門 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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レビュー : 218
  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010069

感想・レビュー・書評

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  • すげぇぇぇぇ。夏目漱石ってすげぇぇ! と、思った一冊。
    私は漱石のいい読者ではなく、「漱石で一番好きな本は?」と聞かれたなら、「うーん、『夢十夜』かなぁ?」ぐらいしか答えられないような人間であった。
    この本を手に取ったのも、『三四郎』『それから』は読んでいるのに、そう言えば『門』は読んでいなかったなぁ、というおかしな貧乏性がきっかけだった。

    それがいやはや、どうしたことだろう。読めば読むほど、え、漱石ってこんなに凄い作家だったんだ、やばい、私全然漱石の本を読めていなかったんだ、と過去の自分の読書を疑いたくなったのである。
    なんという生きることのナイーブさ、そして日常というものの怠惰さ。脆くて柔くて甘えているのに、図太くてそっけなくて突き放している。
    自分自身ですらままならないのに、自分一人では生きていけない。社会では生きていけないと思っているのに、社会がないと生きていけない。

    つまりこれ、膨大にして矮小な、圧倒的にして視野狭窄な、矛盾。普段は何気なく過ごしている、あるいは見ないふりをしている「矛盾」というものを、漱石は実に丁寧に、それこそ悲しくなるくらいリアルに描いている。
    その手腕のなんというブレのなさ、確実さ。凄すぎる。常人じゃない。何しろ、物語にどんな事件らしい事件も起こらないのである。むしろ、主人公が体験した一番の山場(切迫シーン)は、もう遠い過去へと過ぎ去っているのだ。
    それなのに、漱石はその淡々と過ぎ去るだけの、あまりに怠惰で茫漠とした日常を、あくまで堅実に着々と書く。そこには妥協も安定もない。ぐらぐらとして脆弱で、哀しいセンチメンタルな気持ちを、一切の同情を切り捨てて書く。

    これじゃ、漱石が神経症に悩まされたのも当然だ。こんなに微に入り細を穿って人間を描写する目と頭と腕があるんだもの。そして、そんなものを書く自分にどんな甘えも許していないんだもの。辛いに決まっている。
    少なくとも、この本を読んで私は漱石のことをそう思ったのだった。

  • 略奪愛して結婚したけど、親友ともめて大学中退しちゃいました。その後色々と苦労しながら生活してきたけど、途中で仲良くなった大家さんの弟と元親友が知り合い!?ガクガク震える主人公。「俺…鎌倉で座禅してくるわ」結局何も得られず。そしてそのまま生活していくみたいな話し。

  • 『三四郎』『それから』『門』に登場する三四郎、代助、宗助は、かなり多くの点で、自身と一致する部分があります。

    もっと若い時期に薦められて読んでいたら、あるいは人生が変わっていたかも知れません。
    代助・宗助のような過ちは冒さないよう、その香りのする道を迂回して通ることもできたでしょう。

    しかし、もしそうしてしまっていたら、この三作品を今のような気持ちで味わうことはできなかったのでしょう。

    私は宗助と御米の苦しみを理解することができます。また、ふたりの生活のある種の善さを感じることもできます。

    人生と読書体験は、どちらが先ということなく、相互に影響しあうようだな、と深く感じ入るに至った一冊でした。

    • 藤首 亮さん
      「一致するという事について」
       
      僕は『こころ』の中の私の名前は;小川三四郎だと思った。

      先生の衝撃;;;明治天皇が崩御になりました。その...
      「一致するという事について」
       
      僕は『こころ』の中の私の名前は;小川三四郎だと思った。

      先生の衝撃;;;明治天皇が崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終わったような気がしました。
      最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが激しく私の胸を打ちました。;;

      僕はこの考えは夏目漱石その人のものだと思ったのです。


      2019/05/18
  • 三部作でこれだけ読んでなかった。
    「彼は門を通る人ではなかった。又門を通らないでも済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」
    怖ろしいなぁ。
    「それから」もえらく現代的だなあと感心したけど「門」はまさにここ数年の日本という感じ。
    格差やみじめさに耐えられなくなって思い悩み、過去の自分の負債が首を擡げ、どうしようもなくなったら仏門をたたく。
    最近仏教系の本多いでしょう。
    これからの日本は仏教的なイベントがはやるでしょうねというとある人の言葉を思い出した。
    明確なノルマやゴールがない。自己実現や生きがいという度量衡が崩れて向う最終地点のようなね。

