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本 ・本 (160ページ) / ISBN・EAN: 9784101010151
感想・レビュー・書評
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こ他人に対する「信頼」と「疑い」の間で揺れ動く著者の人間らしさに共感しました。
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1915年 朝日新聞連載 随筆39回
漱石後期、胃潰瘍大病後、持病を抱えての執筆。
書斎に籠り、硝子戸の中から、世の中を見る。
時折、硝子戸の中に、訪問者がある。
漱石の身近な出来事を綴っている。
死に対する随筆も幾つかあり、後期の死生観を表現しているのだと思うが、私が好きだったものは、漱石が、楽しそうだった以下の2項ですね。
9・10
友人O(太田達人)が、上京して久しぶりに会った楽しそうなひとときの話。漱石の少ない友人の一人で、教師。なかなか、人を誉めない漱石が、人格も頭脳も素直に認めている。
34
頼まれて高等学校等で、生徒達の利益になるように意識して講演をする。それでも、わからなければ、家まで来てくれて良いからと、本当に生徒を自宅に招く。又、他の生徒達から、講義を理解したという手紙をもらって素直に喜ぶ。
いつも物事を俯瞰的に眺めている感じだけど、本当に自身の事を書いている様子が良いなと。
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「死は生よりも尊(たっ)とい」p23
晩年、漱石先生が辿り着いた死生観だそうです。
しかし、人に対しては
「もし生きているのが苦痛なら死んだら好いでしょう」と助言ができない自分をもどかしくも思っている。そうして
「もし世の中に全知全能の神があるならば、(中略)私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る」ほど苦しんでいる。p97
これは本当にただの随想集なのでしょうか??
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読んでいる間ずっと『こころ』の続編?!という思いを禁じ得ませんでした。(本作は『こころ』の後に書かれたそうです)
「不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう」p98
漱石=〈先生〉が硝子戸の中から見つめていたのは、電信柱でも社会でも他者でもなく、紛れもない自分の「こころ」だったのかもしれません。
本書は『こころ』のアナザーストーリーとしても読めるでしょう。
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新聞に短期集中連載された随想集。一篇一篇が私小説のようで楽しい。
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お彼岸も近くなり、なんか漱石が読みたくなり手にした随筆。一つが約3ページの39篇から成る作品。大正時代前期に書かれた文豪のブログを読んでいるよう。さすがに今は見慣れない単語が多いです。
12、13の失礼な男の話が秀逸。些細な事を気にしては悩み、胃潰瘍になり、それらを紛らわすかのように小説を書いた漱石。まだ読んでいない小説を読みたくなりました。
「ある程の 菊投げ入れよ 棺の中」
この句が大塚楠緒に詠んだことも初めて知りました。安野光雅のカバーも素敵です。 -
硝子戸の中で過ごした晩年の漱石の随想集。
硝子戸の中で、漱石は過去の思い出にふけったり、来客と応対したりする。
自身の死を近くに感じながら、死を身近なものとして当たり前のものとして捉える。
「死は生よりも尊い」
そのようには言っても、ただ死を肯定するのではなく、生も肯定する。
最後、硝子戸を開け放った漱石は文章を書くことでの生の肯定を示したかったのではないか、と感じた。
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全編穏やかで静かな文体ながら、内容は死を意識したものや、今は亡き人々の思い出が多い。
中でも飼い犬のヘクトーの死は印象的。意外にも猫よりも犬が好きだったらしい。
また夏目先生ともなると、さすがに様々な人から勝手なお願いをされることが多かったのだなと改めて知った。
子供のころの思い出、両親とのこと、母への想いなども知ることが出来て、興味深かった。 -
もっと漱石の内面を知れると期待していた。
彼の小説をさらに読んでから、再読したい。
まだそれほど、彼の過去や思い出に興味をそそられなかった。
とはいえ幕末や明治初期の話は単純に興味深いし、面白い話もたくさんあった。 -
昔の作家と読者の距離感が、近すぎて怖い。
自分の人生を元ネタに小説を書いてくれとか
『ミザリー』もかくや(°_°)
それでまた、そういう人たちにも
真面目に相手をする漱石がすごいわ。
こうやって随筆の「元ネタ」にしてるしね。
子供時分の思い出から、執筆状況や
今の暮らしについて感じること
あちこち話題を飛ばしながら
思いついた時に書きつけていたのかなぁ。
なんだかこの文豪が
弟子たちに愛されていた理由がわかる気がする。
読んでいて、ちょっと好きになりましたもの。
著者プロフィール
夏目漱石の作品





