主観を消すことによって、「ものがものを語る」物語文学として成功しているのだ、これこそ「源氏物語」から続く日本の物語文学の伝統なのだということ。ふーん、なるほど。
34歳にもなって、お見合い相手を怒らせるほど内気でなかなか結婚出来ず、かと言って自活する気もなく、何時までも姉たちに頼りきって気位ばかり高い、腹が立つような、でも美しい三女雪子。(結局、最終的には貴族出の男性との縁談が纏まりました。ま、親の財産を当てにしている、似たようなタイプです)
板倉が突然亡くなったあと、また、ボンボン啓三郎とのよりを戻したかに見えて、バーテンダーとの子供を宿した、名家を破壊するような生き方ばかり繰り返す四女妙子。
蒔岡家の人等が皆、おっとりして気位が高く「そんなに簡単に縁談に載ったら、軽く見られてしまう」などと気にしている間に、サバサバと事を進め、渡米までの10日間ほどて見事に雪子の縁談を纏めてくれた、やり手美容師の井谷婦人。
人が良く、雪子の縁談のために、妙子の火消しの為に、あっちこっちの人とこっそり会ったり、手紙を書いたりといつも奔走してくれる、幸子の旦那の貞之助さん。
人物の容貌、性格、言動の描写が細く面白かった。でもストーリーとしては昼ドラのようであった。
谷崎潤一郎は「エロチックの天才」と言われているらしいが、妙子がお産で死ぬほど苦しんでいるときには、口から「蟹糞」のようなものを吐き出すし、最後、雪子が婚家へ出発する日には「下痢が止まらない」。花や蝶みたいな綺麗な物を描くだけでなく、そういう肉体的にも内面的にもドロドロしたものを含めた生命を描いてこそ、エロティックというのかな。私は子供だから?(えっ?)理解するのはちょっと難しい。-
わたしもちょうど読み終えたばかりで、にたような感想をもちました(特に三女にイライラ、次女夫に感心)。
>谷崎文学は作者が言いたいことを...わたしもちょうど読み終えたばかりで、にたような感想をもちました(特に三女にイライラ、次女夫に感心)。
>谷崎文学は作者が言いたいことを表す文学ではなく、作者が主観を消すことによって、「ものがものを語る」物語文学として成功している
とは知らなかったです。目から鱗でした。2021/05/27 -
えみりんさん、はじめまして。コメント有難うございます。
同じタイミングで読み終えられたのですね。新鮮な感想を分かち合えて嬉しいです。
「上流...えみりんさん、はじめまして。コメント有難うございます。
同じタイミングで読み終えられたのですね。新鮮な感想を分かち合えて嬉しいです。
「上流社会のお嬢様方も大変やな。私に関係のない世界の話やな。」と思いながら読んでいたのてわすが、妙子が赤痢になったあたりから、上流社会もお嬢様も関係ないような赤裸々な部分まで描写され、綺麗な人だからこそ、こっちが恥ずかしくなってしまうような、醜いといえば醜い、エロチック?といえばエロチック?なやはり昼ドラとは違う芸術作品なのかな?とあとから考えると分かる作品でした。
正直、あまり好きにはなれませんでしたが、文学史を勉強したと思ってます。
2021/05/27
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下巻になり、雪子と妙子の運命がそれぞれの方向に極まってくるスピード感と盛り上がりはさすが。
どこか突き放した描き方になっていくところが面白くもあった。
貞之助の手紙が何度も出てくるが、(当然作者の谷崎が書いたものであるのだが)縁談を断るのも、お願いするのも、待ってもらうのも、相手を気遣い、その上で、複雑な自分の立場をうまく相手に伝える、最上のお手本のような仕上がり。
おお、うまい書き方だなあと何度も感心した。
この小説の蘆屋の家の空気にすっぽり入ってしまっていたらしく、読み終わってみると、ああ、もうこの人たちと会えないのか、とさみしくなった。
長編小説の良さはこういうところにある。 -
昭和16年という時代が、ただそれだけで胸をつまらせる。
幸子の抱えている悩みが、なんて平和でのんきで取るに足らないことか。
あの頃に戻りたいと間もなく思うようになると思うと、小説内の日々のすべてが愛おしい。
崩壊寸前の滅びの美の内包、挽歌的な切なさ、まさにそれ。
幸子も結婚前はブルーだったと知ってホッとした。
また読む。 -
はぁー面白かった! あらすじから受ける印象とは比べ物にならない面白さだった。下巻後半になると上巻にあったおっとりした雰囲気が消えることもあり、ほぼ幸子視点で妹二人に気を揉み続け。途中で「ちょっと待てよ」と我に返る隙も与えられず、妙子の行状が明らかになるシーンでは幸子同様にショックを受けてしまった。『細雪』は閉じた人間関係の不健全さを流麗に描いて傑作なので、日本の美とか興味なくてもどろどろホームドラマが好きならおすすめ。