  • 1911年の小説。
    夏目漱石と言えば、日本文学を代表する文豪であり、明治と共に生きた知識人として近代的国民国家「日本」が形成されていくことにまつわる苦難をあまりの理知故に捉えそれを主題とした作家であり、兎にも角にも偉人である。という一般常識にわたしは囚われすぎていたのかもしれない。「それから」を読んだとき、ああこれはわたしかもしれない、という圧倒的共感及び恐怖心を覚え、そしてわたしの内面を的確に捉えた端正な日本語、新聞に連載していただけあって目が離せなくなるような話の筋の面白さに感嘆し、ずいぶん遠いところにいる気がしていた漱石が一気に「日本文学史の重要人物」から「わたしの好きな作家」になりました。で、意気込んで「門」に読み進め、やはりようやくわたしは漱石を自分に引き寄せて読むようになったのだと確信。今更だけどこんにちは漱石。

    「三四郎」はすこし前のわたし、「それから」は今のわたし、では「門」は未来のわたしなのかなあ。「それから」を彩る狂気はここでは感じられず、狂わぬまま苦しまねば成らない人間の苦しみが描かれていたという意味で、「門」はさらに近いのかもしれない。やっぱりものすごく面白くて、日本語が素晴らしくて、主人公はわたしだった。わたしだって悟りという魅力的な言葉に惹かれてずっと宗教を希求してきたし、それでもどこにも辿り着けず諦観を感じてきたし、門の前で立ち尽くす宗助はほんとうにわたしだとおもった。小説全体を通して流れる静かな諦観と、倦怠と、だからこそ逆説的に成り立つ透明な幸福が、とてもすきです。おはなしのことを言うと、弟は昔の主人公で、坂井はありえたかもしれない主人公のひとつの未来であり、もはや戻らない時間に阻まれどうしようもなく隔たった過去と未来がその眼前にあり続ける宗助、分身のようで結局のところ他人である御米、こういったものすべてがおそらく一生立ち尽くすであろう宗助の悲哀を物語るようで、なんかもう漱石は天才だし、どうしようもなくかなしい。「それから」を読んだ後は追いつめられたような気持ちであったけれども、「門」はただ嘆息。たちつくす。

  • 夏目漱石を読むときには、当時の明治の時代背景を重ね合わせながら、
    その時代に生きる人々の思いを知ろうとする。

    「門」についていえば、京大出の官僚で、ある意味では社会の成功者であるはずの主人公の宗助が、混沌とした社会の荒波に敢えて波風立てず、妻の御米と寄り添いながら生きていく。その時代とは?
    ただし、彼の精神は不安定であり、決して満足しない。宗教(座禅)への傾倒も試みるも、その精神を満たすことにはならない。

    御米(妻)は親友の安井の前妻であり、その裏切りに悩みながらも、その安井は冒険者として新しい生き方を探し求めており(それもまた新時代の生き方)、宗助は、その生き方も気になる。混沌とした時代に冒険する側とそれを傍観する側のコントラス。
    また、大家の坂井は旧幕時代から続く裕福な家庭で、ある意味では旧体制のノスタルジーを醸し出す。

    叔父や実弟との関係は血縁関係が希薄になる世相を示し、子供ができない御米との関係もそれを暗示する。

    最後は、御米と二人の世界に閉じこむことになるのだが、御米に全ての心を開くわけでなく、どこかで個人主義的な生き方となり、明治の時代に生きることの難しさを伝えようとしているのだろうか。

