学生との対話 (新潮文庫)

  • 新潮社 (2017年1月28日発売)
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本 ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784101007113

作品紹介・あらすじ

さあ、何でも聞いて下さい――。小林秀雄は昭和36年から53年にかけて、雲仙、阿蘇など九州各地で五度、全国から集った学生達に講義をし、終了後一時間程、質疑に応えていた。学生の鋭い問いに、時には厳しく、時には悩みながら、しかし一貫して誠実に応じた。本書はその伝説の講義の文字起こし二編、決定稿一編、そして質疑応答のすべてを収録。小林の学生に対する優しい視線が胸を打つ一巻。

感想・レビュー・書評

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  • 小林秀雄の「話し言葉」を読めて嬉しかった。書き言葉」の小林秀雄よりかは読みやすかった。
    でも「信ずることと知ること」は途中気付かぬうちに置いてけぼりになった…

  • 小林秀雄という名前は聞いたことがあったが、初めて読んでみた。
    生の経験や対話を重視する言葉がいくつも出てくる。
    科学を否定するように聞こえる言葉もあるが、科学という一つの物差しで測れない人とのつながりや生きる意味など、そういうものにまで科学を取り入れようとする(また測れないから無用だとする)風潮を否定するように感じられた。
    で、科学的な手続きによらないひらめきのようなものも人間には確かにある。
    何年に何が起こって、その証拠がこれで…という考古学も必要だが、歴史上の人物の思想や信念に身を委ねるうちに、自分の思いや信じることに気づくこともできる、まるで鏡に写したように。
    そういう、自分というものを自分の手応えで築いていく力強さを感じた。
    ただ急いで付け加えると、自分一人で考えた自分本位なものではなく、徹底的に古典にあたり、人との交わりから自分を研ぎ澄ます、対話によって作り上げるものなのだ。

    良い質問が作れればもう答えは必要ではない、
    上手な質問とは、自分にとって切実なことを尋ねたものである、
    答えばかりを探し求める風潮に対し、質問が大事だと小林秀雄が言い切っている。
    いい質問を、自分なりに作り、対話をしたい、そう思った。

  • 感動は個性である。
    僕はいつも感動から始めた。
    真理というのは、ほんとうは大変優しく単純なものではないでしょうか。
    直覚したとこを分析するんです。分析したところに直覚はない。

  • ものを考えるということ、ほんとうに知を愛し、表現する存在を愛しているのだと思わずにはいられない。
    驚き、考え、疑い、そして信じるということに出会う。そしてまた疑う。上手に質問するということは、答えを出すことではなく、その問い自体を問い続けること。生きること死ぬこと、そこから出発しなくて何を問うというのか。信じることと疑うことはいつも表と裏の関係である。
    歴史とは、よく思い出すこと、これは大森先生がことばの論理で考えた通り、記憶とはことばによるより他ない。歴史的な事実、考古学的な事実といった唯物的な論理を持ち出さなくてもよく思い出せることこそ歴史家の力だと
    それが本居宣長であり、さまざまなひとの表現に出会い考えることことが彼のそうでしかないできない生きるということだったのだろうか。ひとに出会わずにはいられない、表現を感じ、考えること。それを信じ、また疑い歩き続けたところに批評というものがあったのだと思う。ソクラテスが何一つ書物を残さなかったこと、「悪法もまた法なり」と毒杯を仰いだこと、彼からすれば同じことだったのだと思う当時の暮らしや社会状況、確かにそういったものがあったのかもしれないが、そうでなくとも、「自分ってなんだ」「どうして生きていけばいいか」みたいな問いを彼は立てなかったに違いない。

  • 印象に残ったこと

    ・歴史について
    現在の学校教育では、何年に何が起きたかを暗記することで点数が得られる形式をとっていると思う。
    私自身も歴史は暗記するものであるという認識があったが、小林秀雄が述べた「歴史とは上手に思い出すこと」という言葉に感銘を受けた。出来事を客観的に追っていくだけでなく、当事者の立場に立ち、彼らが感じたことや思ったことを自らのことのように想像することで、彼らの喜びや悲しみに共鳴することに趣があるのかと納得した。
    これは過去の人物に対してだけでなく、実在の他人に対しても、同様に想像することが重要であると感じた。
    また、クラシック音楽を嗜む身としては、音から作曲者のまざまざとした人間像までを想像できるよう取り組もうと思った。


