三四郎 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010045

作品紹介・あらすじ

熊本の高等学校を卒業して、東京の大学に入学した小川三四郎は、見る物聞く物の総てが目新しい世界の中で、自由気侭な都会の女性里見美禰子に出会い、彼女に強く惹かれてゆく…。青春の一時期において誰もが経験する、学問、友情、恋愛への不安や戸惑いを、三四郎の恋愛から失恋に至る過程の中に描いて「それから」「門」に続く三部作の序曲をなす作品である。

感想・レビュー・書評

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  • 三四郎の青春時代の不安や戸惑いが描かれる。
    熊本から東京の大学に入学した三四郎は孤独を感じていたが、理系男子の野々宮先輩や与次郎、広田先生に出会い、少し明るさを取り戻す。
    そんな中で、都会育ちで知的な美禰子と出会い、強く惹かれていく。
    美禰子は野々宮先輩と付き合っているのかと思えば、三四郎に好意があるような態度もみられる。そんな彼女に三四郎は翻弄されてしまう。
    いやしかし、乙女心って難しいなぁ。
    私も三四郎と同じく鈍感な方なので、この美禰子という女性の態度はよくわからなかった。
    美禰子は三四郎に野々宮先輩のことを「責任を逃れたがる人だから、丁度好いでしょう」という場面がある。
    もしかしたら、野々宮先輩に好意を抱きながら煮え切らない態度にやきもきして、そんな彼に嫉妬させるために三四郎に近づいたのかもしれないし、純粋に三四郎に惹かれ始めていたのかもしれない。
    当時は結婚相手が勝手に決められてしまったり、女性から想いを告げることなど難しい時代。
    だから「ストレイシープ(迷える子)」という言葉でなんとか伝えようとしていたのかな。
    迷える子とは三四郎のことだと思って読んでいたが、振り返ると美禰子自身のことだったのかもなぁ。
    それにしても、昔にも草食男子っていたんだね。

    • 1Q84O1さん
      ひろさん♪
      太宰治に続き最近は夏目漱石ですね
      『こころ』『吾輩は猫である』『坊っちゃん』などの作品は知ってますが、恥ずかしながら読んだことは...
      ひろさん♪
      太宰治に続き最近は夏目漱石ですね
      『こころ』『吾輩は猫である』『坊っちゃん』などの作品は知ってますが、恥ずかしながら読んだことはないです…
      学校の授業で何か読んだことあったのかなぁ…(^_^;)
      2023/07/06
    • ひろさん
      1Qさん♪
      太宰治は立て続けに読んだら少しお腹いっぱい気味で(-∀-`; )
      夏目漱石は『こころ』以外の作品も気になっていたので読んでみまし...
      1Qさん♪
      太宰治は立て続けに読んだら少しお腹いっぱい気味で(-∀-`; )
      夏目漱石は『こころ』以外の作品も気になっていたので読んでみました♪
      自分が学校の授業で読んだ記憶がある文豪作品は芥川龍之介の『蜘蛛の糸』くらいでしょうか(^_^;)
      今どきの教科書にはどんな作品が載ってるんでしょうね?子どもが小学生になったら見せてもらっちゃおうかな♪
      2023/07/07
    • 1Q84O1さん
      ひろさん、お腹いっぱい気味w

      あっ!?
      『蜘蛛の糸』も授業で何となく記憶に…
      教科書にいろいろな作品が載ってると子どもと一緒に文豪作品を楽...
      ひろさん、お腹いっぱい気味w

