- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101010052
感想・レビュー・書評
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定職に就かず、本を読み、花を眺め、散歩に出て暮らす。
慌ただしく文明が発展していた明治時代においても、代助は、社会生活での泥臭い抗争や利害から離れ、自身の精神に誠実に生きていた。代助の姿は、人によっては「頭でっかちな、ただのニート」と映るかもしれないが、私は代助は、人間が真に求める純粋な精神の持ち主だと感じた。
(『草枕』の主人公が、都会の喧騒を離れて山奥の温泉地を訪れた際に求めていた精神に通じている。)
ただ、その精神も、友人の妻への恋心を成就させるために発揮されるのであれば、待ち受けるのは破滅だ。
自身の精神に誠実に生きるのが希望だが、社会や他者とどのように調和を図り、折り合っていくべきか。そのバランス感覚は現代に生きる上で必要不可欠ではあるが、また同時にジレンマを抱えることになる。
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作中には多くの花の描写があった。
代助が活けた鈴蘭の花瓶の水を、三千代が飲む描写が最も印象に残っている。
これが何を暗喩していたのか、作品を読んでいる最中も読み終わった後も、あれこれ考えている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「三四郎」を読んで、漱石に魅了され第二作目。
最初の8割までと後半2割の怒涛のスピード感の変化にやられた。。後半がとにかくあれよあれよというままに、代助が得意の理論じみた考え、行動を起こさなくなっていく様が見て取れ、面白い。
親爺の教育の仕方に対して厳しすぎるくらい冷静に客観的に識別している代助の、描写が秀逸。
特に次の文が漱石の表現の秀逸さが顕著だと思う。
「親爺の方では代助を以て無論自己の太陽系に属すべきものと心得ているので、自己は飽までも代助の軌道を支配する権利があると信じて押して来る。そこで代助も已むを得ず親爺という老太陽の周囲を、行儀よく回転する様に見せている。」
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第一、日本程借金を拵えて、貧乏震いをしている国はありゃしない。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。この西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事はできない。
自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない。
大いに面白い。僕見た様に局部に当たって、現実と悪闘しているものは、そんなことを考える余地がない。日本が貧弱だって、弱虫だって、働いてるうちは、忘れているからね。 -
1月の「夢十夜」の読書会で久しぶりに漱石の本に触れたら、非常に心地よい世界であることを再認識しました。三部作の「三四郎」は高校生の頃と数年前と2回読んだので、「それから」を購入。素直に「面白かった」というのが印象でした。
ストーリーの展開は静かです。父からの援助で30になっても毎日私ぶらぶら暮らしている長井代助が主人公。実生活に根を持たず、散歩、読書、書生や嫂、そして友人の平岡とのおしゃべりに時間を費やしています。平岡の妻、三千代は代助がかって愛しながらも、友情から平岡に譲った女性。この小説は三千代に再会した代助の内面を中心に描く心理小説です。
上記のように地味な物語ですが、読み終えるのがもったいないほど夢中になって読みました。その理由は
1)ストーリーの動きが地味な割に、代助の内面の激しい動きが刻々と描かれること。神経質で敏感な性格で、これからの行動を決めかね、過去の行動については後悔するという、けっこう第三者を苛立たせる性格です。
「なぜ働かないって、それは僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと大げさに言うと日本対西洋の関係がダメだから働かないのだ」
