Xへの手紙・私小説論 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101007014

感想・レビュー・書評

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  • 「かたち」が沁みてくる。このひとはこのひとである以上、どうしようもなかつた、そのことに気づかされる時、「かたち」が浮かび上がつてくる。批評とは問題点を取り上げて改善を促す類のものではなく、この「かたち」に辿り着くことだと思ふ。
    「かたち」を物語として書いたところにも彼の姿が映つてゐるが、彼が生き響いた対象に対して語りかけ、そのぎりぎりの境界に辿り着くまでには、一体どれほどの存在が通り過ぎていつたのか。
    Xへの手紙はそんな彼の歩いた道のひとつの里程標だと思ふ。Xと名づけられた未知の存在。生まれたての物書き。ただひたすらに書いていくことを望んだ新人。表現するとは自分であること以上のことは何もできないと知つてしまつた小林からの限りない哀惜と、それゆえに新たな表現を見出せる可能性を背負つた存在。
    彼はいくつもの手紙をかうして書いては誰に宛てるでもなく、しまつていたのかもしれない。
    ひとがそれ以上何にもなれないといふことを知ることは、ひとの生命、人生をみることに他ならない。意匠とでもいふものか。それに触れる時、ひとはさういふものでしかないと思い知らされると同時に、さういふひとしか生きてこなかつたといふ明滅が目の前に拡がる。その明滅はミクロで見れば不連続なものかもしれないが、いくつもの明滅が重なりマクロで見ていけばひとつの線となる。直線は定義上始点も終点も存在しない。これまで存在しなかつたといふことも、今後存在しないといふこともない。「在る」とはそんな風にできてゐる。

  • 再読。小林秀雄という批評家に付き纏う難解さのイメージは、彼が批評の対象にしてきたものの多くが戦前から戦後までの、高度経済成長によって喪われてきた文化であることが原因ではないだろうか。後期に行く程に文体が洗練され、明晰さが発揮されていく内容は時に驚く程言葉が透明に感じられていくのだ。本文でも批評家と詩人は言葉それ自体を扱うものとして同一であるとの旨があるのも理解できる。そして30当時の己の人生観について、直感と情熱を持って練り上げた「Xへの手紙」が持つ確信さには、完膚無きまでに言葉に殺されてしまったのだ。

  • 本書の奥付を見ると昭和48年3月発行、49年かかって読み終えた。それほど小林秀雄という山は険しいのだ。しかし、「Xへの手紙」は面白い。人間論、政治論、そして恋愛論、若き小林の生の声を聞くようだ。長谷川泰子との凄まじい恋愛がベースにあると仄聞するが、こんなところに表出している。「俺の考えによれば一般に女が自分を女だと思っている程、男は自分を男だとは思っていない。この事情は様々の形で現れるがあらゆる男女関係の核心に存する。惚れるというのは言わばこの世の人間の代りに男と女とがいるという事を了解する事だ。女は俺にただ男でいろと要求する、俺はこの要求にどきんとする。」

  •  この文庫を手に取ってみて、きっとはじめは奇異に感じるだろう。というのも、出だしの数編が小林秀雄の若書きの小説であったり、詩が入っていたりすることだ。しかもそれが暗いシニックなもので面白くない(そしてたぶんそんなに上手くない)ものであればなおさらだ。
     最初は疑問に思いながらも読み進めて行くと、『Xへの手紙』あたりで突然、批評家としての小林秀雄が顔を出すことにきづく。「俺は自分の感受性の独特な動きだけに誠実でありさえすればと希っていた。希っていたというより寧ろそう強いられていたのだ。文字通り強いられていたのだ。」(p76)と、強烈に自己を意識した文章が飛び出してくる。この「感受性」の上に、彼の批評が成り立っていく。曰く、文学の新人へ向けて「君の自我がどんなに語り難いものにせよ、又語る時を君がどんなに軽蔑しようと、僕は依然として君の自我を尊敬するし、僕の欲しいものは君の自己証明なのだ。」(p188)と述べる。
     この本には小林秀雄の芸術の捉え方を明かすものが多く収録されている、マルクス主義文学論に対して書かれた『様々なる意匠』、芸術家の表現について書かれたそのもの『表現について』などが収録されている。それら収録された一篇毎に、小林は批評を通じて「美とは、新しい生き方の事であり、人間の新しい意味であり思想であった事」(p276)を確認し続けようとした。
     読み終わると、最初の小説群の意味が少しわかる。これらは、批評家・小林秀雄への導入だったのだと。素人には小林秀雄の批評はとっつきにくい。著者の受けた印象が文の前面に出ていて、批評元の作品から遊離していて何を言っているのかわからなくなるところがあるからだ。しかし、この本を読んでみると、小林秀雄が何を目指して批評活動をしていたのかが分かってくるのではないか。

  • 前半に小説、後半に批評や論文が収録されている。
    難解だし、長いし、さっぱり何がいいたいのか分からない文章ばかりで
    ほとんど飛ばし読みをした。
    まれに数行ほど面白い文があるけれど、やはりその前後が理解不能なので
    読み続けるのが苦痛でたまらなかった。

  • 面白かった。特に中原中也との関係について興味があるからこその面白みもある。(Xへの手紙)
    文章は堅い。けれど本質を伝えたい、という意思が汲めるほど言葉は真っ直ぐだ。
    骨があって肉がある文章である。
    あくまで考えを読み取るもので、小説の面白みではない。

  • 112

  • こっちは確か読んだ筈だがなあ。どうだったかなあ。まあ要再読。

  • 初期の小林秀雄の創作には面食らいますが、面白いです。『新人Xへ』にある、「始末に悪いのは自意識の過剰どころか自意識そのものだ」という言葉は胸に刻むべきだなあ、と。

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著者プロフィール

小林秀雄
一九〇二(明治三五)年、東京生まれ。文芸評論家。東京帝国大学仏文科卒業。二九(昭和四)年、雑誌『改造』の懸賞評論に「様々なる意匠」が二席入選し、批評活動に入る。第二次大戦中は古典に関する随想を執筆。七七年、大作『本居宣長』(日本文学大賞)を刊行。その他の著書に『無常といふ事』『モオツァルト』『ゴッホの手紙』『近代絵画』(野間文芸賞)など。六七年、文化勲章受章。八三(昭和五八)年、死去。

「2022年 『戦争について』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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