それにしても妙子。有能なのに人の気持ちに興味がなくて、それでおかしなことになり、姉さんたちも妹がかわいくて波風立てたくなくて、きちんとフィードバックを返さないために事態を拗らせて。家族って互いの短所を強化してしまうところがあるから怖い。
最後のあれは、聖女を人間の女に引きずり下ろしてるんだな、と思いました。 -
長女が東京で子育てに追われ、
次女が家の体面を保ちつつ生活をし、
三女が幾多の縁談を避けながらも変化を過ごし、
四女が我を通して望まれない恋愛をする
そんな蒔岡家の日々は、最後のページをめくった後にも続いているような、巡る人の世に終わりなど無いと思わせるような、不思議な読後感。 -
上・中・下、一気読み。大作。四姉妹の次女幸子の繊細な思惑を中心に描かれ、姉妹だけでなくその他の登場人物のキャラクターがそれぞれ面白い。ずーっと読んでいられる。もう終わってしまったという感じ。家の中の描写も近所やその周辺の有り様もはっきりと思い浮かべることができる。全てにおいて細かな描写がすごい。
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初めてまともに純文学というものを読み、その魅力に気づけた一冊。
上中下と読むのは大変だったし、話自体も起承転結とかがあるわけじゃなく、蒔岡四姉妹の日常をつらつら描く、という感じなのだけど、読んでいて全然退屈しなかった。
日本人、特に関西に住んでいる方はぜひ読んでみるべき。そして谷崎潤一郎の文体、何だかとても好き。男の人なのに何処か文に女性のようなたおやかさがあるからなのかな。他の作品もぜひ読んでみたいと思った。 -
だいたい1930年代後半~40年代初頭を舞台にした、芦屋の金持ち四姉妹の話。船場老舗商家の蒔岡家。主人公姉妹の父の代までは豪奢に暮らしていたが、晩年には既に経営は傾いていたようで、父の死後は後を継いだ長女の婿が店をたたんでいる。妹たちはそれが面白くなくて、他にもいろいろ(非理性的なものも含めて)理由があって妹たちはこの義兄とはあまり仲良くない。
長女(40くらい?)の婿は銀行員。この夫婦は「本家」。子だくさん。転勤で東京渋谷に引っ越す。
二女(30後半?)の婿は会計士。この夫婦は「分家」。芦屋に住む。娘がひとり。
三女(30ギリ前半くらい)と四女(ギリ20代くらい)は未婚。本家と東京が嫌いなので分家に住んでいる。
多くが二女視点で書かれていて、三女のなかなかうまくいかない見合い、四女の奔放な恋愛沙汰、それらの監督責任を本家から問われるかも、といったことに悩みながら、ピアノを弾いたり芝居を見たり鯛を食べたりお買い物をしたり習い事をしたりして暮らしている。専業主婦ね、と思うなかれ、主婦業は当然、女中のお春どんやらお久どんやらがやるのです。
「これは当時の最高級品だった」とか「これを当時持っていた家庭は数パーセント程度だろう」とか、そういう巻末注釈ばかりふられる生活の描写。
四女が丁稚あがりの男と恋に落ちようものなら「あれはまったく種類の違う人間だと思っていたからそんなこと想像もしなかった、まさか蒔岡家の娘がそんな、」と慌てふためく。
…と、こう冷静に書くとなかなかいけすかない女たちのようにも思えるのだが、読んでいる間は不思議とそんなふうには感じなくて、結局「お嬢さん育ちで人が好い」ということなのか、作者の筆力ですっかり芦屋ライフに引き込まれているからなのか、いろんなエゴも「人間臭くて共感できる」というくらいに感じられる。
戦争はどんどん激しくなるのだが、洋裁の修行のためにパリに洋行したかったけど危ないなとか、お隣さんだったドイツ人家族が帰国していったけど達者だろうかとか、あまり華美にするとやかましいご時世だから父の法事を盛大にできなくて寂しいとか、婚礼衣装を新調できないとか、恒例の花見でいつも行っていた料亭は今年はやめねばとか、、、切迫感に欠ける。
何が面白かったか、と聞かれるととても難しい。でも面白かった。映画を先に観ていたおかげもあるだろう。そしてこの、起伏のない長編を、市川崑はきれいに映画にしたもんですね。すごいなー。
原作のほうもまた最後の終わりかたがねー。そうやってこの長編を終わるんか!っていう。やってくれる。(別にどんでん返しとかじゃないですよ。)
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