文鳥・夢十夜 (新潮文庫)

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感想 : 470
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010182

感想・レビュー・書評

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  • 短編集というより、随筆とかエッセイに近いと思いながら読むと、これらは、小品というジャンルとの事。短編と随筆との中間の曖昧な領域だそう。

    作品としては、7編だが、その中にもわかれた項目がある。ほぼ、専属作家として、朝日新聞系に掲載された作品群。

    まだ、未読の漱石の作品が多いけれど、私は長編の小説よりも好きかもしれない。

    「文鳥」
    文鳥を飼い始めた主人公(ほぼ漱石)の、観察日記風。文鳥の佇まいが、絵画のように表現されている。目の前に、真っ白な文鳥が現れてきます。
    それにからめて、一人の女性の記憶を、ちょっと寂しげに思い出したりします。

    「夢十夜」
    十夜の幻想的な夢物語。
    時代設定も、登場人物も様々。
    2回しか行ったことないけど、歌舞伎の場面転換のようで、世界観に直ぐに引き込まれる。
    それぞれ、趣きがあり、示唆的な内容だと思う。
    第一話は、百年後に会いに来るのを 百合 の花で表している。おしゃれでびっくり。

    「思い出すことなど」
    “修善寺の大患”の後の、死の直面から徐々に回復していく闘病記風。そんな状態でも、客観的に自分や周囲を飄々と語っている。

    どの作品も、読むたびに新しい印象を持てると思う。形式は、小品でも、これだけ集積されれば、大作ですね。

  • 夢十夜の第一夜が大好き。こんなに綺麗な文章を書く人が他にいたでしょうか。百合を見るたびにこのお話を思い出します。

    • 藤首 亮さん
      綺麗な文章と表現されていますので何処を指しているのかと、思い浮かべてみました。【百年待ってください】女の切ない気持ちが込められていると思った...
      綺麗な文章と表現されていますので何処を指しているのかと、思い浮かべてみました。【百年待ってください】女の切ない気持ちが込められていると思った。
      2019/05/20
    • 藤首 亮さん
      もう一度ゆっくり読むと、やっぱり墓石の下からのびて来た百合のつぼみが開き天から女の涙が落ちてきて見上げると暁に星が一つ
      「もう百年が来てい...
      もう一度ゆっくり読むと、やっぱり墓石の下からのびて来た百合のつぼみが開き天から女の涙が落ちてきて見上げると暁に星が一つ
      「もう百年が来ていたんだなあ」終わりが素晴らしい。
      2019/05/22
  • 一番読みたかったのは夢十夜。
    夢と言うだけあって、ふわふわ掴みどころのないお話が十個。
    とてもロマンチックなお話もあれば、ゾッとするようなオチのものまで。
    特に第一夜は、ため息が出るくらい美しかった。

    夏目漱石って、どうしても文豪!というイメージが先行して、なかなか手に取りづらかったけれど…文鳥でもそうだけど、描写が美しい部分もあるし、クスッとくるところもある。
    長編だとちょっとな…と言う人に、ぜひ読んで欲しいな。

  • アパさん(https://twitter.com/honwoyomusaru?s=21)主催の「夢十夜」オンライン読書会出席のため、久しぶりに漱石を読みました。楽しい機会を作って頂き、ありがとうございました。

    「小説ともつかず、感想ともつかず、いわば短編小説と随筆との中間に広がる曖昧な領域」(解説より)を日本近代文学における「小品」と呼ぶのだそうです。本書は「文鳥」「夢十夜」「永日小品」「思い出す事など」「ケーベル先生」「変な音」「手紙」の7編を集めた小品集。小説の形式にはとらわれない自由な雰囲気の作品が並びます。
    読書会で課題となった「夢十夜」も、漱石が自由に書き上げたという雰囲気の作品であり、それ故に漱石の発想が飛び交い、解釈の分かれる作品。したがい、読書会の課題本にするには格好の作品です。
    読書会では参加者の皆さんがそれぞれの解釈を披露され、楽しい会となりました。
    例えば、
    1)「夢十夜」は「第一夜」が男女のプラトニックな関係を美しく表現した小説であるのに対して、最後の「第十夜」は暗喩的にも性を表現した作品であること。これは漱石が意図したのか?
    2)「第二夜」の最後、「はっと思った」というのは侍の悟りであり、「時計が二つ目をチーンと打った」ときに目が覚めて夢が終わった?
    3)漱石は色付きの夢を見ていたのか?赤を基調としたパートカラーの夢を見ていたのではないか?
    楽しい100分間でした。