「高等遊民」として独自の醒めた考えを持つ代助の思考は、神経質であったり、三千代のことを突然想起したりとジェットコースターのように展開します。この小説を面白くしている大きな要因と思いました。
2)解説にある通り、「それから」は「姦通小説」です。この「姦通」という主題が登場人物の人間関係に緊張をもたらしています。したがい、展開が地味な割には、引き込まれるような小説になっています。
当然ながら明治の親子関係、風俗が描かれていて、なんとも言えない心地よさがあります。やはり、読むべき小説のひとつと思います。 -
学生の時以来、久しぶりに読みました。
大切な友人に自分が愛している人を紹介し、結婚まで至らせるという切ない気持ち…結局、愛した人を友人から奪うのであれば…と思う。しかし、自分の気持ちを押し殺したということはわからないでもないと主人公に共感してしまうのです。今読んでも古いと感じない恋愛小説。これが本当の恋愛小説なのではと感じてしまいました。
また、最後の「赤」は主人公の今までの苦悩、情熱、罪悪感を綺麗にまとめ表現されていると思いました。読んだ瞬間はあまり感じませんが、本を閉じた瞬間に、主人公の無職だった今までの時間が赤で染められ、愛した人の好きな花の色「白色」との対比が、愛に生きていく主人公のこれからを表していると思いました。 -
夏目漱石、第三段です。
この作品は恥ずかしながらまったく予備知識がなかったのですが・・・こんなにときめく小説だったとは!びっくりしました。
むせ返るような百合の香り、降りしきる雨、そんな雰囲気の中、代助が三千代に一大決心をして思いを打ち明ける。
遅すぎる告白に三千代が「あんまりだわ」と泣いている情景が目に浮かび、この美しすぎるシーンに胸が高鳴りました!
この慎ましやかな感じ、裏腹に内に秘める情熱が日本的で本当にステキなのです。
(少ないですが)夏目漱石の作品の中で一番好きになりました。
私ってこんなにロマンチックだったっけ?と思うほど感銘を受けてしまった(笑)
まあこの作品は恋愛小説の側面もありますが、その他にも、格差の問題など当時の世相にも触れバッサリ。そのあたりも楽しめました。
例えば。
「平岡の家はこの数十年来の物価高騰に伴って中流社会が次第々々に切り詰められていく有様を、住宅の上に善く代表した、尤も粗悪な見苦しき構えであった。
~東京市の貧弱なる膨張に付け込んで、最低度の資本家が、なけなしの元手を小売りに廻そうと目論んで、あたじけなくこしらえ上げた生存競争の記念であった。」
などど鋭く切り込む感じが面白い。
また、代助のニートぶりにも閉口しますが、それも当時では珍しくないんですよね。
高等遊民も分かった気分♪
理想と現実のバランスをとること、人間のプライドの奥深さ、など、いろいろと考えさせるポイントがあり、そういう意味でも素晴らしい作品でした。 -
この小説を読むと、恋の恐ろしさを痛感します。代助が実家から斡旋される結婚や、他の恋愛(社交界に出入りしていたのだから、それなりの出会いもあったはず)ではなく、なぜ、3年前に友人に斡旋した女性(三千代)への愛を貫き通したのでしょうか。実家や世間から断絶されてまでの愛とは一体・・・。しかしまあ、代助に三千代を上げる平岡も平岡かな。三千代を愛していないのなら、平岡も三千代も幸せにはなれないはずなのに。三千代を愛していないのに、世間体を保つため(?)、ちゃっかりと代助の実家に代助の奇行を報告している(新聞社勤めなのだから文章はうまかっただろう)のも抜け目がないというかなんというか。この小説で、幸せになった人はいたのでしょうか?代助も最後はどこまでも電車に乗って行こうとし(自分の選んだ選択の結果からの逃避?)、三千代もどうやら不治の病気だし、実家は代助と絶縁するし、平岡も妻を奪われるし。愛を貫くことで、これだけの代償が生じうるのだから、恋愛や結婚にはリスクがあるのかなあ。
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やっぱ夏目漱石好きだな。
門読まなきゃ! -
「自然」に生きようと「制度」を棄てた一方で「制度」に棄てられたために「制度」にすがらざる得なくなった男の話。
