それから (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010052

感想・レビュー・書評

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  • 1909年 漱石前期三部作

    主人公代助は、実業家の次男で、学校卒業後、仕事を持たず、実家の援助で暮らしていた。
    日々、読書や演劇など自身の趣味に暮らす“高等遊民”。未婚、30歳。

    物語の半ば程まで、世間から距離を置き、表向き穏やかながら、俗世間を見下したような、代助の生活が書かれる。ここが、長い。

    日常生活から、お天気まで、漱石が書くと、全て芸術的になり、貧乏でさえ、文学的。偶像(アイドル)・英雄(ヒーロー)などまで、表現に使っている。
    文章は美しいから、読めるんだけど、流石に、高等遊民ぶりに呆れてきた。
    新聞小説で半年くらい連載だったようだから、まあ、事情があったのかなぁ。

    友人とその妻が、仕事に失敗して、東京に戻ってきたあたりから、徐々に、話は展開。
    友人の妻を奪い、彼女とこれからの人生を歩み出す決心をする。
    家族・財産・援助等、今までの生活を全て捨て、友人の妻(過去好きだった)との愛を選択する。

    「ちょっと職業を捜してくる」
    そう言って、代助は家を出て行く。


    プラトニック不倫の二人の、「それから」は書かれていない。私には、崩壊しか浮かばないんですが。

    「三四郎」が、好きな女性が結婚してしまう、不倫前。「それから」が、好きだった女性を奪う不倫中。で、不倫後が、「門」に続くようです。

  • 1月の「夢十夜」の読書会で久しぶりに漱石の本に触れたら、非常に心地よい世界であることを再認識しました。三部作の「三四郎」は高校生の頃と数年前と2回読んだので、「それから」を購入。素直に「面白かった」というのが印象でした。

    ストーリーの展開は静かです。父からの援助で30になっても毎日私ぶらぶら暮らしている長井代助が主人公。実生活に根を持たず、散歩、読書、書生や嫂、そして友人の平岡とのおしゃべりに時間を費やしています。平岡の妻、三千代は代助がかって愛しながらも、友情から平岡に譲った女性。この小説は三千代に再会した代助の内面を中心に描く心理小説です。
    上記のように地味な物語ですが、読み終えるのがもったいないほど夢中になって読みました。その理由は
    1)ストーリーの動きが地味な割に、代助の内面の激しい動きが刻々と描かれること。神経質で敏感な性格で、これからの行動を決めかね、過去の行動については後悔するという、けっこう第三者を苛立たせる性格です。
    「なぜ働かないって、それは僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと大げさに言うと日本対西洋の関係がダメだから働かないのだ」
    「高等遊民」として独自の醒めた考えを持つ代助の思考は、神経質であったり、三千代のことを突然想起したりとジェットコースターのように展開します。この小説を面白くしている大きな要因と思いました。
    2)解説にある通り、「それから」は「姦通小説」です。この「姦通」という主題が登場人物の人間関係に緊張をもたらしています。したがい、展開が地味な割には、引き込まれるような小説になっています。

    当然ながら明治の親子関係、風俗が描かれていて、なんとも言えない心地よさがあります。やはり、読むべき小説のひとつと思います。

  • 「三四郎」を読んで、漱石に魅了され第二作目。
    最初の8割までと後半2割の怒涛のスピード感の変化にやられた。。後半がとにかくあれよあれよというままに、代助が得意の理論じみた考え、行動を起こさなくなっていく様が見て取れ、面白い。

    親爺の教育の仕方に対して厳しすぎるくらい冷静に客観的に識別している代助の、描写が秀逸。

    特に次の文が漱石の表現の秀逸さが顕著だと思う。
    「親爺の方では代助を以て無論自己の太陽系に属すべきものと心得ているので、自己は飽までも代助の軌道を支配する権利があると信じて押して来る。そこで代助も已むを得ず親爺という老太陽の周囲を、行儀よく回転する様に見せている。」