    ストーリーとしては淡々と進むのだが、夏目漱石の表現力が、ストーリーをうまく脚色しており、その技量の素晴らしさに感嘆させられる。

    • 藤首 亮さん
      時代背景を重ね合わせると言うこと。
      妻お米とその先夫安井‣大家の坂井・叔父と弟;;登場人物を全て並べて説明し、終わりに漱石の表現力を評価す...
      時代背景を重ね合わせると言うこと。
      妻お米とその先夫安井‣大家の坂井・叔父と弟;;登場人物を全て並べて説明し、終わりに漱石の表現力を評価する。
      ::短いレビュウーで簡潔に仕上げられておりますね。
      2019/05/11
  • 漱石の小説の中では一番好きかもしれません。夫婦の距離感がなんか好き。

  • 三部作の最後の作品。「それから」の二人はどうなったのだろう・・・と思いながら読みました。大きな波のある話ではありませんでしたが、宗助と御米の、何気ない会話がなんとなく良いなぁと思いました。二人の中で、二人の仲で、二人をつなぐものがあるのだなぁと感じました。それは、御米の「そのうちにはまたきっと好い事があってよ。そうそう悪い事ばかり続くものじゃないから」という言葉から思いました。また、宗助の弟の存在が、色んなことを抱えながら二人でやってきた宗助と御米と対比になり、彼のこれからの人生がどうなるのかも気になりました。

  • 三部作最後の門。略奪愛のその後の物語で終始暗く読むのがしんどかったのが正直な感想。自分の中では振り回されて悩む三四郎が面白かった。

  • 柄谷行人さんが解説の中で使っていた「互いに通じ合うことの出来ない微妙な溝」って表現になるほどと思わされた。それが宗助から漂う孤独感だったり世の中や自分を一歩引いたように見つめてる第三者的な姿勢につながるのかなと。

    『三四郎』『それから』を読んだら、より深く味わえるんだろう。読まねば。

  • 3部作の中では「門」が一番好きです。
    陰鬱としてますが、文章がとにかく美しい。
    中盤、夫婦の関係を描いたシーンに震えました。
    あの表現力…思わず何回か読み返してしまいました。

  • 日常が淡々と積み重ねられていく。特に大きなこともなく、それでいて突然参禅するなんてことも起きて。
    だからといってその後何か起きるかというとまったくなにも起きないのだから、よくわからんものである。

  • 世間とは深い関わりを持たずに身を寄せ合って生きてきた、宗助と御米(およね)。つましく節倹した生活を送るなか、学生という身の宗助の弟・小六が二人のもとに越してくる。

    物語の前半部分は、この小六の学費をいかにして捻出するかという生活的な問題に、宗助達2人があれこれ思い悩むことに終始しています。


    そして物語が進み、宗助と御米の過去が明らかになると、読者はこの作品が『それから』や『こころ』のように三角関係を描いたものであったと分かるのです。

    三角関係を克服したうえに成り立つ夫婦であることの罪悪感が、宗助と御米の生活に影を落とし、世間から隠れなければならない独特の暗さと疎外感を生み出しています。

    宗助夫妻の後ろ暗い過去に触れたところで、宗助の友人であり御米のかつての男である安井という人物が、2人の身近に現れることになるのですが…。


    題名『門』とは、安井の登場に怖じ気づいた宗助が、家を離れ身を寄せた禅寺の『門』を表すのでしょう。
    この作品は言ってしまえば、自分が恋人を奪った男に会いたくないが為に、禅寺へ駆け込む…というだけの話なのです。

    漱石が描く三角関係は必ずしも、幸せな結末を生むものではありません。

    ある日、鶯が鳴いたのを『ようやく春になった』と喜ぶ御米に対して、『しかし、またすぐに冬がくる』と言ってみせた宗助。

    『こころ』の中では先生が妻に隠れて自殺したように、本作では物語の最後まで、夫婦である宗助と御米の間には避けられない隔たりがあることを示しているのです。

  • 漱石初期の三部作の最後となるこの作品。
    おそらくこの作品が一番重いだろう。
    通低音となっているのが「罪悪感」。
    友の妻を奪うという行為。
    個人としての倫理だけではなく、周りを含め社会としての背信感を抱えながら生きていかなくてはならない。
    そんな主人公が行き着く先にあるもの、それが「門」なのである。

