門 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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レビュー : 219
  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010069

感想・レビュー・書評

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  • 世間と隔絶し、何をするでもなく生きる夫婦2人。彼らの罪は友人を不幸にしたことではなく、ただ2人でいるだけで幸福であることなのかもしれません。

  • 中盤で安井が登場してくるまで物語がうまく掴めなかった。
    態度の良くない弟や好感を持てない叔父叔母など、登場人物に正直魅力を感じられず話の展開もあまりなく、読むのが少し疲れた…しかし、宗助と御米の過去、禅寺に救いを求めた宗助、そして『門』という題の意味など後半で文学というものに浸れました。

  • 後になるまで、はっきりと主人公の2人が、前巻までと同じか悩む。
    シリーズ1巻、2巻目と比較して、唯一現実味を留める内容となっている。なんだかんだ、甘やかされてきた二人が、直面する現実を前に、成長していっていると思う。

    2巻で終わりにするよりも、はるかに優秀なシリーズといえる。

  • 崖の下という今にも崩れて壊されかねない不安な家に住み、不安を抱え怯えながらも頼りあってしか生きられない夫婦の心情を捉えた作品です。
    嫌なことを避ける、なにかに怯え、そして、逃げる男。不平不満を思い、斜に構えた物言いをする男。我がことのように思えゾッとしました。
    再読してみて、思わぬことに気が付きました。この作品はまるで歌舞伎ではないのか、いや、脱歌舞伎なのではないのかということです。明治の文芸運動の推進者である坪内逍遥や二葉亭四迷への挑戦ではないのかと感じました。
    『三四郎』『それから』への続編として、これらの先行作品の幾ばくかの関連をもって作られた『門』は歌舞伎の「曽我兄弟」がでてくる作品連や『東海道四谷怪談』『五代力恋緘』『盟三五大切』『仮名手本忠臣蔵』のように先行作品という下敷きをもとにあらすじを大きく変えて創作している点が似ている点だと感じました。
    相違点として、歌舞伎なら”勧善懲悪”によって決着がつきますが、『門』における主人公宗助は退治されることはありません。この作品は、ある意味での被害者である安井側から見るのではなく、加害者としての宗助側から見ています。
    江戸期には”自我””個人”という思想はなかったと考えられます。
    正義が悪を倒すのではなく、宗助は自分自身というものを見つめ直します。そして寺へ向います。この点は江戸期の文学との大きな違いではないでしょうか。

    (小六の存在について)
    何故、小六という主人公の弟を登場させなければいけないのか気になってしょうがありませんでした。色々な場面で生活の苦しさの状況説明はしていますが、より具体的な説明をするために養うべき子供の存在が必要であったのではないでしょうか。妻お米は、子供ができない運命にしたかったので小六を登場させたのではと思いました。
    読んでいて気になる点がでてきました。歌舞伎『盟三五大切』で、三五郎夫婦と小万がでてきますが三四郎と小六の名前にひっかかりがあります。
    また、小六の「小」と「六」を重ね合わせると「米」になるのでは穿ったことをおもいました。

    (p191)「千両函を摩り替えて磔になったのが一番大きいのだという一口話」とありま。漱石は落語好きであるが歌舞伎には興味がないとうわれていますが、この作品でも宗助夫婦は、浄瑠璃をききに行っていますので、歌舞伎との関連は少し考慮してみる必要があるのではと思います。

    (少し強引な作品)
    宗助は友人安井からお米をとったことになっていますが、二人のの出会いの場面は書かれていますが、どういうきっかけで二人が結ばれたかは書かれていません。そこが、わからなければ本作品でいう「道義」の問題は考えにくいのではないかと思いました。また、友人の恋人をうばいとったことでで大学を放棄せざるおえなくなり、重い社会的制裁を受けなければならないというのは理解しがたいです。
    唐突に禅寺へ行きますが、このことについても理由がわからず、その上なにも決着をつけずに帰ってきます。
    小六が大家である坂井の家の書生になることも、それまで親戚の佐伯との確執を色々と描いているわりにあっさりとしていますね。
    宗助夫婦は仲が良いと地の文ででてきますが、結婚前も結婚後もその様子は描かれているとは言い難いと思います。

    作品最後の部分で、お米が「本当に難有いわね。漸くの事春になって」というのに対して「うん、然し又じき冬になるよ」と宗助がこたえています。なにも変わらないまま話はおわり、この夫婦はその状態で過ごしていくことを暗示させています。いわゆる片付かない問題なんでしょう。でも敢えていうのならば片付かないのではなく、片付けないのではないでしょうか。

  • 全体に漂う閉塞感、解決策は見出せず、不安は常にある一方、日常はそれなりに幸せに過ぎていく。その辺りに今の社会状況と類似を感じながら読みました。

    現代で言うところの公務員である宗助が夫婦で質素に暮らす様子、高校生の弟小六が、自分は大学で学び兄夫婦よりも輝かしい暮らしをすると漠然と考えているところ(特定の職業や方向性等の具体的イメージはない)、土地持ちの大家の裕福な暮らしぶり…。そういう点に注目していると、現代の小説と錯覚してしまいそうでした。

