鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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本棚登録 : 994
感想 : 73
  • Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101005157

感想・レビュー・書評

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  • とうとうこのエロ爺は死ななかった。もともと映画で「鍵」を見た。なかなかの設定である。これは原作で読まねばと思っていた。主人公の大学教授と思われる人物は自分と同い年である。一回り近く下になる妻の性欲について行けない。しかし、そこに嫉妬を介することで、持続が可能になる。そこに、双方の日記が活躍する。よく考えられた設定である。そして、とめどなく性におぼれていく主人公は妻の上で死ぬ。私と同じ年齢である。後半の老人日記。こちらはもう70歳を過ぎている。息子の妻を溺愛することになる。まわりも認めているのだからまあ許されるのか。その義理の娘に、頸に接吻させてもらう見返りとして、300万だかするキャッツアイを買ってやる。大きな宝石である。目立つのだ。それを実の娘と妻にとがめられる。そのシーンがなんともほほえましい。しらばっくれることもできず、逆ギレをしている。このエロ爺。最後には、この女の足の形を石に掘ってもらい、それを墓石にすることをたくらむ。死んでもずっと踏みつけられていたいらしい。ああもうたまらない変態爺だ。しかし、憎めない。ところで日記はカタカナと漢字で書かれている。実に読みにくい。しかし、少しスピードは落ちるものの、内容に魅かれて最後まで読み通すことができた。まあ慣れるものである。そういえば、昭和1ケタ生まれの父も、カタカナと漢字で日報を書いていた。70歳を過ぎてから、趣味の進捗を記録する日報だった。きっと、教育がそうさせたのであろう。

  • 僕の初めての谷崎が「鍵」だったンだけども、駅のホームで読み始めていきなりウワチャーとなった。冒頭から夫の日記で、「最近性生活が充実してない」「妻は類稀なる名器で絶倫なのに自分は満足させることができなくてくやしい」とかそういうのが頻出する。

    「鍵」は夫と妻の日記が交互に提示され、地の文が存在しない日記体の作品。夫は自分の日記で自分の衰え始めた性能力がどうやったら盛り上がって妻を満足させることができるかを書いていて、その日記を妻に読ませようとあれこれ仕掛ける。でも妻もそんな夫の浅い作戦なんてとうに見破っていて、そんな日記読むもんか、ということを自分の日記に書く。お互いの日記の内容が呼応して、その両者の日記の積み重ねで物語が展開していくところが実に巧妙。

    夫は自分の性欲がどうしたら盛り上がるか考えて閃く。己の性欲を燃え上がらせるもの、それは「嫉妬」!! んで、娘の結婚相手にしようかなと考えている若い大学教授を妻に接近させる。できるかぎり接近させる。関係を持ってしまうギリッギリのところまで近づけて妻を淫蕩にする。自分は嫉妬で燃え上がっちゃう、という計画を立てて実行する。

    妻は妻で、自分は貞淑な女性で、夫の妙な計画には乗るまいと、日記に書く。満更じゃないけれど最後の一線は越えないと、日記に書く。この日記に書くというのが基本的な仕掛けで、夫も妻も日記に書いているだけで、それがイコール作品内の真実とは限らない。そう考えて読んでいくと終盤が近づくにつれどんどん推理小説の体を成していく。
    読むまで谷崎は官能小説というか、事件や策謀といった、推理小説犯罪小説とは関係ないと思っていたけど、それは誤りで、実は非常に推理小説らしいところが沢山ある。実際推理小説も書いているようで。

    「鍵」の見事なところは、主要な登場人物の動機は全員性欲、性衝動であるにもかかわらず、性行為という具体性を伴うはずの題材にかかわらず、作品全体は抽象的に仕上げられているところにある。ただエロいだけではなく、計算されて、演出の一部としてのエロティックなのです。エロティックはリアリズムとも重なる。谷崎のエロスはあくまでリアリズムの一環だったりする。リアリスティックなのに抽象。谷崎は計算ずくで作品を構築していて、実に構造的なのに、それを鼻にかけないところがかっこいい。惚れる。でも女好きすぎて引くわ。

