虞美人草 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.61
  • (101)
  • (120)
  • (213)
  • (23)
  • (8)
本棚登録 : 1940
感想 : 136
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010106

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ◆感想◆
    すごかった‥。
    美女藤尾がどんな悪女かと思ったら、井上親子(父娘)のパラサイト感と小野 清三の優柔不断さに、驚いてしまいました。
    5年間も会ってなかったのに、口約束だけで結婚を信じて待つ井上親子(父娘)。東京にも押しかけちゃうところ、現代だったらストーカー気質で恐怖に感じます。
    小野は、井上家との縁談を断る際、知人の浅井君に代理で行かせるダメ男っぷりです。

    小説の最後、藤尾が自殺します。
    女性視点でこの小説を読むと、一見強そうな女性の方が嫉妬で傷つき、内気そうな女性の方が強かに生きていく印象を私は持ちました。
    (※小説の中では、「(気が強い)藤尾が一人出ると昨夕の様な女(内気な小夜子)を5人殺します。」と真逆のことを欽吾が言っていました。)

    娘を亡くして悲しんでいる藤尾の母に向かって
    「泣いたって、今更仕様がない。因果だ。」
    と言うサイコパス感‥。因果なんて言えないよ‥。

    難しい言い回しが多いので、吉本隆明の「夏目漱石を読む(ちくま文庫)」を先に読むと、理解し易くなると思います。

    ◆お気に入りの言葉◆
    「菜の花を染め出す春の強き日」

    ◆印象に残った場面◆
    甲野 藤尾、宗近一(兄)、宗近糸子(妹)、甲野 欽吾(藤尾の義兄)の4人で博覧会に行きます。
    夜のイルミネーションが「竜宮城みたいに綺麗」と感動する女性陣に対し、男性陣はこう言います。
     宗近 「僕は三遍目だから驚かない。」
     欽吾 「驚くうちは楽があるもんだ。
         女は楽が多くて仕合わせだね」 
    (感想: 男たち、ちょっと冷たくないか?!)

    歩き疲れてお茶をしてる時、藤尾に気があるはずの小野が見知らぬ女性(小夜子)と一緒にいるところを見かけてしまいます。プライドが高い藤尾は、嫉妬してしまいます。

    中盤のこの場面くらいから、どんどん進展し、面白くなっていきます。

    ◆登場人物◆
    甲野 藤尾:
    傲慢な女性。小野さんが将来の夫になると思っている。親の口約束で、宗近が許嫁だが、宗近をバカにしていて一緒になる気はない。

    小野 清三:
    学校を出て学位論文を書いている。藤尾と仲良くなり、好きになる。貧乏な頃、京都の井上狐堂先生の書生をしていた。先生の娘の小夜子と結婚させられそうになるが、その気がない。

    甲野 欽吾:
    主人公の藤尾の義兄(異母兄弟)。哲学科を卒業。何もしないでブラブラしている。神経衰弱でおかしい変人扱いさらる(漱石の面影を投影)。遺産相続を放棄。

    宗近 一(はじめ):
    甲野欽吾をよく理解している親友。きっぷはいいが、劣等生で外交官試験に落第ばかり。藤尾の許嫁。藤尾が好き。

    宗近 糸子:
    宗近 一の妹。甲野欽吾のことが好き。古風で控えめ(漱石の理想の女性像?)

    井上 小夜子:
    小野清三の先生である、井上狐堂の娘。父である狐堂先生と小夜子は、小野が夫となり、一緒に住む事を既定の事実としている。(理由:書生時代から小野の面倒みていたから)