      あっ!?
      『蜘蛛の糸』も授業で何となく記憶に…
      教科書にいろいろな作品が載ってると子どもと一緒に文豪作品を楽しめるかもしれませんね
      ( ̄ー ̄)ニヤリ
      2023/07/07
  • 「この本の要約」
    熊本から、東京の大学に入学するため、東京に来た三四郎は、友人の引っ越しの手伝いをしている時、一目惚れした美禰子と出会った。三四郎は好きである美禰子に自分の気持ちを話せなかった。美禰子は三四郎が自分の気持ちを話せないまま、結婚をしてしまった。
    「三四郎あらすじ」
    熊本から東京の大学に入学するため汽車にのった。車内で夫が満州にいる夫人と知り合う。
    そんなことから夫人と同じ宿の同じ部屋に泊まることになった。
    翌日、駅で夫人に三四郎は「貴方はよっぽど度胸のない方ですね」と言われた。
    学業が始まると同級生である与次郎、与次郎が尊敬している広田先生、光線の研究をしている野々宮と出会いました。
    そして、広田先生の引越しを手伝った時、以前自分が一目惚れした美禰子に出会います。
    その頃、与次郎は尊敬する広田を帝国大学の教授に就任させようとします。与次郎に協力するうちに三四郎も巻き込まれます。
    その後、美禰子から美術展に行かないかと誘われ、美術展に行くとそこには野々宮もいました。

    美禰子は三四郎に必要以上に親密な関係に見せようとして、野々宮を愚弄します。
    美禰子と野々宮の駆け引きのために利用をされた三四郎は怒りと戸惑いを覚えます。
    与次郎から美禰子が結婚すると聞かされた三四郎。
    その相手は、野々宮ではなく彼女の兄の古くからの知り合いでした。
    その頃、与次郎が暗躍していた広田の教授就任のための数々の工作が露呈。
    広田は帝大教授の座に就くことはできませんでした。
    美禰子をモデルにして原口が描いた作品が美術展に出展され好評を博していました。
    三四郎は、広田、野々宮、与次郎と展覧会を訪れた。
    評判の絵には「森の女」という題名がつけられていました。
    三四郎は題名が悪いと言い、「迷羊(ストレイシープ)」と何度も繰り返しました。

  • 明治も最終盤の頃、大学に入るために上京してきた小川三四郎の、学業は兎も角も、次第に広がる交友関係に、そこはかとない片想いもあって、まさに学生生活を謳歌するちょっぴりほろ苦い青春物語!
    その後の漱石の小説では、狂おしいばかりの主人公の懊悩と葛藤が描かれるようになりますが、この『三四郎』はどちらかというと、田舎から上京して右も左もわからずに、人並みに悩みはするけれど(笑)、ぼぅ~と流されてあまり深く物事を考えていない、いらいらさせられる系の主体性の無い青年のようですね。(笑)
    物語の進行は流石にドラマ仕立ての場面構成になっていて面白いです。それに三四郎の周りを彩る個性的な面々もなかなか魅力的です。「明治」というと欠かせない広田先生や野々宮のような学究肌の人物や、三四郎も惚れた「明治」の女らしい美禰子、そして、学生時代に必ずいるがさらにそのおっちょこちょいぶりに「明治」の拍車が掛かるかき回し屋の与次郎など、三四郎を取り巻く登場人物が魅力的すぎたが故に、逆に三四郎の影が薄くなっているほどです。(笑)あと、「偉大なる暗闇」とか「迷羊(ストレイシープ)」とか物語の要所を締めるキーワードが、持って回った言い方となっていて、これも「明治」のインテリ層の雰囲気が味わえるなかなか楽しい趣向でした。(笑)
    交友関係の展開はいいとして、三四郎の片想いの行方が気になるところですが、相手の言動の三四郎なりの解釈や、すれ違いぶりが、どうしても三四郎のぼぅ~とした性格ぶりと重ね合わさって、描写が不十分と思えてしまうのはその後の作品群と対比してしまうからなのでしょうね。
    ところで、この作品ではさかんにイプセンのことが語られていますが、「明治」の新しい青年像への漱石なりの指針のひとつだったのでしょうかね?

    • 佐藤史緒さん
      mkt99さん、こんにちは!

      >三四郎のぼぅ〜とした性格
      漱石作品の主人公は大抵ぼんやり君ですね(笑)
      『坊っちゃん』はコミュ障...
      mkt99さん、こんにちは!