  • 【あらすじ】
    不倫ゆえ全てを失った主人公は貧乏ながら妻と日常を過ごしていた。しかし主人公宗助はやりたいことが出来ない不自由さとかつての友人を裏切ってしまった罪悪感に悩む。

    ある日妻の夫であった安井の消息を知った宗助は救いを求めるために鎌倉へ向かい参禅したが、なにも悟れず帰ってくる

    【感想】
    全体的に暗く、何も起こらず終わる。
    最後の宗助の一言から
    今後も、何も起こらないことが分かった。
    希望もないけど絶望もない切なさ。

    しかし宗助には奥さんがいる。

  • 初期三部作最後の作品。
    暗いですね。

    今の自分のテンションと微妙に重なって、ある意味満喫できましたが、ちょっと辛すぎる気もしました。

    問題は自分の中にあるというか、この主人公の宗助って考え方を変えたら恵まれてる状況なのに、本人が悪い方に考えちゃうからそれが良くないって話にも思えます。

    しかし、それがリアルなんですよね。

    夏目漱石を読んでいて何度も感じたけど現代的な悩みを書いていると思いました。

  • のんびりと読んだ。

    主題は『それから』のそれからに他ならないと言うのは確かなのだが、現代とあわせると事情は少々異なると言えるだろう。つまり代助が不倫し勘当されたのは30歳の時分であり、一方この物語の宗助が同じことをし、されたのは大学生の時分である。

    宗助は役所に勤めているが、他方で果たして『それから』の代助が、仮に今生きていたとして、30台で高学歴だが職歴ナシという悲惨な身分から、仕事を見つけることが出来るだろうか。果たして代助はその後宗助のような人生を送ることが出来たのだろうか。
    …このような考えは話の本筋と大きく外れた詰まらないものであるが、今と明治時代の齟齬を見出す一つのヒントになりはしないだろうか。

    …ところがかつて代助のような生活をし、今宗助のようにひっそりと生きている人間はここにいる。自分語りになってしまい、前の段落とともにレビューの質を落とすことになり残念には思うが、そんなわけで、僕はこの宗助に非常に感情移入できたのだ。その日暮らしとは少々違うものの、将来を諦め切って今を細々と生きていく人間の様子が、この小説には主に前半で丹念に丁寧に描かれている。そして僕は今まさにそう言う生活をしている。

    さて、本質的なレビューに入ろう。
    漱石の小説は『それから』や『こころ』などのように、前半は主人公達の生き様が長く描かれ(起)、後半のクライマックスで一気に承転結を迎える、と言うようなものが多いが、この小説もその例に漏れない。僕は、起承転結はそれぞれが同じくらいの分量にまとまっているべきだと考えてしまうのだが、どうもそれは単なる素人の考えに過ぎないらしい。

    上で書いたように将来を諦め切って細々と暮らす人が延々と描かれているわけなので、明るくはない。しかしそこには何か居心地の良さが感じられる。この居心地の良さを退屈と感じてしまう人は多いだろう。それは何故か。若いからだ。未来に希望を持っているからだ。僕はそう考える。この本をそこそこ有名な現役の高校生や大学生等が読んでも、あまり共感は得られないだろう。将来のある人間が、将来はないがつつましく生きている人間の描写を延々と読まされたって、ピンとくるものはないはずだ。

    しかしそう言った人には(そうはなって欲しくないが)、宗助のように何らかの方法でレールから道を外し、ひっそりと暮らさざるを得ない身分になってしまった時に、ぜひもう一度読んで欲しい。読後感が全く違っているはずだ。しかしそれは境遇の変化によるもので、決して己の成長が引き起こした変化ではない。しかしそう言う小説もあっていいではないか。

    巻末解説には『恋とはすなわち常に三角関係の形を取るものだ』と言うようなことが6ページにわたり書かれていた。僕はそれを違うだろうと思いつつ読んだわけだが、僕のように読むか否かはこれも人次第だろう。

