草枕 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010090

作品紹介・あらすじ

智に働けば角がたつ、情に棹させば流される-春の山路を登りつめた青年画家は、やがてとある温泉場で才気あふれる女、那美と出会う。俗塵を離れた山奥の桃源郷を舞台に、絢爛豊富な語彙と多彩な文章を駆使して絵画的感覚美の世界を描き、自然主義や西欧文学の現実主義への批判を込めて、その対極に位置する東洋趣味を高唱。『吾輩は猫である』『坊っちゃん』とならぶ初期の代表作。

感想・レビュー・書評

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  • この作品は小説というよりも漢詩の世界ですね。
    漢字熟語の多用と、主人公である画工(画家)の理屈っぽい思考展開で読みにくいことこの上ないのですが(笑)、ひとつひとつの場面が美しい絵(画)になっていて、これは情景を楽しむ作品ですね。自分の好きな場面は、床屋の場面と茶席の場面、そして主人公と娘の一見すれ違いだが気の利いた会話の場面などです。主人公がそうしているようにどの場面を切り取って読んでも絵になっています。
    しかし、仙人の世界の物語かと思っていると(笑)、場面場面における世俗な話とか芝居っ気たっぷりな娘、絵になる情景を求めその画家としての境地を目指す主人公の思念など物語としてもこれはこれで面白かった。
    これは漱石の理想の世界なのかもしれませんね。

  • 人生初となる夏目漱石本、チャレンジしてみました。

    読み始めてしばらくは、生きている時代の違いに加えて、文豪の操る空気感に圧倒されたというか、どう受け取っていいかわからない雰囲気だったんですが、これは通常の『話を楽しむ』という目線で見るのでなく、そもそもスタート地点から描かれているものの趣旨を理解することがとても大事だな、と、読み終わって一層感じてます。

    最初に『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。』と、有名な語り出しから始まるところは、究極な話、この核心的なところで、この主人公は自分の画業(または創作のヒント)のために気分転換をしに出かけた逗留先で、徹底的に第三者にこだわった立ち位置で、『スノッブにならず、誰とも程度をこえて干渉せず、かといって自分の創作にも必要以上に固執せず』というスタンスを一貫していて、まさにこれが冒頭の文言に当てはまってるんだと思いました。

    主人公は、行く先々や、関わる人たちとのふれあいから、情景を読み取るために観察力をはたらかせることに最大限の力を発揮していて、そのほとんどは自分の思い通り頭にインプットされてはいたものの、とある女性の形容しがたい表情を見たことで、謎に対する自分なりの答えが導きだされるまで、いろんな角度から、ごく自然に、ときに不自然に、対象物を捉えていくシーンが描かれます。

    特に愛着もなければ義務があるでもないにせよ、そういう自分の疑問に対して素直に真剣に取り組むことこそ、住みにくい世から煩いを抜いてありがたいものを作る、画業に就くものの役割だ、と、いうのが主人公のポリシーのようで、全体をとおしてのメッセージだったのかなと。自分はそんなふうに感じました。

    人と出会って打ち解けて、ドラマがあって、ハッピーエンド・・・的なコテコテの話からは極限のねじれ位置にあるような、一種、不思議な読書体験でした。
    漱石先生のほかの作品も是非とも読んでみたいと思います。


    ここからは余談ですが、ミレーのお話が載っている、山本有三の心に太陽を持て、を読んだあとなんの意図もなくここにもミレーの話題が・・・ってとこに個人的に戦慄をおぼえました(笑)

  • 自分には敷居が高いと思っていたけれど、不思議なことにページをたぐる手が止まらなかった。

    言葉のひとつひとつの意味は咀嚼できなかったけれど、山や花や鳥といった自然界の有様を、日本語という表現手段で、ひとつひとつ丁寧にはたを織るように描き出しているようでした。
    それがまるで森林浴でもしてるかのような心地よさを呼んでいる。

    それは絵画のようでもあり音楽のようでもあり。
    これは小説を読むというより体験に近かった。

  • 初期の漱石作品で、文体はかたく、漢語や注釈も多いので決して読みやすい作品ではありません。それでも噛んでいるうちに、スルメのような味わいがして、久しぶりの美味を堪能しました。

    「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
    智に働けば角が立つ。情に棹せば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい」