    第一、日本程借金を拵えて、貧乏震いをしている国はありゃしない。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。この西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事はできない。

    自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない。

    大いに面白い。僕見た様に局部に当たって、現実と悪闘しているものは、そんなことを考える余地がない。日本が貧弱だって、弱虫だって、働いてるうちは、忘れているからね。

  • 夏目漱石前期三部作の第二作。恋愛が完全な幸福としては成就しないのが三部作の共通するテーマだと思っているが本作では破滅へと通じる愛へ向かう高等遊民の悲劇が描かれている。
    世間の人々や物事に対して常にドライかつシニカルな目線を向ける代助の人格が文体にも反映されていて、終盤までは抑制の効いた落ち着いたトーンで物語が進むが折々で展開される代助の人生観が面白くて全く飽きさせない。終盤になり、代助自身も自我を抑えきれなくなるとそれに合わせて文も二、三段階ピッチが上がる。最後の平岡と代助のやりとりとそれを終えた代助の帰路の描写は狂気すら感じさせる。

    実家から莫大な資金援助を受け、悠々と暮らす代助と生活を営むためにあくせく働く平岡が対照的。かつてはお互いのために涙まで流した友人の仲が収入や社会階層の違い生じた小さなズレを契機に徐々に切り裂かれていくのが哀しい。もちろん絶交を決定づけたのは三千代の存在に違いないがその件を抜きにしてもこの二人はいずれ別れる運命だったろう。
    明日のメシが食えるかっていうのは否が応でも人の考えや行動に影響を与えるバイタルな問題だから。

    満足な豚であるよりも不満足なソクラテスである方が良いなんていう言葉があるが代助を見るとソクラテスはソクラテスなりの地獄があるのだなと実感。必要なものなら全て持っている人間が本当に欲しいものを手に入れようとした時、運命の手痛いしっぺ返しを食らう。豚にとって、悲劇とは飯が食えないことに違いないがソクラテスにとっての悲劇がこれならその悲しみは数段深い。

    三部作最後の「門」ではどんな恋が描かれているのか楽しみ。

  • 今でいう「働いたら負けだと思ってる」的な堂々たるニートっぷりの主人公・代助。親が資産家のおかげで衣食住に不足なく、教養を受け道楽を楽しみ人生を謳歌。読者の私としては、うらやましい限りである。
    一方、代助の父は一代で財を築いた実業家であり、兄の誠吾も社交家で毎日仕事の付き合いに明け暮れている。兄嫁も夫の忙しさには寂しさを隠して理解を示している。ところへ、学生時代の親友・平岡が会社のいざこざに巻き込まれて辞職し、東京へ戻ってきて代助を訪ねる。平岡は金に困って奔走していた。平岡には三千代という妻がいるが、彼女は学生時代から代助とも親しかった。平岡の結婚に三千代を斡旋したのは代助である。三千代は心臓が弱く、子を成したが亡くし、また平岡の辞職によりいっそう具合を悪くしている。
    そういった背景の中、代助は平岡に金を貸したり、貸すために兄嫁を訪ねたり、といったエピソードがだらだらとスローテンポで描かれる。平岡がパンのために奔走するのを気にかけながらも、自分はパンのためにあくせくしたくない。とニートっぷりは一点も曇らず。
    そんなフラフラしてないで世帯でも持って一人前になりなさいよ、と父をはじめ外野が代助に結婚をすすめてくる。この縁談の催促を、代助は前々から持ち前の曖昧な態度でのらりくらりと交わしてきたのであったが、いい加減にせえよ、と父の怒りは増幅中。兄嫁も心配しあれやこれやと口出しするようになる。そんな中、代助は、親友の妻である三千代に対する自身の気持ちに気付いてしまい……。


    前半の、のらりくらり具合もそれなりに面白い。が、後半、三千代への怒涛の告白に心震わされた。物事はどんどん行き詰まっていくばかり、残りページ数から見て、この展開にどうやって決着するのか……と思っていたら、まさかの終わり方で(笑)
    えっ!それからどうなったのよ?!と思わずつっこんでしまった。さすが「それから」である。あえて書かなかったのでしょう。

