彼岸過迄 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 1315
レビュー : 111
  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010113

感想・レビュー・書評

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  • 本書名は著者が最初に記すように、元日から書き始めて、彼岸過迄に書き終えるぞ!という決意をそのまま書名にしたとのことで(笑)、本人いわく「実は空しい標題」であるとのこと。しかし、一方で「自然派」でも「象徴派」でも「ネオ浪漫派」でもなく、そうした色分けではなく「自分は自分である」という孤高宣言をした上で、明治知識人を対象とした小説を書くのだという気概も謳い上げられている。短編を紡いで長編にするという構想の下に、当時の朝日新聞に連載されたものとのこと。
    最後に著者は、敬太郎という主人公に「世間」を「聴く」だけという役割を与え、彼を取り巻く人々の諸相を描いたとしているが、むしろ、前半は敬太郎が主人公そのものになって、就活中の身の上ながらも冒険心を内に秘めた性格として描かれ、隣人との関係のこと、占いをしてもらう話、知らない人の尾行を依頼されての任務経緯などお気楽な話が続きます。(笑)新聞紙上での連載ということもあって、テンポの良い1章1章の流れにのって割とスラスラ(そしてダラダラ)物語が進んでいく感じです。
    しかし、後半から一転、尾行した家の娘の死の話から始まって次第に物語が重くなり、本書の後3分の1頃からは、実主人公が敬太郎の友人の須永に変わった上で、従妹の千代子との結婚問題に苦悩する心理描写が重たく描かれることになる。知識が逆に内向・深読み化する方向へ向かいがちな須永が、母と千代子との板挟みに苦しむ姿の描写は漱石ならではの展開でとても秀逸。千代子が須永へ、愛してもいない自分に何故嫉妬するのかと罵倒するシーンはボルテージ満開で最高のシーンでした。(笑)そして、須永に千代子を強いる母のプレッシャーとその想いの根源にも重圧感どっしりです。
    読者をその共感に引き込む巧みな描写力でなかなかの深い感慨が残る後半と、前半のお気楽さの差には驚きました。(笑)これは2冊の本に分けても良かったのではないかな・・・。途中からの路線変更ですが、過去を語る須永の話は敬太郎とともに読者は現在をわかっているので、ある意味、安心して読めてしまいますしね。それぞれの短編物語に明確な結末がないのは、経緯そのものを読者への印象として強く残すことになっている。

  • さすがに濃厚な内容でした。読むのに骨を折ってしまい、時間がかかりました。
    が、さすが文豪、これぞ文学といった「構成」。
    難解ではありながら、読んでいると腑に落ちる「文体」。
    人物の細かな心情変化、とくに「男性の嫉妬心」「猜疑心」を絶妙に表現していました。

    夏目漱石の文学的知識が多少なりともあるからこそ、読み進めていけるけれど、現代小説に慣れきってしまうと、漢文の素養をいかんなく発揮した回りくどい漱石の言い回しは読みにくく感じてしまうかもしれません。
    が、夏目漱石の表現は、大げさに思える比喩の一つ一つを繋げていくことで「ああ、これしか表現のしようがない」と思えるようなもので、咀嚼して読んでいくことでスルメのように味わいが出てくる。

    構成として、短編をつなぎ合わせて一つの長編をなすというもの。
    夏目漱石の「後期三部作」のテーマである「自意識」が客観的に、主観的に、さまざまな視点を通して描かれていく。

    やはり漱石はすごいなと思わせるのは、その構成の妙にあります。
    一見主人公に見える「敬太郎」は全編通してその存在は感じとれるものの、後半になるにつれて徐々にその存在が希薄になっていきます。
    最後にはたんなる「聞き手」として、脇役になってしまう。

    敬太郎は刺激を求め、様々な人から話を聞くし、自分の足も使うのですが、彼の内面はなにか好奇心をくすぐるようなものはないかと、外の世界にばかり向いていて、自分の物語を形成することはしない。

    ですが、敬太郎が話を聞きに行く人々は、それぞれがドラマを抱えていて、後半になると、中心人物は「須永」になっていきます。
    須永は自意識の塊で、その性質のために刺激を受けないように過ごしているけれど、内面では劇的な感情の波がある。

