- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101006086
感想・レビュー・書評
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太宰治の未完の絶筆。
めちゃくちゃ面白い。キヌ子最高!
こんな面白い話を最後まで書かずに逝ってしまわれた太宰治大先生!続き書いて下さい。と懇願したい。
田島が女性関係の身辺整理をしたいのだが、どうすれば?ということで無責任な文士の出まかせ提案に乗って、美女を連れて妻になったとふれ歩く作戦。怪力、大食い、普段は担ぎ屋の汚いなり、しかし物凄く美人のキヌ子を使うことに。
一人目は、腕のいい美人美容師。上手くいくのだが、キヌ子が、そんなにパーマは上手くもない、美人なのに別れてしまうなんて意気地がないなど、ズケズケ。田島がやめろ、というと「おやおやおそれいりまめ」と茶化す。キヌ子を、逆にものにしてやれと乗り込むが、最後は怪力で頬を殴られ撤退。その辺もすごく面白い。痛快!
で、二人目のケイ子にとりかかるところで、作者がグッド・バイしてしまったのです。あー残念。
作者の言葉
「唐詩選の五言絶句に「人生足別離」ー私のある先輩はこれをサヨナラだけが人生だと訳した。
相逢った時のよろこびはつかのまに消えるものだけれど、別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きているといっても過言ではない。題して「グッド・バイ」現代紳士淑女の別離百態といっては大袈裟だけれども、さまざまの別離の様相を写し得たらさいわい。」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
戦後、太宰後期の作品集。
破壊者である太宰の荒々しくも熱っぽい文章に胸を打たれる。『グッド・バイ』どんな作品になっていたのだろうか、本当に口惜しい。 -
「グッド・バイ」が未完なのが悲しい
「メリイクリスマス」が自分は一番好き
死が近くにある時は
生きる事を選び
死が遠のいていったら
死にたくなったのだろうか
妙興寺ブックオフにて購入 -
「薄明」
現実主義でポジティブ志向
そういう人であるがゆえに周りからはいつも
「本気か冗談かわからない」
などと言われてしまう
それでひそかに傷ついたとしてもポジティブ
その明るさが滅びの姿であろうか
「苦悩の年鑑」
軽薄なポーズでくそ真面目
そういう人であるがゆえに周りからはいつも
「本気か冗談かわからない」
などと言われてしまうんだろう
それで世をひねて、純粋なものに憧れる
実際、本気か冗談かわからない
「十五年間」
彼はサロン文化を軽蔑していた
そこでは誰もが空気に敏感であった
異物を探してこれを叩き、連帯感を強めていた
挙句が開戦論である
しかしそれはそれとして、彼は戦争に乗った
親を見捨てることのできない子供のような心境だった
子供よりも親が大事
恐ろしいことに、これを読んだあとでは
三島なぞより太宰のほうが
ずっとまっとうな愛国者と思えてしまうのだった
「たずねびと」
他人からの好意に対して感じる屈辱は
一種の幼児性であるらしい
そんな、居直った乞食みたいな性根丸出しで
純粋な若き乙女を引っかけようとする
「男女同権」
戦争が終わって、男女同権ということになった
それはむしろ女性解放の意味合いでそう言われたのだったが
世の中には、女にいじめられてばかりの男というのもいて
ここぞとばかりに積年の恨みをぶちまけはじめた
その後どうなったかはわからない
「冬の花火」
戦争で夫を失った未亡人のなかには
生きるために貞節を捨てなければならない者もあった
そのやりきれなさから逃れるためには
旧時代の偶像を否定しなければならなかった
「春の枯葉」
戦争の終わりにともない、個人主義が復権しつつあった
旧時代にとらわれた人々を傷つけることで
自己確立しようとする者もあった
「メリイクリスマス」
終戦から一年すぎて帰ってきた東京は普通だった