    全体に漂う耽美感。代助の、世の中に対する捉え方に色彩がついてまわるのが美しい。
    世の中が動く、というのは、もうニートではいられない。文明の進む方向は経済が中心になっていく、という民主主義に対する意見なのかな。繊細さんは生きづらい世の中に……。それとも、もっと深い意味があるのかな。

  • 男の嫉妬の恐ろしさを学べると紹介され読んだ本。30歳で実家が裕福ゆえ、働かず所帯も持たず好きなことをして過ごし、世の中を斜めから見ている余裕な主人公代助。自分の境遇を恥じてもいない。嫉妬に狂う友人と経済的な援助も断たれ焦りこれまた気が狂う主人公が見ものとのことだったが、自分は主人公に感情移入してしまい、自身の美学を貫く姿や愛の表現方法、自分をマズい状況に追い込んでもどこか余裕で客観的に見ている主人公に好感を持ちながら読み進めた。世の中が動く、回転し熱を持つ頭、赤く染まる世界。なんだか楽しそうでワクワクした。結局のところ、彼は退路を断って自分の世界を前に進めたかっただけなのではとさえ思えた。

  •  千年読書会、今月の課題本でした。学生の時に読んだ記憶があったので、手元にあるかと思ったのですがなかったため新潮文庫版を購入。他の漱石の蔵書と比べて大分新しい見た目となってしまいました。。

     さて、本編の主人公は「代助」、とある資産家の次男坊で、大学は出たものの、30歳をこえても定職に就かず、フラフラと気ままな日々を送っています。当然結婚もしておらず、学生時代の友人「平岡」の妻「三千代」にほのかな憧れを抱いているものの、二人の幸せを祈ってる状況だったのですが、、その夫妻が仕事で失敗して東京に戻ってくるところから物語が動き始めます。

     代助はいわゆる“穀潰し”なわけですが、家族には愛されているし、期待もされている。今でいう、ニートや引きこもり、、ってほどにネガティブでは無く、当時の高等遊民との言葉がまさしく言い得て妙です。ただ、危機感のなさからくる“社会”との乖離は共通しているのかな、、

     背景となる時代は、日糖事件のころですから、1910年前後でしょうか。一等国ぶっていても、借金で首が回っていないとか、日露戦争後の日本社会状況を冷静に見通している、知識階層の感覚もなんとなく垣間見えて面白いです。

     そんな中での“金は心配しなくてよいから、国や社会のためになにかしなよ”との、父や兄の言葉はなかなかに象徴的だな、とも。次男・三男に、金銭よりも公共性の高い事業へのケアを求める。そういった観点からの社会への還元は、ある種の分業とも取れて意外とありだなぁと、そして、今でも結構あるよなぁ、と。

     さて、仕事にしくじって戻ってきた平岡夫妻、なかなか思ったような再就職もできず手元不如意に。そんな夫妻の危機に対し、金銭的には力になれない代助は、自身の無力さを感じるものの、社会に対してはまだどこか他人事のように接しています。

     そのまま十年一日のように過ぎていくのかと思いきや、夫婦間の根底の問題に触れ始めたころから、他人事ではなく“我が事”としてのめりこんでいくことに。。

     単純な愛情だけではなく、二人の不遇が故の同情もない交ぜになったその様子が、どこかアンニュイに世界と関わっていた代助が変わるきっかけに。その三千代への狂おしいほどの想いとしては、どこから来ているのか、そんな心の機微が濃やかに描かれています。

     並行して進められている、いわゆる“いいところの御嬢さん”との縁談の話との対比も象徴的で、価値観の合わない女性との結婚に、イマイチ前向きになれない代助ののらりくらりとかわそうとする煮え切らなさも面白く、、どこか微笑ましく見ていました。