    気ままな旅をする主人公のつぶやき。短くリズミカルな言葉の中に、漱石の想いが凝縮しているようで、にんまりします。
    当時の文壇や世上の批判をさらりと受け流し? 角が立とうがなんだろうが、ひとたび筆をとればどうにも止まらない、豊かな知識や芸術観や文明論、さらには儒教、道教、菜根譚や禅……作者の想いが溢れていてとても愉しいです。
    また、主人公の画家を通した芸術論はそのまま漱石の文学に対する芸術論になっていて、まるで旅のつれづれに描いた随筆のよう。自然を愛する漱石の観察力と創造性はとりわけ鋭く、その卓越した表現は深遠でみずみずしい。

    「……底には細長い水草が、往生して沈んでいる。余は往生というよりほかに形容すべき言葉を知らぬ。岡のすすきならなびくことを知っている。藻の草ならば誘う波の情けを待つ。百年待っても動きそうもない、水の底に沈められたこの水草は、動くべきすべての姿勢を調えて、朝な夕なに、弄(なぶ)らるる期を、待ち暮らし、待ち明かし、幾代の思いを茎の先にこめながら、今に至るまで遂に動き得ずに、又、死に切れずに、生きているらしい」

    いや~素晴らしい描写と喩! そしておかしみのある描写も上手い! にくたらしいくらいに。

    「……何にしてもなかなか寝られない。枕の下にある時計までがちくちく口をきく。今まで懐中時計の音が気になったことはないが、今夜に限って、さあ考えろ、さあ考えろと督促する如く、ねるな、ねるなと忠告する如く口をきく。怪(け)しからん」

    文明開化とともに急速に西欧化、近代化、機械化していく明治時代に生きた漱石。しだいに日本の文化や人間性を喪失していくような憂いや焦燥感が、作品をとおしてじんわり伝わってきます。苛立ちをあらわにする主人公の画家は、まるで100年後の高度な情報技術や人工知能まで生み出した現代を見透かしているようで、ぎょっとします。

    「人は汽車に乗るという。余は積み込まれるという。人は汽車で行くという。余は運搬されるという。汽車ほど個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によって、この個性を踏みつけようとする……」

    ぴリっとした剣呑な情景のなかにあっても、画家の目は決して逃しません。そこにあって息づき存在している人間性、その内奥でほのかに明滅する蛍のような美しさをとらえるんですね~。う~ん、これだから漱石の作品は奥がふかい、だから漱石の作品は辞められない♪

  • 注釈だけで20ページ以上あるし言葉とか解釈が難しくて読むのが大変だった。でも全体的には面白かった。作中の「非人情の旅」って、今で言う「自分探しの旅」のようなものだと思うけど、100年以上前でも、やってる人いたんだという驚きと、それを物語にしたのも、全然昔っぽくないというか、なんか良いなと感じた。

    仕事や人間関係などの人の世に嫌気がさして、山里に逃避した主人公の気持ち凄く分かるなーと思いながら読んでた。時代は違えど、人が生きる上での悩みや苦痛、葛藤や生きづらさなどの根本は変わらないのかもしれない。そう思うと昔の人たちも同じことで悩んでたんだな〜自分だけが抱えていた悩みではないんだなーと元気がもらえる。

    特に現代はSNSの普及で人付き合いが密接になったり、見ず知らずの人から誹謗中傷されたり、いいねの数を気にしたり、幸せそうな他人と自分を比較したりと、昔より色々と便利にもなったけど、常に人から見られているようで、何かと生きにくい。

    そういう他人と競っても自己満足にしかならないのに、無駄に見栄を張って対抗するから疲れてしまう。だから、人間関係とか全てリセットして、東南アジアに一人旅したり、主人公のように知り合いなんかいるはずのない田舎に逗留したりしたいなーと最近思ってる。

    主人公のように芸術の才能は無いのかもしれないけど、モンゴルの遊牧民のように世界を転々としながら、その土地の自然やカルチャーや人々に触れて、感じたことを自由に文章にしたり、心の赴くままに生きたい、というのが自分の夢だな。

    少し逸れたけど、物語に関しては、画家の主人公の思考(作品への苦悩や芸術の概念、芸術家の在るべき姿の追求など)がとても多くて、面白かった。こんなに一人で孤独に悩んで、思索して、創作するのがアーティストなんだなと思った。

