それから (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.66
  • (313)
  • (425)
  • (698)
  • (40)
  • (13)
本棚登録 : 4225
レビュー : 346
  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010052

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  •  千年読書会、今月の課題本でした。学生の時に読んだ記憶があったので、手元にあるかと思ったのですがなかったため新潮文庫版を購入。他の漱石の蔵書と比べて大分新しい見た目となってしまいました。。

     さて、本編の主人公は「代助」、とある資産家の次男坊で、大学は出たものの、30歳をこえても定職に就かず、フラフラと気ままな日々を送っています。当然結婚もしておらず、学生時代の友人「平岡」の妻「三千代」にほのかな憧れを抱いているものの、二人の幸せを祈ってる状況だったのですが、、その夫妻が仕事で失敗して東京に戻ってくるところから物語が動き始めます。

     代助はいわゆる“穀潰し”なわけですが、家族には愛されているし、期待もされている。今でいう、ニートや引きこもり、、ってほどにネガティブでは無く、当時の高等遊民との言葉がまさしく言い得て妙です。ただ、危機感のなさからくる“社会”との乖離は共通しているのかな、、

     背景となる時代は、日糖事件のころですから、1910年前後でしょうか。一等国ぶっていても、借金で首が回っていないとか、日露戦争後の日本社会状況を冷静に見通している、知識階層の感覚もなんとなく垣間見えて面白いです。

     そんな中での“金は心配しなくてよいから、国や社会のためになにかしなよ”との、父や兄の言葉はなかなかに象徴的だな、とも。次男・三男に、金銭よりも公共性の高い事業へのケアを求める。そういった観点からの社会への還元は、ある種の分業とも取れて意外とありだなぁと、そして、今でも結構あるよなぁ、と。

     さて、仕事にしくじって戻ってきた平岡夫妻、なかなか思ったような再就職もできず手元不如意に。そんな夫妻の危機に対し、金銭的には力になれない代助は、自身の無力さを感じるものの、社会に対してはまだどこか他人事のように接しています。

     そのまま十年一日のように過ぎていくのかと思いきや、夫婦間の根底の問題に触れ始めたころから、他人事ではなく“我が事”としてのめりこんでいくことに。。

     単純な愛情だけではなく、二人の不遇が故の同情もない交ぜになったその様子が、どこかアンニュイに世界と関わっていた代助が変わるきっかけに。その三千代への狂おしいほどの想いとしては、どこから来ているのか、そんな心の機微が濃やかに描かれています。

     並行して進められている、いわゆる“いいところの御嬢さん”との縁談の話との対比も象徴的で、価値観の合わない女性との結婚に、イマイチ前向きになれない代助ののらりくらりとかわそうとする煮え切らなさも面白く、、どこか微笑ましく見ていました。

     そして興味深かったのは代助と平岡の仕事に対する意識の違いでしょうか。代助は「食う為めの職業は、誠実にゃ出来悪い」、平岡は「食う為めだから、猛烈に働らく気になる」と、これは今でも同じかなと。どちらも“あり”だと思いますが、個人的には代助に共感を覚えます。

     終盤、代助は勘当された状態となり「職業を探してくる」なんて風になるわけですが、代助が「自分のこころに対して愚直なまでに誠実」であることは、物語の最初から一貫していると思います。表面的には、坊ちゃん然とした甘ったれにも見えますが、当時の家族とのしがらみや金銭的な問題をも飛び越えての、代助の在り様と、それを受け入れようとする三千代は、なるほどなぁ、と。

     「仕事は“何のため”にするのですか?」

     こんな問いかけをされているように、思いました。「家族を養うためにきつくても嫌でも我慢して、働いてやっている」なんて風潮に疑問を投げかけながらも、かといって、霞を喰って生きていくわけにもいかないとの現実的な問題も対比させて。劇中の代助の選択肢はいくつもあり、自分だったらこうするのにとの投影も可能だと思います。

     ラスト、代助と三千代、ふたりの“それから”がなんとも気になる終わり方となるわけですが、、物語としては生殺しですが、問いかけとしてはこのオープンエンドはありだなと。このような物語を当時の時代を踏まえながら描き出せるのはさすが漱石といったところ、今まで読み継がれているのもあらためて、納得でした。

     ついでに言えば、代助を男性として見た場合の魅力はどうなんだろうと、女性にもきいてみたい、そんな風にも感じた一冊です。

  • 働く者からしたらただの屁理屈にしか聞こえない「高尚な精神」を言い訳として悠々自適に暮らす、現代でいうニートの代助。授業のグループワークで友人が代助に「ひねくれクソニート」というあだ名を付けていた…
    それまで淡々と、飄々と生きていた代助だったが、三千代への愛を自覚してからは激しい苦悩に襲われる。その苦しい心理を非常に細かく丁寧に、言葉を尽くして書いている。色彩の描写が印象的で、特に最後の赤、赤、赤の所は読んでいるこちらも頭がぐるぐるしてくるようだった。また、所々に漱石自身を思わせる描写があった。
    物語というより、代助の思想や感情が大半を占める本。
    彼は「それから」どうなったのだろう。

