それから (新潮文庫)

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  • 新潮社
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レビュー : 347
  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010052

感想・レビュー・書評

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  • 最後の描写はそれまでと打ってかわって激しいものだったので意外で驚いた。

  • 悲劇の中に狂気を盛り込むのが見事。やはり夏目漱石は偉大。

  • 2015年に新聞の連載で読了。『三四郎』『それから』『門』の前期三部作の中では、『それから』が最もよい。『それから』は昔、松田優作、藤谷美和子主演で映画も観た。

  • 解説読んで、へー!と思った。

  • 高等遊民の代助が三千代と共に生きる決意に至るまでの物語。
    中盤から一気に加速。

  • いまも昔も、こういう生き方考え方の成人は確かにいる。違うのは、それを本人や周囲がカテゴライズする枠とその意識と、最後に描く姿。
    世の中が変わっても色褪せない作品て本当にすごい。

  • 2015/06/22
    一度は友達に譲った女性をやっぱり忘れられない高等遊民。
    あーだこーだと言いながら職にもつかず、結婚もしない。
    愛のために、自分の信念を曲げた彼が、それからどうなったのか。
    とても興味深い。

  • 知ってはいたが、わかっていなかった代助に人間の悲しい性を感じた。

  • 夏目漱石第二弾。前期3部作の2つめです。

    簡単に言うと明治時代のニートが不倫する話。

    しかし労働論として読んでも現代で十分通用するほど深みがある。
    「あらゆる神聖な労力は、みんなパンを離れている」
    という代助の言葉は、当時の明治の文化人の心にどう響いたのだろうか。
    (あとがきではひどい書かれようでしたが)

    しかし衣食住に困らぬ生活をしていた代助も、結局は1つのきっかけから、働かねば生きていけぬという現実に直面する。パンのために生きる決意をする。

    代助の言葉がずっと僕の頭のなかでぐるぐるしています。人は生きるために働く。でも生きるためでない働きをした人たちが世界を大きく動かし、それを神聖な労力と呼ばれる。
    僕はなんのために働くのか?神聖な労働とは?

    話は変わりますが夏目作品は女性の魅力がとても高い。

    残りの3部作も、後期3部作も全部読みたい。

  • 昔のニートの話
    今動き出す的なラスト

  • 三千代への愛の純粋さとひたむきさにほれぼれします、代助

  • 三十にもなって、パンのためになど働きたくはない と定職にも就かず父からの援助で暮らしている代助。父や兄の稼いだ金のおかげで生活しているのに、と思って読んでいると、代助の嫂がその通りのことを言っていた。

    しかし代助の、昔愛していたのに友人に譲った女性、三千代への思いだけは純粋で一途で、同情せずにはいられなかった。父や兄に縁を切られ、社会に背いてもという覚悟、彼女を不幸にしたくない一心で今まで就こうともしなかった仕事を探すという決心、友人を裏切る行為であっても、彼を応援せずにはいられなかった。
    二人が「それから」どうなったのか、気になる。

  • 面白くて夢中になって読んだ。
    読み終わっての感想は、「それから?それからそれから?」だ。
    夏目漱石、もっと別の作品も読みたくなった。

  • このタイトルセンスすごいなあと思う。
    「三四郎」は全く入り込めず飛ばし読みだったのが、
    「それから」は太宰の「斜陽」と同じく感情移入してしまった。

  • 2013/6/26読了

  • 父、兄、兄嫁に生活費を依存している30歳、無職の男性、代助が主人公。
    友人の平岡が銀行員を辞め、妻の三千代と共に上京してくる。夫婦の住まいをみつけたり、お金を貸したりしているうちにだんだん三千代との距離が近づいてくる。平岡はしばらくして新聞社で働きはじめる。その間、実家の家族は代助に縁談をもちこみ、結婚させようとする。代助は三千代を好きだということに思い至り、彼女に告白し、一緒になる約束を取り付け、父親に縁談を断る。そのせいで父はもう代助の面倒はみないと言い放つ。三千代が病に倒れた後、今度は平岡に三千代とのことを告白し、彼女を貰いたい旨申し出る。ここで平岡は三千代の病気が回復したら引き渡すと請け合うのだけれど、後日代助の父親に宛てて、代助のしでかしたことについて手紙を書き送る。そのせいで父からも兄からも絶縁される。平岡宅で病に伏している三千代とは会えず、職を探そうと電車にのるところで話が終わる。ラストはかなりノイローゼぎみの描写。