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恵まれた境遇のおかげで30歳になっても仕事をすることなく趣味に生きる高等遊民代助のライフスタイルは、今の社会に共通する部分が大きく、いまから100年以上前にその心情を坦々と描き出した漱石の現代性は眼を見張るばかりだ。
その生活は、三千代との遭遇からラストに至る間に破綻する。
現代の日本人は不倫が大嫌いなので、いくら人気作家とはいえ、元東大教授がこういうテーマで新聞(朝日新聞)に連載したとなると、さぞかし苦情が殺到したのではないかと思うが、実際はどうだったのだろう。当時の記録をちょっと探しみたけどわからなかった。そうでもなかったのだろうか。
当時は今とちがってそこまで教育がいきわたっておらず、読者は一定レベル以上の知識のある人に限られていただろうから、程度の低すぎる人からの意見は出てこなかったのかもしれない。
そして、漱石はこの作品で不倫を断罪しているわけではない。なにか教訓めいたことを言っているわけではない。ただ、描写に徹している。その描写は淡々としていて、おそろしくリアルだ。
高等遊民代介、人生に対して余裕で接していた彼が、どうしても三代子に打ち明けざるを得なかったセリフからはじまる二人の会話にはどこにも甘い言葉はないけれども、男女の関係をじつに現実的に本質的に描いていると思う。
そして覚悟を決めているという三千代の言葉。
ここに転記はしないけれども、愛を打ち明けた女性からこう言われたら、死んでも頑張らざるを得ないではないか。
こういう言葉や場面を描けるのは漱石が大作家であることの証左であり、この小説の恋愛小説としての立派さだと思う。
こういう言葉の重さがわかるには、読み手にもある程度の経験と年齢が必要だ。
前半は中高生や大学生でもわかるけれども、後半の重たさが実感できるのは40歳になってからかな。
ちなみに、この二人に肉体関係はないんですね。
漱石は偉大だけれども、性のことに触れていない点が不満だと高校時代に読書好きの友人から言われたことがあるけれども、恋愛においては、そういう行為はあってもいいけど、なくても本質には関わらないのではないかと本書を読んで思った。
これも年齢を重ねたから言えることかもしれないですね。 -
大学生時代から夏目漱石は好きだったのですが、卒業して10年経ち、プライベートで色々あったこともあって、読み返しました。あらすじをすこく簡単にいうと、明治時代の金持ちニートが、昔恋をしていた親友の奥さんを略奪して、家族と絶縁されて仕事を探し始める、という話です。
テーマは、略奪愛と世間です。主人公は学生時代から、その奥さんのことが好きだったのに、そのタイミングではきちんと伝えられず、時間が立ってから取り返しのつかない犠牲とともに、その女性を取り戻します。人生には必ず「ポイント・オブ・ノーリターン」があり、今というときが、その瞬間ではないのか?と自問自答することの大切さをあらためて感じさせられました。
今年はほとんど文学を読めなかったのですが定期的に何らか読んでおかないと、えらく薄っぺらい人間になってしまう気がしているので、2020年も意識的に読んでいこうと思います。 -
レフ・トルストイ『コサック』の解説に触発され久しぶりに読んだ日本文学。遊民代助が、友人平岡の妻・美千代と共に堕ちる物語。その過程の美しさ、やるせなさ、凄まじさは、頁を繰る度心に一歩一歩近づいてくる。迫ってくる。最後は代助と併走する自分に気づく。
ハイライトは百合の中での告白と「赤」。
にしても、我々はどうしてこうも「『趣味の審判者』的ニート」に憧れるのだろう? -
あなたが学生の頃に、大好きだった兄と、東京で同居していたとします。
兄の友人の長井と言う男が居て、仲良く三人で遊んだりします。
あなたはこの長井に惚れてしまいます。でも秘めています。
秘めているんだけど、内実、この長井も自分のことが好きだろう、と感じています。
兄もそんなことを薄々気づいている様子です。
そしてもう一人、ここに平岡という男が居て、これも兄の友人。長井の友人でもあります。詰まり、三人組です。
この平岡も、どうも自分の事が好きなようだ、と感じます。モテ期ですね。
でも、あなたは、長井の方が全然好きなんです。
あなたは、将来、長井と結婚することになるのでは、と期待をしていました。
ところが。
まず、兄が早世、若死してしまうんです。