      >三四郎のぼぅ〜とした性格
      漱石作品の主人公は大抵ぼんやり君ですね(笑)
      『坊っちゃん』はコミュ障、『三四郎』は草食系男子、『それから』の代助はニート、『こころ』の先生はひきこもり&メンヘル…って、現代の病理をほとんど網羅してる。残りはアル中&ヤク中と性的逸脱くらいで、前者は芥川と太宰が、後者は谷崎と三島が、それぞれカバーしてる。三島はネトウヨにも親和性が高い。
      これが、学校では教えてくれない日本文学の要点だったりして(笑)
      2014/06/03
    • mkt99さん
      佐藤史緒さん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/

      主体性のない主人公・・・。確かに、よくもまあ明治にあ...
      佐藤史緒さん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/

      主体性のない主人公・・・。確かに、よくもまあ明治にあって受け入れられたものだと思います。(笑)もっとイケイケな時代イメージがあるのですけどね。(笑)
      佐藤史緒さんの主人公性格分析、面白いです。(笑)
      こういうバランス感覚(?)というか、時代の先取りというか、流石、漱石先生ですね!
      本来、文学に親しむということは、杓子定規な小・中・高の学校教育とは相反するものだとは思いますけどね。(笑)
      2014/06/04
    • 藤首 亮さん
      mkkT99さん、おはよう
      【令和元年5月12日午前5時~過ぎ】
      明治は遠くなりましたが、今でも三四郎がすぐ隣にいて、僕も美禰子に思いを...
      mkkT99さん、おはよう
      【令和元年5月12日午前5時~過ぎ】
      明治は遠くなりましたが、今でも三四郎がすぐ隣にいて、僕も美禰子に思いを寄せるライバルです。
      三四郎に先を越されたと感じたシーン
      原口と言う画家の家にモデルとなっている美禰子に金を返そうと訪ねる。道を歩きながら「あなたに会いに行ったんです」
      「ただあなたに会いたいから行ったのです」
      2019/05/12
  • 昭和55年3月10日 83版 再読

    時代は明治後半、九州(出身は福岡、学校は熊本)から大学進学の為上京した小川三四郎の、東京での青春物語。前期三部作の一つ。
    当時も大学の講義は面白くなかった様子。コンパのような集まりにも参加する。文化祭に似たような物もある。少し悪めの友人が出来たり、研究室に閉じ籠りがちな研究者も居たりする。文化は変化していても、現在と似たような生活を垣間見る。そんな東京で三四郎は成長していき、淡い恋もする。

    若い頃読んだ時は、見えなかった物が見えたりした。又、これも新聞小説であった事も知り、作中で当時の日本の社会批判を登場人物に語らせている事に驚いた。

    stray sheep 迷える羊 が頻繁に出てくる。三四郎も明治日本も漱石自身も迷える時代だったのかもしれないですね。

    • moboyokohamaさん
      青春という言葉を聞くとこの小説を思い出します。
      青春という言葉を聞くとこの小説を思い出します。
      2022/02/15
  • 授業で取り扱った作品。

    『三四郎』は高校性の時に担任に薦められて読んだけど当時は全く理解できなかったし、つまらないと思った。正直表紙絵も好みじゃなくてもし買うとしても新潮社のこれだけは選ぶまいと決めてた。
    『三四郎』は私が近代文学を苦手にした原因の一つだった。
    結局大学の授業で必要になってこれを買い、数年ぶりに再読。

    んで感想。

    「え、なにこれ面白いんだけど…」
     
    高校の時と違ってストーリーがわかる!三四郎の言っている意味が分かる!
    やっぱり読書のタイミングってあるんだなってすごく実感した。去年一年通して近代文学を克服しようとたくさん読んで近代文学に慣れてきたせいもあると思うんやけど、私の中で夏目漱石が広がってきた。今『こころ』を読んだらまた何か違うかな。

    読んでる間ずっと美禰子さんとよし子さんのキャラデザが波津彬子の絵だった。多分二人ともミステリアスな雰囲気の女性やからかな。
    本文読んでるだけだと美禰子さんって電波で不思議ちゃんでこの人何考えてんねんって感じなんやけど、授業を聞いてると美禰子さんの一つ一つの行動にちゃんと意味があって、そういう見方もできるのかと感動。
    というより現代小説ってきっとキャラクターの心情とかを文章で説明しすぎなんかも。

