- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101006055
感想・レビュー・書評
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誰もが持つ心の闇。
決して、自己完結はできないのが罪だ。
だからこそ質が悪い
今ならどうか。発達障がいと言われるのだろうか。
どうしようもない男。こりゃダメだ。
女性の読者ならどう感じるだろうか。
ダメ男で超イケメン。母性本能グリグリ~!
読んでいてムカムカさせられるし、ため息が出るほど共感できる部分も。
純粋に、葉蔵に手を差し伸べる気にはならない。
重要な小説であろうことは確か。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「恥の多い生涯を送って来ました。」
人の心の葛藤を一冊で描き切った作品。
一見おかしな主人公の話。
だけど、誰もが生きていれば一度は考えた事があるであろう人間の心の内を言語化してある名著。
歪んだ考え方にも見えるが、私たちと表裏一体の世界。
「なぜみんな、実は欺きあっているのに表面上は傷ついてないよう、明るく朗らかに振舞っているのだろうか?他人が理解できず、自分が感じていることは異端なのではないか。」
きっと誰もが感じた事がある
人間関係の悩み。
時代が違えば太宰治は生きていたかもしれない。 -
太宰治の自叙伝的最終長編。
大人になって初めて読んだ太宰治。学生のころ『走れメロス』は読んだことあったけど、他のは読んでなかったので、太宰治の傑作から読んでみました。
『人間失格』太宰治の自伝的な小説。
それにしても、こういうダメな人っているよね。それでいて女性にはめちゃめちゃモテるっていう男の人。
太宰治自身も本当に色男で格好良かったんだろうな。
自分からアプローチしなくても女性の方から寄ってくる。それが十代の女の子から後家さんまでという幅広さ。
太宰を見ると女性は自分からお世話をしたくなっちゃうんだろうね。
「私がこの人を支えてあげなきゃダメだ」
っていう母性本能をくすぐりまくるタイプ。しかもとびっきりのいい男。
もしも自分に娘がいて、娘がこういう男性に熱を上げてたら『絶対にダメだ』って怒るだろうけど、そうすると娘はその男と駆け落ちしてしまうんじゃないかっていう恐怖に襲われるので、仕方なく二人の交際を認めしまうくらいに色男、もう手に負えない。
さらにこの『人間失格』の主人公のダメっぷりが半端ない。
生きる気力というか、そういうのがまったくなくて、女性に養ってもらいながら、酒におぼれ、薬物におぼれる。そして、もうダメだと思ったら心中しようとする。
こういう小説を読むと、「自分も大したことないけど、この男は俺よりもっとダメだな」って勇気づけられる・・・のかどうか分からないけど、そういう気持ちにさせる小説って、ある一定の需要はあるよね。
このあたりはドストエフスキーの『地下室の手記』に通じるものを感じます。
自分は、あまり共感する部分は無かったけど、こういうデカダンスな人生に憧れるところは実際にありますね。もし自分がものすごい色男だったらだけど(笑)。
太宰の文体は嫌いじゃなので、今度は『斜陽』あたりを読んでみますね。 -
太宰の思想と人生、祈りが色濃く反映された
自伝的小説「人間失格」。
「恥の多い生涯を送って来ました。」
あまりに力強いこの一文だけで圧倒される。
人生の本質や普遍的な人間の罪、弱さ、
愚かしさ、美しさ、愛情、恐怖を
すさまじいまでの集中力で落とし込み
苦悩と解放の間でもがき書ききった太宰。
根拠のない自己肯定のできる人間たちに戦慄し、
傲慢の醜悪さに苦い思いを抱く。
苦しみから逃れ、享楽的に生きることの
愚かしさを人生を持ってして示し、
暴力的な時代への嫌悪を嘆き、
実体のない世間へと祈りを込めて矢を放つ。
麗しくも恐ろしきは浮世なれ。
人の世を憂い、時代に絶望しながらも
それでも生涯求めてならなかった人間への
長い長いラブレターに思えた。 -
葉蔵という分身を用意し、太宰治自身を綴ったとしか思えない問題作です。
この作品を完成させて間もなく、太宰は自殺します。
生きることに不器用な葉蔵ですが、もしかしたら現代人にこそ共感されるのではないでしょうか。
読んでいる間、苦しいほどの疎外感が伝わってきました。
しかし、人生について深く考えさせられた一冊です。 -
