三四郎 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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レビュー : 491
  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010045

感想・レビュー・書評

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  • 東大に入学が決まり、熊本から上京してきた小川三四郎を取り巻く都会の人間模様、恋愛事情。
    三四郎自体の要領の悪さを執拗に描かれており、最終的には失恋してしまうあたりに、世の男性は自らを投影したのだろうか。作中に西洋の哲人や文豪、画家等が多数出てきており、幾許かの心得がないと読みにくいことは否めないものの、要領の悪いワタクシ。結果として三四郎に感情移入してしまった。

    文学的女性の描写:『肉は頬と云わずきちりと締まっている。骨の上に余ったものは沢山ない位である。それでいて、顔全体が柔らかい。肉が柔らかいのではない骨そのものが柔らかい様に思われる。奥行の長い感じを起させる顔である。』

  • めっちゃおもしろい、、
    なんか、こんなに昔の話だけど、
    おしゃれやなぁって思った
    文明開化って感じ
    めっちゃいい
    与次郎が憎めなくてツボ
    森見登美彦の小説に出てくる、
    人を面白おかしく批判するけど
    憎めないやつみたいな、、
    いいねえ
    文章も好き

  • 初めて読んだ時はストレイシープが何かとても気になった本。
    戸惑う三四郎は初々しく、自我を持ちつつ結局は・・・な美穪子さんも魅力的。漱石の本に書かれている人の抱える矛盾や葛藤はしっくりきて好きです。ただ、弱くなっている時に読み続けるとハマり過ぎてしまう。

  • 明治という時代は、人が新しい世界に目覚める時代だったのだと思う。現代の我々の方が、当時の日本の人々よりはるかに英米の文化に触れる機会が多いはずなのに、この精神の自由さはどうだ。
    僕は海を渡って旅行する時は、必ずこの本を鞄に忍ばせる。
    僕の心が、彼の時代の人々と同じ位自由に翔べるように。

  • 熊本という田舎の地から、学問のため上京してきた三四郎。
    その姿にどこか自分の姿を投影してしまう。
    現代に比べて、都会と田舎との様々な面における格差は遙かに大きかったものであろう。
    もう少し自分というものを相対化できた時に読むべき本。

  • 言わずと知れた夏目漱石の青春小説。大学生、特に今年入学する方には是非とも読んで頂きたいです。面白いけど長すぎる「猫」を読破しようとしたり、最初から守勢に立とうと「坊っちゃん」を手にとったりするよりも順当なのではなかろうか。


    『三四郎』は、東京に来て三つのことを知った。

    まずは「学問」。野々宮さん、広田先生、原田さんら個性的な識者が登場する。彼等の一風変わった行動や思考が、「学問」の面白さを教えてくれ。

    次に「東京」。都会っ子の与次郎に引っ張り回されて学生なりの遊び方を知ることになる。飲み会(ダーターファブラ)、講義のサボり方、芸術の堪能(三代目小さんを褒めるくだりは落語ファンのなかで有名)など。(なお、与次郎はただの遊び人ではない。例えば三四郎に図書館の使い方を教えてくれる。とりあえず、与次郎の名誉のための補足です。)

    そして「恋愛」。「彼女候補」の美禰子とよし子は魅力的な女性だ。三四郎くんは恋の病に悩まされる。周りの人に相談してみると、リア充っぽい与次郎も、超然としてる広田先生も、何らかのかたちで恋に悩むことがあることが分かる。嗚呼、佳き青春哉!