    那美さんのキャラも結構好きだったな。本性が掴めなくてフワフワしてる不思議ちゃんのような感じ。「久一さん。御前も死ぬがいい。生きて帰っちゃ外聞が悪い」
    「動詞なんぞ入るものですか、それで沢山です」 那美さんの独特な言い回しというか強気な発言も面白かった。

  • 小説でもありながら、文学評、芸術評のような側面もある。
    西洋の文明がもたらされ、一気に文明化が進む明治時代。その時代において、文明の恩恵を受けながらも、自然の中にある美的感覚や情緒が損なわれていくことへ危惧を覚えたり、気を揉んだりする人はいただろう。
    本作は、そういったジレンマから生み出された小説のように感じた。

    多彩な語彙と文章に美しさを感じたが、読みにくさはあった。また、ゆっくりと丁寧に読み返していきたい。

  • 昭和53年3月15日 64刷  再読

    1906年 明治39年 「新小説」
    洋画家の主人公が、山中の温泉宿を旅する。旅の間の、出来事・豊かな自然が、映画でも見ているように語られる。洋画家の一人称というより、ナレーターといった雰囲気。そこが、非人情の表現の一環かもしれない。
    冒頭の「智に働けば〜」は、余りに有名。既に、主題はそこにあるのかと思う。
    メインストーリーには、宿屋の娘とのあれこれがありますが、やりとりは大人の言葉遊びと言ったところ。
    俳句の歳時記は、季節を表す言葉を、時候・天文・地理・人事・動物・植物 に分類してある。(最近覚えたて!)この作品は、それらが全て含まれた、吟行の雰囲気がある。おっとりと、旅先に紛れ込む。

  • 自分なんかが評価していい一冊ではない。

    圧倒的な語彙と表現力。自分はその半分も理解できていないと思う。

    どのような努力を重ねたら、このような日本語力を身につけることができるのだろう。漱石は確か英語もできるはず。

    ストーリーというより、言葉の渦の中をゆらゆらとただ流されていくという感覚で読んだ。漱石の言葉の波の中をただ旅をするが如く。

    途中で言葉の注釈を読むのをやめた。流れが止まるから。言葉の正確な意味などわからなくても、なぜかその情景、感覚が誌面から伝わってきた。不思議な感覚だった。

    もっと言葉を知れば、きっとまた違った感覚を得ることができるのだろう。何度も繰り返し読むことで、きっと新しい画工や那美さんに出会うことができるのではないか。きっとそれは、何度も同じ場所を旅するが如く。



  • 日本近代を代表する夏目漱石(1867-1916)の小説、1906年。『吾輩は猫である』『坊っちゃん』などと並ぶ代表的な初期作品。

    特徴的なのは、まず以てその文体であろう。漱石特有の、江戸町人文化の感性からくるテンポの好さもあるが、何より読む者の注視を促すのはその饒舌に過ぎる漢語の語彙の奔流であろう。165ページの本文に対して、現代の読者に向けて付せられた330もの注解の多くが、作中に現れる漢語・漢詩へのものである。実際、漱石は本作執筆の前に漢詩集『楚辞』を読み返したという。この過剰なまでの語彙とともに漱石自身の芸術観・人生観・文明観が織り込まれていく中で、小説の筋というものがそこに埋もれてしまっている感がある。作中で「筋を読まなけりゃ何を読むんです。筋の外に何か読むものがありますか」と問われた主人公に、明らかにこの作品自体について自己言及させて、次のようなことを云わせている。

    「・・・。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして御籤を引くように、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」

    現実に於ける人間心理を一客体として透徹した目で観察し、そこに何らの思想・観念による粉飾・価値判断・美化を施すことなく現実を「ありのまま」に書き留める。作家をして「心理学者」「自然科学者」たらしめようとする所謂自然主義文学(そこでは人間心理に対する客観性、作品に於ける論理的一貫性が求められる)が、エミール・ゾラらの影響を受けた日本の文壇(坪内逍遥『小説神髄』など)に於いても主流となっていた時期である。ヨーロッパで誕生した新たな文学潮流としての自然主義は、19世紀にあらゆる文化領域に及んだ実証主義という思潮の文学における産物である。則ち、西欧近代精神の、文学に於ける率直な具現化である。