  • 後期三部作を読んだ後では少し物足りなく感じるかもしれない。

  • 地の文が漢文調で始めはちょっと読みづらかったけど、
    読んでるうちに慣れてきて癖になってくる。

    新潮社のHPの紹介文。
    大学卒業のとき恩賜の銀時計を貰ったほどの秀才小野。彼の心は、傲慢で虚栄心の強い美しい女性藤尾と、古風でもの静かな恩師の娘小夜子との間で激しく揺れ動く。彼は、貧しさからぬけ出すために、いったんは小夜子との縁談を断わるが……。やがて、小野の抱いた打算は、藤尾を悲劇に導く。東京帝大講師をやめて朝日新聞に入社し、職業的作家になる道を選んだ夏目漱石の最初の作品。

    http://www.shinchosha.co.jp/book/101010/

    登場人物がちょっとややこしい。
    いろんな人の思惑が交錯して運命が動いていく。

  • 面白かった!
    先に読んだ「坑夫」は新聞小説の代打としてやっつけ(?)書きながらも虞美人草の主人公のその後の要素を持つらしいことを解説で読み、「自分」はなぜ出奔したのかと興味津々の体で読む。

    持つ者の理想と持たざる者の現実、表向きダメ男vs表面イイ男。高慢な女性と淑女の対比が際立って、重なる曖昧な部分がなくて面白い。

    随所に現れる漱石の思想は西洋の古典文学の文語調に展開されながらも格調高く、分厚い小説ながらぐいぐいと惹きこまれ、雰囲気いや増します。

    小野の冒頭と結末の変化が面白く、藤尾の結末がバッサリ切られていてビックリかつ呆気ないところは神経症を患っていた先生がこんな力技に持って行って、あなたけっこう体力あるし、前向きな心さえ感じてしまう。物語だもの、これでイイ。

    漱石先生は「こころ」と「それから」のほかは読みづらいと思い込んでいたがそんなことはないようだ。

  • 幾度と無く挫折してきた虞美人草。初めて読み切った感想は「私は大人になった」。少なくとも難しい言葉に惑わされることなく表現の意味するところと文脈を読み取れる程度には。漢文と日本文化の素養に溢れた流麗な言葉遣い素晴らしいですね。

    舞姫やこころと同じく、頭が良いけれど優柔不断な男が八方美人をして思いを断ち切るのを躊躇っているうちに、周りの人間が可哀想な思いをする(もしかしたら当時の人は高慢な女に降った罰に拍手喝采なのかもしれないが今は自立して美しく賢い藤尾の何が悪い)ので、小野を許すことはできないですが、女性に象徴される「文明」と「伝統」の間で揺れ動く文明人として小野くんは苦悩していたのでしょう(小野に憤慨しないだけでも大人になった)。
    男が3人、女が3人、それでも決してハッピーエンドにはならない、この結末は、皆が自分で考え始めたこの時代から始まる。それにしても18節の宗近と糸の立派さ!「真面目になれる」「お迎えに参りました」漱石の本でこんなに胸が熱くなるとは思わなかった。自由恋愛で先進的な男女のこの小説でも古い道義とか誠実さとかが勝つんだなぁ。良くも悪くも。
    「此処では喜劇ばかりが流行る」

  • 漱石の『虞美人草』を読んだ。とても人間的な、いい小説だった。そうして久し振りに、悲しい気持ちで小説を読んだと思った。そこには、悲劇の本質が現実的な力を持って描き出されていた。とても悲しい。

    『虞美人草』には、藤尾と小夜子という二人の美人の間に挟まれて、糸子という女性が登場する。学のない、平凡な女として描かれているが、僕はこの糸子ほど素晴らしい女性はいないと思った。糸子の兄の宗近と、糸子が想いを寄せる甲野も素晴らしい。彼らは皆、慥かな眼を持って生きている。

    僕はといえば、甲野と小野の中間地点に自分を置いて、どちらのなかにある闇にも同調できる気がして終始苦しさを感じながら読み進めた。しかしそこには、昔の人の言葉のなかに自分と同じ苦しみを見い出すことの安心があったようにも思う。人間の型に触れることを通して普遍的なものに出会うことの安心。

    かつて書かれた言葉が力を失い始めているのが現代であるという問題意識を僕は持っているが、漱石の文学は未だにその力を保持しているように思える。その言葉は現実に起きたことのうちに働いていた力だ。それは現実に苦しまれた苦しみであり、悲劇であった。それは紛れもなく、言葉の持つ現実的な力だ。