    面白かったのは4章で与次郎が丸行燈とかを旧式って言ってる場面が笑える。だって私からみたらあなたたちも昔の古い人間だから。

    そしてこの『三四郎』の中で一番私の心を持って行ったのは広田先生!!
    特に11章で持っていかれました!
    後半の三四郎との結婚話!
    あのたとえ話の男ってきっと広田先生だよね!そうに違いない!←
    11章の夢の話からの演出が素敵すぎてもう!
    さんざん匂わせといて「僕の母は憲法発布の翌年に死んだ」で11章をバン!と終わらせるなんて。
    演出が漫画みたいでカッコいい。

    広田先生は確かに母が理由で結婚に信仰を置かなくなったんだろうけど母のことはもう許していると思う。
    ひたすら広田先生のことを考えると切なくて(笑)でも広田先生はこんな考えを言ったら「浪漫的」って言うんやろうな。
    このことを念頭に置きながら『三四郎』を読み返したら彼の言葉の端々から広田先生の人物像がもっとちゃんとしてくんやろうな。

    本当は星五つでもええんやけどなんか悔しいから四つ。
    そして与次郎は早く金返しなよ(笑)

  • 明治時代の青春小説。
    時代は変われど、人が恋をしたり悩んだり友情を育んだりする心の動きは変わらない。

    九州から大学入学のために東京へ出てきた三四郎は都会のさまに圧倒されながらも、その地で出会った人たちとの交友の中で東京での居場所を見つけていく。

    三四郎や美禰子の気持ちは、繊細な所作に丁寧に描き出されていたり、自然の事物になぞらえられたりして、直接的な表現よりも心に残るものがあった。

    美禰子が三四郎に言った「ストレイ シープ」。三四郎に対してのみ使われていたものかと思っていたが、美禰子自身もまた「ストレイ シープ」であった。

  • 明治の切ない恋愛話。
    当時の九州片田舎と東京は今以上に格差があり上京する三四郎は戸惑いがあったろう。
    列車で知り合った謎の女性の振る舞いへの冷静な対処など少し背伸びする様子が伺えた。

    様々な出会いに対し終始受け身の三四郎と、常に動き回りトラブルの中心のような与次郎はとても対照的で、だからこそ三四郎の「静」が強調されているように感じた。

    そんな受動的な三四郎が一目惚れのように惹かれる美彌子に対するポジティブさや様々な嫉妬はいじらしい。
    三四郎の気持ちを知りつつ口数少なく切り返す様は小悪魔そのもの。

    実らぬ恋の末、その美彌子を描いた絵画を見に行く三四郎の気持ちは幾ばくか。
    美彌子とのキーワード、ストレイシープが唯一の救いのようだ。

  • 一読すると青春小説ですが、なかなか重層的、かつ、ペダンチックに書かれてますね。読み方で印象が変わります。暗喩や伏線がそこらじゅうに意味ありげに置かれているのも、宝探しゲームみたいです。読者層が広く、再読を誘う不思議で愛すべき小説ですね。漱石がこの路線を極めていれば、日本文学の世界的レベルも高まったでしょうに。残念です。

  • 3回ほど挫折してようやく読了。
    最後まで読むとこれは面白いと思えたけど、
    いかんせん自分には読みづらい文章だった。
    与次郎や広田先生との会話も物語の重要な要素なのに、文語体の古めかしい表現に馴染めなかった。翻訳物には新訳があるのだから、現代の言葉に置き換えられないものかと本気で思った。

    三四郎の淡い恋物語としては、若かりし頃の同じような経験を思い出してこそばゆい思いがした。
    若く美しい美穪子は三四郎をどう思っていたのでしょうね?三四郎目線では、美穪子に翻弄されたように思えるけど、最後に美穪子が残した言葉の意味を知ると美穪子目線の別の物語が浮かんできます。

    与次郎のようなお節介者がいたからこそ美穪子との淡い恋を自覚できるようになったとも言える。
    野々宮が結婚式の招待状を破り捨てたり、ちょっとした表現で登場人物の関係性を浮かび上がらせたり上手いなと思った。

