- 本 ・本 (207ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101006024
感想・レビュー・書評
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戦後に生きる没落貴族である家族三人の滅びの姿を描いた作品。
語り手のかず子、母、弟の直治。貴族という家柄でありながら、父を失い戦争を終え、移り変わりゆく時代に放り出されてしまった三人。
彼女たちの没落貴族としての生き方、滅びゆく様は、三者三様だった。
最後の貴婦人と称される母は、生粋の貴婦人。
夫が亡くなってもお金の使い方は変えず、家にある着物などを売りながら生活水準を落とそうとはしなかった。そのためにお金は尽きてしまう。
世間知らずのお嬢様のような一面と、娘がボヤを起こしても怒らないというような、何事も受け入れる心の広さも持ち合わせていた。
体は弱かったが、最後まで貴婦人として生きようとする精神は強く清らかであった。
母と山荘に移り住み、母を守ろうと健気に働くかず子。
貴婦人の娘である彼女も世間知らずなところはあるが、彼女なりに懸命に母を想っていることが痛いほど伝わってきた。
母を亡くしてからは、自身の革命に生きる。それは子どもを産むことだった。母が生きるすべてだったかず子は母を失い、ある意味で一度滅び、子どもを産むことで更に力強く生きていくのだろう。
弟の直治は、言葉遣いも態度も悪く薬物中毒となり最後は自殺してしまう。
彼は貴族でありながら一般人との付き合いも多く、自身が貴族であることに苦悩していたようだ。
下品に、強暴になれば一般人と同じになれるのではと考えたが無理だった。やはり彼もまた貴族だった。
三人の生き方の選択は、それぞれ苦悩を抱えながらも自分の信念を貫き通したものだったように思う。滅びゆく様も貴族らしく華麗だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
敗戦後、華族制廃止により没落していく上流階級「斜陽族」流行語大賞を取れたであろう作品。
父親が没し、困窮の中援助を受けながら生活する元貴族の母娘。没落を悲しみ、最後の貴族として弱り病死する母。麻薬中毒から酒に溺れ放蕩の末、自死を選ぶ弟。弟が師事していた作家上原も酒に溺れ自堕落な生活を送っている。娘かず子は、上原に恋をし、全てが破滅した後も、彼の子供をひとり産む決意をする。弟は、上原の奥さんが好きだった。
当時、すごく売れて、太宰治は人気作家となったらしい。退廃的で明るい小説ではない。でも、どこまで破滅するのかゾクゾクする感じ。
かず子の、「自身が生きる道を切り開く革命」という底力。モデルは太宰治の愛人というから、投影されているんでしょう。
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後悔するかもと怖々 手に取ったが、読んでよかった。
太宰の女性独白体は天下一品。
弟・直治(なおじ)の夕顔日誌なる手記や遺書(出た…)、デカダン作家・上原の素行シーンは読み飛ばしたくなったが、その他は食い入るように読んだ。
ロシア人作家や共産主義にどっぷり浸かっているのには驚いたが、わたしは太宰の箴言警句が大好きだ。
冒頭のスープのシーンもよかったし、各章の末文に秀逸なものが多かった。
娘・かず子の、突拍子もない自己中心的な手紙にも不思議に心惹かれた。
太田静子が実際に書いた日記や手紙を元にしたというから、真に迫る表現なのも道理かもしれないが。
◇
恋、と書いたら、あと、書けなくなった。
それから、直治が南方から帰って来て、私たちの本当の地獄がはじまった。
おわかりになります?
なぜ、私がうれしかったか。
おわかりにならなかったら、……殴るわよ。
生まれて来てよかったと、ああ、いのちを、人間を、世の中を、よろこんでみとうございます。
はばむ道徳を、押しのけられませんか?
私は確信したい。
人間は恋と革命のために生まれて来たのだ。 -
「他の生き物には絶対に無くて、人間にだけあるもの。それはね、ひめごと、というものよ。」
「学問とは、虚栄の別名である。人間が人間でなくなろうとする努力である。」
みんな毎日、考え生きている。
そして太宰治のなぜ考えているのかを噛み砕く本質を捉えた言葉が響く。 -
冒頭、かず子の母がスープを飲む場面からいきなり引き込まれてしまいました。
ひらり、ひらりと燕のようにスプーンを運ぶ母の姿からうかがえるかつての日々と、現在のこの母子の境遇の差にくらりとさせられるのです。
物語が始まった時点で、すでに彼らの滅びの予感は漂っているのですが、どんどん濃厚になっていく滅びの色から目が離せなくなってしまいました。
語り手のかず子、彼女の母、弟の直治、小説家の上原。
この主要な登場人物たちには、共感できない部分や思わず眉をしかめたくなってしまう言動もあります。
しかし、自分の中にもこの4人がいるような気にさせられるから不思議です。
程度の差こそあれ、きっと誰の心にも4人は潜んでいて、普段はそのことに気付いていなくても太宰治の文章を読んでハッと気付かされているのではないでしょうか。 -
一気に読んでしまったけれど、あとで重いものがどっと押し寄せてきた。
奥の深い小説だと思った。
かず子と直治は、同じ姉弟でも、対照的な生き方をしていると思う。
破滅する時の、男と女の本質が、あまりにも違いすぎる。 -
再読。太宰を読むたびに思う。現代の生き辛さが度々話題になるが、いつの時代も人間は生きにくいもの、そしてその原因となるものも本質的にはいつの時代も変わらない。登場人物たちが苦しみ悲しみささやかな幸せを感じ、そして崩壊していく描写がとても人間らしく美しい。
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昭和20年、戦後の没落貴族の一家は、ついに金策尽きて東京の家を売り伊豆の小さな家屋に移る。出戻りのかず子と、美しいお母さまの静かな暮らし。しかし出征して麻薬中毒になっていた弟の直治が戻って来て、平穏は乱される。直治は家に居つかず放蕩を繰り返し、東京の小説家の上原のところに入り浸っている。やがてお母さまが結核を患い…。
久しぶりに再読。没落貴族を描いた、太宰流の『桜の園』。スウプをヒラリ、と飲む美しい「お母さま」の描写で始まるのがとても印象的。主人公かず子が「最後の貴族」だと思うお母さまの上品さはとても魅力的で、だからこそ逆に、終盤のかず子の野卑なまでの貪欲さや生命力と対照的だ。
かず子は、途中まであまり好きになれなかった。突然、上原に恋文を送りつけ出すあたりも突拍子もなくて。ラストの猛々しさで結構好きになれたけれど。そして直治と上原はどちらもどうしようもないダメンズなのだけど、これはもういずれも太宰自身の分身だからいたしかたないか。太宰自身は貴族ではないが、裕福な大地主の家に生まれ、直治の中途半端な革命思想はおそらく太宰自身のものだろう。
かず子のモデルは、太宰の愛人だった太田静子で、妻子ある太宰の子を身籠ったのが、ちょうど太宰がこの「斜陽」を執筆中だったというから、終盤の上原とかず子の関係は、太宰と静子そのままだったのかもしれない。
蛇のエピソードの使い方などとても好きだが、登場人物への共感度は、個人的にはあまり高くなかった。実は意外とユーモアのある太宰作品の中で、これはかなり笑えない種類の作品だと思う。 -
2019年1月5日、読み始め。
高校生の時に通読したと思う。当時から40年位たってから再読することになる。没落、人間の弱さ、時代の流れ、など、高校生時代では理解不能だったことも、歳を重ねたことで、いくらかはわかるようになってきた。名作を再読する意味がある所以である。
2019年1月19日、95頁まで読んで終了とする。
著者プロフィール
太宰治の作品