  • 「三四郎」「それから」「門」は夏目漱石の前期三部作と呼ばれているようで、「三四郎」をずっと前に読んでいたので、それでは次は「それから」を読もうかと思って手に取った本書。最初は「三四郎」の続編なのかと思っていましたが、どうやら三部作とはいえ、主人公はそれぞれ異なるようですね。解説によると、「三四郎」の主人公のような人物の”それから”を描いた作品とのこと。

    前置きはさておき、本書の主人・代助がとにかく理屈っぽくて、なんだか頭はいいけど内面は子供のままな印象。何かやりたいことはあるんだけど、それが何かよくわからないから、先延ばし先延ばしで生きてきている。そんな主人公。屁理屈ばっかいってないで働け!といいたいけれど、実はたまに彼の考えに頷けるところもあって複雑な気分。誰しもが社会の流れに折り合いをつけて生きている、そんな現代社会において、その流れについていけない人物が、流れ自体を理屈っぽく批判している感じ。だからこそ、折り合いをつけている読み手からすると、たまに彼の言動に納得できたりするのかもしれません。

    見方によっては、ずっと子供のままであった代助が父親による強制的なお見合い、そして友人の妻・三千代との出会いをきっかけに大人になっていく、そんな物語かもしれません。一方、代助は三千代への恋心を”思い出した”のではなく、実は強制的なお見合いから逃げ出す口実として、”思い出したことにした”のではないかと思ってしまいました。もちろん代助はそんな自らの心境は理解していないでしょう。それは代助のやけに理屈っぽい性格がすべて彼を正当化するためだけにあるものであり、彼自身も自らの内面を理解し切れていないのではと思うからです。そう考えると、まあ確かに最終的には大人になった代助なのでしょうが、なんだか悲しい、というかやるせない物語だなぁと思ったり。

  • 代助の親友への態度は、苦悩の末の誠実さを供えたものだったが、やはり現実社会の仕打ちは厳しかった。私も、代助ほどではないし性質も異なるが、社会から遠い生活をしているので、後半は特に彼
    に感情移入して辛かった。最後、代助はどんな気持ちで職を探しにいったのだろう。いっそすっきりした気持ちならいいのだが。三千代が、今後幸せなれるのかも気になる。代助と平岡の関係が変わった以上、三千代はこのまま涙を流し流し短い生涯を耐えなければいけないのかもしれない。代助は、様々な重たい運命を背負ってそれからを生きるのであろう。

  • こんなことを言うのははばかられるようですが、主人公の生い立ちと思想には、かなり共鳴できるところがあります。


    ことをしなくとも、手に入るものがあって、それで満足できるのなら、なにも汗をかくことはないではないか。

    自然とそうなるべきものは、そうしておけばよいのではないか。

    流れに身を委ねながら、ときに僅かに舵を切りさえすれば、のらりくらりとそれなりの岸にたどり着けるのではないか。


    そういう態度が、いつの間にか希望と違う不可逆な状況に至らしむるものであります。

    そんな態度の集積が、彼の思想を腐敗さたとも言えます。

    そしてその思想が、破滅的な情動となって、ある狂気に帰結する。


    自身の経験と重ねあわせながら、じっくりと味わいました。

  • 朝日新聞では、昨日(3月23日)まで再連載してゐた『三四郎』の後を受けて、4月からは『それから』の再連載を開始するさうです。再連載シリーズも『こころ』から数えて三作目といふことになります。いつまでも漱石の名声に頼るのはいかがなものか、とも思ひますが、まあ良いでせう。しかし、折角再連載するならば、当時のやうに完全復刻していただきたいなあ。せめて新仮名に直さずに紙面に載せてほしいものであります。

    で、『三四郎』『それから』ときたら、次は『門』だなと想像がつきます。いはゆる三部作ですな。これらは「前期三部作」とも呼ばれ、対応する「後期三部作」は『彼岸過迄』『行人』『こころ』といふことになつてゐます。
    高校時代の国語の試験で、漱石の三部作を答へよ、といふ問題がありました。文学史の問題は国語と関係ないと存じますが、国語教師は文学カブレしてゐるので、しばしばかういふ出題もあつたのです。
    その問にわたくしは、ご親切にも前期と後期の三部作をそれぞれ記入したのでありますが、採点ではペケになりました。どうやら出題した先生は前期三部作しか認めない姿勢で、余計なものを書き込んだとして不正解にしたのでせう。以上は、どうでもいい思ひ出であります。

