ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

著者 : 太宰治
  • 新潮社 (1950年12月22日発売)
3.65
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  • レビュー :435
  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101006031

作品紹介・あらすじ

新生への希望と、戦争を経験しても毫も変らぬ現実への絶望感との間を揺れ動きながら、命がけで新しい倫理を求めようとした晩年の文学的総決算ともいえる代表的短編集。家庭のエゴイズムを憎悪しつつ、新しい家庭への夢を文学へと完璧に昇華させた表題作、ほか『親友交歓』『トカトントン』『父』『母』『おさん』『家庭の幸福』絶筆『桜桃』、いずれも死の予感に彩られた作品である。

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 太宰治の、晩年の8つの短編集。
    又吉さんのオススメ本。
    全体的に暗いトーンの作品が多いが、所々でクスリと笑える場面もあり、読みやすい作品が多かったように思う。

    「親友交歓」は単純に面白く、ユーモアたっぷりの作品。
    それ以外の「ヴィヨンの妻」他は、金や女にルーズなどうしようもない夫と、それを支えるしっかりものの妻という設定が多い。
    夫のことを憎み切れない妻に、何故だか好感が持てた。

  • 死にたいという人に限って本当に(自ら)死ぬ人はいないと言うが、本当に死んでしまう人もいると最近、友人に言われた。

    斜陽1度、人間失格2度読んで、それ以後ずいぶんたってからの太宰。太宰を知らないも同然。なので、私には解説や表紙裏のレビューと違い、太宰の文体や表現は太宰の体格のように骨太でエラクしっかりしていると感じる。
    読みながらなぜか啄木の泣きながら書いた短歌を思い浮かべたが、それと比べてもお涙頂戴的なものは感ぜず、力強い。死にたいと書きながら生き生きしているとは何事か。

    人間失格の構想原稿も見つかった今、作家自身のことと思わせる作品もすべては完全なる創作と思えて、なんで死んでしまったんだろうと思う。
    死を求めながら生き続ける道があったらよかったのに。(読者のために)

  • つい先日、某所で『こころ』と『人間失格』どちらが好きか、というアンケートがあったが、あれはとても難しい問だと思うのです。
    ストーリーとして記憶に残っているのは間違いなく『こころ』の方で、あれは本当に完成された、これ以上ない一作です。
    対して『人間失格』はといえば、正直、この『ヴィヨンの妻』と同様、私にはほとんど読後に物語としての記憶がなく、あらすじさえ「はて」とページをめくり直さざるをえない。
    というのも、私にとっては、「あれも太宰、これも太宰、みんな太宰」なのです。
    はっきりとストーリーが残る訳ではないけれど、太宰への情と理解が読むほどに深くなっていく。
    だから、あの問は、私にとっては「『こころ』という一作品と、太宰治、どちらが好きか」と問われているのと同義で、「比較対象おかしくない?」となってしまう。
    いずれの作家も、どんなにプロットを練ろうとどこかしらに作家自身が紛れ込んでしまうものだと思うけれど、それにしたって、ヴィヨンの妻でさえ、「妻だけど、これも太宰だ」と感じてしまうのは、我ながら、いかがなものか…

    • くろねこ・ぷぅさん
      >「妻だけど、これも太宰だ」
      イイと思います♪
      フローベールはボヴァリー夫人を書いて、ボヴァリー夫人は自分自身であると語ったそうです。(あとがきによります)
      おんなじカンジですね。
      2017/12/01
  • 少し前はこういう文学はなかなか読めない人間だったはずだけど今はさらりと読むことができるようになったなぁと思う。それがどういうことなのかっていうのはよくわからないけれども。

    これから『走れメロス』を扱うにあたって、他に『人間失格』くらいしか読んだことがないのも何だかなぁと思って2冊借りてきてみたうちの1冊。
    「親友交歓」は森見登美彦が太宰作品を集めた『奇想と微笑』で読んだことがあったもの。ラストの「威張るな!」があまりにも突然すぎていっそ清々しくてなんだか「ふふっ」と笑ってしまう。

    「トカトントン」はタイトルは知ってた。そういうことか、という感じだった。いつ自分の耳にも「トカトントン」が聴こえるかとひやひやする。

    他の作品の中では「母」と「ヴィヨンの妻」と「家庭の幸福」が好きというか、印象的でした。その他の作品はなんだかどれも駄目男と不憫だがたくましい妻の物語といった感じで似たり寄ったりかなと。ヴィヨンの妻もそんな話だけど。
    登場する女性はみな不憫な人なのだけど、不幸そうには感じられないのが不思議です。駄目男も憎みきれないのも不思議。