メロスに続き久しぶりの再読。1948年(昭和23年)太宰が死の1か月前に書き上げた最後の完成した作品で(『グッド・バイ』は未完)、内面の自伝とも遺書とも取れる内容になっている。
語り手の名は葉蔵。太宰自身を思わせる家族構成と幼少時。他人の顔色や機嫌を常に伺う小心者であると同時に、それゆえ道化を演じて気に入られようとする才覚はある。そのくせ世知に長けているかといえばそういうわけではなく、世間知らずでお人よしな側面、人に気に入られるためにノーといえない気の弱さがあり、お金持ちのお坊ちゃんなうちはそれでも良かったが、自立できずにダラダラ過ごすうちに取り返しのつかないところまで落ちてしまった。
女性にモテたのも彼の不幸だろうが、そもそも男友達に対する見る目もない。堀木なんかは結局、根っこの部分で葉蔵を妬み、金づるとして利用していただけのように思えるので、友達選びをそもそも間違えた面もあるかもしれない。彼の近くによってくるのが、堀木のような外面の良いみせかけの破天荒な男か、ヒラメのような小人物ばかりでなければ、もう少しマシな人生を送れたろうにと思ってしまう。
葉蔵目線で、モテる男によってくる女性たちというのはこれほど愚かに見えているのかとゾッとした。しかし女性の中には侠気のある姐御肌な者もいて男友達よりいくらかマシかも。堀木は嫌いだったけど、喜劇名詞(コメディ)と悲劇名詞(トラジティ)を区別する遊びや、対義語(アントニム)遊びは楽しそうだった。
それにしても70年前の作品が今も現代人の内面にここまで響くのはすごい。表面的な部分で自分が葉蔵に似てる部分はひとつもないけれど、それでも葉蔵の自己分析、自分の言動の理由についての内面の掘り下げなど、いずれも鋭くて、似ていないのに思い当たる部分もあり、共感してしまう。太宰の作品が普遍的に愛される理由でしょう。 -
この小説は、太宰そのもの、太宰の自殺を読みこめる「遺書」であると思っていた。
今回の再読で、太宰はなんて「客観的に」幼い頃からの自己の主観を記憶し、見つめ、炙り出すのに長けているのかと。
自分が監督兼役者となり、悲劇なのか喜劇なのかを披露している。
その役どころはずっと道化師だ。 -
20代の頃に初めて手にとり、途中で挫折。
2回目、
読了したがこれが名作なのかとよく分からず。
今回、30代で再読。
「人間失格」というタイトルと、あまりにも有名な名作文学だから何回も手にとってしまうのか。
自分がネガティブになってる夜なんかに読むとスーッと入ってきたり、これがこの作品の魅力なのかなと、少しわかったような、まだまだわからないような。
芸人×作家の又吉が100回以上読んでいると耳にしてから、又吉を葉蔵に重ねて見てしまう。
また歳を重ねて読んでみよう。 -
「恥の多い生涯を送ってきました。」という、まぁ、ぶっちゃけ身もふたもない、主人公 大庭葉蔵の手記から始まる、あまりにも有名な小説を新年早々38年ぶりに再読。
今作は昭和23年に上梓。「斜陽」と並ぶ太宰の代表作。 書き上げた1ヶ月後に、前年、屋台のうどん屋で知り合い、愛人となってまだ日も浅い山崎富栄と玉川上水に入水自殺を図る。流行作家が愛人と身投げというセンセーショナルさも手伝い、遺作として自叙伝を書いたとも言われ当時ベストセラーとなった作品。
さて本書。主人公 葉蔵がこれまでどんな人生を送り、その我が人生に影のようにつきまとう“孤独”が如何様なものであったか、その孤独がもたらしたものとは…』を、幼少期から薬物中毒に至るまでを終始葉蔵の独白で綴られていく。
言うまでもなく決して明るい小説ではない。葉蔵が齢を重ねるにつれどんどん壊れていく、救いようのない展開が進むのだが、ついつい笑ってしまうのだ。
それは葉蔵がとにかく女にモテるからだ。そのモテ方は尋常じゃなく、カフェの女給と心中を図るも自分だけが生き残り、その心の傷も癒えぬうちに雑誌記者の女性の家に転がり込んでヒモ男に。少し落ち着くのかと思えば、突然タバコ屋の純情娘と結婚する。「袖触れ合うも多生の縁」の数珠つなぎというか、それを逆手に取ったのか思いたくなる程の『だめんず』。「これだけモテてて何が孤独や!」と思う人は少なくない筈。もっともなツッコミである。
「私が支えてあげなくちゃ!」という女心。恋の百戦錬磨の男ゆえ女性の扱い方を熟知。この2つが見事に交錯する人がモテるんですな。55歳になって「“モテる”を科学できた」と実感。お金があるところにお金がさらに集まるみたいなもんでしょうか。
