それから (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.68
  • (363)
  • (501)
  • (750)
  • (52)
  • (15)
本棚登録 : 5782
感想 : 412
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010052

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • あらゆる面倒を独自の解釈やロジックて回避、正当化し本能のまま時間を貪る主人公。
    観察眼鋭く常に上から目線が鼻につくが、趣味に生きる姿は周囲からは羨望と葛藤が感じられた。

    ふと気づいた思い、その源泉を検証する様、結論の導き、と様々な苦難や選択、判断を下してきた者ならば到達しないであろう答えを導くあたりは緩い生活をしてきた者の哀れを感じた。

    自己中な放蕩息子の末路。
    盲目的に突き進み周囲の者は離れ、身を焦がすような思いやこれから想定される破滅など現代でも何処で聞いたようなリアルさがあった。

  • 何故棄ててしまったんです。確かに後からこんな事言われたらせやわな。

    でもその時は気付いて無かったからやろうけど、今になって全てを棄てる覚悟で三千代に行くのはどうなんやろか?

    もし自分が代助なら政略結婚にホイホイ乗っかって行くやろうなぁ。

  • 純情と体裁の対立、と見た
    父、兄、平岡は、世間体や常識を重んじる人達である
    現在の価値観とそぐうものであるかはさておきとして、彼らの理屈も分からなくはない
    対して、代助と三千代は純粋である
    たとえ、世間がどうであろうと自分の信じたことを進む
    それは一種の刹那的な言動であり、そのことが後々の彼らを地獄に落とすこともある
    それでも、彼らは自分の思いを貫こうとする
    どちらにも良い悪いはない、ただただ、この二項対立の深みに物語ごとはまっていってしまった

  • やっぱり漱石すげぇ 笑
    この一言しか出てこない。代助にも三千代にも、そのほかのキャラクターにも一切読者を寄り付かせない。でも離さない。解説で対比されていた「オイディプス王」をたまたま同じタイミングで買ったのは、運命なのでしょうか。

  • 高等遊民である代助はぶらぶら働きもせず、結婚もせず父の勧めにも載らず、友の妻を奪おうとする自堕落な生活を送っている。但し、三千代と知り合い、人の妻を略奪しようとし、打ち明け、三千代からも覚悟の言葉を聞き、平岡と代助が争うようになるところはこれまでの漱石の小説とは違うと思った。自分自身の人生を生きている気がした。病気である三千代とは結ばれない感じだが、自ら動いているところに女性への積極性を感じた。

  • 食べるための仕事は嫌だ、なんて言いながら、事業家の親の金で日々を暮らすニートが、友達の嫁を好きになり、親に愛想尽かされ、友達も失い、いよいよ食べるための仕事をしなければならない、と追い込まれる話。

    日露戦争後の時代背景や、夫々の心情の捉え方が現代とは異なるかもしれないけれど、結局そういう話。

    なんというか、主人公の身勝手さに悲しくなりました。

  • 前半はのんびりした日常を覗いている気分だったが、後半の急展開からは心臓をドキドキさせながら読んだ。
    ラストの電車に乗っている時の描写は何か芸術性を感じた。

  • 夏目漱石の前期3部作の2作目。主人公の長井代助とその友人平岡、平岡の妻で代助のかねてよりの思い人美千代とのある種の三角関係を描く。
    夏目漱石自身が言っているように、まさにいろんな意味で「それから」という感じであった。『三四郎』の直接の続編ではないが、その「それから」を描いた作品であることは間違いない。そして、結末も、「それから」どうなるんだという感じである。
    1909年という100年以上前の話であるが、世の中に対して冷めていて、なぜか上から目線な代助の心理描写など、現代(の20代・30代)にも通じるところが多く、全体的には代助に対して感情移入できなかったが、ところどころ共感する部分もあり、流石夏目漱石と感じた。

  • 明治期のニート、なかなか賢そうだったし読んでいて面白かった

  • 知識人で頭が良いからこそ、食のためにする仕事は本当の仕事じゃないと言って高等遊民を決め込む代助は、三千代との不倫の愛の結果実家から勘当され、火がついたように仕事を探し始める。
    行雲流水の自然に従えば三千代を愛さずにはいられない。冒頭から代助が自分の心臓を確かめる癖があることが描かれ、三千代は心臓病で、血潮についての描写もあり、「こころ」とのつながりを感じた。最後の赤は怒りの色というよりは、命の色、活動の色のように感じた。