  • とかとんとん、と先日書いてこの本を思い出した。
    読んだことのある物も含まれているが、せっかくなので読んで見ようという気になったのだ。

    作品を書いた時期の位置づけははっきりしないが、何となく話の傾向が似ているので晩年かなと思う。
    酒と遊びで放蕩を繰り返すだめな旦那とそれに慎ましやかに尽くす妻、の構図である。
    己を悪い奴だとわかっていながらも放蕩から手が引けず、周囲からも見放されていることも度々。そんな己を彼は嫌悪している。でも同時に、だからこそ己だけはと愛してやってもいる。だからこそそんなどうしようもない己をけなげに追いかける妻に愛情を見せる場面もある。その描写がまるで近代の漫画であるかのような控えめかつ非常に魅力的な様子で描かれている。


    太宰が好きな男性というのは太宰のこういった部分に特に共感性を抱くのだろうと思った。
    どんなにだめな自分であっても受け入れて愛してくれる人にすがりたい。
    太宰自身が抱いていた物とはそう言った物とは離れた精神的な空虚からあがくための救済策のひとつであっただけのそれだが、抽出してみてみれば、それは男性らしい恋愛のひとつの見本なのだろうと思う。
    自分勝手と取るかロマンチストと取るかは難しいところだけれども。
    近くにこういった太宰らしさを現代的に体現したような夫婦を知っている。とはいえ、現代になるとこういった男性の理想とは女性側の反発が多くてなかなか難しい物だけども、なんて考えたりもする。

  • ほとんどどれを読んでも不快指数の高まるような作品群。ダメ親父が妻子に後ろめたい思いをしながら自分の楽に逃げ、("社会で認められるような")"家庭的""道徳的"となることができず、反対にそれを憎んでいく、という話の構図。
    これを執拗に執拗に各編で繰り返し、しかもますます口を閉ざしては病んだ自問を深めていく。しまいには、敵視する"家庭的""道徳的"キャラクターの呼び名に、適当に理由をつけながらわざわざ作者の本名を当てるという風に、敵視対象をあげつらいつつ自嘲を含めるとかいう転倒したようなことをやっていて恐れ入る。

    登場人物の繊細で神経質な気性。それと対になる行動の厚かましさ。自己正当化と自己矛盾。主役も脇役も、多くはうんざりするような、付き合い切れないようなところがある。薄暗さ。締めの言葉を投げつけて寄越すような感じ。
    ただ、件の"家庭的""道徳的"であることの異臭も、全く分からないではない。

    以下、印象的な一編と表題作。
    トカトントンはリズムの良さ。一方でカオスに落ち窪んでいくような、でも実際何でもないような。
    ヴィヨンの妻は終盤で急激に沈んでいくのが重苦しい。"泥棒"をキーワードに表面的な善し悪しが見える前半に比べ、後半は見えない・見えにくい部分での善し悪しが混ぜこぜになる。善し悪しそのもののを投げ捨てるかのような態度。

  • 哀しさもあるのに、可笑しくて、噴き出してしまうような物語でした。“悲しいひとたちは、よく笑う(p166)”からかもしれません。

    『親友交歓』
    主人公と小学校時代の同級生で「親友」であるという男が訪れます。ほとんど思い出がないのに、酒をひたすら飲まれ、うんざりする気持ちが伝わってきました。

    『トカトントン』
    トカトントンという音からのがれられない男からの手紙です。トカトントン。

    『父』
    子と妻をおいて、お金を持ってお酒を飲みに行ってしまい、それを“義のため”という、どうしようもない父の話です。

    『母』
    主人公が港町の或る旅館に一泊した際に接した、きれいな声をした年増の女中の話でした。

    『ヴィヨンの妻』
    家にあまり帰らないうえ、お店からお金を盗んでしまった夫がいても、そのお店で働くことになり夫に逢えるのが幸福と言える椿屋のさっちゃんは、強い女性だと思いました。

    『おさん』
    女の人と心中した、たましいの、抜けたひとのような夫でした。

    『家庭の幸福』
    主人公は、からだ具合を悪くして、寝床でラジオを聞いていました。ラジオから役人のヘラヘラ笑いを聞き、「家庭の幸福」についての小説を空想します。“家庭の幸福は諸悪の本(もと)。(p188)”