実は親元もちょっと困窮しています。たちまち、あなたは大東京で寄る辺ない立場になってしまいました。
そこに、期待の長井さんがやってきて。
言うことには。
「平岡と結婚したら良いのではないでしょうか。是非そうしなさい」
それでまあ、とにかく結果として、平岡と結婚します。
平岡は銀行員になる。そして関西の支店に行く。当然あなたも行きます。長井さんは東京に残ります。
長井さんは、大金持ちの次男坊です。文化芸術にいそしむだけで、働きません。働かずに親から毎月、莫大な仕送りを貰っています。優雅に趣味良く暮らしています。何せ親と兄が経営者です。ぶらぶらしてても、働く気になれば、学歴も教養も人間性も申し分ないので、いつでも重役クラスで働けます。人も羨む立場です。
数年が経ちます。
新米銀行員である平岡と、優雅な高等遊民である長井さん。ふたりは親友だったんですけど、大阪と東京に離れ、暮らしぶりはもっと離れ、徐々に疎遠になってきます。
あなたと平岡との間には赤ちゃんが産まれます。
が、不幸にしてあっという間に病死してしまいます。
その頃から、あなたはちょっと体調が悪くなります。
医者に行くと心臓とかナントカと言われて、どうにも長生き出来ないのかな、と感じます。
そして、もう子供は産めないだろう、ということです。
その頃から、夫の平岡が不実になってきます。
帰宅が遅くなります。
もともと、長井さんに比べれば俗物なんですが、酒や女で金使いが荒くなります。
夫婦でなごやかに、笑いながら心休まる時間。と、いうのが無くなります。
悪いことは重なるものか、上司の不祥事に巻き込まれ、銀行を退職することになります。
あれから数年。
呑気な学生だったあなたは。
結婚して、知らぬ街に引越して、主婦になって、子を産んで、子に死なれ、健康を損ないました。
それから、夫と気まずくなり、小銭に不自由するようになりました。でもそれはみっともないし、誰にも言えません。
そして、東京に帰ってきました。
長井さんは大喜びで迎えてくれます。
引っ越しのこととか、何くれと面倒見てくれます。心配してくれます。仕事してないし、お金あるし、暇ですから。
夫の平岡と、旧交を温めます。
でも、あなたが傍から見ていると。どこか、若い頃のように仲良くは無いんですね。仲良くしようとしてるんですけど。仕方ないですよね。
あなたは、夫の平岡と、小狭な家に住み始めます。
夫はあくせくと就職活動中です。上手くいかないのか、ちょっと荒れたりします。
なんだかんだ、細かい借金が返せないまま、ストレスになってきます。
あなたも体調がどうもすっきりしません。
長井さんは、夫の平岡を心配してくれるけど、平岡はどうも長井さんに素直にならない。強がります。仕方ないですよね。
家にいるしかないあなたは、夫の借金の対応に晒されます。困ります。でも平岡はあくせく出歩いて取り合ってくれません。みじめです。
あなたはどうしようもなくなって、恥を忍んで、長井さんにお願いします。長井さんは二つ返事で、ぽんっ、と貸してくれます。
そして。
長井さんとふたりでいると、どうにもなんだか、やっぱりそういう空気感がただよいます。そんな気がします。
あれから随分と経つのに、長井さんはまだ独身なんです。
会社員としてすり減って、俗物度が増している夫と比べると。長井さんは、あのころのまま。シュッしてます。誠実です。
日々が過ぎます。
夫の平岡は、何とか就職します。
就職するとまた忙しくして、午前様が続きます。
あなたは体調がいまひとつです。
寝込むほどではありませんが。おおかたは独りで家にいます。
長井さんとは時々会います。
夫に会いに来て会うこともあれば、ふたりきりで会うこともあります。
ふたりきりで会うと、なんだかそういう空気感が濃くなります。
そんな気がします。でも何も起こりません。
長井さんには縁談が起こります。当然、政略結婚です。親が義理ある相手です。断れません。
断るなら、実家から仕送りが貰えなくなります。
そんな具合に。くるくると日々が回って。
長井さんが縁談、受けるか蹴るか。煮詰まってきます。
煮詰まってきて、ある日、あなたに向かってこういいます。
「昔から、昔から愛していたんです。
若かったから、平岡との友情を優先する、という愚行をしました。
ごめんなさい。
今でも愛しているんです。
僕の存在にはあなたが必要です。
平岡はあなたを愛していますか?