  • 主人公の恵まれた境遇が羨ましく、抱えている悩みは恵まれているからこそ持てるものでしかない、と嫉妬してしまいました。けれどもそうだからこそ面白い、というか興味深い。三四郎よりこちらの方が個人的には好きです。次は門を読む予定ですが、どんな内容か楽しみです。

  • 夏目漱石前期三部作の第二作。恋愛が完全な幸福としては成就しないのが三部作の共通するテーマだと思っているが本作では破滅へと通じる愛へ向かう高等遊民の悲劇が描かれている。
    世間の人々や物事に対して常にドライかつシニカルな目線を向ける代助の人格が文体にも反映されていて、終盤までは抑制の効いた落ち着いたトーンで物語が進むが折々で展開される代助の人生観が面白くて全く飽きさせない。終盤になり、代助自身も自我を抑えきれなくなるとそれに合わせて文も二、三段階ピッチが上がる。最後の平岡と代助のやりとりとそれを終えた代助の帰路の描写は狂気すら感じさせる。

    実家から莫大な資金援助を受け、悠々と暮らす代助と生活を営むためにあくせく働く平岡が対照的。かつてはお互いのために涙まで流した友人の仲が収入や社会階層の違い生じた小さなズレを契機に徐々に切り裂かれていくのが哀しい。もちろん絶交を決定づけたのは三千代の存在に違いないがその件を抜きにしてもこの二人はいずれ別れる運命だったろう。
    明日のメシが食えるかっていうのは否が応でも人の考えや行動に影響を与えるバイタルな問題だから。

    満足な豚であるよりも不満足なソクラテスである方が良いなんていう言葉があるが代助を見るとソクラテスはソクラテスなりの地獄があるのだなと実感。必要なものなら全て持っている人間が本当に欲しいものを手に入れようとした時、運命の手痛いしっぺ返しを食らう。豚にとって、悲劇とは飯が食えないことに違いないがソクラテスにとっての悲劇がこれならその悲しみは数段深い。

    三部作最後の「門」ではどんな恋が描かれているのか楽しみ。

  • 『三四郎』に次ぐ『それから』、『門』は三部作と言うが、『三四郎』のようなユーモアはなく終始シリアスな文体と展開だった。
    基本的には夏目漱石のユーモアをこの上なく愛する私ですが、『それから』の心理描写や表現は素晴らしく夏目漱石の文学が好きと再認識するものであった。
    当時の新興ブルジョワ社会に対する著者の批判も感じられた。
    最後主人公の代助が狂気に陥っていく様は圧巻で、それから?と問いたくなる終わりであった。

  • 三四郎に続く2作目。昔の恋愛というのは本当に自由が少なくて幸せになることがどれほど大変かを感じてしまう。代助は良い人だと思うが、三千代と真っすぐに結ばれていれば良かったのにな。

  • 最後は。。

  • こころ以来の夏目漱石。文語体で読みづらく重たかったが、それ相応に深い内容だった。主人公が友人の奥さんと駆け落ちをする物語。誰に何を言われても自分の信じる道をゆく主人公の姿に心を打たれたし、自分と重なるところも感じた。