    大きく話が動くこともなく、淡々とした日々が描写され続けるのみ。それでも物語に惹き込まれて一気に読んでしまったのは、やはり読み継がれて来た名作の持つ力ですね。

  • 世間の片隅で夫婦ふたり、寄り添って暮らす宗助と御米。日々は基本的に穏やかに過ぎるが、宗助の弟が居候したり、御米が具合悪くなったりとちょいちょい事件も起こる。そんな中、思いがけなく親交を持つことになった大家の坂井の家で、昔の知り合いと引き合わされそうになる宗助。その男安井とは、かつて御米を巡ってトラブルがあった(らしい)。夫婦して触れないようにしてきた過去の傷に向き合うのに堪えなかった宗助は、ひとり寺の門を敲くのであった。どうしてそうなるの。
    宗助は言葉足らずで時々デリカシーを失するが、妻のことを物凄く愛している。御米もまたあまり多くを語るタイプではないが、夫を愛し細やかに気遣っている。Not love,but affection という感じの、静かな情愛に満ちた夫婦だ。だがそんなふたりにも過去にえらいことをしでかした経緯があるようで、それをかばいあって生きるが故の強い結びつきなのだろう。
    宗助は寺に行って何事か悟らんとするが、今後安井に会わなければならないなら引っ越そうくらいのことしか思い至らない。まあ十日やそこら座っていただけではそんなところが妥当だろうが、それをやったということに意味があるのかもしれない。いやどうかな。そうでもないか。
    結局安井には再会せず、思い悩んでいたカタストロフもなく、何も起こらず日々は続いていく結び。だが決して以前とは同じではないことに、少しひやりとさせられる。

  • 夏目漱石の文学は、現代的である。

    彼が生まれたのは、1867年、慶応三年のことである。
    大政奉還が行われ、急速な変化を告げる激動の日本。
    和服にちょんまげ、腰に刀をさげたお侍さんやら小奇麗なタキシードに蝶ネクタイ、ステッキを持って町を歩く紳士諸君。
    そんな時代に生まれ、そんな時代を生きた彼が描く作品が、21世紀を生きる読者の心をがっちりとつかむ。そしてそれは古典としての面白さというよりも、不思議と親近感を覚えてしまうからである。

    現代的な問題。
    それは、どう生きるかという価値の問題である。

    最低限の衣食住が確保された上で、人間の尊厳や意志といったものは、どれだけ保障されうるのか。
    高度経済成長が止まり、全員が共有できる意味や価値を喪失し、それぞれが散り散りになっていく社会。
    「多様性」という名のブラックホールに飲みこまれ、個々の価値を築くことは各人の裁量の中に限定されていく。
    核家族化という現象の終着駅は、核個人化であった。最小単位となった個人は、オンライン上で匿名性の悲痛な叫びをあげ始める。

    宗助と米子の生活は極めて厭世的だ。
    俗世的な煩わしさから遠ざかり、二人独自の空間を構築している。

    宗助の弟がそんな兄の様子を描写している個所がある。
    資金難で大学に継続して通うことが困難である自ら(弟)の状況を踏まえ、
    「するとどうしても自分一人がこんな境遇に陥るべき理由がないように感じられた。それからこんな生活状態に甘んじて、一生を送る兄夫婦がいかにも不憫に思えた。」

    大学進学、成長、就職・・・・名誉や収入、肩書といったことにこだわる弟と兄の対比がここにはある。


    しかし、宗助は過去のある瞬間以降、そうした欲求を持つことを止めたのだ。

    「彼らは複雑な社会の患いを避け得たとともに、その社会の活動から出る様々の経験に直接触れる機会を、自分とふさいでしまって、都会に住みながら、都会に住む文明人の特権を捨てたような結果に到着した。・・・外に向かって生長する余地を見出し得なかった二人は、内にむかって深く伸び始めたのである。彼らの生活は広さを失うと同時に、深さを増してきた」

    ある退役アメリカ軍人が過去の戦争で心に深い傷を負った。そんな彼の言葉とこの宗助の生き方は重なる部分が合った。

    そのアメリカ軍人は退役後、美術の先生として活動した。
    彼曰く、戦争の後から白いキャンバスに描くのではなく、黒く塗りつぶしたキャンパスに絵を描くようになった。
    それは、人生にも通ずるのだという。人生における黒い部分をどれだけ上から明るい絵の具を塗っていくかということ。黒い故に次第に黒が浮き上がってくるが、それを地道に塗り直す作業が、人生なのではないか。と彼は言う。

    宗助における過去は、かれにとって闇以外の何物でもなかった。彼は米子とともにささやかながら上からカラ―を足していっている。

    現代において生きることとは、価値を内側に掘り進め、無意味であるということに対して継続的に抗っていくことなのかもしれない。

  • 2009/07/22

  • 夫婦の幸せな毎日の物語。だけどそれは昔犯した罪があって成り立っているもの。
    改行が少なく、1ページ1ページに文字がぎっしり詰まっているので読みづらかった。

  • 暗い・・・この淡々とした感覚。小六の気持ちをいつまで持ち続けられるのか・・・

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著者プロフィール

夏目漱石(なつめ そうせき)
1867年2月9日 - 1916年12月9日
江戸・牛込馬場下(新宿区)生まれの小説家、評論家。本名は「夏目金之助」(なつめ きんのすけ)。1890年、帝国大学文科大学英文科に入学。1895~96年には『坊っちゃん』の舞台となった松山中学校で教鞭を執る。1900年、イギリスに留学。1905年、『吾輩は猫である』を俳句雑誌「ホトトギス」に連載し始め、作家活動を本格的に開始。1907年、朝日新聞社に入社。以降、朝日新聞紙上に『三四郎』『それから』『こころ』などの代表作を連載。日本の文学史に多大な影響を与えており、作品は多くの人に親しまれている。学校教科書でも多数作品が採用されている。

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