そこで『人間失格』を、男性は「モテるための指南書」として、女性は「“だめんず”診断」として読む。不朽の文学を齢を重ねてから読むと、「な〜んだ。取っつきやすいじゃん!」と思えるはず。
太宰の著した作品が、太宰より先に生まれ、彼自身が先達の作品として読んでいれば、薬物中毒にならず、死なずにすんだかもしれないと思うのは、文学に求め過ぎか。
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記事編集。
よく、自分の精神状態がアレなときに
うっかり手に取ってしまう本だと言われていますが、
今回は淡々と、ニュートラルに読み進めてみました。
作者本人の人物像がどうとかいう問題抜きに、
単純に読み物として面白いなぁ、と。
遺書的な作品と目されていますが、
「はしがき」と「あとがき」によって本編を相対化しているというか、
生々しい自叙伝的な内容を、
よく出来たフィクションに昇華させることに成功していて、
つくづく上手いと感心。
それにしても、昔、職場で事務作業の傍ら、この小説について語らっていた折、
「自らを主人公と重ねて読む人が大多数でしょうけど、
僕は自分を堀木に似てると思いましたよ」
と発言して空気を凍らせた青年は、元気でやってるだろうか(^_^;)-
談話室の「ブクログのここを改善して」スレッドにも出てきた話題で、
私もちょこっとコメントさせてもらったんですが……
本棚の表紙画像って、...談話室の「ブクログのここを改善して」スレッドにも出てきた話題で、
私もちょこっとコメントさせてもらったんですが……
本棚の表紙画像って、Amazonに登録されているデータを引っ張ってきたものですよね。
で、登録したときNo Imageだった表紙が、
後日見直したら、いつの間にか画像が出ていたケースがあります。
それで、同じシリーズの別のNo Image本の画像を再取得したら「出た(・∀・)!」
ということもありました。
Amazonにおいて、出版社から画像が提供されておらず、
現物を所持しているユーザがアップロードするカスタマーイメージが表示されている場合、
それがブクログに反映されるまで、相当なタイムラグが生じるみたいなのです。
いえ、はっきりしたことはわかりませんが。
気が遠くなりそうですけれども、千里の道も一歩からの心意気で、
現物を持っている人は地道に写真撮ってアップしようよ~と思う今日この頃です。
(あ~、もう『人間失格』と関係なくなってますね、すみません……)2012/09/10 -
こんばんわ。
実は自分も「ブクログのここを改善して」スレッドに投稿したことがあります。
せめて現状の維持だけは最低限してほしくて、現在、画像...こんばんわ。
実は自分も「ブクログのここを改善して」スレッドに投稿したことがあります。
せめて現状の維持だけは最低限してほしくて、現在、画像がある表紙をNo Imageで上書きしないようにしてほしいですと。No Imageコードがわかっていれば、ソースコード的にはおそらく1~2ステップ追加だけなので、比較的簡単なのではないかなあ・・・。
Amazonへの画像アップの誘惑は自分も何度もかられました。(笑)特に旧版のハヤカワ文庫のクリスティ関連を充実させたくて!(笑)ただ、ご指摘の通りいつ反映するんだろうかなと・・・。(>_<)
あと、Amazon上で画像が複数採用されてしまうと、ブクログの方は変な表示になってしまうようなのと、Amazonに採用された画像がいまいちの場合もあり、あんまり無理しないように~、という優しい思いもあります。(笑)でも、やっぱり試しにいくつか画像アップしてみようかな~。(^o^)
あっ、『人間失格』に関係ないですね・・・。(^_^;2012/09/10 -
> 画像がある表紙をNo Imageで上書きしないようにしてほしい
そうですね、これは本当に「頼むっ(>_<)」って思います。
そし...> 画像がある表紙をNo Imageで上書きしないようにしてほしい
そうですね、これは本当に「頼むっ(>_<)」って思います。
そして、
> Amazonに採用された画像がいまいちの場合
確かに、カスタマーイメージがちょっと残念なケースも
ありますよね。
痛し痒しというか……難しいですねぇ(溜め息)2012/09/11
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著者プロフィール
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