  • 十年以上前に読んだときに気に入つたこの小説の『何もおこらなさ』が十年以上経つた今になつて普遍的なものに思えてならないのであつた。

  • 9/29
    三部作最後。
    何が起こるわけでもなく、何が解決されるわけでもなく。
    この平坦がたまらない。

  • ドラマティックな設定(『それから』ですね)とコントラストを成すように、
    どこまでも純朴で飾り気のない愛で結ばれる夫婦の姿が、
    際立つように描かれています。あまりにも、素敵すぎます。。
    ・・・個人的には、これが小説の最高峰だなぁ。

  • これでもか、というくらい徹底的に、
    侘しい二人。
    侘しさが透明な水のようにたまっていき、
    その深い底のほうにいる二人も、
    だんだん透明になって消えてしまいそう。
    赤く燃えた後の燃えカスの黒、
    というよりは、
    もう何色に染まることもない透明さ。
    この透明さを感じさせる文章が美しく、
    気持ちのいいところもあった。

  • 2019/8/20

  •  言わずと知れた漱石の傑作。何も起こらないし、主人公が参禅してクヨクヨするだけのように読まれてきた一面がある。しかし、「青空」とそこからふりそそぐ庭先の明るい日差しが、人が生きていることを支えるという、なんでもない奇跡に心打たれるのは僕だけだろうか。
    https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/201904260000/

  • すこし昔の言葉遣いが多いため読みにくい部分があったが、情景の描写が鮮やかであった

  • 『それから』のその後の話ですが、『門』では宗助とお米の夫婦の物語になっています。
    宗助は親友の安井の妻を奪ってしまった。そのことへの罪の意識ですね。でも仮に安井が大学を卒業し、別の人生を歩んでいたら? 彼が冒険者になったことにも自らの選択の影響を感じてしまったんじゃないんでしょうか。
    逃げるように求めた仏道修行ですが、そこでも平安は得られず、物語終了後もきっと安井の影はついて回るんだろうなと思います。
    救いへの扉であるはずの門は閉ざされ、中に入ることができない。でもその門は本当に彼が望んだものが得られる門だったんでしょうか。拒絶されたのではなく、違う門の前に立っていたように自分には思えました。この作品が書かれた明治ではなく現代の感覚なのでしょうけど。
    ただ自分は宗助とお米、二人の距離感が好きですね。

  • 彼は門を通る人ではなかった。又通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。


    その後ろ暗い過去のために、社会に背を向け身を寄せ合って生きる宗助と御米。
    二人は父の死を機に、東京の実家に帰ってくる。
    叔父に預けていた資産が跡形もなく消えていたり、弟の学費が続かなくなって金策を迫られたりと日々の生活は苦しい。
    それでもなんとか暮らしていく仲の良い夫婦であったが、自然は二人にさらなる試練をもたらす。

    参禅の場面がなんとも悲しくて。これまでのらりくらりしているように見えた宗助の懊悩は、なかなか深いです。
    ちょっと夢十夜第二夜を思い出します。

    御米も宗助も、自業自得なのですが、突然天災に見舞われたかのような表現をされているのが不思議でした。
    しかも、夫婦はともに大人しく思慮もあり、感情に流されて不義理を犯す人とは思えないのですが……漱石にとって恋愛とは、それほど苛烈で決定的なものなのでしょう。

    それにしても、安井は二人をどう思っているのでしょう。
    重々しい性格だった安井が、蒙古で冒険家のようなことをしているとは…彼もやはり変わってしまったんですね。

    巻末の解説の
    「結局何ごともおこらなかったのであり、そして何ごとも解決しなかったのである」
    に、うんうんと頷きました。道草の解決しない感じに似てますね。春先のいい季節に、又冬が来ることを予期する宗助の言葉は象徴的ですね。

  • 序盤は金銭が絡む親戚同士のいやな展開、しかし後半はこの作品本来のテーマに激変。人付き合いでのお互いの立場から思考する繊細な気持ちがよく表現されています。また、作者執筆時の時代背景やその当時の庶民の暮らしなどが描かれ、とても興味深いです。
    宗助と御米夫婦の暗い過去が語られる一四章あたりから作品が変わるように文体ががらりと変わり、大胆かつ難解な表現がみられるようになります。勿論意図していると思われますが、その必要性には個人的には疑問です。読みやすい一三章までのほうが振り返ると楽しく読めていたと感じました。
    新潮文庫版の難点として、背表紙にあらすじがほぼストーリの9割方記述されており、これを読んでから読み始めると先が見えてしまい、先が気になり読み進める気持ちが失せるので注意が必要と思います。

