吾輩は猫である (新潮文庫)

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  • 新潮社
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本棚登録 : 4115
レビュー : 303
  • Amazon.co.jp ・本 (624ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010014

感想・レビュー・書評

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  • これだけ有名な作品なのに、もう忘れてるって、どういうこと。

  • まっ黄色のカバー

    くしゃみ先生の細君にハゲが見つかる話とか面白かったw
    日常を猫の視点から描かれた作品で、
    もしかしたら猫さんたちは、こんな風に人間たちを見ているのかもしれないなぁ〜と思った。

    読んでいて
    どういうこと?どういう意味?
    って難しいところもあったけど、
    まぁだいたいは理解できたからよし!✨
    達成感!✨

  • にゃんこ、しんだかなしい。

  • 大きな筋があるわけではなく、苦沙弥先生の家に飼われている猫が、日々起こることを語っていく。気楽に読めばいいんですね。教科書にとりあげられる・誰でも知っている・明治の大文豪・夏目漱石だ!なんて構えずに。

    トチメンボーには笑いました。

  • おそらく日本で一番有名な”無名ネコ”の話。

    そういえば読んだことないな、っと思い着手したネコの話。今年は特に意識はしていないのだが漱石を読む機会が多い。
    どんな話かと言えばネコ目線での買い主であるくしゃみ先生を取り巻く人々の様子を描いた物語。
    ネコ目線というのがこの物語のポイント。勿論小説なので完全にネコにはなりきらず、しかし人でもないので登場人物に起こる出来事に巻き込まれることもない。
    この巻き込まれることもない、というのが良い。どうやら頭のいいネコでなかなか世の中の摂理をわかっているのだが、不用意な発言がない。だからそれによって登場人物に袖にされるようなこともない。いるけど、いない扱い。ネコならではのポジションだな。
    そんなことを私に考えさせるぐらいに、はじめ目の1~3章がものすごくおもしろかった。
    元々私はイヌ派なんだけどネコもたまらん、なんて考えてしまったぐらいで、次は「ノラや」を読もうかと考えたぐらいだ。
    とはいえ読み進んでいくうちに、ちょっと長すぎるな、と思い始める。
    はじめの頃はネコのからみが多かったのだけれども、最後の方の章とかは登場人物が一堂に揃い訳のわからぬ話を始める。
    いや訳のわからぬ、はこの小説全体に言えること、この小説には筋という筋はなく、色々な逸話を盛り込んでいる。しかしその逸話のあれこれは、とんちも風刺も効いているのでけしてこちらを退屈させない。漱石の時代なのでてっきり古い内容だろうと思いきや、意外にも現代に通じる部分も多い。
    一カ所引用しよう。


    【「死ぬ事は苦しい、然し死ぬ事が出来なければ猶苦しい。神経衰弱の国民には生きている事が死よりも甚しき苦痛である。従って死を苦にする。死ぬのが厭だから苦にするのではない。どうして死ぬのが一番よかろうと心配するのである。只大抵のものは智慧が足りないから自然のままに放擲して置くうちに、世間がいじめ殺してくれる。然し一と癖あるものは世間からなし崩しにいじめ殺されて満足するものではない。必ずや死に方に付いて種々考究の結果、斬新な名案を呈出するに違いない。だからして世界向後の趨勢には自殺者が増加して、その自殺者が皆独創的な方法を以てこの世を去るに違いない。」】


    これには驚いた。勿論大まじめに出てくる言葉というよりは一種の風刺的なニュアンスで登場する会話だが、この後には、【万年の後には死と言えば自殺より外に存在しないモノのように考えられるようになる」】と、最後には【「自殺も大分研究が積んで立派な科学になる」】とまで言う。
    恐れ入ったというもんだ。
    こちらも当然ながら大まじめに捉えるつもりはないが、作家がよく選ぶ自殺という選択をとらなかった大御所のこんな意見は非常に興味深い。漱石は残された作品から見て、けして自殺という行為から遠い存在ではなかったはずだろうと私は思う。だからこそ、この人とそれを交えて論じたらなかなか興味深いものが出来そうな気がする、なんて思ったりもする。いや、ここでは題材の本とあまりにかけ離れているからしないけどね。
    話を戻すが、引用の部分からも見えるとおり、人間というのは進歩がない。というより未だに日本人というのは西洋文化の流入に中途半端な変化や適応しか出来ていないのかもしれないと私は感じた。
    と、各部分を掘り下げればざくざくよいモノが出土するのは当然なのだが、筋のない小説のコアであるネコが、最後の章にはほっぽられ、言いたいこと言ってのけた感が少し強かったかなと思えた。
    【「芸術が繁盛するのは芸術家と享受者の間に個性の一致があるからだろう。」】と言う部分のくだりは好きだったんだけどね。
    解説にも冗長的と言われていたがその通りだな。
    とはいえ初めての小説だから仕方がない。くさすなんて、おこがましいのはわかっているが、いや気になっちゃってさ。


    漱石のかの有名な鼻毛のくだり、てっきりエピソードなのかと考えていたんだけど小説にもばっちり出てきてるじゃない。
    下品というよりかはひどい内容だよな。
    ま、チャーミングって事で、いや流せない気もする。