あなたは平岡を愛していますか?」
さあ、どうする。
さあ、どうなる。
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まあ、つまり、こういうお話なんですね。夏目漱石「それから」。
いやあ、すごいですねえ。
民放のよろめきテレビドラマみたいですよねえ。たまりません。
この小説が、実に面白いです。心理劇です。僕は大好きです。
風景の描写とか、長井の考える観念論とか文明論とか、色んなことがあります。けれども、取っ払って考えると、上に要約したような、お話です。
僕は夏目漱石さんの文章というか言葉使いというか、リズムというか、そういうのが大好きです。
随分と以前に、長編小説は全部読みました。今回、ふっと読みたくなって再読。
うーん。おもしれえ。至福でした。
(実は電子書籍で無料で読みました。「それから」だけ、何故か旧仮名遣い版も電子書籍になってるんですよね。ありがたいことです。
でも、本の見てくれとしては、新潮文庫の安野光雅さんの絵が好きです)
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特段のブンガク愛好者だったりしない限り、夏目漱石さんの小説は、いきなり読んでも、おもしろくないと思います。
ヘンな言い方ですけど、ワサビとかウニとか山羊汁とか生牡蠣みたいなものです。
初めて食べてみて、いきなり口にして、美味しいなんて感じないと思います。
それでもって、一部の食通気取りの人がありがたがって食べる訳ですね。
(皆さんどうですか?意外に、太宰治とか好きな人が居ても、夏目漱石って読まれてないと思うんですよね)
夏目漱石さんの小説、まあいわゆる中編・長編小説っていうのが、15作くらいあるんですけれど。
正直、読みやすくって、ちゃんと展開がドラマチックで、面白い小説って、そんなにいっぱいありません(笑)。断言します。
いやそりゃ、山羊汁大好きっていう食通さんなら別でしょうけど(笑)。
もしも、「夏目漱石って意外とちゃんと読んだことないから、読んでみてもいいなあ」と思う人がいたら。
ゼッタイに、まず読んではいけないのは「吾輩は猫である」です。
アレは読むなら第1章だけで良いんです。残りは、漱石を全部読んじゃって、禁断症状になったら読めば良いと思います。面白くないですから、あれ。
オススメは、まず「坊ちゃん」。その次に「それから」だと思うんですよねえ。絶対。
(それから「こころ」「行人」あたりですかね…)
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あと、「それから」は、長い歳月で多少映像化されていますが、なんといっても1985年の映画「それから」。コレ、傑作です。
松田優作さん、小林薫さん、藤谷美和子さん、草笛光子さん、中村嘉葎雄さん、笠智衆さん。監督が森田芳光さん。
美術的にも映像的にも、これは本当に素敵です。
この映画を見てから原作を読むと、読みにくい部分がスッと読めると思います。 -
友情。むかしの恋心。職業。学問。健康と病。親と子。精神。金銭。結婚。すべてに結論を出すことなく日々を過ごすことは、彼のようにその経済的能力がある身にとっては自由に見える。時折アンニュイに陥ることも、何か為さねばならぬと発起することも。
それでも本当の意味で、自分の意志で何かを得たいと思ったとき、その「自由」が幻だったことに、もしくはそれが、とてもあやういバランスの上に成り立っていたことに気づく。
雨の降りしきる中、思い出の百合の香りにつつまれた部屋で告白をする場面はとてもロマンチックだが、同時に浮世離れした二人の様子を想像させる。
意志の人になった彼は、かりそめの「自由」から新しい世界へと旅立っていく。最後くどいほどの「赤」の描写は、燃え盛る炎の中崩落する彼の《これまで》と、それをくぐり抜けて彼女と生きていく決意の《それから》であるように僕は思う。それはある意味で狂気と隣合わせにあるのかもしれない。
