ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 4829
レビュー : 456
  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101006031

作品紹介・あらすじ

新生への希望と、戦争を経験しても毫も変らぬ現実への絶望感との間を揺れ動きながら、命がけで新しい倫理を求めようとした晩年の文学的総決算ともいえる代表的短編集。家庭のエゴイズムを憎悪しつつ、新しい家庭への夢を文学へと完璧に昇華させた表題作、ほか『親友交歓』『トカトントン』『父』『母』『おさん』『家庭の幸福』絶筆『桜桃』、いずれも死の予感に彩られた作品である。

感想・レビュー・書評

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  • 太宰治の、晩年の8つの短編集。
    又吉さんのオススメ本。
    全体的に暗いトーンの作品が多いが、所々でクスリと笑える場面もあり、読みやすい作品が多かったように思う。

    「親友交歓」は単純に面白く、ユーモアたっぷりの作品。
    それ以外の「ヴィヨンの妻」他は、金や女にルーズなどうしようもない夫と、それを支えるしっかりものの妻という設定が多い。
    夫のことを憎み切れない妻に、何故だか好感が持てた。

  • 死にたいという人に限って本当に(自ら)死ぬ人はいないと言うが、本当に死んでしまう人もいると最近、友人に言われた。

    斜陽1度、人間失格2度読んで、それ以後ずいぶんたってからの太宰。太宰を知らないも同然。なので、私には解説や表紙裏のレビューと違い、太宰の文体や表現は太宰の体格のように骨太でエラクしっかりしていると感じる。
    読みながらなぜか啄木の泣きながら書いた短歌を思い浮かべたが、それと比べてもお涙頂戴的なものは感ぜず、力強い。死にたいと書きながら生き生きしているとは何事か。

    人間失格の構想原稿も見つかった今、作家自身のことと思わせる作品もすべては完全なる創作と思えて、なんで死んでしまったんだろうと思う。
    死を求めながら生き続ける道があったらよかったのに。(読者のために)


  • 親友交歓
    ヴィヨンの妻
    おさん

  • 太宰後期の短篇集。
    「親友交歓」のブラックユーモアは太宰らしく面白かったです。
    終戦直後を舞台とした家族の描写が多く、この頃には道化が慢性化して表面的には穏やかに明るいけれど、頽廃的な生活や恋での破滅から「死」という革命へ急速に進行している印象を受けました。
    考えても答えは出ませんが、もしも戦争という生を絶望視させる時代でなく華族や地主や百姓などの社会的地位の格差が緩和し、
    酒も煙草もコンビニで手軽に買えて衣服を売らずとも生きていける現代に太宰が生まれていたら..とどうしても考えてしまう短篇集でした。

  • つい先日、某所で『こころ』と『人間失格』どちらが好きか、というアンケートがあったが、あれはとても難しい問だと思うのです。
    ストーリーとして記憶に残っているのは間違いなく『こころ』の方で、あれは本当に完成された、これ以上ない一作です。
    対して『人間失格』はといえば、正直、この『ヴィヨンの妻』と同様、私にはほとんど読後に物語としての記憶がなく、あらすじさえ「はて」とページをめくり直さざるをえない。
    というのも、私にとっては、「あれも太宰、これも太宰、みんな太宰」なのです。
    はっきりとストーリーが残る訳ではないけれど、太宰への情と理解が読むほどに深くなっていく。
    だから、あの問は、私にとっては「『こころ』という一作品と、太宰治、どちらが好きか」と問われているのと同義で、「比較対象おかしくない?」となってしまう。
    いずれの作家も、どんなにプロットを練ろうとどこかしらに作家自身が紛れ込んでしまうものだと思うけれど、それにしたって、ヴィヨンの妻でさえ、「妻だけど、これも太宰だ」と感じてしまうのは、我ながら、いかがなものか…

    • くろねこ・ぷぅさん
      >「妻だけど、これも太宰だ」
      イイと思います♪
      フローベールはボヴァリー夫人を書いて、ボヴァリー夫人は自分自身であると語ったそうです。(...
      >「妻だけど、これも太宰だ」
      イイと思います♪
      フローベールはボヴァリー夫人を書いて、ボヴァリー夫人は自分自身であると語ったそうです。(あとがきによります)
      おんなじカンジですね。
      2017/12/01
  • 少し前はこういう文学はなかなか読めない人間だったはずだけど今はさらりと読むことができるようになったなぁと思う。それがどういうことなのかっていうのはよくわからないけれども。

    これから『走れメロス』を扱うにあたって、他に『人間失格』くらいしか読んだことがないのも何だかなぁと思って2冊借りてきてみたうちの1冊。
    「親友交歓」は森見登美彦が太宰作品を集めた『奇想と微笑』で読んだことがあったもの。ラストの「威張るな!」があまりにも突然すぎていっそ清々しくてなんだか「ふふっ」と笑ってしまう。

    「トカトントン」はタイトルは知ってた。そういうことか、という感じだった。いつ自分の耳にも「トカトントン」が聴こえるかとひやひやする。

    他の作品の中では「母」と「ヴィヨンの妻」と「家庭の幸福」が好きというか、印象的でした。その他の作品はなんだかどれも駄目男と不憫だがたくましい妻の物語といった感じで似たり寄ったりかなと。ヴィヨンの妻もそんな話だけど。
    登場する女性はみな不憫な人なのだけど、不幸そうには感じられないのが不思議です。駄目男も憎みきれないのも不思議。