    いつか機会があればもう一度読んでみたい。

  • 明治時代という旧時代の因習と新時代の気運が渾然一体となった時代を切り取った青春小説。読了した後に見た、中田のあっちゃんのYouTubeでは明治時代のトレンディドラマと銘打たれていて、なるほどと思った。三四郎をコミカルに演じるあっちゃんの演技力で読みも深まった。正直、一読しただけでは心内描写がふんだんにある三四郎はともかく、美禰子をはじめとする他の登場人物が何を考えているか理解するのは難しかった。
    三つの世界を持ち出して、勝手に脳内で国から母を招いて、美しい嫁さんをもらって、学問するなどという大それた妄想をする割には美禰子の気持ち一つわからない三四郎が愛おしい。特に随所で見せる家族愛が人間らしい。
    少なくとも人間の見方において漱石自身に最も近いのが広田先生かと。明治時代、日露戦争に勝利し、日英同盟に湧く日本を亡びるねと断じる。愛国心、家族制度と言った伝統が漱石の唱える個人主義と対立する様を風刺的に描く。それでも広田先生を偉大なる暗闇として成功者として描かなかったのは漱石の少しばかりの厭世主義のあらわれだろうか。

  • 熊本から大学に入学するため東京に来た三四郎の話。夏目漱石の作品の中でも、何度も読んでしまう作品です。学生の頃に読んだときと、社会人になってから読んだときの気になる部分や面白い部分が違ってくるのが、また読みたくなる要因かもしれません。
    トレンディドラマのような三四郎と美禰子の関係。お互い好きだと思うのに、伝えられないし、相手の行動から好意を寄せていることを読み落としているし。心情描写が非常に面白いです。また漱石の作品に出てくる女性の描写は興味深いです。

    恋愛模様だけでなく、三四郎が生きた時代の日本、東京、日本の学生たちの生活はこんな感じなんだというのも垣間見れて三四郎とともにこの時代の青春を味わえます。

  • 半藤一利さんの本で読んだ、有名らしいこの場面が出てくる文脈を知りたいがために読んだ。序盤で呆気なく出てきたが、最後まで読む。

    P24 (場面は1908年の筈)
    「しかしこれからは日本もだんだん発展してするでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
    「滅びるね」と言った。—— 熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。


    もひとつ、Pity is akin to love. の名訳として名高い「かわいそうだた惚れたてえことよ」が、与次郎の迷訳として、エピソード的に軽く登場していて、少々意外。

    ストーリーとしては大きな動きもなく、淡々としたお話。田舎から上京した自分の学生時代を思い出した。90年位時代は違うけど。

  • 『美禰子』で書いてほしかったくらい、美禰子に気持ちが没入しました。
    三四郎の青春小説でなく、美禰子の婚活小説としか読めなかった。
    重症…

    野々宮は彼女を幸せにしようと思えばすぐにできる立場なのに、不甲斐ないにも程があります。
    美禰子をいつまでも子供と思っていたのかわかりませんが、周り(美禰子の境遇)が見えてなさすぎです。
    彼にこそ、ぐいぐい引っ張ってくれる美禰子はピッタリだったでしょうに…

    広田先生はいちばん美禰子を理解して心配していたように見えたけど、それこそ愛情というより同情ですし。
    原口は軽薄すぎるし。
    学生の三四郎は結婚相手としては論外ですし。