しかしふいに、昔の女が疎開先で死んだと聞かされて
しんみりしちゃったりした
死んだ女の娘を誘って屋台に入ると
先客のおじさんが通りすがりのアメリカ兵に
おのぼりさんみたいな態度をとって
呆れられていた
「フォスフォレッスセンス」
現実の世界と、睡眠中に見る夢の世界は
異なる世界でありながら、確実な繋がりをもっている
彼はそういう信念、あるいは錯覚でもって
夢のなかの願望を現実化させていく
こういった考え方はやがて「シュレーディンガーの猫」のように
生と死の区別を曖昧化させるだろう
本気か冗談かわからないけれど
作者の精神バランスが崩れていってるようでもある
「朝」
男と女が舞台に上がったとき
必ず愛し合わなければならないというきまりはないが
舞台が暗転した瞬間、そこでなにが行われるかは
わかったもんじゃないんだ
彼はそれを恐れている
永遠の暗闇となれば、真実が露呈することもないけれど
「饗応夫人」
戦争で夫を失くした未亡人が
友人たちにたかられて
屋敷をほとんど占拠されたあげくに
身体を壊してしまうのだけど
それでも「饗応」をやめようとしない
戦後、そんなふうに滅びてゆくことを選んだ人も
いたのかもしれない
「美男子と煙草」
戦争を生き延びた無責任な文士たちの代表とさせられ
上野の浮浪児を取材する太宰治
浮浪者となりはてた自らの姿を想像して戦慄するも
実際の浮浪児たちには明るいエールを送り
また同行した記者たちに対しては
どうしてもおどけたポーズをとってしまう
「眉山」
いるときは嫌なやつと思っていても
いなくなったら良いやつだったように印象が変わってしまう
それを知ってて自殺未遂を繰り返していたふしが
太宰にはあった
「女類」
太宰治が強烈なミソジニーを抱えていたことは
「男女同権」なんか読んでもなんとなく察せられるのだけど
一方ではやはり女好きであり
女の前で良い人ぶりたい気持ちが強くあった
この二面性、この二人の太宰が共犯となり
完全犯罪を作り上げたようにも思える
「渡り鳥」
葱しょった鴨を探して夜の街を歩く
羽毛みたいに心は軽いが、空なんて飛べやしない
空虚が重くてゲップも出る
千の嫌悪が己を作り上げるとしても
そのなかにひとつ混じった自己嫌悪のおかげで台無しだ
つまりそれが平等な世の中なんだろう
「グッド・バイ」
十人近くもの愛人たちと関係を精算すべく
昔なじみの猛烈女を「女房」役にして
街中の巡礼を計画する
なぜそんなことをするのかといえば
結局はかっこつけなんだ
なりふり構わず降伏勧告を受け入れた日本で
まだかっこつける余裕
それが彼の命取りかもしれない
作者が死んで未完に終わった作品である
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16作のオムニバスで、最期の[グッド・バイ]は未完であったが本当に良いところで終わってしまう。続きを見てみたいと思う反面、
そこで完結したままの作品として評価したい気持ちが平等に分かれている。[人間失格]や
[晩年][斜陽]の作者とは思えないほど、良い意味で現代的な自由な作品。その他では、
[饗応夫人]、[たずねびと]がかなり印象に残った。 -
確認したい事があって再読。十貫を楽に背負うかつぎ屋は永井キヌ子、二十五、六。ほっそりして、手足が可憐に小さく、顔は愁いを含んで、梨の花の如く幽かに青く、まさしく高貴、すごい美人。そして鴉声。トンカツ屋でキヌ子が食べたのは、トンカツ、鶏のコロッケ、マグロの刺身、イカの刺身、支那そば、ウナギ、よせなべ、牛の串焼き、にぎりずしの盛合せ、海老サラダ、イチゴミルク。その上キントンを所望していたからそれも食べているだろう。大食いでも十貫背負って歩けば太らないらしい。
それにしても最後の原稿が『グッド・バイ』とは偶然か狙ったのか。 -
表題作「グッド・バイ」が良かった。
ただし、未完…。 -
全部おもしろかった。
男女同権も演劇っぽいやつも。
めりいくりすますも。他も。
たまにぷっ。ってなるし。たまに暗いし。たのしかった。
グッドバイの続きが読みたい。。