    この作品は、初読の前から、主人公が何やら親の脛を齧りながら仕事もせず、しかも口八丁で親族を馬鹿にしてゐるやうな人物らしい......といふ情報が入つてゐたので、「そんな奴が主人公なのか。長井代助だと? ケッ。何が高等遊民だよ。好い気なものだ。漱石ともあらう人がこれは設定ミスだな。どうも感情移入も出来さうもないぜ」と先入観を持つて読み始めた記憶があります。

    さはさりながら、つらつら考へるに、漱石作品の主人公は大概、読みながら苛々させられる奴ばかりではなかつたでせうか。
    『坊つちゃん』には「もつと世間を知れよ」と思ふし(まあ、だからこそ「坊つちゃん」なのだが)、『三四郎』に対しては「美禰子さんが好きなら態度をはつきりさせろよ、うぢうぢするな!」と云ひたくなるし、『こころ』の先生には「せつかくお嬢さんを妻に迎へながら、不幸にさせるとは怪しからんぞ」と、尻に敷かれつ放しのわたくしは慨嘆するのであります。

    はたせるかな、『それから』を一読して、やはり唸つてしまひました。うまい。何と言つても構成の妙ですね。まだ文学形式として未成熟だつた頃の「現代小説」としては、完成度が高過ぎると申せませう。ま、中には「こんなの名作でも何でもない。単なる手前勝手なニートの話ぢやないか」と斬り捨てる人もゐますがね。それはそれで分かる。

    しかしねえ、後半、代助が世俗的倫理を捨て、恋愛に走るあたりから終末にかけては、ほとんど神憑り的な展開ではないでせうか。
    周囲がすべて赤く染まつた中で、電車に乗り続ける代助。ああ、代助の「それから」が気になつて仕方がないのであります。
    万人受けはしないかも知れませんが、わたくしは『こころ』よりも好みの作品です。皆様も読みやあよ。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-531.html

  • 主人公は30歳にもなって定職に就かずに親のすねをかじって、友人に職に就いたらどうかと言われれば「世間が悪い」だのよくわからない理屈をこねくり回すし、しまいには友人の奥さんに手を出す始末。こっちのほうがよっぽど「人間失格」だ

  • 30歳になって、定職に就かず結婚もせず親からの援助で暮らす明治時代の高等遊民・代助。
    代助は学生時代の友人である平岡と三千代の結婚を斡旋。しかし、実は代助は三千代に恋をしており、その事実に今さらながら気づく。また三千代も代助を愛していたのだった。
    この小説は明治時代を背景にしているという事を考えて読むべき。個人同士の恋愛というものが結婚の条件として現れ始めた頃だろうか。だから代助は親が薦める結婚の話はすべて断っていたのだ。
    時代の変遷を学ぶという意味でも面白い小説だった。

  •  代助はまったくだめなやつだ……と実感を持って思うのに、どうにも嫌いになれないのは、自分の考えに固執して他者を見下したり、あるがままであろうとして動くべき時に動けなかったり、そういう彼の生き様に、情けなくも共感してしまうからだと思う。
     麺麭のために生きるようになったら終わりだと思っていた。けれど彼はその道を選ぶしかなくなった。信念を折った彼は柔軟になっていけるのかな。
     個人的には、代助は宗助に直結しないと思う。自分で決断した彼はたぶん、あそこまで弱くない。そうであってほしいと願いたいだけかもしれない。

     告白のシーンが好きです。飾り気がないのが、ぐっときました。
     あと兄さんの啖呵が刺さりました。信じてくれていた人に、想像が及ばないほどに馬鹿だったのだと判じられた。兄さんもやるせなかっただろうな。

  • 本心に従おうとしなかった昔の自分が、今の自分を苦しめていることにとても共感した。
    だれもが自分の中にそういう後悔があると思う。あの時勇気を出していればよかったとか、あの時こうしたかったとか。この本は恋愛の視点から書かれているが、人間の人生で普遍的な題材が書かれている。

著者プロフィール

夏目漱石(なつめ そうせき)
1867年2月9日 - 1916年12月9日
江戸・牛込馬場下(新宿区)生まれの小説家、評論家。本名は「夏目金之助」(なつめ きんのすけ)。1890年、帝国大学文科大学英文科に入学。1895~96年には『坊っちゃん』の舞台となった松山中学校で教鞭を執る。1900年、イギリスに留学。1905年、『吾輩は猫である』を俳句雑誌「ホトトギス」に連載し始め、作家活動を本格的に開始。1907年、朝日新聞社に入社。以降、朝日新聞紙上に『三四郎』『それから』『こころ』などの代表作を連載。日本の文学史に多大な影響を与えており、作品は多くの人に親しまれている。学校教科書でも多数作品が採用されている。

それから (新潮文庫)のその他の作品

それから (青空文庫POD(シニア版)) オンデマンド (ペーパーバック) それから (青空文庫POD(シニア版)) 夏目漱石
それから (旺文社文庫) 文庫 それから (旺文社文庫) 夏目漱石

夏目漱石の作品

ツイートする