    美禰子が欲しかったのは、はっきりきっぱりとした「求婚」ただ一つだったんだから、金縁眼鏡に嫁いでも、全くなんにも不思議はないです。

    美禰子の「ストレイシープ」が、「助けて助けて」としか聞こえなくて切ないったら…
    立派な紳士に貰われて、本当によかった。


    …我ながら実に異色な感想だ。

  • 上京してきた若者が、東京で新しい考え方に触れ、仲間と出会い、淡い恋をする。という、ほんとうにそれだけの青春小説。

    坊っちゃん同様、登場人物のキャラが個性的で、彼ら彼女らのやりとりがいちいちユーモアにあふれ魅力的。

    ストレイシープなど、言葉もいちいち気障なんだが、それがまた良い。

    とりたてて好きな物語ではないけど、ところどころを切りとって飾っておきたくなる名文が随所にあり、さすが文豪。

    終盤で広田先生が語る、二十年前に会った少女が夢に出た、の話が好きです。

  • 40年以上ぶりに読んで、夏目漱石の文章の偉大さを改めて感じた。
    「三四郎」は「それから」、「門」と続く三部作の序章と捉えることもできるそうだけれど、もっと単純にいつの世にも変わらない若者の悩みと生活を描いた青春小説と捉えて楽しんでも良いのではないだろうか。
    当時の政治、社会批判や哲学的な内容をたくさん含んでいても私のような俗な読者には理解できないところが多すぎる。
    ならば、心に流れるように入り込んでくる文章を味わい、自分の青春時代を省みながら頭の中でフラッシュバックを起こしてみるのが楽しい。
    「三四郎」ではほとんど何ごとも起きない。事件はない。しかし三四郎を取り巻く人々は生き生きと忙しく、あるいはのんびりと我関せず、普通の生活をしているが、何も起きない彼らの生き様を描く漱石の文章が読むものを惹きつける。
    10代で読んだ三四郎で感じた部分、今50代で読んだ三四郎で感じた部分それぞれ貴重な感覚であり、10代でこの作品の何がわかるのだという批判は当たらない。それぞれの年代でしか感じ取れないものがあるはずなのだ。悔やまれるのは20代、30代、40代とそれぞれの年代の自分で味わっておきたかったということ。
    これから10年おきに読むとしてもあと何回読めるのか。歳をとってくると、もう若いときのように感覚が変わっていく速度が早くはないから、新しい感覚で読むにはどうしても10年は必要だろうがそれではもったいない。いつでも手元に置いて気がむいた時に読み、その時に今までになかったことを感じたのなら、自分の感覚が変わったのだと知る方が良いかもしれない。

  • 三四郎が好きな人の態度にやきもきしたり、軽薄な友人に翻弄されたり、不慣れな都会で手紙の中に母を感じたり…古風で難解な言い回しが多用されるため、高校以前なら嫌煙したかもしれないが、20手前となった今、するすると読めた。

    夏目漱石の作品は、この描写が果たして何を表しているのか、完全に分かる訳では無いが、何度も読み返してみたいような感じがする。もっと年を重ねればわかるようになるだろうか。

    解説は…解説の小難しい言葉のせいで、分かりかけていたものを手放してしまったような気がする…もっと素人を気遣ってくれ…

  • ずーっと読みたかった本を読めた。
    三四郎と一緒に明治末期の青春を過ごして、美禰子に恋をして、そして淡く失恋した。
    こういう昔の純文学の醍醐味って、筋を楽しむ云々よりもそこに漠然とある「美しさ」を味わえることなんだろうなぁと思う。
    「何も起こらない」小説がここまで時代を超えて読まれているのは、間違いなく漱石の文章や描写力が色んな人に愛されている証拠。
    最後のシーンは痺れたなぁ

  • 数年ぶりに読んだ。こんなに恋心を描いた小説だったか。美禰子の気持ちが最後までよくわからない。でも三四郎が良いと言ったヘリオトロープをつけているのを見ると、好きなのかなぁ…三四郎が勇気を出して、あなたに逢いに来たんだというところなんかは胸キュン。それをすっとはぐらかしていく美禰子とか、その美禰子の心の読めなさと、それに一喜一憂する三四郎のもどかしさと、全部ひっくるめてリアルな恋心が味わえた。
    ハムレットの邦訳の奇妙さには無闇な西洋化非難が見られるし、与次郎のセリフにも漫談的な要素が多いし、漱石的な面白さもたくさん。

  • 2015年最初の1冊。
    毎年、干支にまつわるものを読むことにしているのですが、未年の今年はこの1冊。
    Stray Sheep, Stray Sheep…。

    地方から上京した青年が都会でさまざまな人に出会い、自由な女性に心惹かれるも、結局彼女は他の男性と結婚してしまう…。
    ストーリーを楽しむというよりも、主人公や周囲の人々とのやり取りに引き込まれる小説だと思います。

    敬愛する先生のために独自の運動に奔走する友人、自由奔放な美しい女性、哲学の煙を吐きつつ学問の世界を遊歩する先生…。
    そんな都会の人々に囲まれた毎日を過ごしつつ、田舎からの手紙への返信に「東京はあまり面白いところではない」と書く三四郎に、切なさと少しのおかしみを感じるのでした。