  • 「それから」のそれからを描いたとのこと。タイトルである「門」とは漱石の弟子たちが決めたようで、読んでいて「なにが門なんだ…?」と疑問を抱いたのですが、漱石自身、書きはじめてからも「一向に門らしくなくて困っている」とこぼした模様。

    「三四郎」や「それから」と違い、なんだか平坦な物語です。主人公の宗助は妻である御米と二人暮らし。そんなに年老いてはいないのだけど、このふたり、穏やかというより、枯れている。とりわけ情熱的なところがなく、倦怠ただよう宗助にちょっとイライラしてくる反面、物語の節々で仄めかされる彼が起こした過去の過ちに興味を覚えます。やがて、その過ちも次第に明るみになりますが、すべてが明白に示されるわけではありません。解るのは宗助が親友である安井を裏切り、御米と結ばれたという事実だけ(これが解れば十分なのでしょうが)。また、終盤には宗助がその安井と対面しそうな展開になりますが、結局、対面することはなく、物語は大きな波乱もなく終わりを向かえます。

    御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、
    「本当に有難いわね。漸くの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、
    「うん、然し又じき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。

    とは、本書のラストシーンですが、どうも微妙に後味の悪さを感じる終わり方。安井と対面しなかったことは、ある意味では、いずれ訪れるその機会にこれからずっと怯え続けなければいけないことを意味しているのではないでしょうか。
    とかく、すべてが曖昧なままに幕を閉じる本書。解説で柄谷氏は「この日常には、希望もないが絶望もない。激しいものは何もない。(中略)結局なしくずしのまま老いていくような予感がこの作品にはある」と評し、「『門』はある独特の時間をとらえている。それは激しくもなく、ただ生活において微妙に累積されていくような時間であり、漱石ははじめてそれを書いたのである」と論じます。誤解を恐れず、荒っぽい言い方をするならば、精神的引きこもりといった感じでしょうか。そんな宗助と御米の関係について、作中で特に印象深かった記載を引用します。

    彼等が毎日同じ判を同じ胸に押して、長の月日を倦まず渡って来たのは、彼等が始から一般の社会に興味を失っていたためではなかった。社会の方で彼等を二人ぎりに切り詰めて、その二人に冷かな背を向けた結果に外ならなかった。外に向かって生長する余地を見出し得なかった二人は、内に向かって深く延び始めたのである。

    やっぱり物語全体のトーンは、こういうところから出ているのかな。そう考えると、こんな微妙で独特の感傷をもたらす著者の手腕に敬服のひとこと。

  • 友人から奪った妻と共につましく生きていく男の苦悩を描く。夏目漱石の前期三部作の一。

  • 特に何かが起こる話ではない。
    にも関わらず1ページ1ページがずしんと重い。
    ひと山超えた夫婦の、老いや諦め、神経衰弱、惰性、そして哀しみの小説である。

    「三四郎」が青春小説だったことを後から認識することになった。

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著者プロフィール

夏目漱石(なつめ そうせき)
1867年2月9日 - 1916年12月9日
江戸・牛込馬場下(新宿区)生まれの小説家、評論家。本名は「夏目金之助」(なつめ きんのすけ)。1890年、帝国大学文科大学英文科に入学。1895~96年には『坊っちゃん』の舞台となった松山中学校で教鞭を執る。1900年、イギリスに留学。1905年、『吾輩は猫である』を俳句雑誌「ホトトギス」に連載し始め、作家活動を本格的に開始。1907年、朝日新聞社に入社。以降、朝日新聞紙上に『三四郎』『それから』『こころ』などの代表作を連載。日本の文学史に多大な影響を与えており、作品は多くの人に親しまれている。学校教科書でも多数作品が採用されている。

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