学生時代ぶりに、本当に久しぶりに漱石を読んだ。描写や言葉選びのセンスが飛び抜けていて、村上春樹の変な夢から覚めたような心地がする。
三千代の話しぶりが良い女過ぎてもう。川端康成も良いけどやっぱ漱石だな、と思った。しばらく夏目漱石しか読めない気がする。
代助はつまりダメ男だけど、その迷子ぶりに親近感を覚えてつらい。平岡との議論は、どちらも不景気の迷羊たちの水掛け論にうつる。
「こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給え大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない」(p.103)
「僕みた様に局部に当って、現実と悪闘しているものは、そんな事を考える余地がない。日本が貧弱だって、弱虫だって、働らいてるうちは、忘れているからね。世の中が堕落したって、世の中の堕落に気が付かないで、その中に活動するんだからね。君の様な暇人から見れば日本の貧乏や、僕等の堕落が気になるかも知れないが、それはこの社会に用のない傍観者にして始めて口にすべき事だ。つまり自分の顔を鏡で見る余裕があるから、そうなるんだ。忙がしい時は、自分の顔の事なんか、誰だって忘れているじゃないか」(p.105)
迷羊、迷羊。とにかく恋は罪悪だな。 -
いつ読んでもあまり印象が変わらない「こころ」とは逆で、「それから」は読むタイミングによってだいぶひっかかりを感じる箇所が変わってきている。
「明暗」の津田と清子を思い浮かべつつも三四郎を振って結婚した美禰子のそれからなんだよなぁとあの「三四郎」のさわやかな青春小説のような文章からは程遠い。最初はのらりくらりとした理屈っぽい今でいう金持ちの家のニートみたいな暮らしをしている代助の思索の歴史を読んでいれば済んでいたのに、ふと三千代を好きだったと天啓のように思い出してからは息が詰まるやりとりが続く。夏目漱石は好いた惚れたの話を書いても結局社会について書いている。冒頭の椿の描写とラストの「ああ動く、世の中が動く」から始まる赤い世界がお見事。
いつ読んでも今読むべきと思わせる小説だと思いました。 -
面白かったです。
過去のことを現在になって悔やむ代助にとても共感するところがありました。
代助の精神面や当時の日本社会に対する批評やちょっとした日常の有様が細かく描かれていて、これぞ表現力が豊かと言うのだろうなと思いました。 -
生活をとるか、恋愛をとるか‥
文字に起こすとなんとなく昼ドラみたいな展開だけど、実はとても高尚な問題提起だと思う。
苦悩のすえ、物語の最後に代助がとった行動がとても心に残った。
「三四郎」「門」と一緒に読んでほしい。 -
厭世的であり怠惰であり優柔であり頑固である主人公代助の考え方がかなり共感できはまった。昔好きだった女が親友と結婚したが、結局諦めきれず手を出してしまい、なんて完全に漱石的ストーリーだが、大正の西欧かぶれ感と純文学語体のマッチングがとてもきれい。本郷〜神楽坂〜神保町という舞台も親近感があり。
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「それから」を再読して、主人公や家族、女性達がいきいきと描写され、改めて漱石の素晴らしさを感じた。
高等遊民のような生活をしている長井代助は、友人の平岡の妻、三千代に横恋慕する。三千代とは過去深い心の交流があったのだ。しかし時代は明治、他人の妻をとることは許されない。代助は家族からも絶縁され、実社会の荒波の中を漕ぎ出す。 -
その時代では許されないと頭で理解しつつも、争う代助がよかった
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ニートをここまで正当化するように描けられる夏目漱石はすごいと思った笑