    描かれている当時の大学の雰囲気が好きだなぁと改めて思いました。
    いろいろな人がいろいろな思いを抱えて日々を送るキャンパスを上から覗き込むような楽しさを感じました。

  • 私の稚拙な脳みそだと難しすぎました。
    夏目漱石の小説の中では、読みやすい印象。
    田舎から出てきた三四郎と都会っ子の与次郎の対比と、さらに女を含む関係性は掘ったら面白そう。
    もう一周します。

  • 美術、哲学、物理学など、漱石がいかに博識か、さらには漱石が捉える景色や心象の描写がいかに的確で多様な表現でなされているかにただ驚かされた。今更なに言ってんのって感じだけど。

    ストーリーとしては、いろいろあった結果、何も変わってない。広田先生が偉くなるわけでも、三四郎が美禰子または野々宮妹と結婚するというわけでもない。何も変わらないけれど、三四郎の(美禰子もだと思うけど)ストレイシープな心情が伝わってくる。現代よりもクローズドされた恋愛模様の中での心情の探りあいにリアリティを感じる。

    と、なんかそれっぽいように感想を書いてみたものの、ちゃんと理解できてないだろうな。とりあえず、今読んでも全く色褪せず、おもしろいもんはおもしろいし、クオリティがめっちゃ高いということだけはしっかりと受け止めたい。さすが。

  • 国語の教科書以外では初の漱石。
    半年程前に観た「中田敦彦のYouTube大学」から興味を持ち、ようやく手に取る。

    美彌子、よし子を鮮やかに描写する書き口は圧倒的で、この明治時代からこんなにも色豊かな表現が出来たのだろうかと感嘆。
    「髪と日光の触れ合う境の所が菫色に燃えて」
    の表現が特に好きだった。



    「今の思想界の中心にいて、その動揺のはげしい有様を目撃しながら、考えのある者が知らん顔をしていられるものか。実際今日の文権は全くわれわれ青年の手にあるんだから、一言でも半句でも進んでいえるだけいわなけりゃ損じゃないか。」

    「三四郎は切実に生死の問題を考えた事のない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖か過ぎる。眼の前には眉を焦すほどな大きな火が燃えている。その感じが、真の自分である。」

    日英同盟成立時、漱石はロンドンに留学中。この同盟に有頂天になっている日本人を批判する手紙が残されている。

    今度、三四郎と与次郎が精養軒の会に出た後月を見た場所、上野の摺鉢山へ行ってみようと思う。ついでに精養軒も。

  • 猫、坊ちゃんに次ぐ夏目漱石3作目。

    猫では、苦沙味や細君、迷亭君
    坊ちゃんでは赤シャツや山嵐など
    面白いキャラがいて、そのキャラと主人公との掛け合いが読んでて楽しかったが、
    本作では登場人物がパッとしなかったかな笑
    ストーリーもないので、後半あたりから何しているのか分からなくなってきてしまった。分かりやすい事件の一つや二つが欲しかった。

    ただ随所に見られる漱石の考えとか、小川三四郎の人柄は好き。度胸のないところは自分に似てて共感しながら読めたし、低徊趣味なところも憧れる。
    漱石は生活を、
    学生まで過ごした故郷と
    社会に出てからの世界と
    自分が楽しめる趣味
    の3つに分類していた。このバランスを保つことを意識しながら生活したらうまく生きれるなと思った。

    三四郎が毎日日記をつけているので、自分もつけようかな。影響の受け方が未だに子供である笑

  • 言わずと知れた漱石の長編小説の始まり。
    「ストレイシープ」なんて言葉が、明治40年の小説世界を支えている。続きはブログをお読みください。
    https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/201905100000/