    「鍵」は連載中に大いにその過激な描写(読むと単なる過激ではないことがわかる)が話題になり、国会でまで取り上げられた。それらの騒ぎへの対応なのか、結末が、推理小説やサスペンス小説としてならありえるものだけれど、全体としては不自然な出来となっている。これは本人も不完全燃焼を認めているらしい。このリベンジは「瘋癲老人日記」にてされる。


    「瘋癲老人日記」は、老人が嫁(息子の妻ってことね)の首をれろれろ舐めたり、足の指をちゅばちゅばしゃぶって、嫁に殴られたりする日常を、日記体で綴った作品である!! 谷崎じいさん元気!!(執筆時もう70歳過ぎてたかな?)

    嫁は颯子というのだけれど、この颯子がとにかく魅力的。一方じいさんは寄る歳波で不能ではあるが、性欲はある。なお盛ん。もう嫁が好きすぎて好きすぎて、嫁にちょっかい出しまくる。嫁は嫁でじいさんをあしらいつつ、個人的なお願いなどのためにじいさんを利用してる。マア嫁は家の仕切りに関しては有能なので単なるわがまま奥さんではなく、むしろやり手なところが素敵。

    じいさんは嫁にあしらわれてもウヒヒ、ものねだられればウヒョヒョてな感じで、老人扱いでうざがられるのすら楽しんでる。ジジイ・テリブル!!
    颯子がシャワー浴びてて、じいさんに背中拭いてと頼むシーンがもう爆笑必至。

    背中拭いてと頼まれたのに、じいさん何を思ったか颯子の首をペロリと舐める。

    颯子、じいさんの頬をバシィーッ!! ヘラヘラするじいさん。

    おい、ジジイ!!! 


    僕と代われ!!!!


    その後、タイガーアイを買ってやることを条件に颯子様から首とか足ペロペロし放題の権利をいただくのですが、最後までキスはお許しいただけないあたり、ドMにはたまらないんじゃないでしょうか。

    体調の悪化で、墓を撰ぶことになったじいさんは、颯子の足形で仏足石を作り、自分の墓石に刻むことで、死んでも颯子に踏みしめられ続けることを望む。ここらへんにくると、じいさんの日記だから彼の一人称なんだけど、ちょっとボケてきたのかなと思わせる。お墓選ぶ旅行中に颯子は我慢できなくなって逃げ出して、じいさんも追いかけて急いで東京帰ってきたら駅にストレッチャーが待ち構えていて、そのまま入院させられちゃう。颯っちゃ~ん。

    「鍵」に似た部分があるので、じいさんも最後死ぬのかなーと思ったら、じいさんは結局最後まで死なない。死なないのがこの作品を明るくしているし、逆に薄気味悪くもしている。じいさんの大いなる夢は凡人にはちょっと理解するのは難しいのであった。


    「鍵」も「瘋癲老人日記」も日記体という地の文が存在しないスタイルで、それでも物語が成り立つところに、地の文が存在するよりもリアリティが迫ってくるところに、谷崎の巧妙さを感じることができる。
    ちょっとマゾかも、美女に罵られたいかも、という男子にはお勧めの作品。

  •  
    ── 谷崎 潤一郎《鍵・風癲老人日記 19681029 新潮文庫》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/410100515X
     
    ── 谷崎 潤一郎/棟方 志功・画《鍵 19560100-0500-1200
    中央公論(全9回)》市川 崑・監督《鍵 19590623 大映》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/BN07328029
     
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JAK0VA
    ── 谷崎 潤一郎《風癲老人日記 19610101 中央公論社》
     
    (20091110)(20210202)
     