    聞き手に回り切ってしまった「敬太郎」には、あまりにも内面や環境そのものに何もなかった。
    だからこそ、須永の感じる苦悩を、敬太郎は感じなくてもよいけれど、その分、ドラマチックな事からは遠ざかるしかない。
    この対極的な二人から、近代人の苦悩についてあぶるように浮かび上がらせるという多重構成になっています。

    後半になるに従い、心情のとらえ方が難しく感じましたが、須永の「嫉妬心」は、読みごたえがありました。
    思えば、男性のドロドロとした感情の波を事細かに描写するような小説はこれまであまり読んだことがないかもしれません。
    女性を愛しているわけではなく、自分を愛しているかもしれない立場にいる女性が、自分ではなく他の人を選ぶ可能性がある、と感じたときの激しい感情の描き方は、体験がなければ書けないと思います。

    もう、夏目漱石すごいの一言。近代以降の物質的豊かさを手に入れた人たちの苦悩をいち早く描いて、しかも人物の心情の描写が細かくて生々しい。
    「須永」の卑屈さとかたまらないくらいリアルでした。

    「行人」では、「須永」タイプを主観にしたストーリーが繰り広げられるそうなので、そのうち「行人」にもチャレンジしてみようかと思います。

  • 【何気なき,由々しき事事】定職に就かず,何か心に面白きことはないかと日がな考えながら過ごす敬太郎。そんな男の元に現れては去っていく人々の語るところから,世の中を透かし見て得るに至った思いを著した小説作品です。著者は,日本近代を代表する作家の夏目漱石。

    いくつかのエピソードと言っても良い話が収められているのですが,自分が特に興味深く読んだのは「須永の話」。煎じ詰めれば男女の恋仲の話なのですが,須永という人物が女性に叶わぬ恋をしているのではなく,叶わない恋に苛まれている自分を恋しく思っているのではないかと穿って(?)読み取ってしまいました。

    〜要するに人世に対して彼の有する最近の知識感情は悉く鼓膜の働らきから来ている。森本に始まって松本に終る幾席からの長話は,最初広く薄く彼を動かしつつ漸々深く狭く彼を動かすに至って突如として已んだ。けれども彼は遂にその中に這入れなかったのである。其所が彼に物足らない所で,同時に彼の仕合せな所である。〜

    久しく手にとっていなかった間に小説の読み方が自分の中でずいぶんと変化しているような☆5つ

  • 語り手が変わっていく独特のスタイル。
    語り手であり聞き手にもまわる主人公がいますが、ストーリーやテーマの中心になるのは、その友人だと思います。

    夏目漱石好きなだなあ、と私が感じるポイントが存分に表れています。人間の内面が本当によく描かれています。そしてそのいちいちに、そういう気持ちわかるよ、と言ってしまいそうになるのです。

    この時代は美しい。
    個人の内面が、他者あるいは世間にいまほど影響されることはなかったでしょう。それだからこそ、内面を変容させることは困難で、彼らのように自分でどうにかするしかなかった。そこに苦しさと美しさがあるように、私には思えました。

  • 20131230読了。

    漱石先生、後期三部作の一作目。
    特に印象に残ったのは、「報告」のなかで、田口を批評する松本のことばと、「須永の話」での、市蔵の千代子に対する嫉妬と自意識との葛藤の様子。

    上滑るように生きなければ、またたくまに精神を病んでしまうような現代人の生きづらさへの漱石先生なりの警鐘を感じた気がした。

    誰もがなにものでもない市井の人として生きていくなかで人一倍、自意識のなかに埋没し自意識のみを肥大化させた須永。愛に対峙したときでさえ、自尊心から心を解放できないさまは、見ていて心苦しいがそれもまた“正直”であることの一面だと思った。