  • 3,5

  •  三四郎は、内向的である一方で、他者との関係における理想の自分の像を持っている。
     上京し、自分とは対照的な与次郎や広田先生をはじめとする個性的な人々と触れ合い、都会にかぶれ、染まりきれずに自分を見失い、孤独を感じる。そんな中で三四郎は「理想の自分像」を肥大化させていく。熊本の小さな田舎から飛び出たことによる、心の動揺は大きかったようだ。しかしながら、そのきっかけは名古屋行きの汽車で出会った女に言われた言葉であったのだろうと感じる。
     潜在的な意識の中で三四郎は、作品を通して、女の言葉を引き摺って生きているようだった。その後に出会う美禰子に対する憧れを含む複雑な感情は、美禰子の都会的な面だけを感じ取っていたのではないと思う。
     結局のところ、三四郎は人の流れに流され、都会に埋もれながらも必死に踠き、「自己」を探し求めていたのではないだろうか。それは彼にとって初めての大仕事であり、歴史史上初めて東アジア文化圏から脱し、欧米化を果たそうとする当時の日本と重なる点がある。
     夏目漱石自身の留学時の心境を映し出してもいるのだろうか、非常に繊細な描写が目立つ。
     作中、美禰子だけでなく、誰の眼にも三四郎は、「ストレイ・シープ」に写っていたに違いない。

  • 物凄くお洒落な恋愛小説。
    最後の絵(女)に対するそれぞれの近寄り方が象徴的で、謎解きの答え合わせみたいでスッキリ。

    最終的に美人なら誰でもいいような男と美禰子が結婚することになったあまりの不遇に、小説だからこそ「どうしてそんなに鈍いんだ三四郎!!」と胸倉掴んで揺さぶりたくなったけど、心根が優しくて繊細で、善良な三四郎だからこそ、自分を律して真実に気付けないってこともあるのかなあ。こういう人、時代も場所も越えてたくさん居そう。

  • (Mixiより, 2010年)
    軽やかな質感だけど、現実感と虚無感を行き来するようなこの雰囲気に俄然吸い込まれてしまう中篇。物語の推進力は大学に入学し、新生活をはじめた三四郎の恋だが、それに添えられる話が現実的でもあり、一種幻想的でもあり、どれも味わい深い。「・・・あとは散漫に美禰子の事が頭に浮かんで来る。美禰子の顔や手や、・・・(中略)・・・色々に出て来る。三四郎は本来からこんな男である。(中略)先方がどう出るだろうという事ばかり想像する。自分が、こんな顔をして、こんな事を、こんな声で云って遣ろうなどとは決して考えない。しかも会見が済むと後からきっとその方を考える。そうして後悔する。」(三四郎)「馬鹿だなあ、あんな女を思って。思ったって仕方ないよ。第一、君と同い年じゃないか。同年位の男に惚れるのは昔の事だ。」(与次郎)など名シーン、名台詞の連発。美禰子と人のにぎわいから抜け出して、空を眺めるシーンが大好き。何度も読んでます。

  • 熊本から上京のため進学してきた三四郎の学生生活、恋を描いた漱石の作品。特に劇的な展開があるわけでもなく、ある学生の平凡な生活を覗き見たそんな印象。美禰子と結ばれることはなさそうだなと思ってたら案の定。

  • 「三四郎池」に行ったのは19歳の時、文学散歩だけれども。変哲も無いただの池と記憶している。その時期『三四郎』をしっかり読んでいるが、すっかり内容は忘れたのに、記憶の底から浮かび上がる言葉のあやなす雰囲気。

    「偉大な暗闇」
    「可哀想だた惚れたってことよ」
    「ダーター・ファブラ」(お前について、話が<ある>)
    「ハイドリオタフィア」(死生観)
    「ストレイシープ、ストレイシープ」(迷える子、迷える羊)

    20世紀初頭の学生も、私たちも好んで口にして楽しんだものだ。

    純情な田舎青年小川三四郎は帝大の池のほとりで、森を背景に、団扇をかざす里見美禰子に逢って惹きつけられる。美禰子のほうも一目ぼれらしい。無頼な友人佐々木与次郎に迷惑をかけられ、野々宮宗八先輩、その妹野々宮よし子、佐々木与次郎の寄宿先広田萇先生がからんで時は過ぎ行き、青春のゆらめきの中(今から思えばきらめきの中)、三四郎は失恋にいたる、印象深き内容。

    古めかしいとはいえ古くはなっていない小説。

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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