  • 鍵・瘋癲老人日記
    (和書)2010年01月27日 19:30
    1968 新潮社 谷崎 潤一郎


    随分前に読んだ本で、柄谷行人が「瘋癲老人日記」について触れていて、その時から読んでみようと思っていたのです。

    カタカナと言うところが、読めるかどうか心配だったけど、この作品に関しては非常に読み易く良かった。

    「鍵」「瘋癲老人日記」のエロティシズムがとてもユニークで面白い作品だった。

  • 夫と妻が書く、それぞれの日記を通して話は進んでいくのだけど……お互いに日記の存在は気付いているわけで「相手の日記を読むわけがない」と言いながら、「自分の日記は読まれている」とも思う。

    こうなると、日記の何が虚構で、何が真実なのか。
    書き手として、読み手として、騙し合いと探り合いをしている夫婦っていうのが面白い。

    電子上であっても、この「鍵」の概念は変わらず、秘められているという、そのことに「秘めなければならない」ものが書かれているんだと詮索してしまうのが、人の常。

    そして「秘めなければならない」ものなら書かなければいいのに、書いてしまうのも、人の常。

    さて、この小説のさらに面白いところは、二人の娘と娘のボーイフレンドまでが絡んできて、この日記が読まれている可能性があるということ。

    そういう後ろめたさを、さらに情欲のスイッチにさせてしまうところが、谷崎潤一郎らしいなぁと。

    日記が一つの文学として非常な魅力を持っていることがよく分かる。
    ……のだけど、小学生の交換日記じゃないんだから「もう勝手にやっといてくれ」と投げ出したくもなる(笑)

  • 「鍵」
     こんなすごい小説があったとは…。
    エロくて、且つエロを極めすぎていてエグイ。エロの極北をも越えてゆく。凄絶である。
     通勤電車内で読んでいたのであるが、私が電車内で読んでいるこの文庫がこれほどエロい内容だとは、よもや誰も思うまい、などと密かに北叟笑むのであった。

     舞台は京都。夫は、大学の教授らしい56歳の男。妻・郁子は45歳。ふたりの間に、奇妙な「交換日記」のようなものが始まる。のような…と云うのは、夫は、その内容を絶対に妻に読まれてはならない、として鍵をかけて厳重に保管している。のだけれども同時に、妻がこっそりこの日記を開くことを誘導する策を弄する。妻もまた同様に、夫に読まれることを意識しつつ、赤裸々な内容を日記に書き続ける。

     赤裸々である。ふたりの夫婦生活の内容は、とても赤裸々である。しかも、赤裸々の度合いがどんどん深まってゆく。

    妻は、ブランデーを深酒するたびに、前後不覚となり昏睡するようになる。この点だけは、劇的な展開を促すために好都合な設定に感じる。だが、面白いので許す。

    妻がたびたび意識を失うのをいいことに、夫は、ポラロイドカメラでの撮影を開始。妻のあられもない姿をバシバシ撮影する。さらにはフィルムで撮って、木村という男に現像させる。妻が深く昏睡状態なのをいいことに、夫はいろんな行為をやらせる。

    木村という男と妻の浮気が疑われるようになる。妻と木村の関係も、日毎に怪しくなってゆく。一応貞淑を装っていた妻も、何やらいろんな技を身に付けて、開発されてゆく。
    あげく、妻は日記に記す、木村とは一線を越えていない。だが「汚サレルヨリモ一層不潔ナ方法デ或る満足」なんて、言葉も出てくる。

     だめだ。これ以上は書けない。あまりに赤裸々で、ここでは詳しくは書けない。

    「 性生活の闘争 」という語が、中盤、妻の日記に記述されている。読み進めるうち、これほど迄に淫蕩な人妻が実際に居るだろうか、ここまで一途に妻の肉体を求め続ける夫が居るだろうか… という疑念も感じ始め、ふたりの“闘争”が戯画のようにも思えてくる。

    想像を越えるすごい展開が続き、終盤に向かい、破滅の気配が漂いはじめる…。

    終幕、“闘争”の果てに、妻はほんとうの真相を詳らかにする、さらなる“深層”を告白する日記の筆を取る。そこには、性生活の闘争の裏に秘められた残酷なエゴ、捕食獣の姿も浮かぶのであった。