  • とかとんとん、と先日書いてこの本を思い出した。
    読んだことのある物も含まれているが、せっかくなので読んで見ようという気になったのだ。

    作品を書いた時期の位置づけははっきりしないが、何となく話の傾向が似ているので晩年かなと思う。
    酒と遊びで放蕩を繰り返すだめな旦那とそれに慎ましやかに尽くす妻、の構図である。
    己を悪い奴だとわかっていながらも放蕩から手が引けず、周囲からも見放されていることも度々。そんな己を彼は嫌悪している。でも同時に、だからこそ己だけはと愛してやってもいる。だからこそそんなどうしようもない己をけなげに追いかける妻に愛情を見せる場面もある。その描写がまるで近代の漫画であるかのような控えめかつ非常に魅力的な様子で描かれている。


    太宰が好きな男性というのは太宰のこういった部分に特に共感性を抱くのだろうと思った。
    どんなにだめな自分であっても受け入れて愛してくれる人にすがりたい。
    太宰自身が抱いていた物とはそう言った物とは離れた精神的な空虚からあがくための救済策のひとつであっただけのそれだが、抽出してみてみれば、それは男性らしい恋愛のひとつの見本なのだろうと思う。
    自分勝手と取るかロマンチストと取るかは難しいところだけれども。
    近くにこういった太宰らしさを現代的に体現したような夫婦を知っている。とはいえ、現代になるとこういった男性の理想とは女性側の反発が多くてなかなか難しい物だけども、なんて考えたりもする。

  • 人間失格、斜陽と続き手に取った一冊。著者のデカダン的?、退廃的?でさらりとした綺麗な文章がどうも好き。本著はほとんど私小説のような雰囲気でだめ親父が描かれているが、どこか共感できるような、わかっているけど落ちぶれる様は何とも言えないなあと思った(女の人は嫌がるだろうけど)。著者と同じとは言わないけど、人間関係を我慢で成り立たせている部分があるので、「おもてには快楽をよそおい」たいけど、自分で首を絞めてしまう気持ちわからなくもない。父、ヴィヨンの妻、桜桃はグサッときた。

    生きるということはたいへんな事だ。あちこちから鎖が絡まっていて、少しでも動くと、血が噴き出す。(桜桃より)

    人間関係悩んでいるのかもしれない。笑

  • 太宰の人生における後期の短篇集です。

    解説にあるように、前半に所収された作品群には、作家特有のユーモアが感じられます。しかし、後半へと移行するにつれてユーモアは影を潜め、すべてを終わらせてしまいたいという思いが滲み出ています。

    表題作もいいですが、個人的には「桜桃」を推したいです。何よりも以下の一節に、どういうわけか納得させられました。

    ”私は議論をして、勝ったためしが無い。必ず負けるのである。相手の確信の強さ、自己肯定のすさまじさに圧倒されるのである。そうして私は沈黙する。しかし、だんだん考えてみると、相手の身勝手さに気がつき、ただこっちばかりが悪いのではないのが確信せられて来るのだが、いちど言い負けたくせに、またしつこく戦闘開始するのも陰惨だし、それに私には言い争いは殴り合いと同じくらいにいつまでも不快な憎しみとして残るので、怒りにふるえながらも笑い、沈黙し、それから、いろいろさまざま考え、ついヤケ酒という事になるのである。”

  • ほとんどどれを読んでも不快指数の高まるような作品群。ダメ親父が妻子に後ろめたい思いをしながら自分の楽に逃げ、("社会で認められるような")"家庭的""道徳的"となることができず、反対にそれを憎んでいく、という話の構図。
    これを執拗に執拗に各編で繰り返し、しかもますます口を閉ざしては病んだ自問を深めていく。しまいには、敵視する"家庭的""道徳的"キャラクターの呼び名に、適当に理由をつけながらわざわざ作者の本名を当てるという風に、敵視対象をあげつらいつつ自嘲を含めるとかいう転倒したようなことをやっていて恐れ入る。

    登場人物の繊細で神経質な気性。それと対になる行動の厚かましさ。自己正当化と自己矛盾。主役も脇役も、多くはうんざりするような、付き合い切れないようなところがある。薄暗さ。締めの言葉を投げつけて寄越すような感じ。
    ただ、件の"家庭的""道徳的"であることの異臭も、全く分からないではない。

    以下、印象的な一編と表題作。
    トカトントンはリズムの良さ。一方でカオスに落ち窪んでいくような、でも実際何でもないような。
    ヴィヨンの妻は終盤で急激に沈んでいくのが重苦しい。"泥棒"をキーワードに表面的な善し悪しが見える前半に比べ、後半は見えない・見えにくい部分での善し悪しが混ぜこぜになる。善し悪しそのもののを投げ捨てるかのような態度。

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著者プロフィール

1909年(明治42年)、青森県金木村(現五所川原市)生まれ。本名、津島修治。東大仏文科在学中に非合法運動に従事し、やがて本格的な執筆活動へ。35年、「逆行」で第1回芥川賞の次席となり、翌年には処女作品集『晩年』を刊行。以後「走れメロス」「斜陽」など多数。

「2018年 『津軽』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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