    たしかに、『こころ』や『それから』ような劇的な展開はないけどだからこそ、実生活においてそこらじゅうに転がる人間の本質が垣間見える気がした。

  • バブル期のトレンディドラマのような、どうでもいい男女の空騒ぎがいつまでも続く。けれど普段から自分の仕事、事業、実績、学業などがどの様に評価されているかが気になって仕方ない現代人の小市民性と、その気もないのに千代子のことでイチイチ嫉妬する市蔵の自意識が重なる。世の中と接触する度に内へとぐろを捲き込み、刺激が心の奥に食い込む性質というのは鬱陶しいが、巷説の新型「うつ」だと原因を外に求めて、これっぽちも自分の責任を考えないという点で全く違うし、流石の漱石もそこまで現代の病魔が進むとは考え及ばなかったに違いない。

  • 気づけばすっかり須永に感情移入してしまう作品でした。タイトルもちっと何とかならなかったのか(笑)と思いつつ、なんというか本人が考えてることと第三者から見た本人像ってどっかずれてたりするよなぁと思いました。敬太郎視点の話では須永とかいう高等遊民甘ったれたこと言うなよー家が裕福だから退嬰主義気取れるんだろうがって印象でしたが、須永視点に話が変わると、彼のじめじめネバネバした思考(ほんとに思うだけ思って考え尽くすけど行動には決して移さない)に虜になっていました。千代子に対する一言じゃ表白しきれない気持ち、自分でも原因がわかるような判らないような嫉妬心、多分好きなんだけど、結婚することはお互いにとっていい方向に行かないと理解しちゃってるところ、自分なんかより男らしくて爽やかな高木のほうが絶対千代子にとってお似合いだ〜でもむかつく〜みたいな心のなかで繰り返す矛盾。
    個人的に一番ドキッとしたのは、須永が、松本叔父さんに自分で考えみなよと言われて泣く場面です。どうにかしたいのに誰も何も言ってくれない、そもそも自分でもどうしたらいいのか判らない、気持ちを言葉にしきれない時って感情的になってしまうよなと思いました。とにかく須永がいじらしくて……。
    こころでも感じたけど、この作者が書くモノローグがとても好きです。物語に出てくる高等遊民が先生とか須永みたいなキャラクターばっかだったら私は読み漁りまくるぞ。

  • 敬太郎が関わった人たちそれぞれを主人公にして話が展開していく、スラップスティックな構成。写生文というジャンルなんですね。
    なんだか全体的に静かな小説。
    外からみるのとその本人が考えてることなんて随分隔たりがあって、詰まるところ人ってわかんないなぁと思った。
    高等遊民に憧れる一方、やりがいを感じて日々幸せな生活があれば普通でも十分だと思えました。

  • 漱石作品に共通しているのは肉親への諦観と、コケティッシュな女に振り回されたいという願望と、いっそ馬鹿が羨ましいよというある意味選民思想の様なもの。故に漱石作品が好きなんですが。

    特にこの作品は、「これじゃダメだと思って昔は色々努力もしてみたけれど、それが悉く失敗に終わったので今じゃすっかり諦めて表面だけ取り繕ってるよ」みたいな漱石の肉親観がモロに出ていた。血のつながりがない場合もあるから親族観って言った方がいいのかな。滲み出るなぁ。ただそんな経験をしてない人が読んだら全く別の見方をするのかもと思わなくもない。

  • 娶る気もないくせに嫉妬をする市蔵に千代子が卑怯だと伝えるシーンがやはり印象に残る。
    でも彼の考え方は割と現代的で分からんくもないが…最後は希望と捉えたいところ。
    しかしこの作品、夏目作品としては結構新鮮なつくりだった。
    これで後期3部作も残り1つ‼︎
    買っとこ。

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著者プロフィール

夏目漱石(なつめ そうせき)
1867年2月9日 - 1916年12月9日
江戸・牛込馬場下(新宿区)生まれの小説家、評論家。本名は「夏目金之助」(なつめ きんのすけ)。1890年、帝国大学文科大学英文科に入学。1895~96年には『坊っちゃん』の舞台となった松山中学校で教鞭を執る。1900年、イギリスに留学。1905年、『吾輩は猫である』を俳句雑誌「ホトトギス」に連載し始め、作家活動を本格的に開始。1907年、朝日新聞社に入社。以降、朝日新聞紙上に『三四郎』『それから』『こころ』などの代表作を連載。日本の文学史に多大な影響を与えており、作品は多くの人に親しまれている。学校教科書でも多数作品が採用されている。

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