    収録された他の作品も読み応えがあります。「文鳥」は命の哀れさ、「変な声」は生と死の狭間、「手紙」は苦笑いしたくなるような結末が印象的でした。「永日小品」は「夢十夜」と川端康成の「掌の小説」の間にあるような小品。これについても読書会の課題本になりえます。

    何度でも読み返したくなるような小品集。高校生のときに、読んだ記憶がありますが、やはり人生の半ばを越えて読んだ方が印象が濃いと思います。

  • 『夢十夜』
    喉元に刺さって取れない魚の小骨。
    紙で切ってしまった指先の痛み。
    思い出せそうで思い出せない誰かの名前。
    そんな些細だけれど強烈な違和感や不快感を、夢として丁寧に発酵させたものが、このお話だと思う。
    わりと不気味で理不尽で、そこそこ寂しくて湿っている10の物語。
    だって夢だもの。

  • 夢十夜の「第四夜」について書く。

     この話には、「臍の奥」に住み、「あっち」へ行こうとしているほろ酔い加減の幾年か分からない御爺さんが登場する。御爺さんは手拭を出し、「今になる、蛇になる、きっとなる、笛が鳴る」などと唄いながら河に入って行き、「深くなる、夜になる、真直になる」と言いながら見えなくなるまで歩き続ける。よくよく考えると手拭が蛇になるはずはないのだが、〈自分〉は酔っぱらいの御爺さんの言うことを信じてじっと待っている。けれども御爺さんは、子どもの〈自分〉に期待を持たせたまま河から上がってくることはなかった。
     一見、御爺さんが〈自分〉を騙したように見えるのだが、その様子にはなぜか物悲しさを感じる。御爺さんは笛を吹いたり輪の上を何遍も廻ったりと様々なパフォーマンスを披露するが、浅黄色の手拭は何も変化しないままである。御爺さんのこの行動からは、何かを成し遂げようとして様々なことを試みるものの結局それが叶うことはない、という人生の儚さのようなものを感じた。しかし、子どもたちに自分の生き様を見せつけ、御爺さんはいなくなったのだ。それは無謀な挑戦だったかもしれないが、御爺さんは最後まで唄いながら真直ぐ歩いていった。御爺さんは、蛇は人に見せてもらうものではなく自分自身で見つけるしかないものであり、蛇という理想へ辿り着くためには細い道を歩かねばならない、ということを〈自分〉に示してくれているのだろうと思う。
     一方、〈自分〉は最後の最後まで御爺さんが手拭を蛇に変えるものだと信じて疑っていないし、河の中に入って見えなくなってからもたった一人で何時までも待っている。ただ待っているだけで、自分から河の中に入って御爺さんを探して見ようとは微塵も思っていない。人を心から信じられる純粋さは尊いものだと思うが、いくらか行動力に欠けているように思う。見ているだけでは何にもならないし、待っているだけでは何も始まらない。自分から河の中に飛び込んでみなければ、何時まで経っても何も分からないままなのではないだろうか。
     また、河の中に入って行ったのは御爺さんだけで、〈自分〉は河の傍でそれを眺めているだけであった。河の中で何が起こっているのか。それを知っているのは河の中に入った御爺さんだけである。もしかしたら、〈自分〉はまだ河の中に入れないのかもしれない。それを眺めることはできても、実際に河の中に入ることはできない。河の中の様子は実際に入ったことのある人間にしか分からず、しかも、一旦その中に入るともう二度と出てくることができないのではないだろうか。河の中に入るという行為は、死そのものを表現しているのではないだろうか。