    『桜桃』
    “子供より親が大事、と思いたい。(p190)”父の話でした。

  • 私はやっぱり純文学は苦手だと思った。
    暗いし、読みにくいし、なんかな、
    太宰治が書く手紙は好き
    だからトカトントンが一番入り込みやすくて面白かった。

  • 表題作はじめ全8編を収録。特に心に残ったのは以下の諸編。
    『親友交歓』は、津軽に帰郷した「私」のもとに突然上がりこんで来た「小学校時代の同級生」との顛末。男は酒肴を要求。秘蔵のウイスキーをガブガブ飲む。さらには、お前のカカを呼べ、俺に酌をさせろ、等と強要。なんともずうずうしい男。「私」は、生涯忘れない苦い記憶、と言うのだが、どこかしらユーモアも滲んでいて、痛快な感じもある。津軽を舞台にした作品のなかでは少々毛色が違っていて、なんとも面白い。

    『トカトントン』。これまた太宰の他作品に似たものは無く、異色の存在感を示す作。(太宰の)小説の読者だという青年からの手紙という型式の書簡体小説。8月15日、その青年は兵舎の前で整列し、厳粛な気持ちで敗戦の現実を受け止めつつあった、ところが、どこからか聞こえてきた「トカトントン」という金槌の音に、つき物が落ちたように、それまで心身を染めていた軍国主義が抜け落ち、ぽかんとした心持になったという。さらに、青年は、その後も、何かに一所懸命に取り組もうとした時など、きまって「トカトントン」という音がどこからか幻聴のように聞こえて、物事に向きあうやる気が消失するのだという。敗戦後のある種の虚無感を描いたものか。呑気のようだが、ある種の鋭さを感じさせ、強く印象に残る短編である。

    『父』、『ヴィヨンの妻』これらは恐らく三鷹時代の作。三鷹を舞台にし、その頃の生活に材をとった作品のようだ。

    『父』。父とはつまり太宰自身のことで、どうしようもない「父」の有様を描く小品。なんとも、人でなしの父である。ある日妻は、風邪をひいて辛いので、今日だけは、配給の行列に代りに並んでくれまいか、と「父」に懇願。しかし「父」たる私は、飲み代を懐手にして家を出る。しかも、飲み屋の近くで、寒空に並んでいる妻と遭遇するのだ。あまりのもの哀しさ、人でなしぶりに、笑ってしまった。太宰のひとでなし名場面のベスト3に入るように思う。

    『母』。これまた、見事な短編である。津軽に帰郷していたとき、太宰は、文学青年の小川君の実家である海辺の旅館で饗応されそこに泊まる。その夜、休暇中の若き航空兵の泊まる隣室から、男女の会話が筒抜けに聞こえてくる。太宰は、そのやりとりに息をのむ。太宰の明るい突っ込みを織り交ぜつつも、もの哀しい小景が心に残る。

    『ヴィヨンの妻』は、「妻」の告白体の小説。その夫は当然ながら太宰らしき人でなしの男。中野の小料理屋の夫婦が、妻のもとに飲み代の請求にやってくる。(夫は)3年間一銭も払わずに飲み続けていて、困り果てているという。3年前、店にふらりと現れたときから語り起こすのだが、曰く『魔物がひとの家にはじめて現れる時には、あんなひっそりした、ういういしいみたいな姿をしているものなのでしょうか。』。このひと言、なんとも傑作ではないか。その後、妻は、夫の積年の飲み代を返すため、その小料理で働き始めるのであった…。

    『おさん』。これはどうやら妻の名前らしい。やはり、妻の告白体小説。ダメダメな夫との日々を、女言葉で回顧する。おもろうてやがて悲し…、な小景が描かれる。粋、だけどなんとも切ない台詞…。 「昼の酒は、酔うねえ」とか、「エキスキュウズ、ミイ」 とか…。 

    『桜桃』 妻と子を残して、家を飛び出し、飲み屋に飛び込む。桜桃が出る。こんなぜいたくで美味な果実、家に持ち帰ったら子供がよろこぶだろうな、と思う。

  • 「ヴィヨンの妻」
    飲んべえでほとんど家に帰ってこない亭主とその妻のお話。面白いがろくなもんじゃないね。

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