    1900年、漱石は官費留学生として当時世界の中心であったロンドンに留学し、神経症を患うほどに近代というものの即物性を見せつけられた。それは、日本政府は西欧近代文明を自らの腹に詰め込もうと躍起になっていた時期である。そんな折に発表された『草枕』は、近代文学としての自然主義への、ひいては日本近代への、アンチ・テーゼを提示しようとしたのではないか。漱石は、本作を以て、自我・我欲への執着および他我への欺瞞的配慮から悠然駘蕩と解脱する、超俗(作中の所謂「非人情」)の文学を定立しようと意図したのではないか。横溢する漢語の中で、作品の趣は何処か茫洋幽然としている。

    これは、即物的な無‐思想で世界も日常的生も個人的感受性も覆われつくされてしまっている、目的合理性という縁無しの穴の中で無際限の暴力と喧噪に明け暮れている、雅量という美的構えを決定的に欠いてしまっている、現代という時代への批判でもある。



    「然し苦しみのないのは何故だろう。ただこの景色を一幅の絵として観、一巻の詩として読むからである。画であり詩である以上は地面を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲けする了見も起らぬ。只この景色が――腹の足しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽しませつつあるから苦労も心配も伴わぬのだろう」

    「恍惚と云うのが、こんな場合に用いるべき形容詞かと思う。・・・。自然の色を夢の手前までぼかして、有りのままの宇宙を一段、霞の国へ押し流す。睡魔の妖腕をかりて、ありとある実相の角度を滑らかにすると共に、かく和らげられたる乾坤に、われからと微かに鈍き脈を通わせる。地を這う烟の飛ばんとして飛び得ざる如く、わが魂の、わが殻を離れんとして離るるに忍びざる態である。抜け出でんとして逡巡い、逡巡いては抜け出でんとし、果ては魂と云う個体を、もぎどうに保ちかねて、氤氳たる瞑氛が散るともなしに四肢五体に纏綿して、依々たり恋々たる心地である」

    「美術家の評によると、希臘の彫刻の理想は、端粛の二字に帰するそうである。端粛とは人間の活力の動かんとして、未だ動かざる姿と思う。動けばどう変化するか、風雲か雷霆か、見わけのつかぬ所に余韻が縹緲と存するから含蓄の趣を百世の後に伝うるのであろう。世上幾多の尊厳と威儀とはこの湛然たる可能力の裏面に伏在している。動けばあらわれる。あらわるれば一か二か三か必ず結末が付く。一も二も三も必ず特殊の能力には相違なかろうが、既に一となり、二となり、三となった暁には、拖泥帯水の陋を遺憾なく示して、本来円満の相に戻るわけには行かぬ」

    「放心と無邪気とは余裕を示す。余裕は画に於て、詩に於て、もしくは文章に於て、必須の条件である。今代芸術の一大弊竇は、所謂文明の潮流が、徒に芸術の士を駆って、拘々として随所に齷齪たらしむるにある」

    「世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴で埋っている。元来何しに世の中へ面を曝しているんだか、解しかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのを以て、さも名誉の如く心得ている。五年も十年も人の臀に探偵をつけて、人のひる屁の勘定をして、それが人世だと思っている」

    「汽車程二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸氣の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車程個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたるのち、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付け様とする。一人前何坪何合かの地面を与えて、この地面のうちでは寐るとも起きるとも勝手にせよと云うのが現今の文明である。同時にこの何坪何合の周囲に鉄柵を設けて、これより先へは一歩も出てはならぬぞと威嚇かすのが現今の文明である。・・・。」

  • 夏目漱石の代表作のひとつ。『神様のカルテ』の主人公が傾倒している作品ということと、恥ずかしながらまともに読んだことがなかったため、何かの縁と思い読んだ。序章は田舎の景色をたっぷりとした語彙力で書き出され、(絵描きなのだが俳句を読むこともある)主人公が題材を探しながら旅情を楽しんでいる風もあった。夢十夜もそうだが、漱石の描く女性像は実に美しい。それから、食べ物に関する描写も素晴らしい。素人ながら漱石の描くつかぬまの旅を味わった。ついに有名文学のひとつをやっと読んだな、という思いであった。

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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