  • 漱石の文体に慣れたのか非常に読み易かった。
    高等遊民が考えて不安になって寝て過ごす様子を描くのが持ち味だと思う。
    正直主人公の代助が理屈ばかりで行動しないので落ち着かなかった。
    さぞかし家族や周囲の人間は内心軽蔑していただろう。
    兄の誠吾が父と弟のどちらの味方なのか曖昧だったが、最後に雷を落とす辺りを推すると父側なのだろう。
    嫂の梅子は親切に200円の小切手を渡してくれるし、大いに義弟の身を案じているのが伝わってきて泣きそうになった。
    大黒柱である長井得が一家の体裁、世間の目を気にするのは辟易した。
    父と息子が対立する場面が最も緊張し且つ面白かった。
    母が亡くなっていなかったらまた違う結末になっただろう。
    代助と門野のやり取りが妙に滑稽だった。
    佐川の御嬢さんとの見合いで、話が全く盛り上がらない以上に当2人が互いに無関心そうだったのが笑える。
    これはもし結婚したとしても上手く行く筈がない。
    三千代の事で頭が一杯な代助は世間知らずそのものに見えた。
    そもそも本当に三千代は代助を慕っていたのだろうか。
    格好付けて優しくして金をあげるからそれに彼女が絆された感が否めない。
    平岡は完全に代助を討つつもりで手紙を父の元に書いて送ったのだろう。
    自分は家を空けてばかりだった癖に卑怯だと思ってしまった。
    三千代は死んだか、平岡が説き伏せて仲直りをして越していったかのどちらかだろうか。
    代助は一人になってしまった。
    これからどうなるのか気になる。
    物語の始めの様な所で終わったと感じた。
    最後に主人公が自殺しそうな狂気を見せていたのが印象的だ。

  • 今でいう「働いたら負けだと思ってる」的な堂々たるニートっぷりの主人公・代助。親が資産家のおかげで衣食住に不足なく、教養を受け道楽を楽しみ人生を謳歌。読者の私としては、うらやましい限りである。
    一方、代助の父は一代で財を築いた実業家であり、兄の誠吾も社交家で毎日仕事の付き合いに明け暮れている。兄嫁も夫の忙しさには寂しさを隠して理解を示している。ところへ、学生時代の親友・平岡が会社のいざこざに巻き込まれて辞職し、東京へ戻ってきて代助を訪ねる。平岡は金に困って奔走していた。平岡には三千代という妻がいるが、彼女は学生時代から代助とも親しかった。平岡の結婚に三千代を斡旋したのは代助である。三千代は心臓が弱く、子を成したが亡くし、また平岡の辞職によりいっそう具合を悪くしている。
    そういった背景の中、代助は平岡に金を貸したり、貸すために兄嫁を訪ねたり、といったエピソードがだらだらとスローテンポで描かれる。平岡がパンのために奔走するのを気にかけながらも、自分はパンのためにあくせくしたくない。とニートっぷりは一点も曇らず。
    そんなフラフラしてないで世帯でも持って一人前になりなさいよ、と父をはじめ外野が代助に結婚をすすめてくる。この縁談の催促を、代助は前々から持ち前の曖昧な態度でのらりくらりと交わしてきたのであったが、いい加減にせえよ、と父の怒りは増幅中。兄嫁も心配しあれやこれやと口出しするようになる。そんな中、代助は、親友の妻である三千代に対する自身の気持ちに気付いてしまい……。


    前半の、のらりくらり具合もそれなりに面白い。が、後半、三千代への怒涛の告白に心震わされた。物事はどんどん行き詰まっていくばかり、残りページ数から見て、この展開にどうやって決着するのか……と思っていたら、まさかの終わり方で(笑)
    えっ!それからどうなったのよ?!と思わずつっこんでしまった。さすが「それから」である。あえて書かなかったのでしょう。

    全体に漂う耽美感。代助の、世の中に対する捉え方に色彩がついてまわるのが美しい。
    世の中が動く、というのは、もうニートではいられない。文明の進む方向は経済が中心になっていく、という民主主義に対する意見なのかな。繊細さんは生きづらい世の中に……。それとも、もっと深い意味があるのかな。

  • 自分のことを書かれていると思う瞬間があると、その世界に引きずり込まれる。読み始めは、なんでこんなやつが主人公なんだろうと思ったが、前半のやや緩慢な描写を布石として後半の急転がよりドラマチックに感じられた。すっかり夢中で読んでいた。

  • 簡単に言うと、裕福な家庭に育つたニート青年が友人の妻と不倫してしまった話し。ラストシーンで、全てを失いかけた主人公の狂気じみた心理描写は、圧巻だった。

著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

夏目漱石の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
夏目漱石
ヘルマン ヘッセ
ドストエフスキー
フランツ・カフカ
ドストエフスキー
三島由紀夫
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×