    『三四郎』に続く、三部作の二作品目ということで楽しみにしていたのだけど、『三四郎』とは何の関係もない話だった。

    1章の、写真を見ているシーンで代助が三千代をもともと好きなことはわかるのだけど、14章でそのいきさつがハッキリしてなるほどと思った。私にとっては、代助、三千代、三千代の兄の3人の輪についてのくだりが説得力があったみたいだ。ユリの使い方も印象的だった。

    代助が無職だということに、読んでいる方はヤキモキさせられる。無職じゃ、三千代をもらっても生活費も医療費も出せないよー!と、そればっかり心配してまう。お金の工面に駆けずり回って、仕事もみつけてと、立派に「大人」をしている平岡との対照が際立つ。

    解説に「悲劇」と書いてあったのだけど、本当にひどい話だなと思ってしまった。みんな不幸になって・・・・・・でも本当の意味で打撃を受けているのは代助だけなので、まあ、いいのかな?と思ってしまったり。(三千代は今のところ平岡宅で看病されていて、路傍に放り出されたわけではない。)

    色々考えた結果、結局代助は、働きたくない、結婚もしたくない、というのが本心なのではないだろうか、なんて勘ぐってしまった。(その両方の狭間で三千代が逃げ道、理由になってしまった。)でもそこまで考えるのは意地悪かな、とも思う。保留。

    恋愛に関する部分は大体読めたと思うのだけど、代助が思索を巡らしているあたりは、難しくて理解できない部分があった。

  • この小説は、本当に夏目が描いた作品なのかと疑ってしまう小説でした。

    一作目『三四郎』との繋がりはありませんが、恋愛小説の進化系の様な気がします。
     テレビドラマ「ビブリア古書堂・・・」では、長いラブレターという表現をしていました。その表現を引用するなら・・・長すぎる(笑)

     明治時代では、姦通小説なのでしょうが・・・現代版に於いては普通の小説として取扱われると思いますが、かといって肉欲的な表現は有りません。

     夏目漱石の作品を、『吾輩は猫である』的なイメージで読むと面を食らってしまいます。(かなり大人の小説と言う意味で・・・)

     あの時代に、新聞小説として発表した夏目はかなりセンセーショナルを巻き起こしたのではないかと思います。(よく発禁にならなかったですね・・・)

    前期三部作の二作目『それから』は、或る意味に於いても「それから」なのです。
    つまり、終りがないという意味で・・・

     この作品に於いても、お腹が一杯になったので三作目は日にちを開けて読みます。

  • 終盤の引き込みが半端ない。

    夏目漱石「この作品は3つの意味で「それから」である。」

  • 非常に清々しい読後感であった。

    「不敬罪」という言葉もあるくらい、明治時代の家父長制のもとでの家に関する秩序は今とは比べ物にならないほど厳格なものであったはずだ。
    その様な世界において、結婚相手は親が決めるものであり、「家」を繁栄させるような結婚にするのが望ましいとされていた。

    作中に登場する「永井代助」は今で言うニートのようなものである。
    経済的には不自由していないものの、
    親の脛はおろか、太ももくらいまでかじっているような毎日を送る30歳である。
    彼は自分に対する縁談を断りに断り続け、自分の信念を頑固にも貫き通した。
    その様な「不敬者」を題材として作品を描こうとした夏目漱石の意図は何だったのか。
    自分がこのような目に合わないことを祈りながら…。

  • 高等遊民

著者プロフィール

夏目漱石(なつめ そうせき)
1867年2月9日 - 1916年12月9日
江戸・牛込馬場下(新宿区)生まれの小説家、評論家。本名は「夏目金之助」(なつめ きんのすけ)。1890年、帝国大学文科大学英文科に入学。1895~96年には『坊っちゃん』の舞台となった松山中学校で教鞭を執る。1900年、イギリスに留学。1905年、『吾輩は猫である』を俳句雑誌「ホトトギス」に連載し始め、作家活動を本格的に開始。1907年、朝日新聞社に入社。以降、朝日新聞紙上に『三四郎』『それから』『こころ』などの代表作を連載。日本の文学史に多大な影響を与えており、作品は多くの人に親しまれている。学校教科書でも多数作品が採用されている。

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