  • ストーリーは知っているし、一部は実際に読んだことがあったのだけれど、通しで読んだのは初めてです。

    猫の視点で描いた偏屈な教師とその友人達との日常物語なんですが、主題が分かりづらく起伏のない物語でした。
    なので私は、全体を通した主題等は考えず(よくわからなくて・・・)、ディテールを楽しんでみました。

    例えばネコが、人間の「金持ち運動健康志向」流行に対抗し、自らも下等と思われたくないがために運動をしていると主張する描写がとても楽しくて、一番のお気に入りです♪
    木登りをして蝉に迫る「蝉取り運動」とか、落ちるか落ちないかの瀬戸際にチャレンジする「松滑り」、その他にもカマキリを捕まえたり垣根を走り回ったり、それらは「本能」ではなく「芸のある運動」なんです(笑)。
    漱石自身の社会批判の風刺でもあると思うんですけどこのあたり、想像してクスっとしちゃいました。。ネコかわゆい☆

    基本的にこの小説は、ダラダラとした無駄な会話の中で、近代日本の知識人の西洋崇拝を批判する、というパターンが多いんですけど、特に私は「自覚心」に対する議論が分かりやすくて印象に残りました。

    一部抜粋すると。。
    「今の人の自覚心というのは、自己と他人との間に大きな利害の溝があるということを知りすぎているということだ。そうしてこの自覚心なるものは文明が進むに従って一日々鋭敏になっていくから、しまいには一挙手一投足も自然にできなくなる。寝ても俺、冷めても俺、この俺が至る所につきまとっているから、人間の言動が人工的にコセつくばかり、自分で窮屈になるばかり、世の中苦しくなるばかり。」
    「今の人はどうしたら己の利になるか、損になるか寝ても覚めても考え続けだから泥棒と同じく自覚心が強くならざるを得ない。二六時中キョトキョト、コソコソして墓に入るまで一刻の安心も得ないのは今の人の心だ。文明の呪詛だ」
    「昔の人は己を忘れろと教えたものだ。今の人は己を忘れるなと教える。だから二六時中太平の時はない。いつでも焦熱地獄だ。天下に何が楽だと言って己を忘れるより楽なことはない」

    この他にも経済至上主義的な発想、自由主義のはきちがえ(享楽主義?!)などの批判が多く、この時代の気運やそれに漱石が危機感を持っていたことなどが伝わり興味深く読みました。

    独特のテンポを持つ文体や、落語的な会話の呼吸なんかに慣れてくるとより楽しめるようになります。
    お風呂屋さんの場面なんかも笑えました。。

  • 猫視点で書かれた全11話の人間観察記。猫ならではの小憎らしくも可愛らしい小説、と思えたのは正直初回だけ。2話以降も時折は面白いけれど冗長で退屈した。嫌な予感をなぞった結末で読後感も悪い。漱石流のユーモアは高尚で私の肌に合わないのかな。解説によると、もともとは読切作品の予定で、その初回のみ高浜虚子の訂正が入っているとのこと。虚子が最後まで関わっていたらどんな作品になっていただろう。

  • 中毒2個目に挑んだのがコレ。生来の猫好きでこの時期は確か6匹くらいネコがいたはず。名前だけは知ってたのでやはり文庫版で挑戦。しかし経験不足で挫折。当時活字初心者の私にはワリと長尺で内容もチョイと高尚。後日図書館の子供用にダイジェストしたので通読。後年正式版を読み返した。内容も文章も超上級の一品なんだけど私にはパス。
    だってねえ・・・最後がねえ・・・猫好きは絶対にあそこでもうヒトヒネリあってほしい。猫モノはなんといっても超ご都合主義のハッピーエンドであるべき。
    だから動物モノ(ナンタラの犬とかカンタラ物語とか)は極力読まない。当然 ナンタラとカンタラ2作品も読んでない。

  • 巻末の注釈を読みながらも難しく、何故だろうと思っていたらこの方エリートで留学経験もあるのね。。
    だから海外の偉人も沢山出てくるのか。。。

    読み進めるのに時間がかかるのだけれど、一冊纏めてではなくて章ごとに読めば ナルホド と思う箇所もあって面白いだろう。

    結末がまさかこんなんだとは知らなかったが。
    漱石の考え、思いがつまめるエッセイのようなものだと思った。

  • 中学の教師宅に集まる人物たちの話・事件を猫の目線から風刺的に描かれた教訓と皮肉がたっぷりの小説。物語として話が発展することはあまりなく、各部分(登場人物や語られる話、出来事)の面白さのみが強調されていて、昔の本なのに今でも新鮮に読めた。

著者プロフィール

慶応3(1867)年、現在の新宿区生まれ。明治23(1890)年、帝国大学文科大学英文科に入学。明治28(1895)年から29(1896)年には『坊っちゃん』の舞台となった松山中学校で教鞭を執る。明治33(1900)年9月、イギリス留学出発。明治38(1905)年、『吾輩は猫である』を俳句雑誌「ホトトギス」に連載。明治40(1907)年、朝日新聞社に入社。以降、朝日新聞紙上に『三四郎』『それから』『こころ』などを連載。『明暗』が未完のまま、大正5(1916)年12月9日、胃潰瘍にて永眠。

「2018年 『道草』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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