津軽 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 2002
レビュー : 187
  • Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101006048

感想・レビュー・書評

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  • 太宰の作品を読んだのは、高校生の時に『羅生門』を読んで以来である。『人間失格』を始めとして僕の中では「負」のイメージが強かった太宰であるが、この作品で彼の印象は変わった。自分の故郷である津軽を訪れ、過去の思い出に浸ったり、久しぶりに大切な人にあったりする中で、彼の持つ温かい「愛」を感じた。数年前、僕が一人で津軽を旅し竜飛岬に経った時には、かつて太宰もこの風景を見たのかとなんとなく思いを馳せてみた。どんな人にも心の何処かに温かいところがあるのだと、安心させられた作品であった。

  • ラストシーンが好き。希望を抱くからこそ、絶望の闇も鮮明になるのだ。ユーモアを言わなければならないのはさみしいからなのだ。太宰はめんどくさいからこそ愛おしい。

  • 太宰は晩年(短編集のことではない)に向かうにつれ、「泣かせる系」が多くなってくる。その中でも、代表的なのがこの『津軽』だろう。
    主人公は久しぶりの帰郷によって「過去の再認識」を繰り返し、最後に乳母との再会を果たすことで、「救い」というカタルシスを得る。
    この時期、著者のテーマでもあったであろう「新しいアイデンティティの確立」を想起させる小説だ。もし、それすらも著者一流の「演出」だったとしたら、彼を越える「私小説家」は他にいない。

  • 中学の修学旅行の直後だから34年ぶりの再読。旧装丁のが未だ実家に在るはず。旧城下町なのに県庁を青森にとられて弘前は情けないだの、序編からグダグダしている。本編に入って、30代後半で死んだ作家の名前を列記して"俺もそろそろ…"って言い置いて旅に出て、最後は"元気でいこう。絶望するな。では、失敬。"で終わるこの文章を、中学生の自分はどう読んでいたのか。ホタテ貝のカヤキが美味そうで、丁度この太宰と同じ年で青森を一人旅したとき、ホタテばかり食べた。自分の事を書くと途端に女々しいが、客観的描写は流石に大作家だね。

  • 実に、愉快に読んだ。「さらば読者よ、命あらばまた他日。
    元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」で終わっている。それなのに、入水自殺。本編冒頭は、「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村磯多三十七」。「たけ」に会えたのは神様の計らいだ。きっと。

  • 太宰治による酔いどれふるさと紀行。

    太宰作品の中でも、異色の作品のように思いました。初期作品のようなヤケクソ感はありませんし、暗さもほとんどありません。旅の最後には感動的なオチがついていて、"さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。"(P.211)という歯切れの良いフレーズで締められます。

    本作はある出版社の企画によって生まれた作品のようです。しかし、どことなく発注者をからかっているような感じがあります。津軽の歴史を紹介するパートは主に引用文に託されますが、これが実に読みにくい。マジメに読む読者がどれだけいるんだろうか。それからたびたび登場する「国防上たいせつな云々…」という但し書きなどは、実際に重要かどうかということはともかく、当局へのあてこすりのようにも感じられました。

    巻末の解説で言われているような大傑作とまではさすがに思えませんが、独特のユーモアがある楽しい作品です。

  • 1944年
    戦局の悪化で物資が乏しくなりつつある中
    人のおごりで飲み食いしまくる太宰の空気の読まなさを見よ
    ぬけぬけと「絶望するな」なんて言い放つ天真爛漫を見よ
    庶民の側に心をおきながら、文士の道を選ぶしかなかったナルシスト
    そんな太宰は自分自身に絶望しているが
    絶望の暗闇にこそ輝く星もあるというものだ
    満点の星空に照らされて、太宰の日本は明るい
    時代背景を考慮に入れる必要はあるけども、傑作とおもう

  • ○太宰の風景論は、私には斬新。

    「二時間ほど歩いた頃から、あたりの風景は何だか異様に凄くなってきた。凄愴とでもいう感じである。それ[本州北端の海岸]は、もはや、風景ではなかった。風景というものは、永い年月、いろんな人から眺められ形容せられ、謂わば、人間の目で舐められて軟化し、人間に飼われてなついてしまって、高さ三十五丈の華厳の滝にでも、やっぱり檻の中の猛獣のような、人くさい匂いが幽かに感ぜられる。昔から絵にかかれ歌によまれ俳句に吟ぜられた名所難所には、すべて例外なく、人間の表情が発見せられるものだが、この本州北端の海岸は、てんで、風景も何にも、なってやしない」(pp.115-116)

    →この風景論は、深浦や北津軽の下りでも出てくる(前者は風景、後者は風景でない)。

    ○太宰の巡礼の本質、あるいは津軽の生きている雰囲気の本質としての、愛、すなわち人の心と人の心の触れ合いについて。

    結局この旅(巡礼)の本質は、初めに「真理と愛情の乞食」になるのだと宣言していたところにあったのだ。
    すなわち、道中での旧知たちとの「人の心と人の心の触れ合い」である。
    時としてそうした愛は、(蟹田のSさんの歓迎ぶりを述べる下りのように、)津軽人の生きざまをあらわにし、もって太宰と言う人間をもあらわにするのだ。
    また時としてそうした愛は、(深浦・鰺ヶ沢の下りのように、)地域自体の印象にも影響し、もっと、太宰の旅行記の「軽さ」をもあらわにするのだ。
    そして時としてそうした愛は、(小泊でもたけとの再会を述べる下りのように、)たけという人間、太宰という人間、その関係(由来)までも、あらわにすることに成功したのである。

  • 台詞にたくさん方言が出てくる。それが持つ優しさとか、面白さとか、地方の色みたいなものがとても愛しい。

  • 太宰治というと人間のクズぐらいなイメージしかないのだけれど、本書を読んだら、お酒好きな面倒くさい性格だけど人好きのするおっさん(失礼だけど)なイメージに変わった。
    本当は普通のお酒が飲みたいけど、配給がないだろうからリンゴ酒が飲みたいと言ってみたり、駅で迎えに来てくれた知人の子にお土産を持ってくれば良かったと後悔したり、津軽愛にあふれていたり。酔って、もっと自分の作品をほめてくれと口走ったり。
    あと時々言葉遣いがかわいい。口語体。
    なんというか、太宰モテただろうなあとしみじみ思った。

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著者プロフィール

1909年(明治42年)、青森県金木村(現五所川原市)生まれ。本名、津島修治。東大仏文科在学中に非合法運動に従事し、やがて本格的な執筆活動へ。35年、「逆行」で第1回芥川賞の次席となり、翌年には処女作品集『晩年』を刊行。以後「走れメロス」「斜陽」など多数。

「2018年 『津軽』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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