  • 40年以上ぶりに読んで、夏目漱石の文章の偉大さを改めて感じた。
    「三四郎」は「それから」、「門」と続く三部作の序章と捉えることもできるそうだけれど、もっと単純にいつの世にも変わらない若者の悩みと生活を描いた青春小説と捉えて楽しんでも良いのではないだろうか。
    当時の政治、社会批判や哲学的な内容をたくさん含んでいても私のような俗な読者には理解できないところが多すぎる。
    ならば、心に流れるように入り込んでくる文章を味わい、自分の青春時代を省みながら頭の中でフラッシュバックを起こしてみるのが楽しい。
    「三四郎」ではほとんど何ごとも起きない。事件はない。しかし三四郎を取り巻く人々は生き生きと忙しく、あるいはのんびりと我関せず、普通の生活をしているが、何も起きない彼らの生き様を描く漱石の文章が読むものを惹きつける。
    10代で読んだ三四郎で感じた部分、今50代で読んだ三四郎で感じた部分それぞれ貴重な感覚であり、10代でこの作品の何がわかるのだという批判は当たらない。それぞれの年代でしか感じ取れないものがあるはずなのだ。悔やまれるのは20代、30代、40代とそれぞれの年代の自分で味わっておきたかったということ。
    これから10年おきに読むとしてもあと何回読めるのか。歳をとってくると、もう若いときのように感覚が変わっていく速度が早くはないから、新しい感覚で読むにはどうしても10年は必要だろうがそれではもったいない。いつでも手元に置いて気がむいた時に読み、その時に今までになかったことを感じたのなら、自分の感覚が変わったのだと知る方が良いかもしれない。

  • 夏目漱石を読んで、3作品目。
    相変わらず、言い回しが私には美しく感じました。
    特に広田先生が、夢を語る場面の言葉が好きです。『あなたは詩だと云った。』
    広田先生の雰囲気も、たまらなく好きです。

    一方、奔放な明るさで、法螺すらも愉しくて、
    何だかもうしょうがないなぁって思えてしまう、
    与次郎のキャラクターも魅力的です。

    なぜ与次郎は、広田先生に傾倒しているのだろう。
    まるで正反対だから惹かれるのかも知れないが、
    広田先生が積極的世に出ていく人であれば、
    彼にとっての情熱のようなものになり得ないのではないか、とか。

    割りと世話焼きな与次郎君。
    彼の熱は、自分の裡になく、常に外向きな気がします。
    だからこそ、色々な物事に奔走するのでしょうか。
    私はそんな与次郎が一番愛しく思えちゃいましたが。

    主人公の三四郎は、
    客観的な存在であったように思います。
    中庸に居るような。
    広田先生に近付けば、ある種の静寂さを纏うような。
    与次郎と交われば、ふわりと軽快になるような。
    まだ染められていない、薄い生地みたいな人でした。

  • 相手の女性の思いが想像できず、自分を愚弄したかも知れないと思い詰めてしまう三四郎。教会から出てくる美禰子に別れを告げるシーン。何か青春時代の悩みが凝縮されているようで切ない。

  • 多くの人が、特に主人公と同性であればなお、この作品に親しみをもつことになると思います。発表から100年以上も経っているのに、むかしの自分の日記を読んでいるような感覚にもなります。愛する小説のひとつにぜひとも挙げたい名作です。

    出来事や風景が丹念に表現される一方で、だれかのとった行動や発言の真意が明かされないままであることが多いようです。読み手としては当然に、あれ? どういうことだろう? と思いになりますが、日常生活でも相手の発言の意図を全部くみとれるなんてことはほとんどありません。この人には嫌われたくないな、と思う目上の相手や、意中の異性などを前にしては、よく思われたい、もっと知りたい、という気持ちがかえってその実現を妨げるように、知ろうとするほどに近づくことができない人と人との関係、なんてものは決して珍しくありません。

    そんなもどかしさにのめり込みながら迎える結末は、現代を生きる私にとってショッキングでありました。
    こんなことに耐えなければいけないなんて、私は夏目漱石さんの時代で生きていかれたでしょうか。甚だ心配です。

著者プロフィール

夏目漱石(なつめ そうせき)
1867年2月9日 - 1916年12月9日
江戸・牛込馬場下(新宿区)生まれの小説家、評論家。本名は「夏目金之助」(なつめ きんのすけ)。1890年、帝国大学文科大学英文科に入学。1895~96年には『坊っちゃん』の舞台となった松山中学校で教鞭を執る。1900年、イギリスに留学。1905年、『吾輩は猫である』を俳句雑誌「ホトトギス」に連載し始め、作家活動を本格的に開始。1907年、朝日新聞社に入社。以降、朝日新聞紙上に『三四郎』『それから』『こころ』などの代表作を連載。日本の文学史に多大な影響を与えており、作品は多くの人に親しまれている。学校教科書でも多数作品が採用されている。

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