     そして興味深かったのは代助と平岡の仕事に対する意識の違いでしょうか。代助は「食う為めの職業は、誠実にゃ出来悪い」、平岡は「食う為めだから、猛烈に働らく気になる」と、これは今でも同じかなと。どちらも“あり”だと思いますが、個人的には代助に共感を覚えます。

     終盤、代助は勘当された状態となり「職業を探してくる」なんて風になるわけですが、代助が「自分のこころに対して愚直なまでに誠実」であることは、物語の最初から一貫していると思います。表面的には、坊ちゃん然とした甘ったれにも見えますが、当時の家族とのしがらみや金銭的な問題をも飛び越えての、代助の在り様と、それを受け入れようとする三千代は、なるほどなぁ、と。

     「仕事は“何のため”にするのですか?」

     こんな問いかけをされているように、思いました。「家族を養うためにきつくても嫌でも我慢して、働いてやっている」なんて風潮に疑問を投げかけながらも、かといって、霞を喰って生きていくわけにもいかないとの現実的な問題も対比させて。劇中の代助の選択肢はいくつもあり、自分だったらこうするのにとの投影も可能だと思います。

     ラスト、代助と三千代、ふたりの“それから”がなんとも気になる終わり方となるわけですが、、物語としては生殺しですが、問いかけとしてはこのオープンエンドはありだなと。このような物語を当時の時代を踏まえながら描き出せるのはさすが漱石といったところ、今まで読み継がれているのもあらためて、納得でした。

     ついでに言えば、代助を男性として見た場合の魅力はどうなんだろうと、女性にもきいてみたい、そんな風にも感じた一冊です。

  • 学生の時以来、久しぶりに読みました。

    大切な友人に自分が愛している人を紹介し、結婚まで至らせるという切ない気持ち…結局、愛した人を友人から奪うのであれば…と思う。しかし、自分の気持ちを押し殺したということはわからないでもないと主人公に共感してしまうのです。今読んでも古いと感じない恋愛小説。これが本当の恋愛小説なのではと感じてしまいました。

    また、最後の「赤」は主人公の今までの苦悩、情熱、罪悪感を綺麗にまとめ表現されていると思いました。読んだ瞬間はあまり感じませんが、本を閉じた瞬間に、主人公の無職だった今までの時間が赤で染められ、愛した人の好きな花の色「白色」との対比が、愛に生きていく主人公のこれからを表していると思いました。

  • 知識人で頭が良いからこそ、食のためにする仕事は本当の仕事じゃないと言って高等遊民を決め込む代助は、三千代との不倫の愛の結果実家から勘当され、火がついたように仕事を探し始める。
    行雲流水の自然に従えば三千代を愛さずにはいられない。冒頭から代助が自分の心臓を確かめる癖があることが描かれ、三千代は心臓病で、血潮についての描写もあり、「こころ」とのつながりを感じた。最後の赤は怒りの色というよりは、命の色、活動の色のように感じた。

  • 全体の8割くらいがスローなテンポで進むのとは対照的に最後の章のスピード感が印象的だったをぐるぐるぐるぐる、語りと内容がリズミカルに一致していて気持ちいい。最後、電車に乗る代助の頭に三千代の病状や新しい生活の希望が浮かばないあたり、多分彼が本当に欲しかったものは三千代ではなかったのではないかと思う。

    最後のお兄ちゃんめっちゃ怖いけど、三千代もまた違ったベクトルで相当怖い。主人公とは違って内面の逡巡が見えにくい分、社会的地位とか道義心みたいなものをあっさり無視できる人にみえる。世の中に分らない人間程危険なものはない。とはまさに…

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著者プロフィール

夏目漱石(1867~1916)
小説家、評論家、英文学者、俳人。本名は夏目金之助。明治末期から大正初期にかけて活躍した。近代日本文学の頂点に立つ作家の一人。代表作は『坊っちゃん』『三四郎』『こゝろ』『明暗』など。『吾輩は猫である』は、『ホトトギス』に連載され人気を博した。その批評精神とユーモア感覚は、現代も全く古びていない。

「2021年 『大活字本 吾輩は猫である』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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