    * * *  

    さて、ところで、妻郁子は、淫乱な女だということだが、「病的二絶倫ナ妻」という表現がある。(54p)。女性にも絶倫という表現を使うのだな、と妙なところが気になった。

    * * * * * 

    ・『瘋癲老人日記』

    これまた、面白い。痛快なヘンタイ小説である。

     卯木督助は77歳。息子の嫁、颯子を好きでたまらない。老人(文中「予」)は、シャワー室の颯子に、足をなめさせてくれ、とせがんだりする。

    あげく颯子から
    「始末に悪い不良老年、ジジイ・テリブル!」と云われる始末。(↑踊り子出身のちょっと蓮っ葉な颯子だが、教養というかウイット、センスが伺える。)
    さらには、老人は、

    「颯チャン、颯チャン、痛イヨウ!」と、
     (神経痛らしき)手の痛みを訴えつつ、颯子の接吻をせがむ。 笑った。77歳のだだっこである。

    圧巻は、自身の墓石のために、颯子の「仏足石」を準備するプロジェクト。京都のホテルの部屋で、颯子の足に朱墨をつけて、足拓をとることに夢中になる。死後も永遠に颯子の足に踏みつけられる悦楽を願う、のだ。

    作品の時代は意外と現代に近いようで、颯子は映画「太陽がいっぱい」を観に出掛けたりするので、1960年ころのようだ。新幹線はまだ開通していない。

  • 両編とも日記体で書かれている。
    鍵:中年夫婦の日記が交互に表れ、肉体的に衰える一方、ますます旺盛な情念を持つ夫、夫の肉体に満足できない妻、双方の思惑、策略、計略がすごい。。
    瘋癲老人日記:病んだ老人の倒錯した性的欲求が実に生き生きと描かれる。「鍵」よりもリラックスして読める。ときにユーモラスですらある。老人の性的欲求というものは、不能になっていくのと反比例して情念的としてはますます盛んになるものか。

  • どちらも老境にありながらも性に固執する(老境にあるからこそ?)哀しい男のサガの話。鍵はよくできてるなーと感心。そして陣痛に耐えながら死にゆく瘋癲老人の話を読み終わるタイミングの妙。。

  • いつも開くと睡魔が襲い、読むのにとても長くかかった。
    ひらがなの部分が全てカタカナの表記。内容はなんとなくわかったが、はっきりと残らないのはそのせいなのか?まるでトリック。
    こんなものを書くから変態と言われるのだろうけど、こんなものを書けるのは谷崎しかいない。

  • 息子の嫁に脚を舐めさせてもらって大興奮!
    谷崎小説にだいぶ洗脳されてきたのか、このジジイに嫌悪感を感じないどころか、最も親しみを感じます。
    異常に見えるけれど、みんな人に言えない闇を持っている。

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著者プロフィール

谷崎潤一郎

明治十九年(一八八六)、東京日本橋に生まれる。旧制府立一中、第一高等学校を経て東京帝国大学国文科に入学するも、のち中退。明治四十三年、小山内薫らと第二次「新思潮」を創刊、「刺青」「麒麟」などを発表。「三田文学」誌上で永井荷風に激賞され、文壇的地位を確立した。『痴人の愛』『卍(まんじ)』『春琴抄』『細雪』『少将滋幹の母』『鍵』など、豊麗な官能美と陰翳ある古典美の世界を展開して常に文壇の最高峰を歩みつづけ、昭和四十年(一九六五)七月没。この間、『細雪』により毎日出版文化賞及び朝日文化賞を、『瘋癲老人日記』で毎日芸術大賞を、また昭和二十四年には、第八回文化勲章を受けた。昭和三十九年、日本人としてはじめて全米芸術院・米国文学芸術アカデミー名誉会員に選ばれた。

「2021年 『盲目物語 他三篇』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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