この時代の姦通罪がどれほど大きいのかを知っておくとなお理解しやすいかも。
登場人物が代助の思考に上手く絡んでて、代助の考え方がはっきりわかりやすい。 -
流石の筆致。純愛。
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非常に恵まれた高等遊民のシニカルな視点から、愛に生きる決意からの、劇的な境遇の変化に至る展開に引き込まれる。
少し斜に構えて世の中を俯瞰して見ていた代助に宿っていた、狂気の様なものが露わになる様は素晴らしい。 -
代助のものの見方にはどこか共感してしまう。『三四郎』よりも洗練されているが、やはり共通する部分もあるような。読んでよかったと思う小説。
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時は明治時代。西洋化されていく日本。嫌世感から働こうとしない主人公。しかし、嫌世感というのは言い訳で、実は三角関係となる想い人があった。時代背景、人間関係の構図は、『こころ』にも相似している。
主人公長井代助30歳。成功した実業家長井得の次男として生まれる。東大卒。兄長井誠悟が事業を継ぐ。
東大の同級生だった平岡、菅沼。菅沼の妹だった三千代。代助と三千代はお互い想いつつあったが、菅沼がチフスで死去。卒業後、平岡が三千代への想いを代助に告白したことにより、代助が平岡と三千代の間を取り持ってしまう。平岡と三千代は結婚し、銀行マンだった平岡は転勤により三千代を連れて関西へ赴く。
3年経過し、平岡が三千代を伴って帰ってくる。三千代は出産するも子供を亡くし、また平岡は、部下の使い込みで実質解雇になった。平岡は酒を飲み荒れるようになり、部下の使い込みの返済と酒代で借金を抱えてしまう。
平岡に「何故働かない」と問われ、代助はかくのごとく答える。
「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、大袈裟に云うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金を拵えて、貧乏震いをしている国はありゃしない。この借金が君、何時になったら返せると思うか。・・・」
社会のせいばかりにして、自分には責任がないという。一体、なんて奴だろう。ぶんなぐってやろうかと思った。
一方、代助は、良家の子女との縁談が進もうとしている。
平岡の命により、三千代が代助に500円、無心に来る。義姉からなんとか200円を工面する代助。三千代との再会により、代助は、自分の中の「真実」「自然(こころ)」に気づく。代助が前向きに動けなかったのは、嫌世感ではなかったのだ。実は代助は三千代を愛していた。
父の進める縁談を断り退路を断った上で、三千代を呼び出し、三千代に告白する代助。三千代の同意を取り付けた上で、平岡にも三千代をくれるよう告げる。
平岡は三千代を代助にくれてやることを同意するも、三千代は病気で臥せっており、夫としての最後の義務を果たす旨を代助に告げ、代助を三千代に会わせない。またその間、平岡は長井家に代助の不義を密告する。代助は長井家に絶縁され、生活費の仕送りが絶たれる。
三千代にも会えない、実家からも断絶された代助。
赤い郵便筒、赤い蝙蝠傘、真っ赤な風船玉、赤い車、赤い暖簾、赤い旗。赤い電柱に赤ペンキの看板。「仕舞には世の中が真っ赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと焔の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。」(完) -
本当は角川のを読んだんだけど、なぜかヒットしないのでこちらで登録。漱石前期三部作の2作目。三四郎と門の間。代助のやりきれない感情と、暴走する想いは、現代の私達にも十分に共感できるし、だからこそ150年前の物語は今も色褪せずに読まれている。