    【補足】
     この作品全体を通してみると、人間の一生を表現している作品ではないかと思った。「臍の奥」に住んでおり、「あっち」へ行こうとしている御爺さん。店の中にいる御爺さんは、「臍の奥」、つまり子宮の中に住んでおり、ほろ酔い加減で未だ存在が確定していないのではないか。そして、店を後にすることでこの世に生れ落ち、「あっち」へ向かって人生を歩み始める。そこで、「蛇になる、今になる、きっとなる」などと唄いながら子どもたちに様々なパフォーマンスを披露する。最後に、河に入って行き、〈自分〉の前からいなくなってしまい、二度と上がってくることはない。この一連の行動が、人間の生き様を描いているのだと思った。

  • 再読。かつて、夢十夜を満月の晩に開くのか、それとも月のない晩に開くのかで意見が分かれた。ただ、二人して口を揃えて、夢十夜には夢魔であり水魔である魔物が棲んでいる、それに魅入られる夜があるのだ、と言ったように記憶している。
    ページを開くと複数の夢の水があたりを隙間なく満たしていく。墨のように昏い水は徐々におのれのなかに入りこみ染みとおり、胸底からごぼごぼと泡立つ音が響き、夜と血が混じり合った流れは喉を締め上げ口から溢れでる。とても息苦しいけれど逃れたいと思わない。そうして甘美な夢の死体となって眠りの淵に落ちる。

  • 漱石の頭の中を少し覗けるような、そんな本。短編や随筆、小品がたくさん収録されてて、なんとも贅沢。ほんと多作だなぁ。

  • 『文鳥』からは、今で言うSNS疲れを感じさせられました。


    ■内容
    知人に勧められて金が掛からないならいいか程度の心持ちで文鳥を飼い始めた主人公。

    餌やりの為の早起きもままならず、お手伝いさんの助けを借りる飼育生活。少しずつ文鳥に興味を抱き始めるも仕事の忙しさから放置してしまい、ある日文鳥が死ぬ。

    主人公は責任をお手伝いさんに押し付ける一方、自分で後始末はしない。

    勧めてくれた知人に事情を綴った手紙を出すも、お手伝いさんに対する愚痴に関しては何の共感も得られなかった。




    ■SNS疲れ
    友人に勧められて登録し、最初は何が楽しいのかわからない。けれど段々と感覚的に楽しみを見出だせてくる。

    かといってドップリはまる訳でもなく、次第に飽きてしまう。友人の近況が気になった時に覗いてみると、知らない間に色々とあったみたいだ。なんだか出遅れた。

    日記を書いたり呟いたり、その反応が気になったり気になる自分が嫌だったり。妙な疲れが溜まっていく。

    嫌なら止めればいい。それだけのことなのに、いざ放置すると孤独を感じてどうすればいいのかわからない。


    『文鳥』には若者特有の他人のせいにしたがる傲慢さや言い訳が孤独とごちゃ混ぜになってるどうしようもなさが漂い、読み応えがありました。

  • どの話も不思議で引き込まれるが、やはり第一夜が美しすぎる…。百合の花…大好きです。

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著者プロフィール

夏目漱石
小説家・英文学者。1967年(慶応3年)東京生まれ。帝国大学を卒業後、教師となる。1900年(明治33年)にイギリスに留学し、帰国後の1905年(明治38年)に処女小説『吾輩は猫である』を発表。1907年(明治40年)に新聞社に入社し、以降職業作家として活躍した。1916年(大正5年)に胃潰瘍により死去。享年50才。代表作に『坊ちゃん』『三四郎』『こゝろ』『明暗』などがある。

「2022年 『夢十夜』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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