    ・科学について
    私は学生時代に物理をやり、一般的かつ論理的に考えることこそが正義だという固定観念に縛られていた。
    そのため、根拠のない超常現象や迷信の類には全くの無関心であった。
    しかし、個々人が実際に経験した具体的実体験にも目を向けることが重要であることを学んだ。
    なぜなら、科学はある単位系の中で、客観的な事実を扱っているだけである、つまりは狭い定義の中で現実の事象を記述しているに過ぎないということだ。
    限定的なものさしだけで世界を見て、わかった気でいることは恥ずかしいことだなと思った。
    どんなに信じられなくても、根拠が見当たらないとしても、各々が経験した事実としてまずは受け取ろうと思った。

    ・近現代の教育について
    「先生が隠した答えを見つけさせるのが現在の教育」、深く共感した。
    現実を生き抜く上で問いを見つけることの重要さと難しさは、社会人になり強く実感している。
    うまく問うことを心に留め、自問自答や対話を大切にし、現実と向き合っていきたい。


  • 全集買う判断材料として読了。

    学生の短い質問に対して論理的に自身の思考を正確に、広くて深い知識と経験を丁寧に織り交ぜながら回答する姿に心打たれた。

    数回にわたって記録される学生との対話はそれぞれ主題や学生からの質問が違うのに、小林秀雄の回答は表面上違うように見えて、何か確固たる信念が根底にあると思った。

    今は得体の知らない、この根底を探る術の一つが全集を読むことだと思うので、やっぱ買いですねー。

    最後に一節。
    「質問するというのは難しいことです。本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。僕は本当にそうだと思う。(中略) ただ、正しく訊くことはできる。」

  • 科学は切り刻む。分析的。しかし,統合できない。細かいことが分かってくる。それで,どうなんだ?心を分析した。分析した結果,心が分かったのか。そもそもそんな問いすら忘れてしまっていないか。

    歴史書は鏡という字が使われている。歴史は自分自身の中にある。⇒「自分自身を見る鏡」「自分自身を見るということは過去を見るということ」ヒントを得た。

    自分の言葉で自分の考えで対話することができるだろうか。自分に焦点化しては自分が見えてこない。相手を説得する,相手に勝るという目的のコミュニケーションでもない。知を深めよう,知を鍛えようとする無私の取り組み。

  • 小林秀雄の講義および学生との質疑応答を記録した本。学生として、是非聴いてみたかったと思える内容。以下、印象に残った箇所(要点)。
    ・科学の進歩は著しい。しかし、科学は人間が思いついたひとつの能力に過ぎない。僕らが生きていくための知恵は、昔からさほど進歩していない。例えば、『論語』以上の知恵が現代の我々にあるか。p43
    ・知識を我がものにする喜びがなければ、知識が信念に育つことはない。p94

  • 小林秀雄は、エラそうではあるが、快刀乱麻、切れ味のあるボキャブラリーとエクスプレッション、さらにパッション。若い人に熱烈な信者が出るのもうなずける。ほぼ肉声なので、その背筋の伸びた佇まいが行間から立ち昇るようでもある。

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著者プロフィール

1931年2月12日生まれ、東京都出身の作曲家。東京藝術大学卒。作曲を長谷川良夫、ピアノを水谷達夫、宅孝二、奥川坦、稲垣寿子に師事。1959年・1961年 NHKから委嘱された芸術祭参加作品のラジオ音楽劇2作がそれぞれ芸術祭奨励賞を受賞する。1966年に中田喜直らと「波の会」(現・日本歌曲振興波の会)を創設し、第二代会長を経て、後に社団法人となった同会の名誉会員を務めた。「落葉松」をはじめとする歌曲・合唱曲やピアノ曲、童謡「まっかな秋」、オペラ、器楽曲、小学校校歌など数多くの楽曲を手掛ける。また、本人が直接合唱団を指導することも。東京藝術大学音楽学部講師、愛知県立芸術大学教授、聖徳大学・同短期大学教授、活水女子大学教授などを歴任した他、1979年には文部省派遣在外研修生としてパリに留学した。このほか、ショパンやリストのピアノ作品の校訂を手掛けた。2017年7月25日死去。86歳没。

「2024年 『混声合唱のための組曲 優しき歌』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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