  • 難解な中にもこの時代の美しい文体を楽しむことができる。
    宗近の云う「真面目になること」は自分の心に備え置いてきたことと重なり合う。

    「真面目になれる程、自信力の出る事はない。真面目になれる程、腰が据わる事はない。真面目になれる程、精神の存在を自覚する事はない。天地の前に自分が厳存していると云う観念は、真面目になって初めて得られる自覚だ。真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。遣っ付ける意味だよ。遣っ付けなくちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけて始めて真面目になった気持ちになる。安心する・・・」

    • 抽斗さん
      この抜粋を読んで、とても『虞美人草』が読みたくなりました。
      この抜粋を読んで、とても『虞美人草』が読みたくなりました。
      2013/08/08
  • 「甲野さん。頼むから来てくれ。僕や親父のためはとにかく、糸公のために来てやってくれ」
    「糸公のために?」
    「糸公は君の知己だよ。叔母さんや藤尾さんが君を誤解しても、僕が君を見損なっても、日本じゅうがことごとく君に迫害を加えても、糸公だけはたしかだよ。糸公は学問も才気もないが、よく君の価値を解している。君の胸の中を知りぬいている。・・・僕は責任をもって糸公に受け合ってきたんだ。君がいうことを聞いてくれないと妹に合わす顔がない。たった一人の妹を殺さなくっちゃならない。糸公は尊い女だ、誠のある女だ。正直だよ、君のためならなんでもするよ。殺すのはもったいない」

    甲野は哲学の研究者。継母と妹からは、社会的地位もなく、ふらふらした情けない人と蔑まれている。
    だけど、親友の宗近は、甲野の本質を見抜いていて、人付き合いを避ける甲野を何かと気にかける。

    宗近の妹糸子は甲野を慕っているけれど、甲野が何気なくいった「あなたはお嫁に行かないで、そのままのほうがいい」というひとことに縛られて、気持ちを伝えられない。

    上の会話は、妹の気持ちを知った宗近が、家出しようとする甲野のところに来て、自分の家に来るよう説得する場面。
    (私の筆力ではエッセンスを抜き出せず、引用・・・)

    恋愛は、動物みたいに求めあう面だけがクローズアップされがちだけど、それだけじゃない。
    自分を理解してくれる誰かがいること。理解したいと思う誰かがいること。その幸せに気づかせてくれた作品。

  • 漱石の凄まじい教養と文章力に圧倒される。難解な表現は多いものの、軽快な会話劇も同時に展開されていくので思っていたよりスラスラと読み進めることが出来た。

    にしても大バッドエンドである。
    登場人物がそれぞれに背負っていた業は最後に全て藤尾に押し付けられ、藤尾は死んだ。彼女だけが自己中心的?小野も井上親子も甲野も宗近も糸子も濃淡あれどそれぞれ自己中心的ではないか。優柔不断な上に姑息な手段で縁談を断ろうとした小野、小野の気持ちなんぞ確認もせず東京へ出てきて世話になる気満々の井上親子、分かったようなことばかり並べ立てる宗近(彼がわざわざ時計を壊したのは自分を軽んじた藤尾への憎しみからではないか)……。
    それぞれの欠点は問題にもされず、ただ藤尾だけが1人、裁きを下され死んでしまう。面子を潰してプライドも踏みにじるような酷い騙し討ちのような形で。「女の癖に生意気なんだよ」「身の程を弁えろ」という声が聞こえてくるようである。生き残った連中が不幸になりますように。
    また、ラストの宗近から小野への説教も極めて凡庸であった。「真面目になれ」とは一体何なのか。そんな説教で人が変わるならこの世の中苦労はしないし、説教如きで変わることのない人間のどうしようもなさや複雑さ、ひねくれぶりを描くのが小説であり、あの程度の説教で小野がさっさと反省して物語が店じまいに入ってしまう辺りがなんとも拙速だった。

    結末には大いに不満が残るものの、しかしこの先何度も読み返したい名作だと思う。

  • 宗近君かっこ良すぎる。結婚して!
    子供じみた上部の皮を脱ぎ捨てて、真剣勝負をしなくてはいけない。そうして生きれば第二義的なことは全てどうでも良くなる。正か死か、悲劇はそれだけ。骨身に応えた。

全136件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

夏目漱石の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×